後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

文字の大きさ
2 / 67
第一章 

2 春明先生

しおりを挟む
 婆やはやたらと張り切って、小蘭を着せ替え人形に仕立て上げた。
 
「いいですか小蘭様、絶対に気に入られて戻ってくるのですよ。ああ、これで我が国はますます安泰。お国のお父上様も鼻高々というものです」
 
(果たして……そんなものかしら)
 
 絢爛な模様の絹の衣装、精緻な銀の重たげな髪飾り。念入りに着飾らされた小蘭は、夕刻になると宦官達に引き渡された。

「ああ、我が姫様のなんと美しいことか」
 別れ際、感極まって泣き出した婆やには「じゃあ、ちょっといってきま~す」と手を振り、空元気で出てきたものの。
 
「……ここは本当に閨なのですか」
 
 連れてこられた部屋を見、ぎゅっと眉間にしわを寄せた。そこは、壁にヒビの入った真っ白い部屋だった。
 真ん中に、白い布の掛けられた寝台がぽつんと置かれた、あまりに無駄のない息苦しい部屋。
 
 迎えに来たのは雲流ユンルーという宦官だ。意地が悪くて皆からは蛇蠍だかつのように嫌われている。
 
 ふたりきりで部屋に入ると、雲流は薄気味悪い笑いを浮かべている。

「いいや違う、ここはさね。小娘が我らの皇帝に献上するのに相応しいかを確かめるための部屋さ。この俺が! ヒヒヒッ」
「!」
 言うや否や雲流は、常ならぬ速さで小蘭の後ろを取ると、羽交いにした。
「ちょっと何するの?! せっかくの着付けが崩れちゃうじゃない!」
「暴れるんじゃないクソガキが。いいんだよ、こんなもの。どうせ着ていけやしないんだ」
 
「嘘ばっかり! 皆にやってもらったのよ? あんた、こんな事してただで済むと思ってるの?」
 
 しかし雲流は、小蘭をいっこうに腕を緩めない。
 
「なあんだお前、何も分かっちゃねえんだなあ。その皇帝から頼まれてやってんだよ、俺は」

(――嘘よ、そんなわけ、ない!)
 
「この……!」
 小蘭は、首に巻きつくしわがれた手に、思いっきり噛みついた。
 
「うあっ、い、痛えぇーっ」
 堪えられず小蘭を突き飛ばす雲流。

「ごほっ、……ごほっ」
 咳き込みながら体勢を戻そうとしている小蘭を、雲流は歪んだ顔で睨みつけ、杖を強く握りしめた。
 
 ――刹那。
 
「止めなさい」
 
 静かだが、しかし厳しい声が響き渡った。
 
 ギクリとして、雲流が手を止める。

春明チュンミン先生!」
 その隙に小蘭は彼の腕を振り払い、戸口に立っているその男性に駆け寄った。

「雲流、何をしていた?」
 
「あ、アタシはその娘を帝にお連れするように言われて……その……準備をお手伝いしようかと」
 
「へえ……、そうかい、私にはそんな風には見えなかったが」

 卑屈に笑い、手を擦り合わせている雲流に近づくと、春明は腰をかがめて雲流の耳に囁いた。
 
「さあ、ここからそっと出てお行き。次にまた妃に同じことをしたら――皇后様にご報告しなくてはならないよ?」

 春明は体勢を戻すと、雲流の背を軽く押した。

「さあ雲流」

 雲流は、ちらちらと春明を振り返りながら、部屋の戸口から出ていった。

「さあ、もう大丈夫。怖かったでしょう」
「ありがとう、先生」
「いいや、当然のことだよ」
 
 春明は寝台に小蘭を座らせ、その隣に腰かけた。
 春明先生は雲流と同じ宦官だが、全然違っている。背が高く、いつも綺麗に背中を伸ばして美しい姿勢を保っている。腰まで垂らした薄茶の髪に色白の細面は、どこか女性のような柔らかさを帯びている。

 後宮で医者は春明先生ひとりしかいない。
 だから皆、自然と「先生」と呼ぶ――小蘭には、それが少し誇らしかった。
 それから、春明は詩歌の講義もしてくれる。その澄んだ声を聞くのが、小蘭は大好きだった。

 雲流が言ってたことは、残念ながら半分本当だった。
 皇帝の相手に選ばれた妃は、健康の状態や伝染する病気を持っていないかなど、あれこれ検査された末に、ようやく差し出されるのだという。

 せめてもの救いは、そのお役目は、春明先生が担っているということだ。もし、雲流のようなヤツだったら、吐いてしまう。

 婆やたちが着せてくれた一張羅いっちょうらは、やはり脱がされてしまった。
「あの御方は敵が多いから。妃達が、きらびやかな衣装の中に懐剣でも忍ばせてやしないかと、不安なのだよ」
 
 ――私は人質の妃。それくらい、分かってはいたつもりだった。でも……。
 
「ねえ、先生」
「なに?」
「私、本当はとても怖いの。今の皇帝は、たくさんの命を戦で奪った恐ろしい人だと聞いているわ」
「……」
「先生、教えて。私、これからどうなるの?」
 
「小蘭」
 春明は、静かな声で名を呼ぶと、小蘭の片手を優しく握った。

「小蘭、よく聞いて。お前は、勉強は嫌いだが賢い娘だ。故郷の民たちのことをきちんと考えることができる。いいかい? あのお方に何をされようとも、逆らってはいけないよ。……すまないね。私の立場では、それくらいしか言えない」

 小さな溜め息をひとつ。
 春明先生は、いつだって優しい。
 
 いつしか小蘭は、小さな嗚咽とともに、声を出して泣いていた。

「ねえ先生、いつも先生が聞かせてくれた物語みたいな……恋や、愛っていうの。そういうの、私もしてみたかった」
「……」

 それからは押し黙ったまま、診察を終えた春明は、小蘭の着衣を元に戻し、薄布シーツを丁寧に畳んだ。
 白く細い手を差し伸べ、小蘭をそっと引き起こす。

「あの御方も罪なことをなさる。まだつぼみにもならぬ花を、わざわざ手折ることもあるまいに」

(でも――助けてくれるわけでは、ないのだわ)

 小蘭が流した一筋の涙を、春明はそっと拭った。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~

佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。 それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。 しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。 不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。 陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。 契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。 これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。

皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。 一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。 しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。 皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...