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chapter.1 新生式
1-6 生贄
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鏡には、仏頂面が映り込んでいた。
混じり気のない黒の短髪。黒い瞳。やたら育った上背に、広い肩幅。発育が良すぎるのは今に始まったことではないので、特に変わったところはなさそうだが……。
確かめるように鏡面に顔を近付けると、私は口を大きく開いてみた。するとどうだろう、上の犬歯に当たる位置の歯が、左右同時ににょっきりと伸びたではないか。
驚いて今一度閉口してみると、それは縮んで収納される。どうやら、開口した時のみ伸びる仕組みのようだ。何かで見た蛇の毒牙を彷彿とさせる。
何にせよ、牙があるという事実に己の変化を嫌でも実感せざるを得なかった。
私はやはり、〝吸血鬼〟になってしまったのか。
暗澹たる気持ちで溜め息を吐いた。
思い出すのは、今日これまでのこと。
あの後、迎えが来てようやく外に出ることが叶った訳だが、そこでもまた一つ新たな悲劇が起きてしまったのだった。
◆◇◆
地獄の釜、あるいは蠱毒の壺の蓋は、外部からゆっくりと開かれた。警戒するように慎重な足取りで入室してきたのは、ものものしく武装した数人の大人達だった。感染対策だろうか、宇宙服みたいな密閉型の防護服を着込んでいる。銃を持っているが、兵士ではなくこの研究所らしき場所の職員なのかもしれない。
その中心に、あの白衣の男が居た。周囲を部下達に守られるようにして、一人だけ武器も持たず防毒衣も着用せずの軽装だ。――事が起きたのは、その時だった。
男の姿を捉えた途端、鳶色兄が雄叫びを上げてそちらに駆け出した。鎮火していた青い炎が、再びその腕を覆う。銃口が一斉に彼を狙った。程なくして、無数の発砲音が上がる。防毒衣達は躊躇なく鳶色兄を撃ったのだ。
弾は鳶色兄の足や胴体を穿ったが、それで彼が止まることはなかった。着弾した部位からは再生による弾の排出が為され、寸の間で傷が修復されていく。
目を瞠った。本当に、あんなことが。あるいは私も、あのようにして……。
鳶色兄は全く怯むこともなく、凄まじい気迫で白衣の男へと向かっていく。痛みを感じていないのだろうか。そこで、私は見た。男が白衣の内側から何か黒い小型の端末を取り出したのを。――嫌な予感がした。
「やめろ!」
私が叫んだのと、ほぼ同時だった。男が端末を操作し、鳶色兄の身体が吹き飛んだ。あとほんの少しで男に手が届こうかという距離だった。
まるで、弟の時の再現のようだった。胸の内側から破裂するようにして、上半身がバラバラに霧散。残された下半身が力尽きてその場に倒れ、後には紅い雨が降る。青い炎は他に落ち、血液を浴びて燻り、やがては消えた。
しかし、程近い距離に居た男の白衣が赤く染まることはなかった。よく見ると彼の周りだけ透明な硝子のような膜が貼っている。それが血飛沫を防いだのだ。
機械兵が同じものを使っているのを見たことがある。光エネルギーの展開によって形成される障壁――光化学シールドだ。
その内側で、男は涼しい顔で端末をしまいこんだ。そうして、
「ですから、申し上げておりましたのに……非常に残念です」
芝居がかった調子で首を左右に振り動かした。如何にもわざとらしい態度。
――見せしめだ。
そう思った。鳶色兄は、見せしめにされたのだ。言うことを聞かないとこうなるぞと、改めて私達に示す為に。
あの黒い端末が爆弾のスイッチに違いない。罠だ。白衣の男が一人だけ軽装で来るなんて、考えてみればおかしな話だ。奴は初めからこうなることを見越していたのだ。そうして、まんまと……。
殺された。
鳶色兄の残骸は、今や再生の兆しを見せることもない。ただの肉片としてそこに転がっている。やはり、〝食人鬼〟同様、我々の弱点も心臓なのだと思い知る。
言葉だけでは、正直半信半疑だった。もしかしたら、心臓が弱点というのは嘘ではないのか。もしかしたら、本当は爆弾なんて存在しないんじゃないか。こちらの憶測を聞いて、都合が良いから話に乗っただけではないのか。……そんな淡い期待が、今のデモンストレーションで見事に粉砕されてしまった。
その為だけに、鳶色兄は殺されたのだ。
「さて、それでは皆さん、本日は色々あって大変お疲れのことでしょうから、このままお部屋の方へご案内致しましょう。勿論、個別に寝室を用意してございます。お気に召されると良いのですが……もし、ご所望でしたらこちらで夕飯のご用意も致しますので、その際は後程、内線通話などで何なりと」
衝撃で言葉を失った私達を順繰りに見て、白衣の男は満足げに微笑んだ。誰も何も返事をせずとも気にせず勝手に続ける。鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だった。
「そうだ、皆さんは本日生まれ変わったのですから、新しい名前が必要でしょう。僭越ながら、わたくしから提案させてもらいます。……そうですね、本来なら〝吸血鬼〟に成られた順番といきたいところなのですが、それぞれがいつ頃かは判然としませんでしたので、元々の名簿の並び順で」
適合体No.01〝eins〟――それが、私に与えられた新たな名だった。
混じり気のない黒の短髪。黒い瞳。やたら育った上背に、広い肩幅。発育が良すぎるのは今に始まったことではないので、特に変わったところはなさそうだが……。
確かめるように鏡面に顔を近付けると、私は口を大きく開いてみた。するとどうだろう、上の犬歯に当たる位置の歯が、左右同時ににょっきりと伸びたではないか。
驚いて今一度閉口してみると、それは縮んで収納される。どうやら、開口した時のみ伸びる仕組みのようだ。何かで見た蛇の毒牙を彷彿とさせる。
何にせよ、牙があるという事実に己の変化を嫌でも実感せざるを得なかった。
私はやはり、〝吸血鬼〟になってしまったのか。
暗澹たる気持ちで溜め息を吐いた。
思い出すのは、今日これまでのこと。
あの後、迎えが来てようやく外に出ることが叶った訳だが、そこでもまた一つ新たな悲劇が起きてしまったのだった。
◆◇◆
地獄の釜、あるいは蠱毒の壺の蓋は、外部からゆっくりと開かれた。警戒するように慎重な足取りで入室してきたのは、ものものしく武装した数人の大人達だった。感染対策だろうか、宇宙服みたいな密閉型の防護服を着込んでいる。銃を持っているが、兵士ではなくこの研究所らしき場所の職員なのかもしれない。
その中心に、あの白衣の男が居た。周囲を部下達に守られるようにして、一人だけ武器も持たず防毒衣も着用せずの軽装だ。――事が起きたのは、その時だった。
男の姿を捉えた途端、鳶色兄が雄叫びを上げてそちらに駆け出した。鎮火していた青い炎が、再びその腕を覆う。銃口が一斉に彼を狙った。程なくして、無数の発砲音が上がる。防毒衣達は躊躇なく鳶色兄を撃ったのだ。
弾は鳶色兄の足や胴体を穿ったが、それで彼が止まることはなかった。着弾した部位からは再生による弾の排出が為され、寸の間で傷が修復されていく。
目を瞠った。本当に、あんなことが。あるいは私も、あのようにして……。
鳶色兄は全く怯むこともなく、凄まじい気迫で白衣の男へと向かっていく。痛みを感じていないのだろうか。そこで、私は見た。男が白衣の内側から何か黒い小型の端末を取り出したのを。――嫌な予感がした。
「やめろ!」
私が叫んだのと、ほぼ同時だった。男が端末を操作し、鳶色兄の身体が吹き飛んだ。あとほんの少しで男に手が届こうかという距離だった。
まるで、弟の時の再現のようだった。胸の内側から破裂するようにして、上半身がバラバラに霧散。残された下半身が力尽きてその場に倒れ、後には紅い雨が降る。青い炎は他に落ち、血液を浴びて燻り、やがては消えた。
しかし、程近い距離に居た男の白衣が赤く染まることはなかった。よく見ると彼の周りだけ透明な硝子のような膜が貼っている。それが血飛沫を防いだのだ。
機械兵が同じものを使っているのを見たことがある。光エネルギーの展開によって形成される障壁――光化学シールドだ。
その内側で、男は涼しい顔で端末をしまいこんだ。そうして、
「ですから、申し上げておりましたのに……非常に残念です」
芝居がかった調子で首を左右に振り動かした。如何にもわざとらしい態度。
――見せしめだ。
そう思った。鳶色兄は、見せしめにされたのだ。言うことを聞かないとこうなるぞと、改めて私達に示す為に。
あの黒い端末が爆弾のスイッチに違いない。罠だ。白衣の男が一人だけ軽装で来るなんて、考えてみればおかしな話だ。奴は初めからこうなることを見越していたのだ。そうして、まんまと……。
殺された。
鳶色兄の残骸は、今や再生の兆しを見せることもない。ただの肉片としてそこに転がっている。やはり、〝食人鬼〟同様、我々の弱点も心臓なのだと思い知る。
言葉だけでは、正直半信半疑だった。もしかしたら、心臓が弱点というのは嘘ではないのか。もしかしたら、本当は爆弾なんて存在しないんじゃないか。こちらの憶測を聞いて、都合が良いから話に乗っただけではないのか。……そんな淡い期待が、今のデモンストレーションで見事に粉砕されてしまった。
その為だけに、鳶色兄は殺されたのだ。
「さて、それでは皆さん、本日は色々あって大変お疲れのことでしょうから、このままお部屋の方へご案内致しましょう。勿論、個別に寝室を用意してございます。お気に召されると良いのですが……もし、ご所望でしたらこちらで夕飯のご用意も致しますので、その際は後程、内線通話などで何なりと」
衝撃で言葉を失った私達を順繰りに見て、白衣の男は満足げに微笑んだ。誰も何も返事をせずとも気にせず勝手に続ける。鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だった。
「そうだ、皆さんは本日生まれ変わったのですから、新しい名前が必要でしょう。僭越ながら、わたくしから提案させてもらいます。……そうですね、本来なら〝吸血鬼〟に成られた順番といきたいところなのですが、それぞれがいつ頃かは判然としませんでしたので、元々の名簿の並び順で」
適合体No.01〝eins〟――それが、私に与えられた新たな名だった。
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