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エピソード10
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「すみません、あの日疲れてしまって…。」
少し後ろめたい。
「そっか、君が何も言ってなかったからちょっと驚いてしまって。」
「すみません。もともと汐音との約束だったので、本当かどうかとか深く考えてなかったもので。」
相変わらず、目線も合わせずに話をしてしまった。
おそらく、夫もこちらを見てない。
「そっか、まあ、君たちがいいなら僕は構わないよ。社交辞令だっていうならぼくから断ることも可能だからね。まああっちは、来週でも再来週でもって、前のめりだったけど、日程は君たちの都合のいい日に。」
と、言った。
『自分の意見は君たち次第』というアピールに聞こえる。
そうやって、いつでも僕は君たちに委ねるよというパフォーマンス。
[君たちが行きたいところで]
[君たちが好きなように]
[君たちに任せる]
昔は手を引いて、夫が見てきたキラキラするものを見せてくれていたのに、いつのまにかそんなことが無くなった。
(あなたの意見はもう、ここにはないの?)と、心のなかで問いかけていた。
でもそんなことは言い出せることもなく、
「わたしは、どちらでも構いません。高橋さんたちの都合に合わせていただければ、お昼時間か夕ご飯に絡めて準備します。」
と、答えた。
自分の分のカレーを食べ終え汐音の残したカレーの皿をみて、自分でも気づかずに小さなため息を付いてしまっていた。その瞬間を、夫に見られたとも知らずに。
汐音が残したカレーが、今日は少し多く感じる。
皿を手前に引いたけど、なかなかスプーンに手がいかない。
この重い空気から早く逃れたいのに。
いつもなら先に立ち上がってあっちに行ってしまって、こんな重い空気になったりしないのに。なのに…。
「それ、食べきれないの?」
突然の声かけで我に返った。
夫の視線が、汐音の残したカレーに注がれていた。
「え、ええ。最近汐音が食べる量が増えてきてて、おかわりの加減を間違えてしまったみたいで。」
大人の分の1/3くらい。
いつもなら何とかおなかに押し込めそうな量。
でも、今の千草は重い空気におなかの隙間をも浸食されてしまっていた。
「じゃ、僕がもらうよ。」
と、言って皿を私の前から取り上げて、サクッと食べ始めた。
少し冷えたカレーが気になったのだろうか、一口食べた後、少し躊躇したように見えたが最後まで食べてくれた。
彼は、いつものように「ごちそうさま」というと、またいつもの定位置へと行ってしまった。
何事もなかったように。
空気はいつものようにカレーの残り香だけを残して、静かになった。
***
匡尋は、定位置についてもタバコを咥えたまま、火をつけるのを忘れてしまっていた。
最初。
妻がため息をついたのを見た時、高橋たちに腹がたった。
心労とか、気苦労とかかけちゃ駄目よと妹や母に言われているので、そういうのを排除するようにしていたのに、ちょっとしたそういうところに深く反省した。
(聞くまでもなく、断れば良かった。)
とか考えていた。
そういう時は食欲もなくなる。そのタイミングでカレーがまだのこっているのに気づいて
(量も多そうだし僕が食べればいいのでは!)
と気楽に彼女から取り上げた、汐音の残したカレーの味。
スプーンが止まった。
味が違っていた。
僕のカレーと汐音のカレーと。
簡単に言えば辛さが違ったのだが。
ほんの少し考えればわかる、簡単なことだ。
当然食べきれば汗がにじむくらいの僕の辛さでは、汐音ではまだ早い。
これはむしろ甘いといえるくらいのもの。だから、そんなことにも気づかなかったことを隠して噛まずに飲み込む勢いで皿を空にしてここに逃げ込んだ。
本当に夫失格だな、と寂しく思う僕は余計なことまで思い至る。
(妻の食べていたカレーはどっちの味だったのだろうか…。)
なんだか涙が込み上げてきてしまった。
二人に見られないように、そのまま風呂場へ逃げよう。
ようやくタバコに火がついてない事に思い至り、火を灯す。
そのささやかな温もりで、ゆっくりゆっくり涙が渇くのを待ってから僕は部屋に戻った。
少し後ろめたい。
「そっか、君が何も言ってなかったからちょっと驚いてしまって。」
「すみません。もともと汐音との約束だったので、本当かどうかとか深く考えてなかったもので。」
相変わらず、目線も合わせずに話をしてしまった。
おそらく、夫もこちらを見てない。
「そっか、まあ、君たちがいいなら僕は構わないよ。社交辞令だっていうならぼくから断ることも可能だからね。まああっちは、来週でも再来週でもって、前のめりだったけど、日程は君たちの都合のいい日に。」
と、言った。
『自分の意見は君たち次第』というアピールに聞こえる。
そうやって、いつでも僕は君たちに委ねるよというパフォーマンス。
[君たちが行きたいところで]
[君たちが好きなように]
[君たちに任せる]
昔は手を引いて、夫が見てきたキラキラするものを見せてくれていたのに、いつのまにかそんなことが無くなった。
(あなたの意見はもう、ここにはないの?)と、心のなかで問いかけていた。
でもそんなことは言い出せることもなく、
「わたしは、どちらでも構いません。高橋さんたちの都合に合わせていただければ、お昼時間か夕ご飯に絡めて準備します。」
と、答えた。
自分の分のカレーを食べ終え汐音の残したカレーの皿をみて、自分でも気づかずに小さなため息を付いてしまっていた。その瞬間を、夫に見られたとも知らずに。
汐音が残したカレーが、今日は少し多く感じる。
皿を手前に引いたけど、なかなかスプーンに手がいかない。
この重い空気から早く逃れたいのに。
いつもなら先に立ち上がってあっちに行ってしまって、こんな重い空気になったりしないのに。なのに…。
「それ、食べきれないの?」
突然の声かけで我に返った。
夫の視線が、汐音の残したカレーに注がれていた。
「え、ええ。最近汐音が食べる量が増えてきてて、おかわりの加減を間違えてしまったみたいで。」
大人の分の1/3くらい。
いつもなら何とかおなかに押し込めそうな量。
でも、今の千草は重い空気におなかの隙間をも浸食されてしまっていた。
「じゃ、僕がもらうよ。」
と、言って皿を私の前から取り上げて、サクッと食べ始めた。
少し冷えたカレーが気になったのだろうか、一口食べた後、少し躊躇したように見えたが最後まで食べてくれた。
彼は、いつものように「ごちそうさま」というと、またいつもの定位置へと行ってしまった。
何事もなかったように。
空気はいつものようにカレーの残り香だけを残して、静かになった。
***
匡尋は、定位置についてもタバコを咥えたまま、火をつけるのを忘れてしまっていた。
最初。
妻がため息をついたのを見た時、高橋たちに腹がたった。
心労とか、気苦労とかかけちゃ駄目よと妹や母に言われているので、そういうのを排除するようにしていたのに、ちょっとしたそういうところに深く反省した。
(聞くまでもなく、断れば良かった。)
とか考えていた。
そういう時は食欲もなくなる。そのタイミングでカレーがまだのこっているのに気づいて
(量も多そうだし僕が食べればいいのでは!)
と気楽に彼女から取り上げた、汐音の残したカレーの味。
スプーンが止まった。
味が違っていた。
僕のカレーと汐音のカレーと。
簡単に言えば辛さが違ったのだが。
ほんの少し考えればわかる、簡単なことだ。
当然食べきれば汗がにじむくらいの僕の辛さでは、汐音ではまだ早い。
これはむしろ甘いといえるくらいのもの。だから、そんなことにも気づかなかったことを隠して噛まずに飲み込む勢いで皿を空にしてここに逃げ込んだ。
本当に夫失格だな、と寂しく思う僕は余計なことまで思い至る。
(妻の食べていたカレーはどっちの味だったのだろうか…。)
なんだか涙が込み上げてきてしまった。
二人に見られないように、そのまま風呂場へ逃げよう。
ようやくタバコに火がついてない事に思い至り、火を灯す。
そのささやかな温もりで、ゆっくりゆっくり涙が渇くのを待ってから僕は部屋に戻った。
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