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第1章
願いのあとで
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後日。
「悪いなあ。俺、いっつも肝心な時にいなくてさ」
「本当ですわ。あの日も、上方へ遊びに出ていたっていうんですから」
「はは、でも、結果的には良かったのかな。ふたりの時間を邪魔されなくてすんだ」
のほほんと笑った宿禰様に、多摩川様がにやりと笑う。
「へえ、言うようになったじゃねえか宿禰。一体どうやって元に戻ったんだ。俺が居ちゃあまずいようなことだったのかい?」
「あ、いや。そ、そうじゃなくて」
慌てて手を振った宿禰様を見て、多摩川様は私の方を振り返る。
「ふうん、宿禰が教えてくれないならいいや、陽毬さんに聞くからさ。なあ、一体ふたりで何を」
「まあ、そんな。私の口からなんて……とても言えませんわ」
「も、もう、いい加減にしてくれ!」
バタバタと手足を動かして怒る宿禰様に、私と多摩川様は顔を見合わせて笑った。
*
宿禰様と相談して、多摩川様にだけは伝えることにした。
その日、たまたま様子を見に来られた多摩川様は、土産の羊羹を取り落とし、諸手を挙げて喜んだ。
「宿禰……、宿禰え~」
「うわっ、ちょ、ぎゃ~っ」
勢い余った多摩川様は、何と、宿禰様に抱き着いて畳へ押し倒した。宿禰様がそこから抜け出すまで、堪えきれずに笑ってしまった。
「良かったなあ、良かったなあ宿禰ぇ……ぐすっ。俺ぁ口には出さなかったがよ……正直、一生元には戻れねえんじゃないかって……」
例によって多摩川様が号泣し始めたので、私はかなり焦ってしまった。
*
私たちは、冬が来る前と同じように、多摩川様を見送りがてら夕刻の散歩に出た。
目的地は、例のお社だ。
ぱん、ぱん。
三人並んで柏手を打つ。
多摩川様が大きなお金を賽銭箱に入れたのを横目に見、驚きながらも、土地神様に精一杯の感謝を述べる。
――ありがとうございました。私と、宿禰様のお願いをかなえていただいて。
長い祈りの後、私たちは、大杉の下の飾り石に腰掛けた。
時は夕暮れ。朱に染まった西の空に、山に戻りゆく鴉の群れが影絵のように浮かんでいる。
私たちのほかに誰もいないのを確認して、宿禰様は頭巾と蛙面を外した。
「ああ、心地いい。久しぶりだな、顔に風を感じるのは」
美しい素顔に、どきりと胸を高鳴らせた私に対して、宿禰様を挟んで向かいの多摩川様ときたら、鼻を垂らして今にも涙腺が決壊しそうな顔をしている。
手拭いを三枚も渡しておいて、本当に良かった。
多摩川様に、宿禰様の快癒を公にするかどうかを相談したところ。
「う~ん、俺も宿禰の意見に賛成だ。宿禰にゃ悪いが、あの連中は信用ならねえ。陽毬さんの契約の話も気になるしな。ただ……」
多摩川様は石の上で片膝を立てると、腕を組み、顎を乗せて宿禰様を凝視した。
「かと言って、いつまでも地下に引っ込んでいるわけにもいくめえ。いつかはふたりでお日様の下に出ていくべきだ。そこでな、相談だが」
多摩川様が、私と宿禰様を交互に見て、ニヤッと笑った。
「例の商売の話だ。実はな……通ったんだよ! 融資が!」
「ええっ、それは本当か!」
「ああ。お前が春頃、陽毬さんに言付けてくれた計画書、あれが良かったんだ!」
「はは、良かったじゃないか!」
ぱあっと顔を輝かせた宿禰様に、多摩川様も嬉しそうに声を上げた。
「こないだ上方へ行っていたのは、そのためさ。登記所へ行ってきた後、上方で働いているおハツとおクマを誘ってきたのさ!」
「まあ、おハツさんとおクマさんを!」
おハツさんと、おクマさん。ふたりが手伝ってくれるのならば心強い。
「へ……え、すごいや」
目を丸くした宿禰様に、多摩川様はニヤリと不敵な笑みを見せた。
「文子さんの撮影もこの間済ませたしな。……なあ宿禰。俺の方も、もう少しで準備が整う。あとひと月ほどしたら、お前は堂々と地上に出て、権藤の家から居を移し、俺と商売をすればいい」
「梓……」
「あ、勿論その時は陽毬さんも一緒にね。実は……ご実家の製糸製布のほうもあてにしてるんだよな」
「まあ、しっかりしていらっしゃること」
「ま、俺も失敗したくはねえからな。……なあ、三人で夢をかなえようぜ」
「……ああ」
少し照れ臭そうに首を傾けながらも、多摩川様の突き出した拳に、宿禰様が拳を合わせる。
「ほら、陽毬さんも。なあ、宿禰」
「うん。……お願いします、陽毬さん」
「ま、まあ」
目を見合わせたふたりが、私の方を微笑みとともに見つめている。
リイィン――。
その時、不意に巻き起こる風に揺られて、境内の鈴の音が、ひときわ長く、境内に残った。
あ、また。
安堵の中にいるはずなのに、理由の分からない胸騒ぎが、ほんの一瞬混じった。
……いけない、私ったら。
「よろしく――お願いします」
私は軽く頭を振ると、そっと息を吸い込んだ。
今ここにある温もりを確かめるように、袂を手繰り、右の拳をそっと合わせた。
さわわっ。
皐月の夕暮れの風に、境内の大楠の木が優しく葉を鳴らしていた。
第1章 終
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。
話数が少したまったら、第2章をはじめたいと思います。
よかったら読んでやってください。
「悪いなあ。俺、いっつも肝心な時にいなくてさ」
「本当ですわ。あの日も、上方へ遊びに出ていたっていうんですから」
「はは、でも、結果的には良かったのかな。ふたりの時間を邪魔されなくてすんだ」
のほほんと笑った宿禰様に、多摩川様がにやりと笑う。
「へえ、言うようになったじゃねえか宿禰。一体どうやって元に戻ったんだ。俺が居ちゃあまずいようなことだったのかい?」
「あ、いや。そ、そうじゃなくて」
慌てて手を振った宿禰様を見て、多摩川様は私の方を振り返る。
「ふうん、宿禰が教えてくれないならいいや、陽毬さんに聞くからさ。なあ、一体ふたりで何を」
「まあ、そんな。私の口からなんて……とても言えませんわ」
「も、もう、いい加減にしてくれ!」
バタバタと手足を動かして怒る宿禰様に、私と多摩川様は顔を見合わせて笑った。
*
宿禰様と相談して、多摩川様にだけは伝えることにした。
その日、たまたま様子を見に来られた多摩川様は、土産の羊羹を取り落とし、諸手を挙げて喜んだ。
「宿禰……、宿禰え~」
「うわっ、ちょ、ぎゃ~っ」
勢い余った多摩川様は、何と、宿禰様に抱き着いて畳へ押し倒した。宿禰様がそこから抜け出すまで、堪えきれずに笑ってしまった。
「良かったなあ、良かったなあ宿禰ぇ……ぐすっ。俺ぁ口には出さなかったがよ……正直、一生元には戻れねえんじゃないかって……」
例によって多摩川様が号泣し始めたので、私はかなり焦ってしまった。
*
私たちは、冬が来る前と同じように、多摩川様を見送りがてら夕刻の散歩に出た。
目的地は、例のお社だ。
ぱん、ぱん。
三人並んで柏手を打つ。
多摩川様が大きなお金を賽銭箱に入れたのを横目に見、驚きながらも、土地神様に精一杯の感謝を述べる。
――ありがとうございました。私と、宿禰様のお願いをかなえていただいて。
長い祈りの後、私たちは、大杉の下の飾り石に腰掛けた。
時は夕暮れ。朱に染まった西の空に、山に戻りゆく鴉の群れが影絵のように浮かんでいる。
私たちのほかに誰もいないのを確認して、宿禰様は頭巾と蛙面を外した。
「ああ、心地いい。久しぶりだな、顔に風を感じるのは」
美しい素顔に、どきりと胸を高鳴らせた私に対して、宿禰様を挟んで向かいの多摩川様ときたら、鼻を垂らして今にも涙腺が決壊しそうな顔をしている。
手拭いを三枚も渡しておいて、本当に良かった。
多摩川様に、宿禰様の快癒を公にするかどうかを相談したところ。
「う~ん、俺も宿禰の意見に賛成だ。宿禰にゃ悪いが、あの連中は信用ならねえ。陽毬さんの契約の話も気になるしな。ただ……」
多摩川様は石の上で片膝を立てると、腕を組み、顎を乗せて宿禰様を凝視した。
「かと言って、いつまでも地下に引っ込んでいるわけにもいくめえ。いつかはふたりでお日様の下に出ていくべきだ。そこでな、相談だが」
多摩川様が、私と宿禰様を交互に見て、ニヤッと笑った。
「例の商売の話だ。実はな……通ったんだよ! 融資が!」
「ええっ、それは本当か!」
「ああ。お前が春頃、陽毬さんに言付けてくれた計画書、あれが良かったんだ!」
「はは、良かったじゃないか!」
ぱあっと顔を輝かせた宿禰様に、多摩川様も嬉しそうに声を上げた。
「こないだ上方へ行っていたのは、そのためさ。登記所へ行ってきた後、上方で働いているおハツとおクマを誘ってきたのさ!」
「まあ、おハツさんとおクマさんを!」
おハツさんと、おクマさん。ふたりが手伝ってくれるのならば心強い。
「へ……え、すごいや」
目を丸くした宿禰様に、多摩川様はニヤリと不敵な笑みを見せた。
「文子さんの撮影もこの間済ませたしな。……なあ宿禰。俺の方も、もう少しで準備が整う。あとひと月ほどしたら、お前は堂々と地上に出て、権藤の家から居を移し、俺と商売をすればいい」
「梓……」
「あ、勿論その時は陽毬さんも一緒にね。実は……ご実家の製糸製布のほうもあてにしてるんだよな」
「まあ、しっかりしていらっしゃること」
「ま、俺も失敗したくはねえからな。……なあ、三人で夢をかなえようぜ」
「……ああ」
少し照れ臭そうに首を傾けながらも、多摩川様の突き出した拳に、宿禰様が拳を合わせる。
「ほら、陽毬さんも。なあ、宿禰」
「うん。……お願いします、陽毬さん」
「ま、まあ」
目を見合わせたふたりが、私の方を微笑みとともに見つめている。
リイィン――。
その時、不意に巻き起こる風に揺られて、境内の鈴の音が、ひときわ長く、境内に残った。
あ、また。
安堵の中にいるはずなのに、理由の分からない胸騒ぎが、ほんの一瞬混じった。
……いけない、私ったら。
「よろしく――お願いします」
私は軽く頭を振ると、そっと息を吸い込んだ。
今ここにある温もりを確かめるように、袂を手繰り、右の拳をそっと合わせた。
さわわっ。
皐月の夕暮れの風に、境内の大楠の木が優しく葉を鳴らしていた。
第1章 終
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ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。
話数が少したまったら、第2章をはじめたいと思います。
よかったら読んでやってください。
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