王太子から婚約破棄されましたが、インフラを支えていたの、実は私なんです~辺境改革で忙しいので、今さら復縁要請されても遅いです~

水上

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第11話:一方、その頃王都では(3)~崩壊する経済と外交~   

 右腕を白いギプスで固定し、首から三角巾で吊った王太子クリストフェルは、玉座の間で脂汗を流していた。

 彼の目の前に立っているのは、隣国ガレリア帝国の特命全権大使である。
 大使は、氷のような冷ややかな視線を王太子に向けていた。

「……殿下。我が国との通商条約において確約されていた新型防水布および緩衝材の納品が、既に二ヶ月も遅滞しております。これは一体どういうことですか?」

 大使の声は静かだが、そこには隠しきれない苛立ちが含まれていた。

 ガレリア帝国は軍事大国であり、彼らが求めていたのは、ヴィオラが開発した軍用テントの防水シートや、大砲の車輪に使われる衝撃吸収ゴムだった。

 これらは国家戦略物資であり、供給の遅れは許されない。

「あー、その件だが……、少々、生産ラインにトラブルがありましてな」

 クリストフェルは痛む右腕を庇いながら、苦しい言い訳を並べた。

「長雨の影響で原料の輸送が遅れているのだ。天災だ、仕方あるまい」

「天災、ですか」

 大使は鼻で笑った。

「調査によれば、原料の天然ゴムは港に山積みだそうではありませんか。単に、それを加工する技術者がいないだけだと聞いておりますが?」

「なっ……!」

 図星を突かれ、クリストフェルは言葉に詰まった。
 そう、原料はあるのだ。

 だが、それをヴィオラの設計図通りに加硫し、均一な品質で製品化できる人間が、今の王都には一人もいないのである。

「我が国の皇帝陛下は、約束を違える者を最も嫌います。……これ以上の遅延は、両国の友好関係に不可逆な亀裂を生じさせるとお考えください」

「ま、待ってくれ! すぐに何とかする! 代わりの品を……、そうだ、我が国の伝統工芸品である刺繍入りタペストリーを贈ろう!」

「……戦場にタペストリーを持っていけと? 冗談も休み休みにしていただきたい」

 大使は侮蔑の色を露わにして踵を返した。

「次の期日までに製品が届かなければ、条約は破棄させていただきます。違約金の請求額は、覚悟しておいてください」

 重い扉が閉まる音が、クリストフェルの心臓を打った。

 条約破棄となれば、国の経済は大打撃を受ける。
 違約金だけで国家予算が吹き飛ぶ規模だ。

「くそっ、どいつもこいつも! たかがゴム屑ひとつでガタガタと……!」

 クリストフェルは玉座の肘掛けを叩いた。

 外交の失敗は、即座に経済界へと波及した。
 王都の商業ギルド会館。

 そこでは、国内の物流を牛耳る商会の会頭が、幹部たちを集めて緊急会議を開いていた。

「王太子殿下は終わったな」

 会頭は葉巻の煙を吐き出しながら、冷徹に言い放った。

「隣国との取引停止は確実だ。王都のゴム製品市場は崩壊する。これ以上、この泥船に乗っているわけにはいかん」

「では、会頭。例の計画を実行に移しますか?」

「ああ。拠点を移すぞ」

 会頭が地図の上で指差したのは、北の最果て。
 アッシュバーン辺境伯領だった。

「情報によれば、クライン伯爵令嬢……、今は辺境伯夫人か。彼女があの地で、とんでもない品質のゴム製品を量産しているらしい。長靴、防水服、農機具のタイヤ……。どれも飛ぶように売れる代物だ」

「確かに。辺境からの行商人が持ち込んだサンプルを見ましたが、王都の工房で作っていた物とは桁違いの耐久性でした」

「だろうな。技術の核があっちに行ったんだ。金も物流も、そこへ流れるのは道理だ」

 商人の嗅覚は鋭い。
 彼らは正義や忠誠では動かない。

 利益と将来性のある場所に移動するだけだ。
 そして今、将来性は王都ではなく、辺境にあった。

「王都の倉庫を引き払え。職人も、運べるなら家族ごと連れて行け。……次の商都は、アッシュバーンだ」

 その日のうちに、王都から数多くの荷馬車が姿を消した。

 大手商会の撤退は、王都の税収激減を意味していたが、クリストフェルがそれに気づくのは、金庫が空になってからだった。

 そして、崩壊の波は生産現場である王立工房にも押し寄せていた。
 工房長室の机には、辞表の山が築かれていた。

「どういうことだ! 貴様ら、国の一大事に職場放棄するつもりか!」

 視察に訪れたクリストフェルは、集まった技術者たちに向かって怒鳴り散らした。

 しかし、技術者たちの目は死んでいなかった。
 むしろ、冷ややかな諦めと、隠しきれない軽蔑の色を宿して王太子を見返していた。

「殿下」

 代表して、ベテランの職工長が口を開いた。
 彼はヴィオラが幼い頃から、その才能を見守ってきた一人だった。

「職場放棄ではありません。我々は技術者としての誇りを守るために辞めるのです」

「誇りだと? 私のために働くことが誇りだろう!」

「違います」

 職工長は静かに首を振った。

「我々が作りたいのは、人の役に立つものです。ヴィオラ様は、現場の声を聞き、泥にまみれて改良を重ね、我々と共に汗を流してくださいました。彼女の図面には、使う人への愛と、作る我々への敬意がありました」

 職工長は、クロエが持ち込んだ落書きのような設計図――「愛の力でくっつける」などと書かれた紙切れ――を指差した。

「ですが、今の工房はどうですか。男爵令嬢の思いつきを実現しろと無理難題を押し付けられ、失敗すれば罵倒される。科学的根拠のない工程を強要され、出来上がるのはすぐに壊れるゴミばかり……。これ以上、粗悪品を世に出すことは、我々の良心が許しません」

「な……、生意気な! 貴様らはただの手足だろう! 黙って動けばいいんだ!」

「手足にも心はあります。……失礼いたします」

 職工長は深々と頭を下げると、背を向けた。
 それに続くように、他の技術者たちも次々と部屋を出て行く。

「待て! どこへ行くつもりだ!」

「北へ参ります。あの方……、ヴィオラ様の下でなら、また本物のモノづくりができると信じておりますので」

 ガランとした工房に残されたのは、クリストフェルと、状況が飲み込めずキョトンとしているクロエだけだった。

 王国の技術力の結晶と言われた王立工房は、この日をもって事実上、機能を停止した。

 外交、経済、技術。
 国の根幹を支える三本柱が、音を立てて崩れ去った。

 王宮に戻ったクリストフェルは、執務室で頭を抱えていた。

「くそっ……、どいつもこいつも、私を見捨ておって……!」

 彼の元には、各方面からの悲鳴のような報告書が積み上がっている。

 違約金の請求。
 税収の不足。

 インフラの未復旧による市民の暴動の予兆。
 これらを解決する手段は、今の彼には何一つ残されていなかった。

「クリス様ぁ……」

 クロエが泣きそうな顔で擦り寄ってくる。

「みんな意地悪ですぅ。私、何も悪いことしてないのに……」

 普段なら「そうだね、クロエは悪くないよ」と慰めるところだが、今のクリストフェルにその余裕はなかった。

 彼の脳裏に、ある一つの事実が浮かび上がっていた。
 すべての問題の根源はゴム製品がないことであり、それを管理できる人間がいないことだ。

 逆に言えば。
 その人間さえ戻ってくれば、全て解決するのではないか?

「……そうだ。ヴィオラだ」

 クリストフェルは顔を上げた。
 その瞳に宿っているのは、反省ではなく、歪んだ希望だった。

「ヴィオラを連れ戻せばいいんだ。あいつは私のことが好きだったはずだ。多少冷たくしたが、婚約者として長年尽くしてきた女だ。私が謝って『やはりお前が必要だ』と言えば、泣いて喜んで戻ってくるに決まっている」

 あまりにも都合の良い妄想。
 しかし、追い詰められた彼にとって、それは唯一の救命ロープに見えた。

「そうだ、そうに決まっている! 辺境伯ごとき野蛮な男より、次期国王である私の方がいいに決まっているんだ!」

 彼は無傷の左手でペンを取り、羊皮紙に走り書きをした。
 それは、ヴィオラへの復縁命令書だった。

「近衛隊長を呼べ! すぐに辺境へ向かわせろ! ヴィオラを……、私の便利な道具を、今すぐここへ連れ戻すんだ!」

 王太子の絶叫が、虚しい執務室に響いた。
 彼はまだ知らない。

 一度加硫硬化したゴムが二度と生ゴムに戻らないように、人の心もまた、一度冷めれば二度と戻らないという単純な理を。

 王都の崩壊は、もはや止める術のない最終局面へと向かっていた。

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