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「殿下も何かとお忙しいのでは?」
柔らかな陽射しの中で茶を楽しむ余裕があるのだろうかと心配するセイレーンに、唯一となってしまった王子は遠い目をした。まるで抜け殻のような、悟りを開いたかのような。
「兄と弟の分まで公務の負担が来るのかと、僕も身構えました。ところが、驚くべきことに、何も変わらなかったんです。あの人たちは、本当に何もしていなかったんです。最初から僕が3人分やっていて、それでも手に負えない時は貴女に依頼していたようなんです」
婚約者の名代として公務に参加していたセイレーンとしては、身に覚えがあり過ぎて返答に困る。そういえばそうだったと、思い出し、俯く。ティーカップの中の紅茶は温かい。
「それは、その…、わたくしが婚約者の名代として行っていた公務が今後殿下の負担になるのでは…」
「そもそもまだ婚約者という仮の立場のご令嬢に名代をさせる方がおかしいんです。負担でも何でもありません」
気に病まないようにと、微笑む。その表情は穏やかなのに威圧感があり、セイレーンとしては頷かざるを得ない。
「で、ですが、立太子の話なども…、そろそろ出るのではありませんか?」
あぁ、これは身分の高い人物に対して行き過ぎた質問だ。自覚しながらも聞かずにはいられない。立太子の準備となれば、やはり忙しさは増すだろう。
「───これは内緒なんだけどね。一般には知られていないけれど、僕は王位継承権を持たない王子なんだ。だから、僕が王太子になる日なんて永遠に来ないよ」
「え…?」
まさか、側室が産んだ王子までも国王と血の繋がりがないのだろうか。そんな疑惑に、セイレーンは青ざめる。聞かなきゃ良かったと後悔して。
「あ!違う、そうじゃない。僕は間違いなく国王陛下の子なんだよ。そこは大丈夫!」
王子は首をぶんぶん横に振る。
「では、何故…」
どこまでも不躾な質問だとわかっているのに、問わずにはいられない。
「僕の母は国王陛下を襲った罪人でね。表向きは側室で、病死となっているけれど、実際は国王陛下に薬を盛って襲った罪で処刑されている。僕は母の罪から生まれた、本来なら母の胎内で処刑されるはずだった命なんだ」
つまり、国王陛下を、性的に襲って身篭った罪人…
女性が男性を襲うなんて、と。とても想像できず、これはこれで青ざめることになった。
「王位継承第一位は、本来王弟殿下になるんだけど、あの方は平民の女性に恋をして身分を捨てていらっしゃる。そうなると、あとは…、まぁ、誰がいるのか、連日議会は揉めているところだよ。いっそ僕を、という声もあるくらいにね」
「やはり、殿下もお忙しいのですね…」
「いま一番有力なのは陛下に再婚して貰って、今度こそ正しい後継ぎをもうけてもらうという案なんだ。陛下は年寄りの真似をして威厳をだそうと、僕には必要性の全く理解できない努力をしているけど、実際はまだ30歳と若いからね」
王妃の座も長らく空けておくわけにはいかないのだろう。女性にしかできない公務というものもある。せめて側室か、姫でもいれば違ったのだろうが…。
「国王陛下は女難の相でもお持ちなのですか?」
セイレーンは至極真面目に口にしたのに、王様になれない唯一の王子様は破顔して、大笑いをなさった。
元王子が公爵となった家には帰りにくいだろうと、国王陛下の計らいで離宮を間借りすることになったセイレーンは、監視する相手もいない学園に通う必要もなくなり、暇を持て余すようになった。住まいを借りている身でお茶会を開くのも躊躇われる。逆にお茶会の招待に応じるのも、好奇の目に曝されるか、根掘り葉掘り事のあらましを聞かれるかと思うと気乗りしない。
たまに様子を見に来る王子に相談すると、
「え。えー、じゃあ、仕事でもする?」
公務だろうか。それなら慣れているからとセイレーンは頷いた。
頷いたのだが、よく考えればセイレーンは現在、王子の婚約者でもない、ただの令嬢だ。公務など携われるはずもない。
───だからって、どうしてこうなる!
国王陛下の執務室に次々運び込まれる書類の山を、似た案件ごとに仕分けすることになった。しかも、国王陛下の執務室で、国王陛下と机を並べて、である。
執務中の陛下は付け髭をつけていない。セイレーンからすれば街で時々会っていたブレノン公にしか見えない。
「ブレ───ではなく、陛下。こちらの書類を優先でお願い致します」
「別にブレノンって呼んでもいいよ、セイレーン。俺たちの仲だろ?」
「誤解を招く発言はおやめ下さい」
街で数回屋台を食べ歩きした仲である。
セイレーンは公爵令嬢だし、王子の婚約者ではあったが、実父には冷遇され、実父に恋する王妃には暴力を振るわれ、婚約者(異母兄)には放置されていた。その結果、勉強と公務、それ以外の時間は平民と変わらない服を着て公爵家の下働きをしていたので、実は料理も洗濯も掃除も、買い物だって普通にしていた。
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