喜劇の真実

夕鈴

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王子の独白

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子供の時間が終わる卒業式の日、真っ黒なドレスを着て隣に佇む婚約者を見つめた。

「私は君と婚約―」

いつからか凪のように静かに見つめるようになった瞳が揺らいだ。学園では一人の令嬢の話題で持ちきりだった。
品行方正で悪い噂の一つもなかった王子の婚約者が卒業式が近づくにつれて変わった。授業をさぼり、友人をいじめ、小説で流行りの悪役令嬢のような振る舞いは婚約者にべったりだったシスコンの義弟さえも見放すほど。傍若無人に振る舞う令嬢に生徒達は怯え、国で一番力を持つ公爵家出身の彼女には逆らえない。私が諌めようとするのを、危険だから近づくなと護衛が止めるほど。王子の婚約者として相応しくないほど変わってしまった彼女。定例のお茶会も顔を出さなくなった。
だから、未来を担う貴族が溢れるこの場で決別をしようと思っていた。誰もが彼女が私に相応しくないと囁き頷いている。彼女と婚約して10年。半年前までは非の打ち所のない令嬢だった。よく考えて決めたのはずなのに、果たして、今、決断していいのだろうか?
友人達は決意表明だけでもしてほしいと言われたが…。やはり父上達に報告してから動くほうがいいような。
続きの言葉を飲み込んだ私を見つめる夕焼け色の瞳の持ち主シャロンの真っ赤な唇は弧を描いている。

「かしこまりました。婚約破棄されて当然です。どうかお気になさらず。お許しいただけるなら私だけを裁いてください。国外追放でも」

静寂に包まれた会場に響くのは濃い化粧を施した外見に似合わないゆったりとした柔らかな声。

「殿下、責任持って義姉上は僕が監視します。姉を諌められなかったのは僕の罪。僕も国外追放で構いません」
「おやめなさい。貴方は罪を犯してません。殿下もわかってくださいます。罪は私だけのもの。よろしくて?書類は全て殿下の机の上に用意してありますので」

シャロンが目を釣り上げて高慢な口調で義弟のクラウに言葉をかける。クラウはシャロンの手を握り、真剣な顔で首を横に振る。


「監視が必要です。義姉上をお一人では行かせられません。僕の馬に乗せてさしあげます。そして―」

シャロンとクラウが国外追放について真剣に話し合っている。国外追放にするつもりもないのに、シャロンの侍女が外套を持って近づいてくる。表情筋が死んでいるクラウの話にシャロンの高慢な口調が変わっていく。
国外追放後の姉弟での生活を話すクラウに流され、「それもいいかしら?」とおっとりと頬に手を当てて微笑むシャロンの腕を掴む。

「待ってくれないか。シャロン、国外追放にするつもりはない。私の一存では決められない」
「あら?この国の未来を担う殿下の言葉とは思えませんわ。私以上に親しい、いえ相応しいご令嬢もいますでしょう?済んだ話は終わりにしましょう」

夕焼け色の瞳が細くなり柔らかく微笑む顔は半年ぶり。昔から変わらない笑みを浮かべ目の前にいるのは私のよく知るシャロンだ。友人に紅茶をかけたり、階段から突き落としたり理由もなくする少女ではない。成長してから品行方正に王子の婚約者らしく振舞っているが、子供の頃はおっとりとしているが心優しい少女だった。何もない所で転んだまま起き上がらないからクラウが駆けつけて、いつも立ち上がらせ手当てをしていた。

「終わってないから!!気分が悪いなら休んだほうが」
「体調は崩しておりませんわ」

シャロンの額にそっと触れると熱はない。小首を傾げ微笑む姿は手を繋いで遊んでいた昔を思い出す。

「義姉上」
「いけません。失礼しました」

微笑みが消え、夕焼け色の瞳は感情を消して淑やかな顔になる。

「殿下、僕達はこれで失礼します。祝いの場の空気を乱したことを謝罪します。よき夜を」

クラウがシャロンの腕を掴んでいる私の手を外そうと掴んだ。

「話をしたいんだが」
「殿下は新しい婚約者を探してください。未練がましいですよ」
「婚約破棄も国外追放も了承していない」
「あら?おかしいですわ。あれを」

シャロンの目配せに侍女が本を渡している。

「ヒロインが殿下の腕を掴んでいないからいけないんでしょうか?お話通りのはずですわ――」

真剣に読んでいる本を覗き込むと王子がヒロインを虐める婚約者を断罪し、婚約者と義弟を国外追放を命じていた。流行りの恋愛小説だろう。まさか――。

「やり直しましょう。どなたかヒロイン役に協力してくださいませ。生徒の皆様には心苦しいですがもうしばらくお付き合いいただけませんか?」
「シャロン様のためでしたら」
「ありがとうございます。後日祝いの場を改めて用意させていただきます」

シャロンの嬉しそうな笑みに頬を赤らめ頷く生徒達。おかしくないか?数刻前まではシャロンの態度の酷さに多くの生徒達は怖がり、怯え、憤っていた。

「殿下、手を解いてください。準備不足でしたわ。次こそは」
「義姉上、駄目だ。失敗。次の機会にしよう」
「ですが」
「逃げないから大丈夫だよ。いずれ連れてってあげるから今日は諦めて帰ろうか。殿下、いい加減に手を放してください」
「わかりました。もう一度熟読しますわ。失礼しますわ。展開は異なりますがサインをくださるならいつでも歓迎します。失礼しますわ」


シャロンは私の手をそっとほどき、半年前には見慣れていた上品な礼を披露した。高慢で極悪非道な令嬢の素振りはない。私の動揺など気にせず、シャロンはクラウにエスコートされて会場を後にする。
会場では空気が一変しシャロンの自分勝手な行動への不満が囁かれる。シャロンをうっとりと見ていた生徒達までもが忌々しいと。私だけが空気が違い体に触れようとする令嬢達をかわして、挨拶をして退室する。止める友人の声さえも喜劇役者のように感じる。自室に戻ると机の上には婚約破棄の書類が置いてあった。役者のような友人達からの情報に違和感が拭えず、王家の諜報にシャロンの行動を調べさせた。
私の知らない事実に目を見張る。学園をシャロンとクラウが掌握していた。小説に基づいた行動をするので協力して欲しいと頼んでいたため悪役令嬢シャロンができあがった。
婚約してからは非の打ち所がないように見えるシャロンの最大の欠点は運動神経のないことである。
令嬢に紅茶をかけようとすれば自分にもかかり、噴水に落とそうとすれば自分も一緒に落ちる。見かねた友人の令嬢達がシャロンが怪我なく悪役令嬢になれるように協力していた。情報操作をしながら私に悪役令嬢ぶりを披露できるように。授業を休んでいたのは悪役令嬢役の舞台作りのため。ヒロインと王子が結ばれるダンスパーティーを企画の手配等、小説を再現するために必死に駆け回っていたらしい。ダンスパーティーに参加してたくさんの令嬢と踊ったけどヒロイン?
私の友人達はクラウの味方だった。姉と違いずる賢いクラウに逆らえるものはほとんどいないだろう。シャロンが薄化粧を厚化粧に変えて悪役令嬢ごっこを始めた前日に母上とお茶をしている記録があり、母上から聞いた話に絶句して先触れもなくシャロンを訪ねた。

「ごきげんよう。どうされました?」
「婚約破棄したい理由を教えてくれないか」
「私は妃の資質がありません」

感情のない瞳で静かに見つめられている。

「父上達が君を選んだから資質はある。どうか教えてくれないか。私が納得できる理由なら破棄しようか」
「まぁ!?」

淑やかな顔が一変し嬉しそうなシャロンの顔に胸が痛んだ。幼い頃よりは距離が遠くなっても良好な関係を築いていると思ったシャロンが婚約破棄したいと思っていたなんて知らなかった。

「私は温泉というものを体験したいんです」
「は?」

感情を表に出さないように教えられていても、自然と間抜けな声が出た。そんな私に気にせず両手を組んでうっとりしているシャロン。

「旅人の話ですが隣国には土から黄色いお湯が出る温泉といわれるものがありますの。独特の匂いゆえ高貴な方は好まれませんが平民には人気ですのよ。淑女は肌を曝すのは許されません。温泉では一糸まとわず、裸のお付き合いというルールがあります。王妃様もお母様も公爵令嬢であり王子の婚約者には許されないとおっしゃるので、最近の流行に乗ってみようと思いましたの。温泉とはどんなに―――」

母上達の公認なのか!?シャロンの部屋にある大きなトランクを見ると本気だろう。学園生徒を巻き込み私を騙した理由に苛立ちも生まれなかった。夕焼け色の瞳を潤ませ頬を赤らめ恋したような顔で、愛しそうに温泉への恋慕を語るシャロン。

「私に不満があるのではなく、温泉に入りたいだけ?」
「お優しい殿下には何も不満はありません」
「私が温泉に入れるようにしてあげるよ。だから国外追放される準備はやめてくれるかい?」

うっとりと頷くシャロンに嫌われているのかと身構えた私は一気に力が抜けた。緊張が抜けると薄化粧のシャロンの初めて見る色気を醸し出す雰囲気にあてられ、胸の鼓動が速くなる。いつの間にか幼馴染みは美しく成長していた。ドレスに隠された美しいだろう肌を見る権利が私にあると知り、熱が籠りそうになる顔を慌てて沈めた。
シャロンも先に相談してくれれば良かったのに。私達は母上達に遊ばれたのだろう。
王家の力を使い貸切りにしてしまえば温泉に入っても問題はない。公務ではないシャロンとの旅は初めてだった。道中は常に落ち着いており、淑やかなシャロンではなく昔のような常に笑顔のおっとりしているシャロンだった。成長するにつれて開いていた距離が近くなった気がした。
私達の婚約は破棄することなく婚儀に向けての準備が進められている。王族として相応しくないことに憧れると婚約破棄させようと動き出す姿は慣れると愛らしく思えてきた。シャロンの願いを叶えてあげればすぐに騒動が収まる。シャロンの婚約破棄ごっこが咎められることは決してない。私の両親が楽しんでいるから。
無事に婚姻してもシャロンは変わらない。

「両者の同意があるなら婚約破棄させてあげるわ」

という母上の言葉が離縁に変わっただけである。普段はお淑やかで聡明な王太子妃の時々起こす離縁ごっこは王宮では笑いを生んでいる。側妃や妾をシャロンに勧められるが頷かない。シスコンの義弟だけがシャロンが離縁して家に帰ってくるのを望んでいるが。婚約破棄を願っていたのはシャロンではなくクラウの方だとシャロンは気付いていない。

「お母様に教えてあげないの?」
「楽しそうだから」
「お父様はお母様のお願いをなんでも叶えてあげるのに」
「夫婦円満には時に刺激も必要らしいよ。母上がおっしゃるには」
「妃殿下が!!」

シャロンが淑やかでない時はすぐに報告するように命じてある。
愛娘を乳母に預けて兵の声に駆けつけられると泥まみれのシャロンがいた。泥だらけでぬかるみに座りこんでいるシャロンを抱き上げる。泥まみれの王子も妃も私達だけだろう。
首を傾げる顔に口づけると苦い味がする。

「泥まみれの汚い王妃は捨てられますのよ」
「泥まみれの王子も一緒に捨てられる話は?」
「殿下は台本を守ってくださいません」
「王様と王妃様が末永く幸せに暮らしましたという結末だけは揺るがないよ。シャロンは姫じゃないから配役ミスだ」
「まぁ?生まれはどうにもなりません。どうして村娘かお姫様が主人公ばかりなのかしら。公爵令嬢は――」

抱き上げられ湯浴みに連行されるシャロン。シャロンの遊びに王子は夢中だった。
物語のようには人生は進まない。
周りの意見に流されてシャロンとの婚約破棄を思い留まった自分を褒めて、浅はかさを反省していた。半年間もシャロン達の用意した芝居に気付かなかったことも。
おかげで自分の目と心に正直になり、表面的なことだけに囚われないことを学んだ。
政略結婚に恋や愛は関係ない。それでも愛しく思えるようになったのはありがたいこと。
離縁を目論むシャロンの思惑が叶うことはなく、傍から見れば常に仲睦まじい夫婦がいた。
そして喜劇作家が国王夫妻と知る者はほとんどいなかった。
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