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第58話:心地よい関係
オリヴィアは、次々と舞い込む注文や、仕立て屋からの提携の申し出に、一つ一つ丁寧に応対した。
彼女の頭の中には、複雑な図案の工数計算も、絹糸の仕入れ価格の交渉も、全てが完璧に入っている。
かつて「数字や利益の話ばかりする、傲慢で強欲な女」とセドリックに罵られた彼女の実務能力と計算高さは、この商業の最前線において、最も強力で頼もしい武器として最大限に発揮されていた。
数時間後。
顧客たちが大満足で帰り、アトリエにハワード会頭とオリヴィアだけが残った。
「見事な手腕だったよ、オリヴィア」
ハワード会頭は、商談で交わされた分厚い契約書の束をポンと叩き、豪快に笑った。
「たった半日で、我が商会の今年の利益目標を半分も達成してしまった。貴女のレースは、ただ美しいだけでなく、貴女自身の無能な夫から自立し、権利を勝ち取ったというドラマが、さらに付加価値を高めているようだ。貴族の夫人たちは、皆貴女の強さに憧れ、こぞってパトロンになりたがっている」
「過分なお褒めの言葉、ありがとうございます、会頭。……でも、これは全て、あなたが私にこの素晴らしいアトリエと、安全な環境を与えてくださったからです」
オリヴィアは、本当に嬉しそうに微笑んだ。
「それに、今日はとても……、息がしやすいですわ」
「息がしやすい?」
「ええ。誰も私に愛や奉仕といった、重苦しい道徳の言葉を押し付けません。私が作ったものを素晴らしいと褒め、その対価としてお金を支払ってくださる。……こんなにもシンプルで、誠実で、心地よい関係があるなんて、私は知らなかったのです」
オリヴィアの言葉には、長年の理不尽な労働と、セドリックによるやりがい搾取から解放された、深い実感がこもっていた。
「当然だ。我々は商人だからな」
ハワード会頭は、温かい目つきで頷いた。
「実務者の汗と血の結晶を、無私の心などという実体のない言葉でタダ働きさせるような人間は、いずれ必ず破滅する。それが世の道理だ。……そう、あの大馬鹿者のようにな」
ハワード会頭が、不意に窓の外、王都の裏路地の方向へと視線を向けた。
オリヴィアも、彼に倣って窓の外を見た。
「あの男……、セドリックと、ノースコート男爵令嬢のその後は、耳に入っているかな?」
ハワード会頭の問いに、オリヴィアは静かに首を振った。
「いいえ。私はもう、彼らのことには一切関心がありませんので」
「だろうな。だが、王都の商人ネットワークには、彼らの無惨な末路が嫌でも耳に入ってくる」
ハワード会頭は、少し同情するような、しかし冷酷な事実を淡々と語った。
「あの日、ウィンザー邸から一文無しで追放されたセドリックは、日雇いの労働で糊口を凌ごうとしたらしい。だが、彼はこれまで美しい言葉を並べる以外、何一つ実務をしたことがない男だ。重い荷物を運ぶ体力もなく、計算もできず、すぐに現場から叩き出されたそうだ」
オリヴィアの表情は、ピクリとも動かなかった。
彼女が徹夜で数字を合わせ、手を血まみれにして支えていた実務という泥臭い土台。
それを下々の者がやる地味な作業と見下していた男が、いざその現場に放り出されて、使い物になるはずがなかった。
彼女の頭の中には、複雑な図案の工数計算も、絹糸の仕入れ価格の交渉も、全てが完璧に入っている。
かつて「数字や利益の話ばかりする、傲慢で強欲な女」とセドリックに罵られた彼女の実務能力と計算高さは、この商業の最前線において、最も強力で頼もしい武器として最大限に発揮されていた。
数時間後。
顧客たちが大満足で帰り、アトリエにハワード会頭とオリヴィアだけが残った。
「見事な手腕だったよ、オリヴィア」
ハワード会頭は、商談で交わされた分厚い契約書の束をポンと叩き、豪快に笑った。
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「過分なお褒めの言葉、ありがとうございます、会頭。……でも、これは全て、あなたが私にこの素晴らしいアトリエと、安全な環境を与えてくださったからです」
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「それに、今日はとても……、息がしやすいですわ」
「息がしやすい?」
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オリヴィアの言葉には、長年の理不尽な労働と、セドリックによるやりがい搾取から解放された、深い実感がこもっていた。
「当然だ。我々は商人だからな」
ハワード会頭は、温かい目つきで頷いた。
「実務者の汗と血の結晶を、無私の心などという実体のない言葉でタダ働きさせるような人間は、いずれ必ず破滅する。それが世の道理だ。……そう、あの大馬鹿者のようにな」
ハワード会頭が、不意に窓の外、王都の裏路地の方向へと視線を向けた。
オリヴィアも、彼に倣って窓の外を見た。
「あの男……、セドリックと、ノースコート男爵令嬢のその後は、耳に入っているかな?」
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