王太子から婚約破棄されましたが、インフラを支えていたの、実は私なんです~辺境改革で忙しいので、今さら復縁要請されても遅いです~

水上

文字の大きさ
14 / 18

第14話:涙も善意も、計算対象外です

 アッシュバーン辺境伯邸のエントランスホールは、異様な緊張感に包まれていた。
 男爵令嬢クロエ・ダルトンの金切り声と嘘泣きが、高い天井に反響している。

「ううっ……、ひどいですぅ! 私、クリス様をお支えするために、寝る間も惜しんで頑張ったんです! みんなの笑顔が見たくて、必死にアイデアを出したのに……、それを計算外だなんて!」

 クロエは両手で顔を覆い、しゃくり上げながらチラリと周囲を伺った。
 その姿は、いかにも冷酷な悪女にいじめられる可憐なヒロインだ。

 同行していた近衛兵たちの間に、動揺が走る。

「さすがに言い過ぎでは……」

「男爵令嬢は、彼女なりに国を思って……」

 その空気を感じ取り、王太子クリストフェルが勢いづいた。

「見たかヴィオラ! これが人の心だ! 貴様のような機械人形には、クロエの崇高な善意は理解できまい!」

 勝ち誇る元婚約者と、泣き真似を続けるライバル。
 その二人を前に、ヴィオラは深く、長く、ため息をついた。

 そして懐から手帳を取り出し、パラパラとページをめくった。

「崇高な善意、ですか。……では、その善意とやらが生み出した結果について、精査しましょうか」

 ヴィオラは眼鏡の位置を直し、淡々とした口調で読み上げ始めた。

「三ヶ月前。食糧倉庫の浸水対策として、クロエ様は『防水シートは黒くて可愛くないから』という理由で、パステルカラーの綿布への変更を指示。結果、吸水性が高まり、備蓄食料の六〇%がカビによる廃棄損となりました」

 ピタリ、とクロエの泣き声が止まった。

「二ヶ月前。王立工房にて、ゴムの配合比率を変更。『硫黄なんて臭いものを入れるのは可哀想。代わりにラベンダーの香油を入れましょう』と提案。結果、ゴムは硬化せずドロドロに溶け、配管の接合部から漏れ出して王都の地下水路を汚染しました」

 ヴィオラは顔を上げ、冷徹な視線をクロエに向けた。

「そして先月。防火ホースの点検義務を『難しくてよく分からないから、みんなでダンスをして士気を高めましょう』と精神論にすり替え、点検を中止。結果、ボヤ騒ぎが大火災へと発展しました」

 ヴィオラは手帳をパタンと閉じた。
 その音は、銃声のように鋭く響いた。

「これらは全て事実です。クロエ様、貴女の言う頑張ったとは、具体的にどの数値を向上させたのですか?」

 クロエは顔を青くし、後ずさりした。

「そ、それは……! 私は、みんなが楽しくお仕事できるようにと思って……! 結果が悪かったとしても、そのプロセスには愛があったんです!」

「頑張ったというプロセスは評価対象外です。重要なのはアウトプットの質のみ。あなたのその善意は、現場の作業効率を低下させています」

 ヴィオラの言葉は、慈悲のない刃となってクロエを切り捨てた。

「い、いいえ! 愛があれば伝わるはずです! ひどい、ひどいぃっ!」

 クロエは再び泣き崩れ、大粒の涙をこぼしてみせた。

「見てください、この涙を! これが私の真心の証拠です!」

 クリストフェルが叫ぶ。

「そうだ! この美しい涙を見て、何も感じないのか!」

 ヴィオラは冷ややかに言い放った。

「涙の水分量は計算に入れていません。……さあ、弁明をどうぞ」

 ヴィオラにとって、涙などただの生理食塩水の排出現象に過ぎない。
 現場の悲鳴を無視し、自分に酔って流す涙に、何の価値があるというのか。

「う……、ううっ……」

 クロエは言葉を失い、へなへなと座り込んだ。
 彼女の武器である感情論は、ヴィオラの論理の前ではあまりに無力だった。

 追い詰められたクリストフェルは、顔を真っ赤にして激昂した。
 プライドを傷つけられた彼は、もはや理性を失っていた。

「だ、黙れ黙れ黙れ! 理屈ばかりこねやがって! 私は王太子だぞ! 私が白と言えば黒いゴムも白になるんだ! 私の言うことに間違いなどない!」

 彼は無傷の左手で、近くにあった花瓶を掴み、床に叩きつけた。
 陶器が砕け散る音が響く。

「この堅物女が! お前はいつもそうだ。正論ばかり並べて、少しも可愛げがない! 女ならもっと柔軟に、男を立てて従えばいいんだ! そんなに硬いから、誰からも愛されないんだ!」

 彼の暴言に対し、ルーファスが殺気を放って踏み出そうとした。
 だが、ヴィオラは手でそれを制した。

「……硬い、ですか」

 ヴィオラは割れた花瓶の破片を見つめ、静かに拾い上げた。
 鋭利な破片は、指を切るほど硬いが、衝撃には脆い。

「殿下。貴方は、硬さと強さを履き違えています」

 ヴィオラは懐から、小さなゴムボールを取り出した。
 子供たちに配ったものの予備だ。

 彼女はそれを床に叩きつけた。
 ボールは大きく変形し、そして勢いよく跳ね返ってヴィオラの手元に戻った。

「見てください。ゴムは柔らかいですが、壊れません。圧力を受け流し、形を変え、また元に戻る力……。これを弾性と呼びます」

 ヴィオラはボールをクリストフェルに見せつけた。

「硬いだけでは折れてしまいます。必要なのは弾性です。しなやかさこそが、最強の強度なのです」

 彼女の視線は、クリストフェルのギプスに巻かれた右腕に向けられた。

「貴方のプライドは、この陶器のように硬いだけでした。だから、予期せぬトラブルという衝撃が加わった時、耐えきれずに折れたのです。……私の忠言というクッション材を捨てた時点で、貴方の崩壊は確定していました」

「な……っ」

「対して、ルーファス様を見てください」

 ヴィオラは背後の夫を振り返った。

「彼は強面で、一見すると無骨な岩のようです。ですが、彼は私の意見を聞き入れ、未知の技術を柔軟に受け入れました」

 ルーファスが少し照れくさそうに視線を逸らす。

「彼には弾性があります。だからこそ、この過酷な辺境で、どんな困難も跳ね返して領地を守り抜いてこられたのです。……貴方とは、素材のグレードが違います」

 完全なる敗北。
 論理でも、器の大きさでも、ヴィオラは元婚約者を完膚なきまでに叩きのめした。

 クリストフェルはわなわなと震え、唇を噛み締めた。

 言い返したい。
 怒鳴り返したい。

 だが、喉元まで出かかった言葉は、圧倒的な正しさの前に霧散した。
 彼の硬いだけのプライドには、もうヒビが入っていた。

「……もう、終わりだ」

 ルーファスが低い声で告げた。
 彼はヴィオラの腰に手を回し、クリストフェルたちを冷たく見下ろした。

「俺の妻を愚弄することは許さん。そして、我が領の資源を渡すつもりもない。……即刻、立ち去れ」

 その声には、歴戦の武人だけが持つ本物の威圧感が込められていた。
 近衛兵たちが青ざめ、殿下を守るどころか後ずさりをする。

「く……、くそっ、くそぉぉぉっ!」

 クリストフェルは絶叫し、踵を返した。
 これ以上ここにいれば、自分の心が粉々に砕け散ってしまうことを本能的に悟ったのだろう。

「覚えていろ! 後悔するのはお前たちだ! 王命に背いた罪は重いぞ!」

 捨て台詞だけは一丁前に残し、王太子は逃げるように屋敷を出て行った。
 クロエも慌ててドレスの裾をまくり上げ、その後を追う。

「待ってくださいぃ、クリス様ぁ! 私を置いていかないでぇ!」

 嵐のような騒音が去り、ホールには静寂が戻った。

「……ふぅ」

 ヴィオラは肩の力を抜いた。

 緊張が解けたのか、少しだけよろめく。
 それをルーファスがしっかりと支えた。

「大丈夫か、ヴィオラ」

「はい。……少し、排熱処理が追いつきませんでした。感情という変数は、やはりエネルギーを消費しますね」

 ヴィオラは眼鏡を外し、疲れたように笑った。
 だが、その表情は晴れやかだった。

 過去との決別。
 それは書類上のことだけでなく、彼女の心の中でも、今完全に処理が完了したのだ。

「見事だったぞ。あんなにスカッとする説教は聞いたことがない」

 ルーファスがニヤリと笑った。

「弾性の話、感動した。俺がしなやかだなんて、初めて言われたがな」

「事実ですから。……貴方は、最高の緩衝材であり、最強の構造体です」

 ヴィオラは彼の胸に頭を預けた。
 その硬い筋肉の奥にある、弾力のある優しさが、彼女には何よりも心地よかった。

 だが、王太子はまだ諦めておらず、最後の悪あがきを始めようとしていたのだった。

あなたにおすすめの小説

「君は悪役令嬢だ」と離婚されたけど、追放先で伝説の力をゲット!最強の女王になって国を建てたら、後悔した元夫が求婚してきました

黒崎隼人
ファンタジー
「君は悪役令嬢だ」――冷酷な皇太子だった夫から一方的に離婚を告げられ、すべての地位と財産を奪われたアリシア。悪役の汚名を着せられ、魔物がはびこる辺境の地へ追放された彼女が見つけたのは、古代文明の遺跡と自らが「失われた王家の末裔」であるという衝撃の真実だった。 古代魔法の力に覚醒し、心優しき領民たちと共に荒れ地を切り拓くアリシア。 一方、彼女を陥れた偽りの聖女の陰謀に気づき始めた元夫は、後悔と焦燥に駆られていく。 追放された令嬢が運命に抗い、最強の女王へと成り上がる。 愛と裏切り、そして再生の痛快逆転ファンタジー、ここに開幕!

【完結】「お前に聖女の資格はない!」→じゃあ隣国で王妃になりますね

ぽんぽこ@3/28新作発売!!
恋愛
【全7話完結保証!】 聖王国の誇り高き聖女リリエルは、突如として婚約者であるルヴェール王国のルシアン王子から「偽聖女」の烙印を押され追放されてしまう。傷つきながらも母国へ帰ろうとするが、運命のいたずらで隣国エストレア新王国の策士と名高いエリオット王子と出会う。 「僕が君を守る代わりに、その力で僕を助けてほしい」 甘く微笑む彼に導かれ、戸惑いながらも新しい人生を歩み始めたリリエル。けれど、彼女を追い詰めた隣国の陰謀が再び迫り――!? 追放された聖女と策略家の王子が織りなす、甘く切ない逆転ロマンス・ファンタジー。

王太子に理不尽に婚約破棄されたので辺境を改革したら、王都に戻ってきてくれと言われました

水上
恋愛
【全18話完結】 「君は中身まで腐っている」と婚約破棄されたエリアナ。 そんな彼女は成り行きで辺境へ嫁ぐことに。 自身の知識と技術で辺境を改革するエリアナ。 そんな彼女を、白い結婚のはずなのに「膝枕は合理的だ」と甘やかす夫。 一方、エリアナを追放した王都では、彼女の不在の影響が出始めて……。

王子に婚約破棄されて国を追放「魔法が使えない女は必要ない!」彼女の隠された能力と本来の姿がわかり誰もが泣き叫ぶ。

佐藤 美奈
恋愛
クロエ・エルフェシウス公爵令嬢とガブリエル・フォートグランデ王太子殿下は婚約が内定する。まだ公の場で発表してないだけで、王家と公爵家の間で約束を取り交わしていた。 だが帝立魔法学園の創立記念パーティーで婚約破棄を宣言されてしまった。ガブリエルは魔法の才能がある幼馴染のアンジェリカ男爵令嬢を溺愛して結婚を決めたのです。 その理由は、ディオール帝国は魔法至上主義で魔法帝国と称される。クロエは魔法が一番大切な国で一人だけ魔法が全然使えない女性だった。 クロエは魔法が使えないことに、特に気にしていませんでしたが、日常的に家族から無能と言われて、赤の他人までに冷たい目で見られてしまう。 ところがクロエは魔法帝国に、なくてはならない女性でした。絶対に必要な隠された能力を持っていた。彼女の真の姿が明らかになると、誰もが彼女に泣いて謝罪を繰り返し助けてと悲鳴を上げ続けた。

【本編完結】真実の愛を見つけた? では、婚約を破棄させていただきます

ハリネズミ
恋愛
「王妃は国の母です。私情に流されず、民を導かねばなりません」 「決して感情を表に出してはいけません。常に冷静で、威厳を保つのです」  シャーロット公爵家の令嬢カトリーヌは、 王太子アイクの婚約者として、幼少期から厳しい王妃教育を受けてきた。 全ては幸せな未来と、民の為―――そう自分に言い聞かせて、縛られた生活にも耐えてきた。  しかし、ある夜、アイクの突然の要求で全てが崩壊する。彼は、平民出身のメイドマーサであるを正妃にしたいと言い放った。王太子の身勝手な要求にカトリーヌは絶句する。  アイクも、マーサも、カトリーヌですらまだ知らない。この婚約の破談が、後に国を揺るがすことも、王太子がこれからどんな悲惨な運命なを辿るのかも―――

婚約者に「愛することはない」と言われたその日にたまたま出会った隣国の皇帝から溺愛されることになります。~捨てる王あれば拾う王ありですわ。

松ノ木るな
恋愛
 純真無垢な侯爵令嬢レヴィーナは、国の次期王であるフィリベールと固い絆で結ばれる未来を夢みていた。しかし王太子はそのような意思を持つ彼女を生意気だと疎み、気まぐれに婚約破棄を言い渡す。  伴侶と寄り添う幸せな未来を諦めた彼女は悲観し、井戸に身を投げたのだった。  あの世だと思って辿りついた先は、小さな貴族の家の、こじんまりとした食堂。そこには呑めもしないのに酒を舐め、身分社会に恨み節を唱える美しい青年がいた。  どこの家の出の、どの立場とも知らぬふたりが、一目で恋に落ちたなら。  たまたま出会って離れていてもその存在を支えとする、そんなふたりが再会して結ばれる初恋ストーリーです。

追放された落ちこぼれ令嬢ですが、氷血公爵様と辺境でスローライフを始めたら、天性の才能で領地がとんでもないことになっちゃいました!!

六角
恋愛
「君は公爵夫人に相応しくない」――王太子から突然婚約破棄を告げられた令嬢リナ。濡れ衣を着せられ、悪女の烙印を押された彼女が追放された先は、"氷血公爵"と恐れられるアレクシスが治める極寒の辺境領地だった。 家族にも見捨てられ、絶望の淵に立たされたリナだったが、彼女には秘密があった。それは、前世の知識と、誰にも真似できない天性の《領地経営》の才能! 「ここなら、自由に生きられるかもしれない」 活気のない領地に、リナは次々と革命を起こしていく。寂れた市場は活気あふれる商業区へ、痩せた土地は黄金色の麦畑へ。彼女の魔法のような手腕に、最初は冷ややかだった領民たちも、そして氷のように冷たいはずのアレクシスも、次第に心を溶かされていく。 「リナ、君は私の領地だけの女神ではない。……私だけの、女神だ」

政略結婚で「新興国の王女のくせに」と馬鹿にされたので反撃します

nanahi
恋愛
政略結婚により新興国クリューガーから因習漂う隣国に嫁いだ王女イーリス。王宮に上がったその日から「子爵上がりの王が作った新興国風情が」と揶揄される。さらに側妃の陰謀で王との夜も邪魔され続け、次第に身の危険を感じるようになる。 イーリスが邪険にされる理由は父が王と交わした婚姻の条件にあった。財政難で困窮している隣国の王は巨万の富を得たイーリスの父の財に目をつけ、婚姻を打診してきたのだ。資金援助と引き換えに父が提示した条件がこれだ。 「娘イーリスが王子を産んだ場合、その子を王太子とすること」 すでに二人の側妃の間にそれぞれ王子がいるにも関わらずだ。こうしてイーリスの輿入れは王宮に波乱をもたらすことになる。