王太子に理不尽に婚約破棄されたので辺境を改革したら、王都に戻ってきてくれと言われました

水上

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第15話:その涙は計算済みです

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 外は猛吹雪だが、ダリウス城の食堂は暖かかった。
 テーブルには、発酵飼料で育った羊肉の煮込み、根菜のポタージュ、そして焼きたてのパンが並んでいる。

 どれも湯気を立て、食欲をそそる香りを放っていた。

 だが、その席に着いた招かれざる客たちの表情は、料理の温かさとは裏腹に凍りついていた。

「……どうした、食わないのか? 毒など入れていないぞ」

 上座に座るギルバートが、ワイングラスを回しながら冷ややかに告げる。

 テオドールとマリアンヌは、出された食事を前に喉を鳴らした。
 空腹なのは間違いない。

 だが、プライドが邪魔をしているのだ。

「ふん……。こ、こんな田舎料理、王太子の私の舌に合うわけが……」

 テオドールは憎まれ口を叩きながらも、スープを一口啜った。
 その瞬間、彼の瞳孔が開いた。

 野菜の甘みと、塩麹のコク深い旨味が、冷え切った体に電流のように走ったからだ。
 彼は無言になり、次々とパンをスープに浸して口に運んだ。

 マリアンヌもまた、無言で肉を頬張っている。

「……エリアナ。食事の礼は言っておく。だが、本題は別だ」

 彼は鷹揚に構え、単刀直入に切り出した。

「醸造所の帳簿を出せ」

「……はい?」

 エリアナはきょとんとして首を傾げた。

「とぼけるな! 王室御用達の醸造所だ。お前が管理していた頃、膨大な利益が出ていたはずだろう? だが、私が確認した正規の帳簿には、雀の涙ほどの利益しか記載されていなかった!」

 テオドールはテーブルを叩いた。

「お前が私服を肥やすために、売上をどこかへ隠したに違いない! その金を返還すれば、今回のチーズ事件の件は不問にしてやってもいいぞ」

 なるほど、とエリアナは納得した。

 魚醤爆発事故の賠償金に加え、チーズの輸出停止による損害。
 今の王家は喉から手が出るほどお金が欲しいのだ。

 そして、過去の莫大な利益が見当たらないため、エリアナが横領して持ち出したと疑っているらしい。

「……殿下。私は横領など一銭もしておりません。全ての取引は正規の帳簿に記載し、王庫に納めていました」

「嘘をつくな! ならばなぜ、お前がいなくなった途端に赤字になるのだ! 商品は売れているのに金がない。お前が何か仕掛けを残していったからだろう!」

 テオドールが喚き散らす横で、マリアンヌが「そうですわ!」と相槌を打つ。

「エリアナ様、素直にお出しなさいな。あなたがこっそり貯め込んだヘソクリを。そうすれば、テオドール様もお許しくださいますわ」

 マリアンヌは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
 エリアナは眼鏡の奥の瞳を細め、静かに席を立った。

「……分かりました。では、私の潔白を証明するために、私が個人的に記録していた複式簿記の控えをお見せしましょう」

 エリアナは執務室から一冊の分厚い革張りのノートを持ってきた。
 彼女は事務方としても優秀であり、日々の在庫管理と売上管理を、独自に詳細に記録していたのだ。

「これは、私が追放される前日までの、醸造所の在庫数と売上の記録です」

 エリアナはページを開き、テオドールの前に突き出した。

「ご覧ください。私が管理していた時点では、在庫と売上の数字は完全に一致しています。利益率は常に30%以上をキープしていました」

「……む? 確かに、数字は合っているな」

 テオドールは眉をひそめた。

「ですが、問題はこちらです」

 エリアナは別の書類を取り出した。それは、王都の商会を通じて入手した、ここ半年の市場流通量のデータだった。

「私が去った後、醸造所からは例年通りの量のワインや化粧水が出荷されています。市場には商品が出回っていますからね。……しかし、殿下が仰るには王庫にはお金がない」

 エリアナは淡々と事実を並べる。

「在庫は減っている。市場には商品がある。しかし、売上金が入っていない。……これは何を意味すると思いますか?」

 テオドールは考え込み、そしてハッとした。

「……誰かが、中抜きしている?」

「その通りです。正規のルートを通さず、横流しをして現金を着服している人間がいるのです」

 エリアナの視線が、ゆっくりと、テオドールの隣に座るマリアンヌへと向けられた。

「マリアンヌ様。あなたが醸造所の管理を引き継いでから、特定の商会との取引が急増していますね? バロン商会……、あなたの御実家である男爵家と懇意にしている商会です」

 マリアンヌの肩がビクリと跳ねた。

「な、何の話ですの  私はただ、販路を拡大しようと……」

「販路拡大? いえ、これは在庫のダンピングです」

 エリアナは容赦なく追及を続けた。

「あなたは正規価格の半値以下でバロン商会に商品を流し、その代金を王家の帳簿には記載せず、バロン商会からの賄賂として個人的に受け取っていた。……違いますか?」

 エリアナが提示したのは、バロン商会の帳簿の写しだった。
 そこにはマリアンヌのサインと、受け取った金額が明記されていた。

「なっ……!?」

 テオドールがその書類を奪い取り、目を見開いた。
 そこに書かれた金額は、現在の王家の赤字を補填してもお釣りがくるほどの莫大な額だった。

「マ、マリアンヌ……? これはどういうことだ? お前、私のために手間隙かけて化粧水を作っていると言っていたじゃないか。それが……、全部、横流し……?」

 テオドールの手が震える。
 信じていた純真無垢な愛が、数字という冷徹な事実によって粉砕されていく。

「ち、違いますわ! 私は騙されたのです! 商会の人が、こうすればテオドール様の助けになると……!」

 マリアンヌは蒼白になり、ポロポロと涙を流し始めた。

「うぅ……、ひどいです、エリアナ様! 私を陥れるために、こんな偽造書類を……! テオドール様、信じてください!」

 彼女はテオドールの腕にしがみつき、いつものように上目遣いで哀願した。
 いつもなら、この涙で全てが許された。

 だが、今のエリアナには通用しない。

「……マリアンヌ様」

 エリアナは冷ややかに彼女を見下ろした。

「帳簿は嘘をつきません」

 その声は、真理を説く学者のように絶対的だった。

「あなたの涙は、同情を引くために計算されていたようですが……、どうやら、数字の計算の方は苦手のようですね」

 エリアナは指先でトントンと、横領額の合計欄を叩いた。

「借方と貸方が合っていませんよ。あなたが着服した額と、商会が支払った額にズレがある。……あなた、仲間の商会にすら中抜きされていますね。利用されているのはあなたの方です」

「えっ……」

 マリアンヌの涙が止まった。
 自分が騙していたつもりが、実は共犯者にすらカモにされていた事実。

 あまりの情けなさと、逃げ場のない証拠を突きつけられ、彼女はその場に崩れ落ちた。

「そ、そんな……、私のドレス……、宝石……、全部……」

 うわ言のように呟くマリアンヌ。
 テオドールは呆然と立ち尽くしていた。

 彼が真実の愛だと信じ、エリアナを追放してまで選んだ女性は、彼の資産を食い荒らす寄生虫でしかなかったのだ。

「……は、はは……」

 テオドールから乾いた笑いが漏れる。
 本当に腐っていたのは、自分の目であり、自分の選んだ相手だったのだ。

「……連れて行け」

 静観していたギルバートが、控えていた騎士たちに合図を送った。
 騎士たちがマリアンヌの両脇を抱え上げる。

「いやぁ! 離して! テオドール様、助けてぇ!」

 泣き叫ぶ声が遠ざかっていく。
 残されたのは、魂が抜けたように座り込む王太子と、それを冷徹に見つめる夫婦だけだった。

「さて、殿下。横領されたお金は、マリアンヌ様の実家と商会から回収すればよろしいでしょう」

 エリアナは淡々と告げ、帳簿を閉じた。

「これで、私がお金を隠したという疑いは晴れましたね?」

 テオドールは何も答えられず、ただ震えながら頷くことしかできなかった。

 論理と数字による完全なる断罪。
 それは感情論で動く彼らにとって最も残酷で、逃れられない現実という名の刃だった。
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