49 / 103
第二章 華燭
47 春明先生の処方箋
しおりを挟む
再び、場に沈黙が流れる。
春明の、薬木を砕く音だけが、長閑な庭先に響いている。
小蘭はふと顔を上げた。これを言えば、もう戻れない――でも、吐き出してしまいたい。
とうとうこらえきれず、か細い声で呟いた。
「ねえ、先生。蒼龍はさ……まだ黎妃様を愛してるの。本当は、成り行きで仕方無く一緒にいるのは、私じゃなくて蒼龍のほう。私なんて……黎妃様の身代わりに過ぎない」
春明は手を止めると、静かに小蘭を見つめた。
「小蘭。あなたは、自分に自信がなさすぎる」
「え」
キョトンとして目を瞬かせた小蘭を見て、春明は柔らかく微笑んだ。
「何も、そんなに驚いた顔をしなくても。蒼太子があなたをどう思っているか――。私には想像しかできませんが」
春明は、重たげに睫毛をもたげ、息を吐いた。
「少なくとも、あなたが黎妃様の身代わりだなどとは思いませんよ? 黎貴妃はスープに浮かんだカエルなど、絶対に投げつけたりはしないでしょうから」
「わ、私だって普段からそんなことしないわよ。……たまにしか」
小さく付け加えた最後の言葉に、春明はくっと笑いを堪えた。
「そうですか。……私はね、蒼太子は間違いなくあなたに惹かれていると思いますよ」
「うそ!」
「嘘ではない。あなたの魅力は意地悪をする相手にカエルを投げつける強さや、蒼太子にも遠慮なく悪態をつく思い切りのよさだ」
「む……」
半分は褒め、半分は貶す春明のいつもの毒舌に、小蘭は唇を尖らせた。
「……蒼太子は、きっと不安なのでしょう。幼く無垢なあなたを怖がらせてしまわないかと」
「私、幼い?」
「……少しね。彼なりに時を待っているのでしょう」
「う~……ん」
果たして、そうなのだろうか。
気持ちの晴れない小蘭に、春明はさらに畳みかけた。
「いっそ、本人に聞いてみてはどうですか? どうせ今夜も蒼太子は、嬉々としてあなたの房に来られるでしょう」
「いやっ! そんなこと聞いたら、絶対バカにされるもの」
『ふうん、そっかあ~。まさか小蘭がそこまで俺に惚れているとはな~』
なんて、ニヤニヤと勝ち誇った顔が目に浮かぶ。
その癖、肝心なところは冗談めかしてはぐらかす……。そんなの、絶対に嫌だ!
「ふふ、その意地っぱりこそ、そろそろ卒業してもいいのでは? ――恋する気持ちは、武器にも毒にもなる。使い方次第ですよ、小蘭」
春明は、頭を抱えている小蘭を、柔和な笑顔で包み込んだ。
それは普段のからかいでも毒舌でもなく、優しき者を護ろうとする、皇后様と同じ――強き大人達のそれだった。
「ああ、もう日が傾いてきている。少し喋り過ぎました。……さあもうお行き。あなたが毒カエルをくれてやった姫が、もうすぐここへやってくるから」
「分かったわ……ありがとう」
春明の部屋を追い出され、小蘭は帰り道でその言葉を反芻していた。
時を待つ? やせ我慢? ――先生の言葉は、いつも少しだけ難しい。
(それにしたって、悔しいや)
私ってば本当に、蒼龍のこと……好きになっちゃってたんだ。
『恋心は武器にもなる』ーーだなんて。
春明先生は宦官だけれど、誰かを好きになったことが、あるのかなぁ……。
碧衣や尚真、婆やに春明先生ーー小蘭に味方は大勢いるが、凜麗たちの嫌がらせは、日に日に激しさを増すばかり。
本当は蒼龍に愚痴ってしまいたいけれど……。
春明先生もおっしゃった通り、表の政権争いに関わるならば、それは悪手に違いない。そもそも、告げ口なんて自分の流儀には合わないし。
「よーし、頑張るぞー」
己を鼓舞するように声を張り上げると、小蘭は、自分の房のある、北宮に向かって駆け出した。
しかし――。
そんな小蘭の決心を嘲笑うかのように。
春明の忠告の甲斐もなく、小蘭の後ろには、冷たい影が迫りつつあった。
春明の、薬木を砕く音だけが、長閑な庭先に響いている。
小蘭はふと顔を上げた。これを言えば、もう戻れない――でも、吐き出してしまいたい。
とうとうこらえきれず、か細い声で呟いた。
「ねえ、先生。蒼龍はさ……まだ黎妃様を愛してるの。本当は、成り行きで仕方無く一緒にいるのは、私じゃなくて蒼龍のほう。私なんて……黎妃様の身代わりに過ぎない」
春明は手を止めると、静かに小蘭を見つめた。
「小蘭。あなたは、自分に自信がなさすぎる」
「え」
キョトンとして目を瞬かせた小蘭を見て、春明は柔らかく微笑んだ。
「何も、そんなに驚いた顔をしなくても。蒼太子があなたをどう思っているか――。私には想像しかできませんが」
春明は、重たげに睫毛をもたげ、息を吐いた。
「少なくとも、あなたが黎妃様の身代わりだなどとは思いませんよ? 黎貴妃はスープに浮かんだカエルなど、絶対に投げつけたりはしないでしょうから」
「わ、私だって普段からそんなことしないわよ。……たまにしか」
小さく付け加えた最後の言葉に、春明はくっと笑いを堪えた。
「そうですか。……私はね、蒼太子は間違いなくあなたに惹かれていると思いますよ」
「うそ!」
「嘘ではない。あなたの魅力は意地悪をする相手にカエルを投げつける強さや、蒼太子にも遠慮なく悪態をつく思い切りのよさだ」
「む……」
半分は褒め、半分は貶す春明のいつもの毒舌に、小蘭は唇を尖らせた。
「……蒼太子は、きっと不安なのでしょう。幼く無垢なあなたを怖がらせてしまわないかと」
「私、幼い?」
「……少しね。彼なりに時を待っているのでしょう」
「う~……ん」
果たして、そうなのだろうか。
気持ちの晴れない小蘭に、春明はさらに畳みかけた。
「いっそ、本人に聞いてみてはどうですか? どうせ今夜も蒼太子は、嬉々としてあなたの房に来られるでしょう」
「いやっ! そんなこと聞いたら、絶対バカにされるもの」
『ふうん、そっかあ~。まさか小蘭がそこまで俺に惚れているとはな~』
なんて、ニヤニヤと勝ち誇った顔が目に浮かぶ。
その癖、肝心なところは冗談めかしてはぐらかす……。そんなの、絶対に嫌だ!
「ふふ、その意地っぱりこそ、そろそろ卒業してもいいのでは? ――恋する気持ちは、武器にも毒にもなる。使い方次第ですよ、小蘭」
春明は、頭を抱えている小蘭を、柔和な笑顔で包み込んだ。
それは普段のからかいでも毒舌でもなく、優しき者を護ろうとする、皇后様と同じ――強き大人達のそれだった。
「ああ、もう日が傾いてきている。少し喋り過ぎました。……さあもうお行き。あなたが毒カエルをくれてやった姫が、もうすぐここへやってくるから」
「分かったわ……ありがとう」
春明の部屋を追い出され、小蘭は帰り道でその言葉を反芻していた。
時を待つ? やせ我慢? ――先生の言葉は、いつも少しだけ難しい。
(それにしたって、悔しいや)
私ってば本当に、蒼龍のこと……好きになっちゃってたんだ。
『恋心は武器にもなる』ーーだなんて。
春明先生は宦官だけれど、誰かを好きになったことが、あるのかなぁ……。
碧衣や尚真、婆やに春明先生ーー小蘭に味方は大勢いるが、凜麗たちの嫌がらせは、日に日に激しさを増すばかり。
本当は蒼龍に愚痴ってしまいたいけれど……。
春明先生もおっしゃった通り、表の政権争いに関わるならば、それは悪手に違いない。そもそも、告げ口なんて自分の流儀には合わないし。
「よーし、頑張るぞー」
己を鼓舞するように声を張り上げると、小蘭は、自分の房のある、北宮に向かって駆け出した。
しかし――。
そんな小蘭の決心を嘲笑うかのように。
春明の忠告の甲斐もなく、小蘭の後ろには、冷たい影が迫りつつあった。
0
あなたにおすすめの小説
後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました
由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。
それは愛のない政略結婚――
人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。
後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
【完結】後宮の片隅にいた王女を拾いましたが、才女すぎて妃にしたくなりました
藤原遊
恋愛
【溺愛・成長・政略・糖度高め】
※ヒーロー目線で進んでいきます。
王位継承権を放棄し、外交を司る第六王子ユーリ・サファイア・アレスト。
ある日、後宮の片隅でひっそりと暮らす少女――カティア・アゲート・アレストに出会う。
不遇の生まれながらも聡明で健気な少女を、ユーリは自らの正妃候補として引き取る決断を下す。
才能を開花させ成長していくカティア。
そして、次第に彼女を「妹」としてではなく「たった一人の妃」として深く愛していくユーリ。
立場も政略も超えた二人の絆が、やがて王宮の静かな波紋を生んでいく──。
「私はもう一人ではありませんわ、ユーリ」
「これからも、私の隣には君がいる」
甘く静かな後宮成長溺愛物語、ここに開幕。
大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~
佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。
それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。
しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。
不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。
陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。
契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。
これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。
香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く
液体猫
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/
香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。
ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……
その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。
香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。
彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。
テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。
後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。
シリアス成分が少し多めとなっています。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる