OnTheFrog ep.1

kakedashi3

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OnTheFrog ep.1

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時計の振り子を眺めていた。

休日の昼下がり、ソファに寝転びながら過ぎていく時間に身を任せていた。

水草を煎り発酵させた紅茶を飲み、多年草を乾燥させた煙草を嗜んだ。秒針のリズムに合わせて、水陸両用の肺いっぱいに吸い込んだ煙を吐き出した。窓から差し込んだ光に影を映しながら、部屋の中に煙が滲んでいった。テーブルには虹色の帽子が、確かにその場所に置いてあることを確認した。それを見るたびに安心した。いつもと変わらない日々、それが幸せだった。

「トニー、いるのはわかってんだ」

聞き慣れた声。真っ赤な身体に趣味の悪いサングラス。あいつに違いなかった。僕はソファから動く気になれなかったし、返事もしたくなかった。

「まだ寝てんのかよ」

マッドサーフ。いい加減入る時はノックをしてくれよ。僕は煙草を咥えたまま返事をした。

「静かにしてくれ」

足音を立ててこちらに近づいてきた。見ると、玄関から彼の足元までくっきりと跡が付いている。

「また泥遊びしてきたんだろ」

マッドサーフは首を振って呆れたように言った。

「泥遊びじゃない、サーフィンだよ、俺はプロのサーファーなんだ」

マッド(泥)サーフ(波)。ニックネームは僕が付けた。彼は常にサーフボードを持ち歩いている。いい波(泥)を見つけたらすかさず飛び込むんだ。いつも泥だらけ。つい先日彼女に振られたばかりなのに、何も反省してない。

「今日も持ってきたのか」

「サーフボードのことか、当たり前だろ」

それより、とマッドサーフが言いかけた時に、甲高い音が部屋中に響いた。暖炉で温めていたポットが沸騰した合図だった。僕は起き上がり、マッドサーフの肩を叩いた。

「落ち着けって、いま紅茶淹れるから」

出涸らしの茶葉を捨て、使い慣れた匙で茶葉をきっかり二杯入れる。ティーポットにお湯を注いだ。水草の香りが漂う。僕たちが生まれた場所の匂いだ。

「いつもそれ飲んでるな」

マッドサーフは呆れたように言った。

「変わらない故郷の味さ」

彼は肩をすくめたが、目の前に出された紅茶のカップを手に取ると口をすぼめて息を吹きかけた。彼は猫舌だった。いや蛙舌か。

「うまい」

マッドサーフはサングラスを額にずらしていた。

「いい話があるんだ」

「断る」

まだ何も言っていない。とカップを置いた拍子にサングラスが目元に落ちた。

「どうせまともじゃない」

両手を上げて、なぜ? という仕草をしたが、一度や二度じゃない、話に乗ってとんでもない出来事に巻き込まれたことを忘れる訳がない。

ある時は値打ちがあると蛇の卵を盗もうとして親蛇に食われかけた。またある時は鳥の巣がいい食材になると言い、雛の餌になるところだった。つい先日は虹の根本を見に行くと言い、危うく突風に吹き飛ばされかけた。数えればキリがない。

「今回は本当に大丈夫」

マッドサーフは身を乗り出した。

「なぜそう言える」

切り返した僕の目をじっと見つめた。

「ロディアの洞窟を知ってるだろ」

もちろん知っている。村じゃ有名だ。

「入ったものは二度と出られない」

二人の声が揃った。気が合うね、と得意気だ。

「だからなんだよ」

マッドサーフは周りを見て僕に顔を近づけた。

「噂じゃ、あの洞窟に、黄金があるらしい」

「なんだそりゃ。誰に聞いたんだよ」

「確かな情報筋さ」

彼は、へへと笑った。

「二度と出られない洞窟に黄金があるなんて、どうやって説明するんだ」

待ってましたと手を前に出した。もう片方の手で背中を弄っている。しばらくしても何も出てこなかった。そのうちに、いつものように慌て出して、しまいには無いと騒ぎ出した。

「待てよ、何が無いんだ」

「いや、絶対あるはずなんだ」

ふと思い出したように、部屋から出て行き、すぐに戻ってきた。

「これさ」

泥だらけの地図を机に叩きつけた。サーフボードに貼り付いていたようだ。

「こいつが洞窟から流れてきたんだよ」

地図だ。枯れた葉っぱに迷路のような螺旋模様と記号が描かれている。確かに、それは「何か」を指している。

「この地図を辿れば黄金を見つけられるんだ」

彼は息巻いていた。たしかに、こんな地図は見たこともない。模様は場所を記している。記号は目的地に誘うようだ。

「ただなぁ」

「あぁ、そうだ。僕たちは文字が読めない」

口元に笑みを見せた。

「あいつがいるだろ」

あいつ。ブンゴウ。こんな酔狂な話に乗るとは思えないが。

「もう話したのか」

マッドサーフは玄関にいた。早く来いと手を招いた。

「これからだよ」

「待て、待てよ。行くなんて言ってないだろ」

マッドサーフは指を口に当てて近づいてきた。

「黄金の周りには、とっておきの水草があるらしい」

聞き捨てならないな。

僕はカップを片付けて虹色の帽子を掴んだ。

Frotopiaは蛙の王国だ。村長になる前のラドルフ爺は大勢の前でそう宣言し、選挙に当選した。選挙事務所で奥さんと思われる蛙と抱き合い泣いていた。多くの支持者と共に両手を上げて叫ぶ姿を、僕は遠目で見ていた。その多くが老人だった。誰にとっての楽園なのか、若者はこの村を出ていき、帰って来るのは一握りだった。

もちろん僕は選挙になんか行かなかった。答えは明白。自分の一票が何かを決めるなんて思えなかった。多数決は老人が優勢だ。わざわざ家を出て行こうなんて思わない。

「この前の選挙に行ったか」

マッドサーフに聞いてみた。期待通りの答えではなかった。

「決まっているだろ、行ったよ。俺の清き1票をぶち込んで来たよ」

こんな奴もいる。誰に投票したかは聞かなかった。

家を出てFrotopia Streetに出てから北へ向かった。途中、泥を見つける度に飛び込もうとする奴を止めた。何度も同じことを繰り返すから殴りそうになった。それでも憎めないのは、奴の愛嬌なのかもしれない。

花屋の角を東に曲がり、少し進んだ場所にブンゴウの家があった。扉を開けようと把手に手をかけて、伝言板が下げられていることに気づいた。

『現場に出ています』

彼は建築家だ。この村の住居のほとんどは彼が設計し、施工も行なっている。仕事がない時は彼の担当する現場で作業員として働かせてもらったことがある。とても優秀で、聡明であり、大勢を牽引する能力に長けている。

「まいったな、会いに行ってみるか」

マッドサーフは口の端を上げながら頭を掻いた。村と言えども、端から端まで現場を探し回るのは骨が折れる。僕は後ろに下がり、ブンゴウの住居を眺めた。家屋の並びが素晴らしい。お互いが主張することなく、協調されていた。屋根を見上げると、空の向こうで鳥が羽ばたいていた。

「見つけた、トニーここだよ」

伝言板の隅に地図が描かれていた。

「現場の住所か」

マッドサーフは踵を返した。

「善は急げだ」

仕事中にする話題なのか疑問だが。そう言おうとして振り返ったが、いつの間にか花屋の角を曲がるところまで走っていた。

Frotopia Streetは北から南へ村を縦断するための通りだ。かつてこの場所に村を作ろうと決めた偉大なる蛙の像が村の中心部に建立されている。

中心部は円形の広場で村の蛙たちが待ち合わせに利用している。蛙が集まるから出店も多い。虫の串焼きなんて子供の頃から食べているが飽きないものだ。ブンゴウの家は中心部から北寄り、つまり北北東に位置する。

現場の住所は広場から西へ少し入った箇所を指していた。

Frotopiaは縦長の村だった。ちょうど豆を綿棒で潰して一回、二回ほど伸ばした感じ。そのど真ん中から Frotopia Streetが十字にざっくり入っている。

過去の資料では、村の東と西に分かれて抗争があったとか、なかったとか。僕の祖父に聞いても、そんなことあったかなとぼやくばかりだ。村の英雄像には、あちこち傷跡がついている。雨曝しの劣化だと思っていた。

先頭を走る赤い姿を追いかけながら広場までたどり着いた。

「ちょっと待ってくれ」

振り返るとサングラスが陽の光を反射している。

「しっかりしてくれよ相棒」

誰が相棒だ。お前のために走っているんじゃない。未知の紅茶のためだ。

「こっちだよな」

マッドサーフは南を指差した。

「こっちだよ」

僕は西を指差した。
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