王太子に理不尽に婚約破棄されたので辺境を改革したら、王都に戻ってきてくれと言われました

水上

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第6話:嫌われ者が特産品へ

 領地を流れる大河のほとりにある漁村は、どんよりとした空気に包まれていた。

「……酷い匂いですね」

 馬車から降りたエリアナは、鼻をひくつかせた。
 漂ってくるのは、生臭い川の匂いと、どこか饐えたような腐敗臭。

 村人たちは痩せ細り、活気がない。
 網にかかった魚が無造作に岸辺に打ち捨てられ、鳥がついばんでいる。

「エリアナ。鼻を塞いでいろ」

 護衛についたギルバートが、申し訳なさそうに彼女の前に立った。
 彼は村長を呼び寄せ、厳しい顔で問いただす。

「これはどういうことだ。なぜ獲った魚を捨てている? 領民の貴重なタンパク源だろう」

「へ、辺境伯様……。それが、ここの川魚は泥臭く、小骨も多くて、とても食えたもんじゃねえんです」

 村長が力なく首を振った。
 この地域の固有種である川魚は、冬の間は脂が乗るものの、独特の強い臭みがあり、焼いても煮ても泥の味が抜けない。

 市場でも買い手がつかず、漁師たちは貧困にあえいでいた。

「自分たちで食うにも限界があります。肥料にするにも手間がかかるし、こうして捨てるしか……」

 ギルバートが苦い顔をする。

 だが、エリアナは違った。
 彼女は捨てられた魚の山に駆け寄り、その一匹を拾い上げた。

「素晴らしい……! 内臓がパンパンに詰まっていますわ!」

「ひっ! 奥方様、汚いですよ!」

「いいえ、汚くありません。これは酵素の宝庫です!」

 エリアナは魚を掲げ、ギルバートに振り返った。

「閣下! この魚、すべて買い取りましょう。そして大量の塩と樽を用意してください」

「買い取る? まさか、これを食べるつもりか?」

「そのままでは食べません。ですが、彼ら自身が持つ消化酵素の力を借りて、魚醤という極上の調味料に作り変えるのです」

 その日から、漁村の一角にある倉庫は、エリアナの実験場と化した。
 漁師たちに指示し、新鮮な魚を内臓ごと塩と混ぜ合わせ、樽に隙間なく詰め込んでいく。

「魚の内臓には、タンパク質を分解する強力な酵素が含まれています。これを塩分濃度20パーセント以上の環境に置くことで、腐敗菌の繁殖を抑えつつ、自己消化を促すのです」

 エリアナは熱弁したが、漁師たちの反応は冷ややかだった。
 彼らにとって、それは生ゴミを塩漬けにしているようにしか見えなかったからだ。

 そして、数ヶ月後。
 熟成が進んだ頃合いを見計らい、エリアナはギルバートと漁師たちを集め、樽の蓋を開けた。

 強烈な匂いが立ち込める。
 それは魚の干物をさらに凝縮し、古漬けにしたような、鼻が曲がりそうな独特の香りだった。

「うわっ! くっさ!」

「やっぱ腐ってるじゃねえか!」

「俺たちの苦労を返せ!」

 漁師たちが口々に罵声を浴びせる。
 樽の中には、魚の形はなくなり、茶色く濁ったドロドロの液体が溜まっているだけだ。

 エリアナは「成功です!」と胸を張ったが、誰も信じない。

「失敗だ、失敗! こんなもん食えるか!」

「待て」

 騒ぐ漁師たちを一喝したのは、ギルバートだった。
 彼は眉間に皺を寄せたまま、樽の中の液体を小指ですくい、舐めた。

「……!」

「へ、辺境伯様!? 腹を壊しますよ!」

「……いや、違う」

 ギルバートの目がカッ、と見開かれた。

「塩辛いが……、なんだこの爆発的な旨味は。グルタミン酸の塊か? 肉や野菜の出汁よりも遥かに濃厚で、複雑な味がする」

「はい。タンパク質が完全にアミノ酸に分解された証拠です」

 エリアナが頷く。
 ギルバートはニヤリと笑い、腕まくりをした。

「面白い。この強烈な個性、俺が手なずけてやる。――厨房を借りるぞ」

 ここからは、彼の独壇場だった。
 彼はエリアナが精製した魚醤を小瓶に入れると、熱したオリーブオイルにニンニクと共に投入した。

 香ばしい香りが広がる。
 加熱されたことで魚醤の生臭さは消え、食欲をそそる芳醇な香りへと変化したのだ。

 さらに生クリームを少量加え、とろりとした温かいソースを作り上げる。

「完成だ。この地域の冬野菜……、カブや人参をつけて食ってみろ」

 半信半疑の漁師たちが、恐る恐る野菜をソースに浸し、口へ運ぶ。
 その瞬間、彼らの目が飛び出んばかりに見開かれた。

「う、うめえええええ!!」

「なんだこれ!? 野菜が止まらねえ!」

「あの泥臭い魚が、こんな上品で深い味になるなんて……!」

 漁村に歓声が響き渡った。
 ただの嫌われ者だった魚が、魔法のような調味料に変わった瞬間だった。

「これなら売れる! 王都の貴族だって飛びつくぞ!」

「俺たちは金持ちになれるかもしれねえ!」

 興奮冷めやらぬ中、年配の漁師が震える手でエリアナの前に進み出た。
 そして、深々と頭を下げた。

「奥方様……、いや、エリアナ様。俺たちはとんでもない無礼を……。あんたは、俺たちの女神様だ!」

「へ?」

「こんな薄汚い村に来て、腐った魚だなんて馬鹿にせず、宝物に変えてくれた。あんたの知識は本物だ!」

 湧き上がる称賛の声。

「辺境伯様は見る目がある」

「最高の奥方様だ」

 という言葉が、あちこちから聞こえてくる。

「あ、いえ……、私はただ、菌の作用を……」

 照れて俯くエリアナの肩を、ギルバートがガシッと抱き寄せた。
 その顔は、自分が褒められた時以上に誇らしげだった。

「聞いたか、エリアナ。お前の力だ」

「……ギルバート様が、美味しく調理してくださったからです」

「素材が悪ければ料理はできん。……お前がこの領地に旨味をもたらしたんだ」

 ギルバートはエリアナの背中をポンと叩いた。

「よし、今夜はこの魚醤を使って宴会だ! 酒樽を開けろ!」

「おおー!」

 こうして、ダリウス領に新たな特産品が誕生した。
 その強烈な匂いと旨味は、やがて王都の食通たちをも唸らせることになるのだった。

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