キスで始まる関係

ひづき

文字の大きさ
上 下
1 / 3

しおりを挟む



「俺、コイツと付き合ってるから無理」

 コイツ、と、紹介され突き出されたイーリーは目を大きく見開いて固まった。目の前にはイーリーが過去に淡い恋心を抱いたことのある少女が、真っ青な顔で立ち尽くしている。

 イーリーの首根っこを引っ掴んでいるのはサイラスという知人だ。友人などではないし、もちろん、恋人なんていう間柄ではない。

 そもそも、サイラスが何者なのかイーリーは知らない。両親が仕事の関係先から時折預かってくる少年である。イーリーの父は軍人、母は魔法研究員。2人共城で働いているので、サイラスの両親も恐らくその関係者なのだろう。

 サイラスは顔がいい。近所に住む少女はうちに山菜をお裾分けしに来て、サイラスに出会い、恋をしたらしい。サイラスが不在の日は散々質問責めにされた。サイラスがイーリーの家に来た日は彼女が手作りの菓子を手に現れる。そしてとうとう、彼女はサイラスに恋心を告げたのだ!

 イーリーの中にあった、淡い恋心は形になる前に霧散した。だからといって、イーリーが傷つかないわけではない。せめて、彼女が幸せになりますように。そう願っていたのに、サイラスの返事は冒頭の発言である。

 冗談にしては笑えない。彼女の真剣な想いを冗談で誤魔化していいはずがない。

「お前!ふざけんなよ!!」

 首根っこを掴むサイラスの手を払い、イーリーはサイラスの胸倉を掴んだ。彼女を安易に傷つけたサイラスが許せなくて、頭が煮えたぎるようだ。

 ちゅ、と。場違いな音が響いた。それが、サイラスからのキスの音だと、しかも唇に触れるものだと、認識した時にはもう遅い。きゃあっ!と可愛らしい悲鳴を上げて少女が立ち去るのにも気づかず、イーリーは目を大きく見開く。

「う、ぎゃあああああ───ッ」



 ファーストキスは可愛い女の子としたい。そんな夢見る少年、イーリーの幻想は砕かれた。

 血の気の引く感覚に、目を白黒させて。



「おい、しっかりしろ」

 ペチペチと軽く頬を叩かれ、イーリーは瞬く。脚に力が入らず、男の腕に腰を抱かれて支えられているのだと気づいた。男───、男である。サイラスはイーリーと同年代、14歳ほどの少年であり、目の前の男は青年だ。でかい。

「……………どちら様ですか?」

 先程とは別の意味で目を白黒させたイーリーは、よろけつつ、何とか青年から距離を取ろうとする。

「サイラスだ」

 どこのサイラスだろう。少なくともイーリーの知るサイラスではない。寝言は寝て言えと忠告してやりたい。そんな気持ちとは裏腹にイーリーの視線は青年を凝視している。黒い髪、銀色の瞳、整った鼻筋。見るほど、確かにサイラスによく似ていた。やたら大きな服を着ているな、とは思っていたが、身体が大きくなった今はピッタリである。

「話せば長くなるが………」

 そんなに深刻な話なのか。イーリーは不安から生唾を呑み込む。

「お前とキスしたら呪いが解けた。以上」

「長くなるんじゃなかったのかよ」

 じとり、と睨めば、自称サイラスは嘆息しつつ、イーリーを床に座らせ、背中を壁に寄りかからせた。倦怠感から逆らえず、イーリーはされるがままだ。

「そもそも、お前の母親が魔力暴走を抑制する薬の調合を間違えたんだ。それを飲んで以降、俺は一定の魔力を使うと少年の姿になるようになってしまった」

 だから、姿が戻るまでの間はイーリーの家にいたのだ。イーリーの母が原因だから。サイラス曰く、基本的に時間経過で戻るらしい。今のところ戻るまでの時間に法則はないので、本当にキスで戻ったのか、偶然なのかは不明だとか。

「今回は思いがけずイーリーの魔力を奪ったようだ。すまない」

 身体がだるい理由が魔力以外の、キスが気持ち良すぎて、とかだったら、イーリーは恥ずかしさのあまり家出していたかもしれない。魔力が理由で良かった。ある意味助かった。心の平穏は保たれた。

「この姿でいつまでもここにいるわけにはいかない。悪いが俺は城に戻る」

 そう言い残してサイラスは姿を消した。何万人に一人使えるかという稀少な転移魔法を惜しげも無く使い、アッサリいなくなった。一体何者だろうと、今更すぎる疑問を抱くと同時に、アレは事故だからファーストキスにはカウントしないと心に決めた。





「キスしようぜ」

 数ヶ月後、再びイーリーの前に現れた少年サイラスは、出会い頭にとんでもないことを言ってきた。何が悲しくて野郎とキスしなきゃならないのか。そんな気持ちを全力で表情に出す。

「仕方ないだろ。本当にキスで戻ったのか、他の要因だったのか検証する必要があるんだよ。もしかしたら根本的な解決に繋がるかもしれないんだ、協力しろよ」

 元が母の失敗なので、イーリーに拒否権はない。

 また思いがけず魔力を奪われて倒れたら大変だから部屋に行くぞ。そう言われ引きずられるようにしてゲストルームに向かった。

 少年サイラスが来た時は、寝泊まりに必ずゲストルームを使用して貰っている。その為、もはやサイラスの私室のよう。常に彼の私物が置かれている部屋だ。

 座るよう促されたのはベッドだった。万が一倒れても怪我をしないようにと。

 気遣いは有り難い。しかし、相手の私室と化している部屋のベッドに腰掛けてキスをするという状況に、イーリーは動揺した。さすがに事故では済まない、シチュエーション込でみで立派なキスじゃないか!!と大混乱だ。

「イーリー、」

 名前を呼ばれ、ビクッと身体を揺らす。少年サイラスの顔が見られない。

「イーリー…」

 優しい声と共に、冷たい手がイーリーの頬に触れる。ゾクゾクッと背中をむず痒さが駆けて行った。その隙間に捩じ込むようにして、サイラスの舌が唇を割って入り込んできて。驚きに目を見開いたイーリーの前で、光に包まれたサイラスの輪郭がぼやけて行く。

 気づいた時には、ベッドに上半身を投げ出したイーリーに、大人の男が覆い被さっているという、恐ろしい状況が出来上がっていた。

「ごちそうさん」

「───な、んで、舌、入れやがった」

 殴ってもビクともしない立派な胸板が憎たらしい。

「お前の魔力、美味い。不思議だな、俺の中で暴走してた魔力に染み渡って鎮めてくれる。───いいね、気に入った。お前、城に来い」

「行かない」

 即答である。

 青年サイラスは不敵に笑う。

「お前は来るさ」




しおりを挟む

処理中です...