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第二章 華燭
60 出陣の噂
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それから十日も立たないうちに、後宮には、〝蒼龍太子、ご出陣〟という噂が、いつの間にか流れはじめていた。
ここのところ、噂が噂話を呼び、次々と上書きされていく。お喋り好きな女官や宦官たちは大喜びで、後宮は、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
凛麗といえば、ついこの間までは
〝蒼太子は美しい正妃様に夢中なのだ〟
〝やはり田舎娘と本物のお姫様は違う〟
などともて囃されていた評判が、ものの見事に一転した。
本人もすっかりその気になって、〝次期皇后〟気取りで威張り散らしたのものだから、後宮のあちこちで露骨な反感を集めてしまったようだ。陰口を言われるのが嫌になったらしく、ここ四日ほど、姿を見かけていない。
これには、小蘭の友人たちも大喜びだった。
「あー、せいせいするわ。凛麗の居ない後宮は、空気までおいしく感じる」
碧衣が、うーんと両手を伸ばす。
「本当! 凛麗が正妃、なんて話を聞いた日には、この世の終わりかと思ったもの」
尚真が、すかさず相槌を打った。
今日は朝から木枯らしが強く、後宮の授業は休講だ。
そこでふたりのお妃は、北宮の小蘭の部屋で飲茶をしゃれこんでいた。
円卓には、包子や胡麻団子、小籠包が、所狭しと並んでいる。婆やの準備する点心は、来る人皆を虜にする味だ。
「私さあ、小蘭には悪いけど……今回のことで、蒼龍皇子のこと、ちょっと見損なってたんだよね」
胡麻団子にかぶりつきながら、尚真が言った。
「だって、あの火事で、凛麗は小蘭を焼き殺してしまうところだったのよ? それが罰を受けるどころか、〝蒼龍太子とご成婚〟だなんて、あべこべだもの」
碧衣が身を乗り出した。
「それがね、後宮の怖いところなのよ。偉い人が〝白〟っていえば、みんな〝白〟になる。でも――」
言葉を切り、二ッと笑った。
「我らが皇子はちゃんとやってくれたわ。ねー、小蘭。……小蘭?」
「……」
風に舞う落ち葉を眺めていた小蘭は、二度呼ばれて、ようやく顔を上げた。
「……え! ごめん、聞いてなかった!」
ふたりは顔を見合わせた。
「ねえ、小蘭」
左から、碧衣がぎゅっと寄り添ってきた。
「そりゃあさ、あんたがボーっとしちゃう気持ち、わかるわよ。……いくら結婚話が流れたとはいえ」
右からは、尚真が擦り寄ってくる。
「今度は〝戦に行ってしまう〟だなんて。寂しくてたまらないわよね」
「……うん、……そうね」
小蘭は、大きく息を吐いた。
いつものように、からかいに乗ってこない小蘭に、ふたりは目を見合わせた。
「ダメね、これは重症だわ」
「まあ、仕方がないわよ。凛麗の正妃の話だって、立ち消えたわけじゃないし」
「目の前に、あんなものを建てられちゃあねえ……」
大窓の向こうには、無惨に潰された花畑と、その上に積まれた石の基礎が見えている。
曹丞相が娘のために建てさせている、大御殿だ。
小蘭は、会話を適当に聞き流しながら、窓の外を見つめていた。
その心は、全く別のところをさまよっている。
――あの日以降、蒼龍は、私の部屋に一度も来ていない。
噂によれば、日鳳の策は順調で、蒼龍は多忙を極めているようだ。
けれど――。
『すぐに動く』
あの時、日鳳はそういっていた。
ということは、もう一度も私に会わないまま、彼は出立してしまうのではないだろうか……。
あの夜、赤黒く光った黒曜石――あれのせいで、最近、嫌な夢ばかりを見る。
南の戦場。
幾重にも守られた陣営の中で、談笑する蒼龍。
呼びかけられ、ふと振り向いた、その背中に――ギラリと白刃が迫る。
「……そんなの嫌よっ!」
(あ、れ……?)
はっとして立ち上がった小蘭を、左右の友人たちが、呆然と見上げていた。
ここのところ、噂が噂話を呼び、次々と上書きされていく。お喋り好きな女官や宦官たちは大喜びで、後宮は、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
凛麗といえば、ついこの間までは
〝蒼太子は美しい正妃様に夢中なのだ〟
〝やはり田舎娘と本物のお姫様は違う〟
などともて囃されていた評判が、ものの見事に一転した。
本人もすっかりその気になって、〝次期皇后〟気取りで威張り散らしたのものだから、後宮のあちこちで露骨な反感を集めてしまったようだ。陰口を言われるのが嫌になったらしく、ここ四日ほど、姿を見かけていない。
これには、小蘭の友人たちも大喜びだった。
「あー、せいせいするわ。凛麗の居ない後宮は、空気までおいしく感じる」
碧衣が、うーんと両手を伸ばす。
「本当! 凛麗が正妃、なんて話を聞いた日には、この世の終わりかと思ったもの」
尚真が、すかさず相槌を打った。
今日は朝から木枯らしが強く、後宮の授業は休講だ。
そこでふたりのお妃は、北宮の小蘭の部屋で飲茶をしゃれこんでいた。
円卓には、包子や胡麻団子、小籠包が、所狭しと並んでいる。婆やの準備する点心は、来る人皆を虜にする味だ。
「私さあ、小蘭には悪いけど……今回のことで、蒼龍皇子のこと、ちょっと見損なってたんだよね」
胡麻団子にかぶりつきながら、尚真が言った。
「だって、あの火事で、凛麗は小蘭を焼き殺してしまうところだったのよ? それが罰を受けるどころか、〝蒼龍太子とご成婚〟だなんて、あべこべだもの」
碧衣が身を乗り出した。
「それがね、後宮の怖いところなのよ。偉い人が〝白〟っていえば、みんな〝白〟になる。でも――」
言葉を切り、二ッと笑った。
「我らが皇子はちゃんとやってくれたわ。ねー、小蘭。……小蘭?」
「……」
風に舞う落ち葉を眺めていた小蘭は、二度呼ばれて、ようやく顔を上げた。
「……え! ごめん、聞いてなかった!」
ふたりは顔を見合わせた。
「ねえ、小蘭」
左から、碧衣がぎゅっと寄り添ってきた。
「そりゃあさ、あんたがボーっとしちゃう気持ち、わかるわよ。……いくら結婚話が流れたとはいえ」
右からは、尚真が擦り寄ってくる。
「今度は〝戦に行ってしまう〟だなんて。寂しくてたまらないわよね」
「……うん、……そうね」
小蘭は、大きく息を吐いた。
いつものように、からかいに乗ってこない小蘭に、ふたりは目を見合わせた。
「ダメね、これは重症だわ」
「まあ、仕方がないわよ。凛麗の正妃の話だって、立ち消えたわけじゃないし」
「目の前に、あんなものを建てられちゃあねえ……」
大窓の向こうには、無惨に潰された花畑と、その上に積まれた石の基礎が見えている。
曹丞相が娘のために建てさせている、大御殿だ。
小蘭は、会話を適当に聞き流しながら、窓の外を見つめていた。
その心は、全く別のところをさまよっている。
――あの日以降、蒼龍は、私の部屋に一度も来ていない。
噂によれば、日鳳の策は順調で、蒼龍は多忙を極めているようだ。
けれど――。
『すぐに動く』
あの時、日鳳はそういっていた。
ということは、もう一度も私に会わないまま、彼は出立してしまうのではないだろうか……。
あの夜、赤黒く光った黒曜石――あれのせいで、最近、嫌な夢ばかりを見る。
南の戦場。
幾重にも守られた陣営の中で、談笑する蒼龍。
呼びかけられ、ふと振り向いた、その背中に――ギラリと白刃が迫る。
「……そんなの嫌よっ!」
(あ、れ……?)
はっとして立ち上がった小蘭を、左右の友人たちが、呆然と見上げていた。
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