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第2話 隣のクラスに勇者が転生してきました。

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 初めて会った時から、彼の存在は強烈でした。

「魔王、アーク! 頼もう!」

 勇者、ユート・クェン・ザクリート。
 並み居る衛兵達を退いて、たった一人。供も連れずに魔王城まで乗り込んできたのは、歴代の勇者の中でも彼が唯一でした。それ程圧倒的な強さを、彼は持っていたのです。
 様々な過程をすっ飛ばし、突然玉室まで突入された私は、その時の衝撃を今尚覚えています。

 一切の恐怖を超越したかのような、凛と凪いだ表情かお。意志の強いコバルトブルーの瞳が、真っ直ぐに私を捉えていました。――あの時と同じ。
 脳裏に蘇る懐かしい光景と現在のそれが重なり、やがて一つになった時、私は我に返った心地で辺りを見回しました。

 ここは魔王城ではありません。学校です。玄関付近の廊下です。今まさに登校してきたばかりの沢山の生徒達が、私達の方を何事かと注視していました。

「え、魔お……何?」
「厨二病?」
「誰あれ。他校生?」
「ちょっとカッコイイのに、何か残念……」

 ざわめく観衆の中から、「夜見野の知り合い?」と麗城さんの取り巻きの声が聞こえてくると、私は内心慌てました。

「人違いです。私は貴方なんて知りません」

 ぴしりと言ってやりましたが、勇者と同じ顔のその人は、全く聞く耳を持ちませんでした。

「いいや、間違いない! 多少姿が変わっても、俺には分かる!」

 どこから来るんですか、その自信は……。
 ツッコミたいのを堪える私を、彼は更にまじまじと観察しながら続けました。

「それにしても、本当に大分変わったな。角がないのは当然としても、童顔になったというか、可愛げが出たというか……。それに、何故スカートを穿いている? まさか、女性のフリをして俺の目を欺こうとしているのか?」
「……いいえ、私、本物の女子ですので」
「なんと! 魔王アークが現在は女子おなごだと!?」
「やめてください。私は本当に貴方なんか知りません」

 今一度きっぱりと斬り捨てて、そのまま立ち去ろうと歩み出した私でしたが、勇者(仮)は放っておいてはくれません。あろうことか、私の後に付いてきます。

「上履きはどうした? アーク」
「アークじゃありません。夜見野 真桜です。無くしました」
「闇の魔王? そのままの名前だな。無くしたとは、しっかり者のお前らしくもない」
「初対面の貴方に私の何が分かるというんですか。というか、付いてこないでください。ストーカーですか。警察呼びますよ」
剣崎けんざき!」

 第三者の声が割って入ってきたのは、その時でした。
 私と勇者(仮)が同時に見遣ると、B組の担任の男性教師が息を切らせてこちらを睨んでいました。……正確には私の隣の勇者(仮)を。

「いきなり駆け出して、どこに行ったのかと思ったぞ! まだ説明が途中だっただろう。来なさい、全く!」

 勇者(仮)はまだ何か言いたげでしたが、ぷりぷりお怒りの様子の先生に半ば強引に連れ去られていきました。私は内心で先生にグッジョブと親指を立てたのでした。


   ◆◇◆


「あの人、B組の転校生だってさ」
「何でこの時期に? まだ入学してすぐじゃん」
「剣崎 勇翔ゆうとっていうらしいよ」
「あの目、外国人とのクォーターだって」

 妙な白ランの男子生徒の噂は、瞬く間に校内を駆け巡りました。朝のSHRショートホームルームが終わる頃には、私の所属するA組の教室でも早速彼の事が話題になっています。

 ――剣崎 勇翔。

 貴方だって、そのままじゃないですか。
 名前だけじゃなくて、本当に何もかも。

 恨みがましい気分で視線を落とすと、無防備に靴下のままさらけ出された自分の足が視界に入りました。あの後、彼と鉢合わせる気がしたので職員室には寄れず、結局スリッパを借りられなかったのです。――情けない姿。

 私なんて性別は違うし、角は無いし、色彩だって日本人ライズされて、紫の髪は黒に。紅の瞳は茶色になっているというのに……。(多少紫がかったり赤みがかったりはしていますが)
 何故、これで私だと見抜いたのでしょう?

 そう、私の前世は実は彼の言う通り。アーク・ノダイマ・オーギュスト・エル・ドラシア(以下略)――異世界の魔王だったのです。

 生まれつき覚えていた訳ではありません。自分の前世の事を思い出したのは、あの夢を見るようになってからです。
 最初の頃は、あれが何かも分かっていませんでした。けれど、あの夢を機に、次第に他の記憶も蘇っていったのです。
 あの夢は、私の前世の最後の記憶。その瞬間を、私は繰り返し夢として見ていたのでした。
 
『お前がどこに逃げても、絶対に見つけ出す! 決着が着くまで、俺は絶対に諦めない! 何度でも何度でも、俺はお前の前に現れる……待っていろ!』

 夢の中の――実際には、前世の彼の言葉が脳裏を去来して、私は背筋を震わせました。
 最近やたらにあの夢を見る回数が増えていたのは、きっと予兆だったのでしょう。こうして、あの言葉が真になるということの。なんという執念でしょう。

 冗談じゃありません。私は今世では魔法も使えない、ごく普通の女子高生なのです。人類滅亡など企んでもいないし、討伐される謂れはありません。
 第一、あの善良な両親に余計な心配を掛けたくはありません。平凡に、平和に地味に生きていくと決めたのです。
 まさか勇者、ユート・クェン・ザクリートが転生してまで追ってくるとは思っていませんでしたが、ここは何としても白を切り通すのです。

 新たな決意を胸に、私は密かに机の下で拳を固めました。――直後。

「頼もう!」
「!?」

 勢いよく扉が開かれると同時に、今一番聞きたくなかったあの声が轟いたのです。
 教室内は一瞬、静まり返りました。皆の視線は、開け放たれた扉の先に向けられています。そこに居たのは勿論、話題のあの人――剣崎 勇翔でした。

「魔王アーク……いや、夜見野 真桜! 改めて、決闘を申し込む!」

 どよめくクラスメイト達。頭痛を覚える私。いっそ、これも夢であってくれたら良かったのに。集まる視線に促されるようにして、私は重い口を開きました。

「お断りします。お帰りください」
「窓際の最後尾の席か。景観はいいが、授業中よそ見をしてしまわないか」
「あの、話聞いてます? 勝手に入って来ないでください」
「一時限目は数学か。よし、どちらがより多くの計算を解けるか、勝負だ!」
「いや、あなたB組ですよね。隣のクラスにお帰りください」
「それなんだが、こちらの担任に直談判しようと思う。B組の担任では『ダメだ』の一点張りで話にならない」
「何がですか」
「お前と同じクラスにして貰う」

 絶句しました。いや、ここで黙ってしまっては、勝手に話を決められかねません。頑張るのです、私。

「真顔で何冗談言ってるんですか。全く面白くありませんよ」
「冗談ではない。本気だ」
「尚悪いじゃないですか」
「それに、真顔はお前もそうだろう。相変わらずの無表情っぷりで、少し安心したぞ」
「何に安心してるんですか。とにかく、迷惑です。私は貴方なんて知りませんので、もう二度と関わらないでください」

 次の言葉を紡ごうと彼が口を開きかけたその時、またも凄まじい勢いで教室の扉が開かれました。

「剣崎ぃいい!!」
「おぉ、B組担任」
「クラス変更は無理だと言っただろう! よそのクラスに迷惑をかけるんじゃない! ほら、戻るぞ!」
「しかし」
「しかしもカカシもない!」

 そうして再び、彼は怒れる飼育員……もといB組担任の手によって隣のクラスに連れ戻されていったのですが……。私の不安は収まるどころか、膨れ上がる一方でした。
 彼は前世で幾度私に敗れても懲りずに何度も魔王城に攻め込んできた、あの勇者の生まれ変わりです。当然のように、簡単に諦めてくれるような男ではなかったのです。
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