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しおりを挟むサファール国はすぐ隣だ。馬を変えながら昼夜問わず休まずに馬車を走らせれば、エラのいた離宮からはたった1日半程で到着する。表立って見える範囲に護衛などはいないが、見えないところにはいる。そうでなければ野盗が怖くて夜に馬車を走らせたりはできない。特にエラの祖国であるグライ国は治安が悪い。財政難が国民の生活に影を落としているせいである。
隣国が傾けば、民は安定を求めてサファール国への移住を希望するだろう。人口の増加、それも生活水準の低い者たちが増えれば、サファール国内での治安の悪化や浮浪者の増加などが懸念される。
自国の民を守るために、サファール国は隣国へ援助してきた。
次第にそれに納得しない者達も出てきた。故に、支援の理由を強化するために婚約を打診した。それが5年前。第一王子と同い年の姫がグライ国にいたのも都合が良かった。それ以降、王子の婚約者の実家だから義理で支援するのだと国内の者たちには言い聞かせてきた。
しかし、その姫が実在しないとなれば話は変わる。婚約者の姫をでっち上げた上で、支援金を騙し取っているとなれば立派な詐欺だ。国としてコケにされたとも言える。そのまま放置すればサファール国の威信に関わる。周辺国からも見下されるようになりかねない。
サファール国王は2人の息子に命じた。
隣国を見極めよと。
支援は永遠に続けるわけにいかない。支援を開始した8年前はこの国王夫妻なら国を立て直せるに違いないと隣国の王族を信じたのだ。───その当時はまだ姫の実母である聡明な王妃が存命だった。
「私達は揺さぶりをかけるために婚約破棄の旨を申し入れたのです」
サファール国に入ってすぐの街にある別荘にて。メイドたちに全身を磨かれ、既製品とはいえ久しぶりのドレスを身に纏った姫は、改めて王子2人とサロンでお茶をしていた。2人もラフながら質の高い生地の服を着ている。服装と異なり会話の内容は重い。
「それで?」
エラは不敵に微笑む。置かれたティーカップの縁を指でなぞる仕草は艶かしい。
「その…、グライ王は不出来な姉姫ではなく、妹姫との婚約を進めて来ました」
兄は、エラの顔色を窺いつつ、言いにくそうに口にした。両国の力関係はサファール国の方が上のはずなのに、この2人の力関係は真逆で確定したらしい。まるで女王と侍従のよう。
「あら、異母妹に会ったの?異母妹にも婚約者がいたはずだけれど…、まぁ、お相手より貴方の方が身分は高いから乗り換えさせようとしたのね」
「えぇと、その、私は押しに弱いので、妹姫と話したらきっと気に入るだろうと押し切られて…。彼女は貴女が離宮にいることを教えて下さいました。保護して欲しいと。調査の結果、あの場所に出入りする王宮の人間がいることは確認しておりましたので、行ってみようと…、レミニオが」
「異母妹がそんなことを───」
目を伏せて家族を想うエラは、先程までの自信に溢れた姿とは異なり、年相応の少女のよう。
くるくると印象を変えるエラから、レミニオは目を離せない。胸が高鳴るのを覚えた。
「エラ。私と結婚して下さい」
「は───?」
「はぁ!?」
一際大きな声を上げて隣に座っていた兄が飛び退いた。その驚き様に、レミニオとエラの視線が兄に集まる。
「どうしました、兄上」
ギロリと睨むと、兄はヒィッと小さく悲鳴を殺した。
「い、いや、唐突にレミニオが変な冗談を言い出すから!!」
「私も、今のはレミニオが悪いと思うわ」
「冗談などではありません。私はあの塔でエラに一目惚れしました」
心からの言葉なのに、困惑したように兄とエラが顔を見合わせた。そんな些細なやり取りにすら嫉妬を覚える。
「───貴方の弟さん、変わってるわね?」
椅子を振り回す女に惚れるってどうよ?───言外にそんな疑問を滲ませるエラに、兄は頷いてソファーに座り直した。
「まぁ、私の弟ですから」
「エラ。私との未来を真剣に考えて下さい」
声に苛立ちが混ざったことに後悔はしない。エラはその程度で怯えるような女ではない。むしろ楽しそうに微笑んで、悪魔のように甘い甘い言葉を紡ぐのだ。
「私と一緒にグライ国を建て直してくれるのであれば、喜んで結婚しましょう」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
異母兄は、離宮に当てるはずの予算の大半を横領していた。側妃同様、エラを虐げていると見せかけるため。離宮で働くことになる者たちが全て側妃の信奉者でエラを集団で虐げる手筈だったことを知り、その思惑を潰すため。いくら信奉者でも、給与の出ない離宮でなど働くはずがない。エラを守る、その真の目的を知る信頼出来るメイドを定期的に派遣したのは、異母兄のポケットマネーからだ。
異母妹は、刺繍を押し付けると見せかけて、依頼する手紙に暗号を潜ませていた。常にエラの体調を心配し、このような手段でしか守れないことを申し訳ないと。有意義な情報漏洩などではなく、本心を伝えるために暗号を使う異母妹が微笑ましく、表向きは罵倒と我儘しか書いていない理不尽な手紙を、エラはいつも心待ちにしていた。
2人から押し付けられる難しい専門書は、所々に紙切れが挟まっており、切れ目をパズルのように合わせて繋ぐとクーデターの計画と、その進捗や変更点が露わになる。
異母兄妹は、側妃を殺害し、側妃に唆されて王妃を殺した国王を糾弾した上で処刑するつもりなのだ。国王は、己より有能な王妃に対し、常に劣等感を抱いていた。それを利用されたのだろう。
異母兄妹を産んだのは間違いなく側妃だが、養育したのは王妃だった。幼い頃は母親が違うことなど気づかず3人で仲良く育ったのだ。王妃として多忙ながらも、母は乳母に任せ切りにせず、こまめに顔を出して分け隔てなく抱きしめてくれた。
小さな子供など煩わしいと毛嫌いしていた側妃は、異母兄が成長するにつれて擦り寄るようになっていった。産んだ子を王妃に取り上げられた母の苦しみ云々、涙ながらに語りながら、表面をなぞる様に異母兄の腕に触れたという。それが異母兄に殺意が芽生えた瞬間だったと彼は語っていた。
「私が安全な国外にいる今、まさに好機として異母兄妹たちは国王と側妃を断罪していることでしょう。彼らは、いくら己の正義のためとはいえ親殺しの業を背負ってまで生きることは考えておりません。粛清し、落ち着いたら唯一国外に逃れた私に玉座を任せ、親殺しの罪で裁かれるつもりなのです」
そう語ると同時に、サファール国の近衛騎士がマナーも何もを無視して室内に飛び込んできた。そのままヘタレな兄王子の耳元で重大な報告を囁く。
兄王子は青ざめ、横目でエラを凝視する。
レミニオは、困ったように笑う。
「本当に起こったようだね、クーデターが」
「将来、女王となる私には、伴侶の座に収まろうと下心のある者たちが大勢群がるでしょう。その点、レミニオなら都合がいいわ。大国サファールの後ろ盾もあるし、何しろ私を保護したという実績を脚色して民に流せば美談となる。共に苦労をして歩む新国王夫妻として歓迎されるでしょう」
あわあわと、大変だと動揺しているのは報告に来た騎士と兄王子だけである。
エラは、異母兄妹を止められなかった。止めたところで、傾き始めた祖国に最早未来などないとわかってしまったから。国とともに朽ちることを彼らが望んでいないことも、彼らが誰よりもエラを愛してくれているのがわかってしまった。
大切な家族を犠牲にする以外に、他に何か手はなかったのだろうか。異母兄妹の気持ちを汲んで我慢に我慢を重ね、限界を超えたが故に塔から逃げ出そうとしたあの日。もし、レミニオ達に出会わなければどうなっていただろう。恐らく、エラに我慢の限界が来ることも、彼らは見越していたのだ。支援をしてくれているサファール国の王族たちが情に厚いことも、織り込み済みだったに違いない。
立ち上がったレミニオの指が、エラの目元を撫でる。
「素直じゃないね、エラ」
「─────私が、しっかりしないと、強くないといけないから」
そう思うのに、一度流れ始めた涙は止まらず、レミニオの指を濡らす。
レミニオに抱き締められて、初めてエラは声を上げて泣いた。
愛しているし、愛されていた。彼らから託されたモノはあまりにも大きく、エラの痩せ細った身に余る。
「私を好きだと言うなら、どうか私を1人にしないで…ッ」
「わかった、誓うよ。だから、エラ。私の前ではどうか、ありのままの君でいて」
グライ国にソティエラという若き女王が誕生するのは、5年後のことだ。隣にはレミニオという王配と、3才になる幼い王子がいた。
[完]
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