空蝉

cure456

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 世界は広い。
 それは当然の事実であるかのように言われているが、本来はどうなのだろうか。
 そもそも、世界の定義とは何なのだろうか。
 地球か、それを含んだ宇宙の総称か。
 違う。
 世界とは、同一なる価値観の集団である。
 そこに個性など存在しない。
 十人の内、九人が同じ価値観を持ってきたら、そこに世界が出来上がる。
 九人と違う価値観を持つ一人は、その世界から弾かれる。
 弾かれたその一人は、同じ価値観を持つ者と出会い、世界を創る。
 そしてまた、違う価値観を持つ者を弾くのだ。
 百人だろうが、千人だろうが、一億人だろうが変わらない。
 名も無き集団が、世界を創る。
 広大ではない。
 寛大ではない。
 世界は狭くて、卑しい場所だ。
 
 
 スピーカーから流れる機械的なアナウンスが、長旅の終わりを告げる様に響く。
 伽耶雪人かやゆきひとは、座席から腰を上げようとはしなかった。
 正確には、立ち上がろうとして止めた。
 新幹線が未だ止まりきらぬ内、我先にと出口へ向かっていく集団は列をなして、すぐ来るその時を今か今かと待っている。

 その光景は日常だ。
 しかし、雪人にとっては非日常だった。
 どうしてそんなに急いでいるのだろうか。
 一分一秒も無駄には出来ない急用でもあるのか。
 友人でも知人でも無い、名も知らぬ他人の体臭さえ感じられるほどに距離を詰めてまで、この新幹線から脱出しなければいけない理由でもあるのだろうか。
 ソレが当たり前で、常識だと言わんばかりの集団に恐ろしささえ覚える。

 集団が去ってから、雪人は荷物を降ろして、ゆっくりと外に出る。
 雪谷が長旅だと思っていた三時間弱のソレは、ただの移動であった事に気づく。
 あの車内アナウンスは、終わりを告げていたんじゃない。
 始まりを告げていたんだ。
 集団で溢れかえる東京駅のホームに降り立った雪人は、そう確信した。



 大都会東京と歌ったのは、もうずっと昔の話だ。
 交通も情報伝達も、全てが発達した現代では、もう東京は珍しい場所ではないし、ましてや憧れる場所でもない。
 別にどうって事はない。気構えする事はない。
 だけどこの人混みだけは予想より酷かったな。と雪人は溜息をついた。
 自分が乗る電車のルートをスマホで確認しながら、雪崩の様な人混みに飲み込まれてしまわぬように進む。

 違うホーム。
 違う路線。
 違う番号。
 違うルート。

 目当ての改札にたどり着いた時には、雪人の白い肌が青ざめて見えるほど疲労していた。
 まだ着いてもいないのに。
 スマホの画面を見て、雪人はもう一度溜息をつく。
 
 この四月で高校二年になる雪人は、冬になれば人よりも雪の方が多いのではと感じさせる東北で育った。
 とりたてて言う程ドラマティックな事もない。いたって平凡な人生。
 あえて挙げるとするならば、幼い頃に父が病気で亡くなった事だろうか。
 だからと言って、それがトラウマになっていたり、経済的に困窮した記憶もない。
 気立ての良い母親と二つ上の姉。家族関係はもちろん、友人関係も良好。
 何不自由なく暮らしていたのだから、やはり平凡と言わざるを得ない。
 少なくとも、二ヶ月前までは。

 きっかけは、二つ上の姉が東京の大学に合格した事だった。
 娘の一人暮らしに懸念を示した母親が「それならお母さんも一緒に行くわ」と上京を決めたのだ。
 珍しく親らしい事を言っているなと思ったぐらいで、その話題にあまり興味はなかったのだが、次に放った母親の言葉に雪人は耳を疑った。

――どうせなら、雪人も一緒に行かない――?

 自分の耳を疑った。
 後二ヶ月で高校二年に進級する息子に、ちょっとそこまで買い物に行くようなトーンで提案出来る話じゃないだろうと。
 卒業後ならともかく、こんな中途半端な時期に転校など馬鹿げてる。
 たった十六年かもしれないが、それまで築き上げてきたモノがある。
 それは世界そのものだと言ってもいい。世界を壊せと言っているようなものだ。

 勿論最初はきっぱりと断った。
 流石に決定事項だと強制するような事はなかったのだが、いっそのことそうしてくれた方がどれ程楽だったか。

――無理にとは言わないけど。
――出来れば。
――折角だから。
――少しだけ。
――騙されたと思って。 

 あたかも相手の意思を尊重していると装いながら、最終的には自分の希望通りになるように誘導していく。
 しつこいとはねつければ傷ついた振りをして見せ、相手の罪悪感を刺激する。
 手を替え品を替え、あらゆる方法で我侭を通そうとする。
 それが『女』と言う生き物。そう雪人は思っていた。
 父親がいればまた違ったのだろうか。
 男一人では到底太刀打ち出来ず、歯がゆい思いをするのも少なくはなかった。

――雪人がそう言ってくれるなら。ありがとうね。

 結局、今回も結果は同じだった。
 地下を走る電車のドアに、憂鬱げな自分の顔が映る。
 母親譲りの猫っ毛と、お世辞にも男らしいとは言えない中性的な顔立ちは、今でこそ少なくはなったが、女性に間違えられることもしばしば。着せ替え人形の様に母や姉に女性物の服を着せられていた過去は雪人にとって黒歴史でもある。
 線の細い体躯。さほど高くはない身長。
 肌の白さもあいまって、どこか病弱な印象を受ける。
 本当は運動も得意で、筋肉だってそれなりについていると自負しているのだが、自分の姿を客観的に見てもそう感じるのだからお手上げだ。

――もう少し男らしかったらな。

 そんな事を思いながら車窓を見つめていると、電車が速度を落とした。
 ホームに近づくにつれてゆっくりと流れる車窓から見える、田舎では有り得ない数の群れに、雪人は周囲を見渡した。座席は勿論、通路にも乗客が溢れている車内はもう十分に満員で、人の入る余地はないように思える。
 田舎と違って数分おきに電車が来るのだから、一本見送ってもさほど影響はないはず。
 きっと次の電車に乗り込むのだろう。
 そんな考えが甘いと気づいたのは、電車が完全に止まり、ドアが開いた瞬間だった。

「えっ? なっ……」

 押し寄せる人波は、まさに雪崩れ込む、と言った表現がぴったりだった。
 男性も女性も、まるでこの電車を逃したら破滅するかのような勢いで乗り込んでくる。
 全く抗う事など出来なかった。足に痛みを感じ、踏まれた事に気づくと同時に、蹴飛ばされたキャリーバッグが手から離れた。

「あっ……」

 必死に手を伸ばすが、後少し届かない。
 押し込まれていくキャリーバッグが視界から消えかけたその時、誰かがバッグを掴んだ。
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