7 / 18
第7話:携行食の改善
北の国境線を守るダリウス辺境伯軍。
その練度は王国一と謳われているが、ここ数日、騎士団の演習場には重苦しい空気が漂っていた。
「どうした! その程度で膝をつくのか! 立て!」
騎士団長の怒号が飛ぶ。
しかし、叱咤された若手兵士は青白い顔で立ち上がろうとし、そのまま眩暈を起こして崩れ落ちた。
一人ではない。
ここ数日、演習中にスタミナ切れで倒れる兵士が続出しているのだ。
視察に訪れていたギルバートは、腕組みをしてギリリと奥歯を噛み締めた。
「……士気が落ちているな。動きにキレがない」
「申し訳ありません、閣下。遠征訓練が続き、疲労が蓄積しているようです。それに、例の食事の問題も……」
副官が言い淀む。
エリアナは一歩後ろで、搬送される兵士たちの様子を観察していた。
(筋肉の痙攣、集中力の低下、そして慢性の疲労感……。これは単なる疲れではありませんね)
彼女は兵士たちが休憩中に口にしている携行食を覗き込んだ。
石のように硬い黒パン、塩漬けの干し肉、そして水。
(……これでは、戦う前に胃腸が敗北しますわ)
エリアナは静かに、しかし断固とした口調でギルバートに告げた。
「閣下。兵士たちの不調の原因は、明らかに腸内環境の悪化とビタミンB群の欠乏です」
執務室に戻ったエリアナは、机の上に現在の携行食を並べ、プレゼンテーションを開始した。
「現在の携行食は、保存性こそ高いですが、消化が悪すぎます。激しい運動の合間にこんな硬いものを食べていては、消化にエネルギーを奪われ、パフォーマンスが低下するのは必然。さらに、炭水化物をエネルギーに変えるビタミンB群が圧倒的に不足しています」
ギルバートが難しい顔で頷く。
「だが、遠征や行軍中に火を使った調理は難しい。保存が効いて、軽くて、すぐに食えるものでなければならん」
「ええ、存じております。そこで提案したいのが、この二つの発酵ポータブルフードです」
エリアナが取り出したのは、茶色い丸薬のようなものと、乾燥した豆の袋だった。
「まず、こちらが味噌玉です」
「味噌……? あの味噌か?」
「はい。味噌に魚粉、乾燥させた野菜やワカメを混ぜ込み、一食分ずつ丸めたものです。これをお湯で溶くだけで、栄養満点のスープになります」
エリアナは続ける。
「そしてこちらが乾燥納豆です。煮た大豆を枯草菌で発酵させたものを、さらに乾燥させました。独特のネバネバや強い匂いは消えていますが、栄養価はそのまま。スナック感覚でポリポリと食べられます」
ギルバートは乾燥納豆を一粒つまみ、口に放り込んだ。
「……ふむ。香ばしいな。豆の味が濃縮されている」
「納豆菌はプロバイオティクスとして腸内環境を整え、免疫力を高めます。さらにビタミンKやB群が豊富で、疲労回復に絶大な効果があります」
ギルバートの目が光った。
「湯で溶くだけのスープと、歩きながら食える高栄養の豆……。理想的なレーションだ。よし、すぐに採用する!」
数日後、雪深い山中での行軍演習。
昼休憩の合図と共に、兵士たちは半信半疑で配給された味噌玉をカップに入れ、魔法瓶の湯を注いだ。
立ち上ったのは、芳醇で香ばしい味噌の香り。
冷え切った空気の中で、その湯気は暴力的なまでの魅力を放っていた。
「いい匂い……」
「なんだこれ、すげぇ温まるぞ!」
一口飲んだ兵士たちが、次々と感嘆の声を上げる。
五臓六腑に染み渡る塩分とアミノ酸が、凍えた体を芯から解きほぐしていく。
「それに、この豆も美味いぞ! 噛めば噛むほど味が出る!」
「腹持ちもいいし、なんだか力が湧いてくる気がする!」
乾燥納豆のポリポリとした食感と塩気が、兵士たちの空腹とストレスを解消していく。
その日の午後、演習の結果は劇的だった。
午前の疲労を感じさせないほど兵士たちの動きは機敏になり、脱落者はゼロ。
隊列の乱れもなく、見事な行軍を見せつけたのだ。
「これが奥方様の発明品だって?」
「奥方様、バンザイ! 味噌玉バンザイ!」
演習場に、エリアナを称える野太い歓声が響き渡った。
その様子を丘の上から見ていたギルバートは、隣に立つエリアナに視線を落とした。
「……見事だ、エリアナ。お前の知恵が、軍の戦闘能力を底上げした」
「腸内フローラを整えれば、人間のポテンシャルは最大化されますから」
淡々と答えるエリアナだが、ギルバートはその横顔を眩しそうに見つめた。
かつて王都で「地味」「役に立たない」と蔑まれていた彼女。
だが、ここでは何百人もの屈強な男たちが、彼女の作ったスープ一杯に涙し、感謝している。
「帰ったら、特上の赤身肉を用意してある。……お前も、もっと精をつけろ」
「はい! ……あ、でも赤身肉なら、赤ワインとバルサミコ酢のソースがいいですね。ポリフェノールと酢酸の相乗効果で……」
「……ああ、好きにしろ」
呆れつつも、ギルバートの口元は緩んでいた。
現場の困りごとを、知恵で鮮やかに解決する。
その快感と達成感が、二人の信頼関係をより強固なものへと変化させていた。
その練度は王国一と謳われているが、ここ数日、騎士団の演習場には重苦しい空気が漂っていた。
「どうした! その程度で膝をつくのか! 立て!」
騎士団長の怒号が飛ぶ。
しかし、叱咤された若手兵士は青白い顔で立ち上がろうとし、そのまま眩暈を起こして崩れ落ちた。
一人ではない。
ここ数日、演習中にスタミナ切れで倒れる兵士が続出しているのだ。
視察に訪れていたギルバートは、腕組みをしてギリリと奥歯を噛み締めた。
「……士気が落ちているな。動きにキレがない」
「申し訳ありません、閣下。遠征訓練が続き、疲労が蓄積しているようです。それに、例の食事の問題も……」
副官が言い淀む。
エリアナは一歩後ろで、搬送される兵士たちの様子を観察していた。
(筋肉の痙攣、集中力の低下、そして慢性の疲労感……。これは単なる疲れではありませんね)
彼女は兵士たちが休憩中に口にしている携行食を覗き込んだ。
石のように硬い黒パン、塩漬けの干し肉、そして水。
(……これでは、戦う前に胃腸が敗北しますわ)
エリアナは静かに、しかし断固とした口調でギルバートに告げた。
「閣下。兵士たちの不調の原因は、明らかに腸内環境の悪化とビタミンB群の欠乏です」
執務室に戻ったエリアナは、机の上に現在の携行食を並べ、プレゼンテーションを開始した。
「現在の携行食は、保存性こそ高いですが、消化が悪すぎます。激しい運動の合間にこんな硬いものを食べていては、消化にエネルギーを奪われ、パフォーマンスが低下するのは必然。さらに、炭水化物をエネルギーに変えるビタミンB群が圧倒的に不足しています」
ギルバートが難しい顔で頷く。
「だが、遠征や行軍中に火を使った調理は難しい。保存が効いて、軽くて、すぐに食えるものでなければならん」
「ええ、存じております。そこで提案したいのが、この二つの発酵ポータブルフードです」
エリアナが取り出したのは、茶色い丸薬のようなものと、乾燥した豆の袋だった。
「まず、こちらが味噌玉です」
「味噌……? あの味噌か?」
「はい。味噌に魚粉、乾燥させた野菜やワカメを混ぜ込み、一食分ずつ丸めたものです。これをお湯で溶くだけで、栄養満点のスープになります」
エリアナは続ける。
「そしてこちらが乾燥納豆です。煮た大豆を枯草菌で発酵させたものを、さらに乾燥させました。独特のネバネバや強い匂いは消えていますが、栄養価はそのまま。スナック感覚でポリポリと食べられます」
ギルバートは乾燥納豆を一粒つまみ、口に放り込んだ。
「……ふむ。香ばしいな。豆の味が濃縮されている」
「納豆菌はプロバイオティクスとして腸内環境を整え、免疫力を高めます。さらにビタミンKやB群が豊富で、疲労回復に絶大な効果があります」
ギルバートの目が光った。
「湯で溶くだけのスープと、歩きながら食える高栄養の豆……。理想的なレーションだ。よし、すぐに採用する!」
数日後、雪深い山中での行軍演習。
昼休憩の合図と共に、兵士たちは半信半疑で配給された味噌玉をカップに入れ、魔法瓶の湯を注いだ。
立ち上ったのは、芳醇で香ばしい味噌の香り。
冷え切った空気の中で、その湯気は暴力的なまでの魅力を放っていた。
「いい匂い……」
「なんだこれ、すげぇ温まるぞ!」
一口飲んだ兵士たちが、次々と感嘆の声を上げる。
五臓六腑に染み渡る塩分とアミノ酸が、凍えた体を芯から解きほぐしていく。
「それに、この豆も美味いぞ! 噛めば噛むほど味が出る!」
「腹持ちもいいし、なんだか力が湧いてくる気がする!」
乾燥納豆のポリポリとした食感と塩気が、兵士たちの空腹とストレスを解消していく。
その日の午後、演習の結果は劇的だった。
午前の疲労を感じさせないほど兵士たちの動きは機敏になり、脱落者はゼロ。
隊列の乱れもなく、見事な行軍を見せつけたのだ。
「これが奥方様の発明品だって?」
「奥方様、バンザイ! 味噌玉バンザイ!」
演習場に、エリアナを称える野太い歓声が響き渡った。
その様子を丘の上から見ていたギルバートは、隣に立つエリアナに視線を落とした。
「……見事だ、エリアナ。お前の知恵が、軍の戦闘能力を底上げした」
「腸内フローラを整えれば、人間のポテンシャルは最大化されますから」
淡々と答えるエリアナだが、ギルバートはその横顔を眩しそうに見つめた。
かつて王都で「地味」「役に立たない」と蔑まれていた彼女。
だが、ここでは何百人もの屈強な男たちが、彼女の作ったスープ一杯に涙し、感謝している。
「帰ったら、特上の赤身肉を用意してある。……お前も、もっと精をつけろ」
「はい! ……あ、でも赤身肉なら、赤ワインとバルサミコ酢のソースがいいですね。ポリフェノールと酢酸の相乗効果で……」
「……ああ、好きにしろ」
呆れつつも、ギルバートの口元は緩んでいた。
現場の困りごとを、知恵で鮮やかに解決する。
その快感と達成感が、二人の信頼関係をより強固なものへと変化させていた。
あなたにおすすめの小説
「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった
歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。
だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」
追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。
一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。
誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。
「その言葉は、もう翻訳できません」
婚約破棄された宮廷薬師、辺境を救い次期領主様に溺愛される
希羽
恋愛
宮廷薬師のアイリスは、あらゆる料理を薬学と栄養学に基づき、完璧な「薬膳」へと昇華させる類稀なる才能の持ち主。
しかし、その完璧すぎる「効率」は、婚約者である騎士団の副団長オスカーに「君の料理には心がない」と断じられ、公衆の面前で婚約を破棄される原因となってしまう。
全てを失ったアイリスが新たな道として選んだのは、王都から遠く離れた、貧しく厳しい北の辺境領フロスラントだった。そこで彼女を待っていたのは、謎の奇病に苦しむ領民たちと、無骨だが誰よりも民を想う代理領主のレオン。
王都で否定された彼女の知識と論理は、この切実な問題を解決する唯一の鍵となる。領民を救う中で、アイリスは自らの価値を正当に評価してくれるレオンと、固い絆を結んでいく。
だが、ようやく見つけた安住の地に、王都から一通の召喚状が届く。
偽りの呪いで追放された聖女です。辺境で薬屋を開いたら、国一番の不運な王子様に拾われ「幸運の女神」と溺愛されています
黒崎隼人
ファンタジー
「君に触れると、不幸が起きるんだ」――偽りの呪いをかけられ、聖女の座を追われた少女、ルナ。
彼女は正体を隠し、辺境のミモザ村で薬師として静かな暮らしを始める。
ようやく手に入れた穏やかな日々。
しかし、そんな彼女の前に現れたのは、「王国一の不運王子」リオネスだった。
彼が歩けば嵐が起き、彼が触れば物が壊れる。
そんな王子が、なぜか彼女の薬草店の前で派手に転倒し、大怪我を負ってしまう。
「私の呪いのせいです!」と青ざめるルナに、王子は笑った。
「いつものことだから、君のせいじゃないよ」
これは、自分を不幸だと思い込む元聖女と、天性の不運をものともしない王子の、勘違いから始まる癒やしと幸運の物語。
二人が出会う時、本当の奇跡が目を覚ます。
心温まるスローライフ・ラブファンタジー、ここに開幕。
誘拐された公爵令嬢ですが、なぜか皇帝に溺愛されています』
富士山麓
恋愛
舞踏会で王太子から婚約破棄を告げられそうになった瞬間――
目の前に現れたのは、馬に乗った仮面の皇帝だった。
そのまま攫われた公爵令嬢ビアンキーナは、誘拐されたはずなのに超VIP待遇。
一方、助けようともしなかった王太子は「無能」と嘲笑され、静かに失墜していく。
選ばれる側から、選ぶ側へ。
これは、誰も断罪せず、すべてを終わらせた令嬢の物語。
『無能な聖女』と婚約破棄された私、実は伝説の竜を唯一従える『真の守護者』でした。~今さら国に戻れと言われても、もう遅いです~
スカッと文庫
ファンタジー
「魔力値たったの5だと? 貴様のような偽聖女、この国には不要だ!」
聖女として国を支えてきたエルナは、第一王子カイルから非情な婚約破棄を言い渡される。隣には、魔力値を偽装して聖女の座を奪った男爵令嬢の姿が。
実家からも見捨てられ、生きては戻れぬ『死の森』へ追放されたエルナ。しかし、絶望の中で彼女が目覚めさせたのは、人間には測定不能な【神聖魔力】だった。
森の奥で封印されていた伝説の銀竜を解き放ち、隣国の冷徹皇帝にその才能を見出された時、エルナを捨てた王国は滅びの危機に直面する――。
「今さら謝っても、私の結界はもうあなたたちのために張ることはありません」
捨てられた聖女が真の幸せを掴む、逆転劇がいま幕を開ける!
追放された落ちこぼれ令嬢ですが、氷血公爵様と辺境でスローライフを始めたら、天性の才能で領地がとんでもないことになっちゃいました!!
六角
恋愛
「君は公爵夫人に相応しくない」――王太子から突然婚約破棄を告げられた令嬢リナ。濡れ衣を着せられ、悪女の烙印を押された彼女が追放された先は、"氷血公爵"と恐れられるアレクシスが治める極寒の辺境領地だった。
家族にも見捨てられ、絶望の淵に立たされたリナだったが、彼女には秘密があった。それは、前世の知識と、誰にも真似できない天性の《領地経営》の才能!
「ここなら、自由に生きられるかもしれない」
活気のない領地に、リナは次々と革命を起こしていく。寂れた市場は活気あふれる商業区へ、痩せた土地は黄金色の麦畑へ。彼女の魔法のような手腕に、最初は冷ややかだった領民たちも、そして氷のように冷たいはずのアレクシスも、次第に心を溶かされていく。
「リナ、君は私の領地だけの女神ではない。……私だけの、女神だ」
幸せなお飾りの妻になります!
風見ゆうみ
恋愛
私、アイリス・ノマド男爵令嬢は、幼い頃から家族のイタズラ癖に悩まされ、少しでも早く自立しようと考えていた。
婚約者のロバート・デヴァイスと、家族と共に出席した夜会で、ロバートから突然、婚約破棄を宣言された上に、私の妹と一緒になりたいと言われてしまう。
ショックで会場を出ようとすると引き止められ、さっきの発言はいつものイタズラだと言われる。
イタズラにも程があると会場を飛び出した私の前に現れたのは、パーティーの主催者であるリアム・マオニール公爵だった。
一部始終を見ていた彼は、お飾りの妻を探しているといい、家族から逃げ出したかった私は彼の元へと嫁ぐ事になった。
屋敷の人もとても優しくて、こんなに幸せでいいの?
幸せを感じていたのも束の間、両親や妹、そして元婚約者が私に戻ってこいと言い出しはじめて――。
今更、後悔されても知らないわ!
※作者独自の異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。
※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。
婚約を破棄され辺境に追いやられたけれど、思っていたより快適です!
さこの
恋愛
婚約者の第五王子フランツ殿下には好きな令嬢が出来たみたい。その令嬢とは男爵家の養女で親戚筋にあたり現在私のうちに住んでいる。
婚約者の私が邪魔になり、身分剥奪そして追放される事になる。陛下や両親が留守の間に王都から追放され、辺境の町へと行く事になった。
100キロ以内近寄るな。100キロといえばクレマン? そこに第三王子フェリクス殿下が来て“グレマン”へ行くようにと言う。クレマンと“グレマン”だと方向は真逆です。
追放と言われましたので、屋敷に帰り準備をします。フランツ殿下が王族として下した命令は自分勝手なものですから、陛下達が帰って来たらどうなるでしょう?