後宮恋歌――人質妃ですが、守られるだけでは終わりません

佳乃こはる

文字の大きさ
83 / 103
第三章 帰還

82 悪い願い

しおりを挟む
 それからは、何事もなくひと月が過ぎた。

 時折、街中に鋭い目をした男が立つことはあったが、何か仕掛けてくる様子はなかった。

 冬の寒さが緩みつつあった頃。
 その日の夕方、日鳳の使いが行商人姿で現れた。

「……ここに来るまで、特に怪しい動きは」
「はい、ありませんでした!」
 
 男は即答した。
 それから一拍遅れて、

「……あ、いえ。途中、門前で少しだけ足止めされましたが。まあ、大したことでは……」
 
「そうか、気をつけろ」
 
 荷車には、売り物に食料品、燃料なんかが乱雑に乗っている。
 
「今回は、すごくたくさんあるのね」

 ひどく立派な青磁の壺を眺めつつ、小蘭は感心するように言った。
 
 すると、男は途端に目を潤ませた。

「だって……! 臣下として当然ではありませんか。蒼龍皇子が……こんなに粗末なお暮しをされているなんて」

「おいっ、名前!」
「はっ」
 鋭く叫んだ蒼龍に、男は慌てて周囲を見回し、口を押さえた。
 
「も、申し訳……」 
 青ざめる男に、蒼龍は落ち着いた声で言った。

「いい。……だが次はないと思え。お前が捕まれば、ここに繋がる」

 それからは黙ったまま、黙々と荷運びを手伝った。
 
 荷解きが終わると、もうすっかり日が落ちていた。
 
 最初から泊まりの予定だったようで、その夜は、男を迎えて三人の食卓となった。
 
 男は、名を松露ソンルーといった。

「うう……おいたわしい。蒼……いえ、高貴な方が、こんな粗末なものを召し上がっているとは」

「ほう……。結構上手くできていると思ったんだがな」

 憮然とした蒼龍の後ろで、小蘭は必死で笑いを堪えていた。その野菜汁は、蒼龍の得意料理だったから。 

「あ……いやその」
 気まずそうに頭を掻く松露。

 小蘭は、目尻に涙を滲ませつつも、松露の笑顔がどこか不用心に見えた。

 食事が済むと、ふたりは都の様子など、難しい話を始めた。

「皇帝の死は未だ伏せられたまま、曹丞相が政を握っております」
 
 小蘭の隣で、ぎゅっと蒼龍が拳を握った。
 酒で口を湿らせると、松露はつづける。
 
「その裏では、太子を血眼になって探しています。生死は問わぬ、とにかく連れて参れと」

「ちっ、曹め、調子に乗りやがって……。日鳳の、作戦の方はどうなってる」

「はい、南の戦場は樊将軍が指揮を執っております。宮廷では、日鳳様が、曹の専横に反対する同士を秘かに集めておられます」
「……集まりそうか」
 
「ええ、人目を盗んで玉座に腰掛けるなど、曹の行いは目に余るものがございますゆえ」
 彼は再び酒に口をつけた。

 ほろっと酔いしれた顔で、松露は高らかに宣言した。
 
「日鳳様が同志を集わせたところに、あなた様が姿を現せば……!」
 
「こら松露、声を少し落とせ。……まあ、状況は分かった。で、動くのはいつ頃になる」
「こ、これは失礼を」
 腕でずいっと口を拭くと、松露は少し、声を潜めた。

「はい、あちらは予定どおり。そして、その時、王都に動きがあるものと、日鳳様あるじは見ております」

「三カ月か……長いな」
「逸りますか? お心が」
 チラリと目を向けた松露に、蒼龍はフンと鼻を鳴らした。

「そんな話を、聞いてしまってはな」
 松露が、ぱっと姿勢を糺して礼をした。

「どうか、ご忍耐を。大切な局面ゆえ、焦りは禁物と我が主が。皆のためにもどうか――!」

「……分かってる。せっかくだから、この生活を楽しむとするさ」

 しん、と場が静まり返る。
 チラチラと、行灯の炎が揺れ、小さな部屋を照らしている。
 と、思い出したように松露が手を打った。

「そういえば、小蘭様にも手紙を預かっておりました」

 彼は、懐から手紙の筒を取り出して、小蘭に手渡した。
 礼を言って受け取ると、さっそくそれを開封する。

「先生からだわ!」
「へえ、春明か。何て書いてあるんだ?」

「…うん、みんな元気だって。あ、やはり後宮にも、兵士が立ち入ったみたい。先生のことにも……ですって」

「俺が後宮に隠れていないか、調べに来たのか。ちっ、周到な奴だ」

「婆やも、玄武も元気だって。よかった、それから……」

 次の段からは、黎妃様の事が書いてあった。

『皇帝が居なくなったことで、心身健やかにお過ごしです』
 なんて、春明らしい毒舌で書いてある。

 ただ、万一母子が狙われるのに備え、例によって「重病人」に仕立て、診療所に保護しているのだとか。

「なんだよ、何か面白いことでも書いてあるのか?」

「ううん、何でもない」

 訝しげな顔をしている蒼龍に笑いながら答え、小蘭は先に眠ると席を立った。

「おやすみ」
「うん、おやすみ」

 小蘭が席を外すと、ここからが本番とばかりに、二人はまた、難しい顔で向かい合った。

 小蘭は、寝所を衝立ついたてで仕切ると、くるりと布団の中で丸まった。

 そうして、手紙の筒を胸元からそっと取り出す。
 筒の中には、もう一通、黎妃様からの手紙が入っていた。

 封蝋を見るなり、何故か蒼龍の目から隠してしまった。

 小蘭は、隣から漏れる灯りを頼りに、その文字を追い始める。
 それは、懐かしい故郷の言葉で書かれた手紙だった。

『小蘭、私の無謀な願いを叶えてくれて、本当にありがとう。まさか、本当に〝なんとかしちゃう〟なんてね。貴女って本当に凄いひと。

 貴女も、私と同じ気持ちを持っている、そう思うから、はっきり書くわね。もし蒼大哥にいさまに何かあったら、私は生きてはいられない。
 だから小蘭は、私とお腹の子をも救ってくれたのよ。

 ……陛下のこと、春明から聞いたわ。
 こう言ってはいけないけれど、私、少しホッとしているの。やはりどこか疲れていたのね。
 私、きっと強い媽媽マーマになるわ。

 まだまだ書きたいことがたくさんあるけど、そろそろ紙が足りなくなってきた。

 だから最後。
 小蘭、これは、絶対のお願い。
 私のこと、蒼大哥にいさまには言わないで。
 じゃあまた、次に会う時まで』
 
 黎妃様……。
 小蘭は胸を熱くすると同時に、ふと、ひとつの疑問が湧いた。
 
 最後の一文は、どういうことだろう。

 私に、遠慮している?
 それとも、自分で言いたいから?

 もし、日鳳の作戦が成り、蒼龍の王都への帰還が無事成ったら……皇帝になった蒼龍は、黎妃様に妃に据えることだってできてしまう。
 
――『ならば俺は、君とともに征こう』

 彼は私にそう言ってくれたけれど。

 どうしよう、怖い。
 想像だけで、心が凍る。
 
 いっそこのまま、私と蒼龍、ふたりだけの生活が続いたら。
 国や政治なんてうっちゃって、誰にも邪魔されず、二人きりで――。

 突如湧いた幻想に、小蘭はうっとりと身を浸らせた。
 が――
 
 いやだ、私ったら、何を!
 まるで、蒼龍が失敗してもいいみたいに……!

 悪い悪魔が、心の隙間をこじ開けて、押し入ろうとしている。

 蒼龍の母様の黒曜石。
 小蘭は、それを潰すように握り込んだ。

 衝立の向こうから漏れ出す薄暗闇に、ぼそぼそと低い声が溶けてゆく。

「……さむ」

 小蘭は、もう一度布団に包まると、小さく呟いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。 それは愛のない政略結婚―― 人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。 後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

【完結】後宮の片隅にいた王女を拾いましたが、才女すぎて妃にしたくなりました

藤原遊
恋愛
【溺愛・成長・政略・糖度高め】 ※ヒーロー目線で進んでいきます。 王位継承権を放棄し、外交を司る第六王子ユーリ・サファイア・アレスト。 ある日、後宮の片隅でひっそりと暮らす少女――カティア・アゲート・アレストに出会う。 不遇の生まれながらも聡明で健気な少女を、ユーリは自らの正妃候補として引き取る決断を下す。 才能を開花させ成長していくカティア。 そして、次第に彼女を「妹」としてではなく「たった一人の妃」として深く愛していくユーリ。 立場も政略も超えた二人の絆が、やがて王宮の静かな波紋を生んでいく──。 「私はもう一人ではありませんわ、ユーリ」 「これからも、私の隣には君がいる」 甘く静かな後宮成長溺愛物語、ここに開幕。

大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~

佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。 それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。 しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。 不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。 陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。 契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。 これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。

香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く 

液体猫
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/  香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。  ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……  その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。  香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。  彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。  テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。  後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。  シリアス成分が少し多めとなっています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】 佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。 新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。 「せめて回復魔法とかが良かった……」 戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。 「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」 家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。 「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」 そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。 絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。 これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

処理中です...