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chapter.3 秘密
3-11 ずっと、このままで居たかった。
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予感はしていた。分かっていたのに、まさかと思った。隣では同じようにアイちゃんが衝撃を受けて固まっていた。
「大丈夫? アイちゃん」
大丈夫な訳が無い。アイちゃんはいつもみたいに名前を訂正することもなく、弱ったように応えた。
「……流石に、堪えるものがあるな」
その疲弊しきったような表情に、俺の心は抉られた。アイちゃんは自分を責めている。
「危惧していたのに、防げなかった。……守ると言ったのに」
違う。違うよ、アイちゃん。
「アイちゃんの所為じゃない!」
――俺の所為だ。
俺が、要らないと言ったから。俺が彼女を拒絶したから。昨夜、様子のおかしい彼女のことを俺が引き止めなかったから。
こうなることを予期していた筈なのに……ああ、そうだ。どこかで俺は、いっそ彼女の死を願っていたのかもしれない。
嫉妬していなかったと言えば、嘘になる。正直、女性としてアイちゃんに大切にされている彼女のことを羨んでいた。俺が彼女だったら良かったのにと、何度も思った。
彼女とアイちゃんの仲を取り持とうとしながらも、本音を言えば誰にもアイちゃんを渡したくなんてなかった。
――そうだ。俺は彼女のことを、ずっと邪魔だと思っていた。
居なくなってくれて……死んでくれて良かったと、心の底では喜んでいる。
なのに、胸の奥がざわついて仕方ない。
思い出すのは、昨日最後に見た彼女の屈託のない笑顔と、あの言葉だ。
――わたしが居ない方が、あなたは幸せなのね。
俺の、為に? 俺の幸せの為に、彼女は自らの生命を投げ出したというのか?
それではまるで、アイちゃんと同じだ。
他の奴らとは違う、肉欲でも所有欲でもない……無償の愛だとでもいうのか?
やめてくれ、気付きたくない、そんなこと。だって、死なせてしまった。俺が殺したようなものだ。彼女の想いを信じられなくて、その手を振り払った。
――もう、遅い。もう、今更だ。
「アイちゃんは何も悪くない。アイちゃん、言ってくれたよね。一人で背負い込むなって。俺も同じことを言うよ」
だから、凍結させた。
考えるのを辞めた。アイちゃんは一人しか居ない。セーラちゃんはアイちゃんじゃない。アイちゃんが悲しむのも無視して、自己犠牲に酔って死んだ身勝手な人だ。――それでいい。
「そうだな……すまない。分かってる。分かってはいるんだ……だが、慣れないものだな。仲間の死というものは」
「俺が居るよ」
そうだよ、アイちゃんには、俺が居る。
だから、そんな悲しそうな顔、しないで。
「俺がアイちゃんの傍に居る。俺は、絶対に死んだりなんかしないから」
俺には、アイちゃんだけでいい。
――アイちゃんにももう、俺だけでいいよね?
「……凄い自信だな」
「だって、アイちゃんが守ってくれるんでしょ?」
「何だそれ。お前が大人しく守られるだけのタマとも思えないが、そうだな……改めて、そう誓おう。お前が死ぬ時は、私が死ぬ時だ」
――お前のことは私が守る。だから、お前が死ぬことはない。
セーラちゃんから奪ったその〝約束〟は、酷く甘美な響きだった。
◆◇◆
アイちゃんと二人きりの生活は、夢のようだった。闘いばかりで平穏とは言い難かったけれど、アイちゃんが一緒というだけで何でも乗り越えられるような気がした。
ある程度の外出が許可されるようになると、よくあの廃墟の町に行った。隠れんぼのつもりでアイちゃんには行き先を告げずに出たりして、見つけてもらえると嬉しかった。
誰にも邪魔されず、アイちゃんと二人だけで過ごす空間――穏やかに流れていく廃墟の時間が好きだった。
そのまま永遠に続けばいいのにと、願った。
一度、うっかり告白しそうになったことがある。
アイちゃんが同性間の恋愛にも寛容なことが分かったから、つい聞きたくなってしまったのだ。
「それじゃあ、もし俺が……」
――君のこと好きだって言ったら、どうする?
なんて、危うくすんでのところで呑み込んだ。
「冗談だよ」で済ませたところで、何かしらの反応は見えてしまうだろう。そんなことで、今の関係を壊したくなかった。
「いずれ時期が来たら言うよ」なんて濁したけれど、俺は今後も言うつもりがなかった。
……なのに、アイちゃんはしぶとくこの時のことを覚えていて、数年後ふと話題にしたことがあった。
「そういえば、あれは何だったんだ」
「あれって?」
「ほら、あの時何か言いかけていただろう。廃墟の町で」
といった具合で。
「まだ覚えてたの、そんなこと。俺は何言おうとしたのか忘れちゃったよ」
なんて呆れたように誤魔化してみたけれど、内心焦っていたりした。反面、そんな他愛もないやり取りをアイちゃんがずっと覚えていてくれたことが嬉しくて……やっぱりこの人が好きだなって、再確認した。
だけど、言わないよ、それだけは。
もう少し、このまま――このままで居たいから。
いつまでも、変わらぬ距離で。二人でずっと居られればいいなと思っていた。
戦争が終わっても、君の隣で守って守られて……そんな日々を、これからもずっと重ねていけたらと。
願っていた。――なのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろうね?
廃墟の町。向かい合う俺達は、もうあの頃とは違う。
追う者と追われる者。今の君の抹殺対象は、俺だ。
「……何が〝傍に居る〟だ」
ぽつりと、声が降ってくる。掠れた、か細い声。次には、それが激情に打ち震えた。
「この大嘘吐きがっ!」
閃光のように、脳裏を過ぎったのは、
―― 俺がアイちゃんの傍に居る。俺は、絶対に死んだりなんかしないから。
いつか君に誓った、俺の言葉。
「……ごめんね」
そうだね。嘘になってしまったね。
「何故だ……何故、こんなことをした!?」
「さぁ、何でだろうね?」
「ツヴァイ!」
胸ぐらを掴まれて、持ち上げられた。シャツのボタンが勢いで二、三飛び散る。唇が触れそうな程の至近距離。互いの吐息が混ざり合い、空間を温く満たしていく。黒から赤に染まった彼の瞳が、責め立てるように俺を睨んだ。だけど、俺の決意は変わらない。
「……君は、何も知らなくていいよ」
「ッ……!」
再び何かを言おうと口を開いたアイちゃんが、ふと何かに気が付いた風に動きを止めた。その目が、奇異なものを見たように瞠られる。
「……傷?」
視線は、俺の胸元に注がれていた。ボタンが弾け、露になったそこにあるのは、引き攣れた醜い縫合痕。
「何だ、これは……いつのだ?」
――ああ。
「爆弾を取り出した時の? ……三週間も前だろう? 何で……何で、治ってないんだ?」
知られちゃったか。
説明を求めるように、アイちゃんが俺の顔を見下ろしてくる。俺は溜息を一つ、真実を告げた。
「アイちゃん……俺、もうじき死ぬんだ」
出来れば、君には知られたくなかった。
「大丈夫? アイちゃん」
大丈夫な訳が無い。アイちゃんはいつもみたいに名前を訂正することもなく、弱ったように応えた。
「……流石に、堪えるものがあるな」
その疲弊しきったような表情に、俺の心は抉られた。アイちゃんは自分を責めている。
「危惧していたのに、防げなかった。……守ると言ったのに」
違う。違うよ、アイちゃん。
「アイちゃんの所為じゃない!」
――俺の所為だ。
俺が、要らないと言ったから。俺が彼女を拒絶したから。昨夜、様子のおかしい彼女のことを俺が引き止めなかったから。
こうなることを予期していた筈なのに……ああ、そうだ。どこかで俺は、いっそ彼女の死を願っていたのかもしれない。
嫉妬していなかったと言えば、嘘になる。正直、女性としてアイちゃんに大切にされている彼女のことを羨んでいた。俺が彼女だったら良かったのにと、何度も思った。
彼女とアイちゃんの仲を取り持とうとしながらも、本音を言えば誰にもアイちゃんを渡したくなんてなかった。
――そうだ。俺は彼女のことを、ずっと邪魔だと思っていた。
居なくなってくれて……死んでくれて良かったと、心の底では喜んでいる。
なのに、胸の奥がざわついて仕方ない。
思い出すのは、昨日最後に見た彼女の屈託のない笑顔と、あの言葉だ。
――わたしが居ない方が、あなたは幸せなのね。
俺の、為に? 俺の幸せの為に、彼女は自らの生命を投げ出したというのか?
それではまるで、アイちゃんと同じだ。
他の奴らとは違う、肉欲でも所有欲でもない……無償の愛だとでもいうのか?
やめてくれ、気付きたくない、そんなこと。だって、死なせてしまった。俺が殺したようなものだ。彼女の想いを信じられなくて、その手を振り払った。
――もう、遅い。もう、今更だ。
「アイちゃんは何も悪くない。アイちゃん、言ってくれたよね。一人で背負い込むなって。俺も同じことを言うよ」
だから、凍結させた。
考えるのを辞めた。アイちゃんは一人しか居ない。セーラちゃんはアイちゃんじゃない。アイちゃんが悲しむのも無視して、自己犠牲に酔って死んだ身勝手な人だ。――それでいい。
「そうだな……すまない。分かってる。分かってはいるんだ……だが、慣れないものだな。仲間の死というものは」
「俺が居るよ」
そうだよ、アイちゃんには、俺が居る。
だから、そんな悲しそうな顔、しないで。
「俺がアイちゃんの傍に居る。俺は、絶対に死んだりなんかしないから」
俺には、アイちゃんだけでいい。
――アイちゃんにももう、俺だけでいいよね?
「……凄い自信だな」
「だって、アイちゃんが守ってくれるんでしょ?」
「何だそれ。お前が大人しく守られるだけのタマとも思えないが、そうだな……改めて、そう誓おう。お前が死ぬ時は、私が死ぬ時だ」
――お前のことは私が守る。だから、お前が死ぬことはない。
セーラちゃんから奪ったその〝約束〟は、酷く甘美な響きだった。
◆◇◆
アイちゃんと二人きりの生活は、夢のようだった。闘いばかりで平穏とは言い難かったけれど、アイちゃんが一緒というだけで何でも乗り越えられるような気がした。
ある程度の外出が許可されるようになると、よくあの廃墟の町に行った。隠れんぼのつもりでアイちゃんには行き先を告げずに出たりして、見つけてもらえると嬉しかった。
誰にも邪魔されず、アイちゃんと二人だけで過ごす空間――穏やかに流れていく廃墟の時間が好きだった。
そのまま永遠に続けばいいのにと、願った。
一度、うっかり告白しそうになったことがある。
アイちゃんが同性間の恋愛にも寛容なことが分かったから、つい聞きたくなってしまったのだ。
「それじゃあ、もし俺が……」
――君のこと好きだって言ったら、どうする?
なんて、危うくすんでのところで呑み込んだ。
「冗談だよ」で済ませたところで、何かしらの反応は見えてしまうだろう。そんなことで、今の関係を壊したくなかった。
「いずれ時期が来たら言うよ」なんて濁したけれど、俺は今後も言うつもりがなかった。
……なのに、アイちゃんはしぶとくこの時のことを覚えていて、数年後ふと話題にしたことがあった。
「そういえば、あれは何だったんだ」
「あれって?」
「ほら、あの時何か言いかけていただろう。廃墟の町で」
といった具合で。
「まだ覚えてたの、そんなこと。俺は何言おうとしたのか忘れちゃったよ」
なんて呆れたように誤魔化してみたけれど、内心焦っていたりした。反面、そんな他愛もないやり取りをアイちゃんがずっと覚えていてくれたことが嬉しくて……やっぱりこの人が好きだなって、再確認した。
だけど、言わないよ、それだけは。
もう少し、このまま――このままで居たいから。
いつまでも、変わらぬ距離で。二人でずっと居られればいいなと思っていた。
戦争が終わっても、君の隣で守って守られて……そんな日々を、これからもずっと重ねていけたらと。
願っていた。――なのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろうね?
廃墟の町。向かい合う俺達は、もうあの頃とは違う。
追う者と追われる者。今の君の抹殺対象は、俺だ。
「……何が〝傍に居る〟だ」
ぽつりと、声が降ってくる。掠れた、か細い声。次には、それが激情に打ち震えた。
「この大嘘吐きがっ!」
閃光のように、脳裏を過ぎったのは、
―― 俺がアイちゃんの傍に居る。俺は、絶対に死んだりなんかしないから。
いつか君に誓った、俺の言葉。
「……ごめんね」
そうだね。嘘になってしまったね。
「何故だ……何故、こんなことをした!?」
「さぁ、何でだろうね?」
「ツヴァイ!」
胸ぐらを掴まれて、持ち上げられた。シャツのボタンが勢いで二、三飛び散る。唇が触れそうな程の至近距離。互いの吐息が混ざり合い、空間を温く満たしていく。黒から赤に染まった彼の瞳が、責め立てるように俺を睨んだ。だけど、俺の決意は変わらない。
「……君は、何も知らなくていいよ」
「ッ……!」
再び何かを言おうと口を開いたアイちゃんが、ふと何かに気が付いた風に動きを止めた。その目が、奇異なものを見たように瞠られる。
「……傷?」
視線は、俺の胸元に注がれていた。ボタンが弾け、露になったそこにあるのは、引き攣れた醜い縫合痕。
「何だ、これは……いつのだ?」
――ああ。
「爆弾を取り出した時の? ……三週間も前だろう? 何で……何で、治ってないんだ?」
知られちゃったか。
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