後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

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第一章 

20 試合前夜

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 さて、御前試合が、とうとう明日に迫っている。

「ふうん。つまり小蘭は〝花嫁修行〟をサボってここに来たってわけだ」
「そう――だって」
 
 いよいよ明日、自分の運命が決する日だというのに。
 とても、授業になんか集中できる気がしない。

 昼食を済ませた後、小蘭はまたもや例の孩子ハイツの姿に身を包み、こっそりとへやを抜け出した。
 ここはあの夜、夜明かした馬小屋のそば。
 午前の授業のあと、小蘭の意を汲んだ春明が、小声で教えてくれたのだ。
「ええ、蒼太子なら、馬屋の裏で鍛練していますよ」と。

 小蘭は近くの置石に座り、足をぶらぶらさせた。
「――春明先生の授業以外は、どれも退屈で眠たいわ」
「ははっ、違いないな――フウッ」
 
 言葉に出来ない本音を隠し、理由をごまかした小蘭に相づちを打った蒼龍は、気合いと共に短い息を吐き、太刀を振るった。
 ひゅんと風を裂く音とともに、剣がきらめき空を切る。
「わっ」
 小蘭が飛び退いた瞬間、頭の上に、二つに切れた桂花もくせいの枝がひらりと落ちた。

「わっ、びっくりしたぁ! にしても、見事な切り口。蒼龍って、ホントに強かったのね」

「だから言っただろ、今回の件は楽勝だって。お前って、俺のこと全く信用してないのな」
 小蘭を横目に睨みながらも、蒼龍は胸を張った。
 
 これまで、自信満々に語ってきた蒼龍の強さを、これまでは半分ホラだと思っていたが……。
 
「うん、本当に凄いわ。ようやく命拾いしたって感じ」
 落ちていた木犀の枝を拾いながら、すっかり感心していると、すかさず蒼龍の余計な一言が飛んでくる。
 
「そうさ。だから君は今後のために、安心して花嫁修行に励みなさい」
「なっ……」
 
「さあて、ちょっと休憩」
 顔を赤くした小蘭に悪戯っぽく笑いかけると、蒼龍は剣を鞘に納めた。
 小蘭の横に腰かけ、無造作に上衣を脱ぎ始める。

「ちょっと! こんなところで脱がないでよ、私がいるんだから」
「何言ってる、汗ぐっしょりなんだよ」

 蒼龍は、小蘭の照れには全く頓着せず、脱いだ上衣で汗を拭き始めた。

「もう、知らない!」
 両手で目を覆った小蘭は、そう言いつつも、蒼龍の様子を指の間から盗み見た。

 程好く締まった身体つきに、堅い筋の浮いた大きな腕。冷えた汗が白い蒸気になって身体から上る。あちこち出来ている生傷は、明日のために作ってくれたものなのか。
 自分の倍はありそうな、逞しくて強い腕。
 
 もし、あの腕の中に抱かれたら――。

 ドクン。

 深呼吸をしてみてもいっこうに止まらない胸の高鳴りに、小蘭は狼狽えた。

(ばかばかっ、私ったら、何を考えてるの?)

 皆が変なことを言うから、変に意識してしまう。

「小蘭?」
 ふとみると、着替えを終えた蒼龍が、不審そうに見守っている。

「あ、はは、暑いなあ、今日は」
「そうか?」
 蒼龍は少し首をかしげた後、グッショリと汗を吸った布を小蘭に差し出した。

「使うか?」
「使うかっ」

 小蘭は包の袖で汗を拭うふりをして、赤らんだ顔を隠した。
 
「見てろよ、バカ親父。明日は大勢の客の前で、必ず一泡吹かせてやる。そうだ! 毎年出場して、親父の後宮ハレムを丸ごと貰っちゃおうかな」
「バカ、何ニヤけてんのよっ」
 どん、と肩をぶつけてきた小蘭に、蒼龍はにやっと笑う。
 
「お、妬いてんのか?」
「妬いてないっ」

 むきになって否定する小蘭を軽くいなすと、彼はゆるりと腰を浮かせた。
 
「まあ、いいけどな。さて、そろそろ休憩は終わり。俺はもう少しやって帰るが、君はもう帰れ。あんまり勉強をサボっていると、また婆やに尻をぶたれるぞ」
「何よ、意地悪!」
 
 小蘭を追い払うように手を振ると、蒼龍は再び剣を構え直す。
 その横顔には、もう先ほどまでの軽さはなかった。

 再び風がひゅうと鳴り、西日に厚い雲がかかる。
 
 何かを置き忘れた気がして、思わず振り返ると、剣を振るう蒼龍の姿が、その赤黒い影に沈んでいた。
 
 ――まるで、明日へ進めば、二度と届かなくなるかのように。
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