後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

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第二章 華燭

51 目覚め

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 小蘭は、夢を見ていた。

 常春の季園。薄桃色の花々がどこまでも咲き乱れ、風に溶けた甘い蜜の香りが漂ってくる。
 中央の泉からは、桃の酒が尽きることなく溢れだし、黄金色の流れとなって小川をつくっていた。

 柔らかな草の上に寝転び、杯を傾けているのは蒼龍だ。
 川縁に佇む小蘭を見つけると、柔らかに微笑み、こっちへ来いと手招きする。
 
 吸い寄せられるように赴き、彼の隣に腰を下ろすと、蒼龍は盃を差し出した。

「飲むか?」
「……ありがとう」

 杯を受け取ると、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。
 ああ、これが噂の桃源郷。
 私、天国に来たんだぁ。

「どうしたんだい、飲まないのか? 気持ちよくなれるぞ」
「ん……どうせなら……あなたから」
 冗談めかしてそういうと、蒼龍は、少し困ったように笑った。
 
「甘えん坊だな。仕方がない、もう少しこちらへ――」
「蒼……龍……」
 
 柔らかな温もり。
 甘い水蜜の香りが口いっぱいに拡がって――。

(オラ、飲めや。さっさと飲め!)

 あれ、何かおかしい……?
 
 声が、あまりに現実的リアルだ。

「飲めやああー!」
「んぐううっ……!」
 
 無理やり喉に押し込まれた液体が、ドロリと胃の腑に落ちてくる。
 
にがっ……にがあああいっ」

 小蘭は、勢いよく跳ね起きた。

「げほっ、ごほっ。何これまずっ……! あれお酒……桃源郷は?」
 
 辺りを見ると、視界に広がるのは見慣れた天井。
 湿った布と、青臭い薬草のにおいが鼻をつく。
 
「はあ? 何が〝桃源郷〟よ。いいから飲みなさいっての」
 目の前で顔をしかめているのは、碧衣ビィイーだった。

「それ、春明先生の気付け薬よ。効き目は抜群だけど……うわ臭っ、裾に着いちゃったわ」

「……碧衣」

 小蘭は目をぱちくりさせてから、ㇵッと息をついた。

「あれ……私、死んで、ない?」
「ばかねえ、あんたがそう簡単にくたばるわけないじゃない」
 碧衣は、肩をすくめて笑ってみせる。

「まあ、二日ほど眠りっぱなしだったけどね」
「二日も……」

 その言葉に、身体の力がすっと抜けた。途端、お腹がきゅーっと鳴り始める。

「そういえば……お腹、空いてるような」
「あはは、相変わらずね。その調子なら大丈夫だわ」
 
 碧衣は、枕元に積まれていた見舞い品の山に手を突っ込むと、林檎をひとつ投げてよこした。
「はい、ささやかな生き返り祝いよ」
「ん、ありがとう」

 林檎を頬張りながら、小蘭は思い出したように、碧衣に尋ねた。
 
「ねえ、私、どうやって助かったの? あの倉庫は外から鍵がかかってははっへ……」
「もう、食べるか話すかどっちかにしなさいよ」
 
 小蘭には文句を言いながらも、碧衣は自分にもひとつ林檎を取った。
 
「昨日の午後、あんたとの約束が急に流れたでしょ? で、部屋にいたらさ、急に外が騒がしくなってきたわ。『火事だ』って」
 
 木戸を開け、林檎の芯を庭の垣根に放り投げる。

「ほら、火事だとか非常事態になると、後宮にも男の兵士達が入ってくるでしょ。……あんたが皇子と逃げていた時みたいにさ」
「……う、嫌な記憶がよみがえる」
 
 碧衣はニヤッとひやかし笑いを浮かべる。
 
「でしょう? 女官達は、大はしゃぎで火事場見物よ。呆れたものだわ」
 
 小蘭が思いをはせていると、碧衣は少し声を落とした。
 
「その時よ。尚真がさ、真っ青な顔で飛び込んできたってきたわけ」

『姐姐、どうしよう……』
『どうしたのよ、一体何があったの?』

「最初は、何を言ってるのかさっぱり分からなかったわ。でも、話を聞くうちに……血の気が引いたわ」
「そっか……尚真が、知らせてくれたんだね」
 
 見捨てられたのではなかった。
 胸の奥が、じんわりと温かくなる。

 ――疑って、ごめん。
 
 けれど碧衣は、そんな小蘭をジロリと睨んだ。
 
「あんたまさか、〝よかった、伝えてくれて〟なんて思ってないでしょうね。冗談じゃないわよ。私はあの子がやったこと、まだ許してないんだから」
「う……うん」
 
「本当は、叱り飛ばしてやりたかったけど、そんなことしてる場合じゃない。全力で倉まで走ったわ。尚真あのこも、必死だった」

 碧衣は一息ついて、また続けた。

「最初は、兵士に言ったのよ。『人が中に入ってる』って。でも、彼らは話さえ聞こうとしてくれない。見るなり視線をそらしたわ」
「どうして?」

「私たちが誰なのか、向こうがすぐに分かったからよ」
 ひらひらとした衣装の袖を広げて見せる。

 碧衣は、唇を噛み、視線を落とした。

 「でも……その時だったわ」

 ――がきたの。
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