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その手が握る金棒から身を守るように顔の前に腕を翳す。

重く硬いものが落ちる音がした。
そして金棒とは別に他の何がが落ちる音も。

びしゃびしゃと雨が降っていた。

夜の闇に降るのは重く粘着質な血の雨だった。
そっと腕をどかしてみた茜の目に映ったのは首から先がない鬼の巨体。
血の雨を降らしながらその身体がゆっくりと傾いだ。

鬼の向こうにはあの女がいた。
刃を振り払うかのようにその細い指が血に濡れた扇を掲げていた。

「良かった」

ふわりと惨状に似合わない微笑みを女が浮かべる。

ごとりと倒れた鬼の巨体を一瞥もせず女が足を踏みだした。
血だまりを気にする素振りもなく茜に歩み寄る女の白い足袋が血に染まる。

「また襲われたのね。怪我がなくて良かったわ」

細くしなやかな腕が茜をそっと抱きしめる。

「あなたはわたしが守ってあげる」

耳元に響く甘い甘い囁きに、血の匂いさえ忘れて茜は身体の力を抜いた。
視界の端に転がった鬼の首が映った。
だけど少しも恐くなかった。

この惨状を生み出したであろうその手に抱かれ、心の底から安堵していた。

そっと女が抱擁ほうようをといた。

離された身体の間に吹き抜ける風が冷たかった。
まるで心に穴が空いたようにそれが寂しくて悲しくて、離れた熱を追うように手を伸ばした。
掴んだ華奢な手首。

幼い子供をみるようなまなざしで女が微笑わらった。

掴んだのとは反対の手が伸ばされ、茜の頬をそっと撫ぜる。

「汚れちゃったわね。お風呂に入らなきゃ」

まるで「雨に濡れちゃったわね」というような口調で、血の雨を降らした本人がそう口にする。

手を引かれ、夜の街を二つの影が行く。

あの妓楼のような建物へと戻るのだろう。
道順をしっかり覚えようと茜はきょろきょろと辺りを見渡しながら女の後をついていく。
だけどくらくて、どの路地も建物も同じに見えて全然頭に入らない。

どこか目印になる高い建物でもあればいいのに。

そんなことを思いながら視線を頭上へと投げ掛けて、真っ黒に塗りつぶされたような夜空に細い細い月を見つけた。

いまにも消えてしまいそうな、猫の爪痕みたいな細い月。

たしかあの猫女に出会った夜は月はなかった。

月に気を取られている間にいつの間にかあの建物の前に立っていた。
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