8 / 12
8
しおりを挟む案の定、エストールの衣服は上下ともサイズが大きい。シャツの袖もスラックスの裾も、捲りあげないとならない。身長はあまり変わらないはずなのに脚の長さを見せつけられ、イーリオは顔を引き攣らせた。ウエストもイーリオの方が細いらしく、ベルトが必要だ。しかし、渡されたベルトでは、欲しい場所にサイズ調整の穴がない。
「……………」
鏡を見なくてもわかる。とても不格好だ。何度目かの溜め息を飲み込む。
トントン、とノックされ、思わず舌打ちした。ギリギリまで時間を稼ぎたいところだが、そうもいかないようだ。
『アレス皇子?』
「………服のサイズが合わぬ。ベルトすら、な。どうにかするからもう少し待て」
事実ではある。
さて。これから、どうするか。不意に足元がふらついて壁に軽く頭を打ち付けた。異様に眠くなってきた。そろそろ、また体内で変化が起こり始める時間らしい。よりによってこのタイミングで、と呻く。そのままズルズルと壁に寄りかかったまま座り込んだ。
『物音がしましたが、どうなさいました?アレス皇子?』
ノックの音が響く。しかし、もう指先ひとつ動かせないほど眠い。眠くて眠くて仕方ない。侵入者たちの目の前で無防備に眠るよりはマシだろうか。
「───お前たちは逃げろ!俺は毒ガスを吸ってしまったようだ、動けない」
『今助けます!』
「バカか!お爺様の手足となるお前たちは公爵家の宝だ!お前たちを死なせるわけには───」
『アレス皇子!!』
何だろう、この茶番。イーリオは自分で叫びながら、酷く冷めた心地で眠気に抗っていた。密室の浴室と脱衣所に毒ガスって何だ、どこから出てくるんだ、などとツッコミどころが満載である。何より驚いたのは、
───え、マジで信じたの???
連中のリアクションである。切羽詰まった声でガチャガチャとドアノブを回してくる。
───えぇー、よく信じたな?
取り敢えず、このまま引き下がって貰えれば、目の前の危機は脱することができる。
そのままイーリオの意識は途切れた。
隣国の使者に足止めされていたエストールが駆けつけた時には、皇太子妃の部屋はもぬけの殻だった。倒れていた侍従とメイドは別室で手当を受けている。カーペットに染み付いた血の痕、壊された浴室のドア、脱衣所に放られたバスローブ。
イーリオの姿がない。それだけで、エストールは全身の血が沸騰し、目の前が赤く染まる。気を抜くと、腕が膨れ上がり、龍の鱗が生えそうになる。何も知らぬ近衛騎士たちの前で人間を辞めるわけにはいかないと、冷静な理性がエストールを諌める。
グラナル公爵が隣国と繋がっている証拠を掴むために敢えて泳がせていた。それを逆手にとられたのが忌々しい。
「すぐに公爵家を捜索致しますか?」
怯えのような動揺を滲ませつつ、片膝を付き頭を垂れる騎士。エストールはそんな彼を一瞥することなく、公爵家とは全く逆方向の壁を見遣る。正確にはその先に、その方角に、イーリオの気配を感じ取っていた。
「あちらには確か、グラナル公爵家の分家があったな。グラナル公爵の弟が当主を務めていた家だったか」
グラナル公爵が口うるさい実の弟を殺害し、ついでとばかりに自分の行った不正の証拠を死んだ弟に擦り付けて。それを信じた領民たちに幼い甥が追い詰められるのを散々眺めてから、助けに入り、自身に心酔させる。そういった手口でグラナル公爵は絶対的な忠誠を誓う手駒を増やしてきたのも調査済みだ。
「恐らく、その分家跡地にイーリオはいる」
本来公爵の甥が継ぐはずだった財産も屋敷も、全てグラナル公爵が所有している。言葉巧みに甥を洗脳し、誘導したのだろう。
貴族社会は綺麗なだけでは成り立たない。グラナル公爵のような野心家も全体のバランスをとるためには必要だ。だから生かしておいたのに、奴は触れてはならない、龍の逆鱗に触れた。
眠っている間に事態が好転しているといいな、なんて。イーリオは楽観的に願っていたけれど、目を開ければ古臭い傷んだ天井で。
全身が熱くて、頭が重くて、思考がまとまらない。どうやら熱を出しているらしい。寝汗を吸った衣服が肌に張り付いて気持ち悪いし、同じく寝汗を吸った掛布が重くて冷たくて不快だ。
城でも高熱を出していたらしいが、途中で目が覚めたことはなかったはず。イーリオの眠りを妨げないよう、どれだけ気をつかって入念に看病されていたのかがよくわかった。
「あぁ、孫にようやく会えたというのに、なんてことだ………」
白々しいほど、弱々しい老人の声がする。
「旦那様…、申し訳ございません。どんな理由があろうとアレス皇子から目を離すべきではございませんでした」
「まさか、あの状況でアレス皇子に毒を盛られるとは───」
土壇場で吐いた毒ガスという嘘がしっかり信じられたらしい。昏倒したのも、高熱を出しているのも、全て有りもしない毒ガスのせいという結論のようだ。有りもしない毒ガスなので、当然解毒剤も存在しない。故に、彼らの声はどこまでも悲痛なのだろう。
120
あなたにおすすめの小説
食べて欲しいの
夏芽玉
BL
見世物小屋から誘拐された僕は、夜の森の中、フェンリルと呼ばれる大狼に捕まってしまう。
きっと、今から僕は食べられちゃうんだ。
だけど不思議と恐怖心はなく、むしろ彼に食べられたいと僕は願ってしまって……
Tectorum様主催、「夏だ!! 産卵!! 獣BL」企画参加作品です。
【大狼獣人】×【小鳥獣人】
他サイトにも掲載しています。
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
過保護な父の歪んだ愛着。旅立ちを控えた俺の身体は、夜ごとに父の形で塗り潰される
中山(ほ)
BL
「パックの中、僕の形になっちゃったね」
夢か現か。耳元で囁かれる甘い声と、内側を執拗に掻き回す熱。翌朝、自室で目覚めたパックに、昨夜の記憶はない。ただ、疼くような下腹部の熱だけが残っていた。
相談しようと向かった相手こそが、自分を侵食している張本人だとも知らずに、パックは父の部屋の扉を開く。
このお話はムーンライトでも投稿してます〜
神父様に捧げるセレナーデ
石月煤子
BL
「ところで、そろそろ厳重に閉じられたその足を開いてくれるか」
「足を開くのですか?」
「股開かないと始められないだろうが」
「そ、そうですね、その通りです」
「魔物狩りの報酬はお前自身、そうだろう?」
「…………」
■俺様最強旅人×健気美人♂神父■
氷の婚約者様に破談を申し出たら号泣された
楽矢
BL
目が覚めると、レースの牢獄のような天蓋付きベッドの上だった。
何も覚えていない出来損ない下級貴族ミラ。無能だクズだと冷酷な罵詈雑言を浴びせてくる氷の騎士セティアス。
記憶喪失から始まる、2人のファンタジー貴族ラブコメディ。
----------
※注)
かっこいい攻はいません。
タイトル通りそのうち号泣しますのでご注意!
貴族描写は緩い目で雰囲気だけお読みいただけると幸いです。
ハッピーエンドです。
激重感情をこじらせた攻→受な関係がお好きな同志の方、どうぞよろしくお願いします!
全16話 完結済み/現在毎日更新予定
他サイトにも同作品を投稿しています。
様子を見ながらそのうち統合するかもしれません。
初めての一次創作でまだよく分かっておらず、何かおかしなことをしでかしていたら申し訳ないです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる