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第6話 飾りの王に、無知の冠を。

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 触れた指先から、ひやりと硬い感触が返ってきました。
 添うように掌を這わせると、呼気を整え、ゆっくりと接点に魔力を集中させていきます。
 見上げる大きさの透明な色のない多面体の石は、力を吸うと徐々に仄赤く色付いていき、やがては向こう側も見えないくらい、血のように見事な真紅に染まっていきました。

 魔力の充填が最大限に達したのを確認してから手を離すと、途端に回るような目眩を覚え、私は咄嗟にこめかみを押さえてその場に屈み込みました。
 全身が重怠い疲労感に包まれ、冷たい汗を掻いています。魔座石まくらいしに魔力を注ぎ込んだ後は、いつもこうでした。

 城の最奥、〝祈りの間〟と呼ばれる場所に置かれたその巨大な石に、毎日魔力を注ぐことが私の職務でした。
 魔座石と呼ばれるそれは、魔族のみが持つ魔力を蓄えることで、魔法という奇跡を起こす特殊な鉱石です。元来は水晶のように透明ですが、魔力を蓄えると紅玉のように真っ赤な色に変わります。
 魔族国では大小様々なこれが流通し、何事も魔法で事を為す風潮がありました。

 城の石は他のそれとは機能が異なり、蓄えた力をの全ての魔座石に転送する性質を備えていました。言うなれば、母石のようなもの。
 国で一番魔力の高い者――選ばれし魔王がこの母石に魔力を注ぎ込むことで、魔座石を持つ国民達の生活の基盤を支えるのです。

 魔族といえど、全ての者が魔力を持つわけではありませんし(むしろ、稀です)、その所有量にも差があります。
 皆が平等に魔法の恩恵に預かれるように、国民の為に魔力を捧げる。それが、魔王のお役目。

 ぶっちゃけ、他にやることはありません。まつりごとは全て大臣達が取り仕切っていて、私が関与することはありませんでした。
 何せ私が玉座に就いたのは、赤子の頃でしたから。表向きの最高権力者は私ですが、何も分からない私に代わって、実質大臣達が国を治めているのです。

「魔王様、祈りの最中に恐縮ですが、申し上げたき儀がございます」

 不意に、室外から声が掛かりました。大臣の一人です。職務中に話しかけてくるなんて、余程の緊急事態に違いありません。

「構いません。用件を」

 私が促すと、大臣は一瞬躊躇う間を置いて、次のように述べました。

「――勇者です」

 扉越しに溜息すらも聞こえてきそうな鬱屈とした声音でした。たったそれだけで、全てを察しました。

「またですか」

 そう……先頃、勇者、ユート・クェン・ザクリートが突如魔王城に攻め込んで来てからというもの、奴は何度追い返しても、懲りずに魔王城を訪ねてくるようになったのです。

「いつものように、決闘の間に通してありますが……祈りの直後では魔王様のお身体に障るでしょう。如何なさいますか?」
「構いません。私が相手をします」

 勇者の力は圧倒的で、城の者では誰も彼に敵いません。なので、ここでも一番魔力の高い私が担ぎ上げられることとなったのです。
 彼の度重なる襲撃に、今では他に被害を出さない為(主に城の建造物に)、広間の一つを〝決闘の間〟として解放し、予めそこに勇者を通すという何ともな方針が出来上がっていました。

「魔王様。お言葉ですが、何故あやつを生かしておくのです」

 出し抜けに問われて、私は数瞬答えに詰まりました。国の為を思うのならば勇者を殺せと、大臣達にはいつも口を酸っぱくして言われていたのです。

「勇者の力が強く、いつもトドメを刺すに至らず、逃げられてしまうのです。……不甲斐ないです」

 嘘でしたが、大臣はそれ以上の言及は避けてくれました。勇者が強いのは、本当のことですから。

「それよりも、大臣。勇者が気になることを言っていました。我が国が彼らの国を侵略し、人間を滅ぼそうとしているなどと……。だから、私を倒すのだと」
「何を馬鹿な。騙されてはいけません、魔王様。人間共は、我が国の持つ魔座石を狙っているのです。魔法の力を自分達のものにしようと企み、我が国を侵略しようとしているのです。逆ですよ、逆。人間共こそが極悪なのです」
「そうなのですか……」
「そうです。だから、早いところあの者の命を絶ち、民に安心を与えてください。それが出来るのは、貴方様だけですよ、魔王アーク」

 大臣はそう言うけれど、私にはどうも、あの勇者がそんなに悪い者には見えませんでした。
 勇者、ユート・クェン・ザクリート。驚く程に実直で、敵である私達魔族の生命でも無為に奪うことを良しとせず、魔族国の頂点(名ばかりとはいえ)である私にだけ狙いを定めてくる、変わり者です。
 歴代の勇者は毎度周囲にも甚大な被害をもたらしてきたというのに、彼だけが例外です。

 私は、彼のことがどうにも気に掛かるというか……幼い頃より親元から引き離され、歳の近い友も居らず、役目にだけ没頭してきた私にとって、彼は唯一真っ直ぐに私にぶつかってきた、初めての存在だったのです。
 だから、殺したくない……というのが、本音でした。
 けれど、大臣の言う通り。いつまでもこのままで良いわけがありません。私はそろそろ覚悟を決めるべきなのかもしれません。

 しかし、今日は間が悪い……。大臣にはああ言いましたが、正直祈りの直後ではまともに立っていることも辛い状態です。
 魔力は生命力と同義。休めば多少回復はしますが、一度に消耗し過ぎると、死に至る危険性もあります。だから、代々の魔王は早逝なのです。

 くなる上は、私の魔力が完全に尽きる前に、諸共に――。
 そうした悲愴な決意を抱いて、決闘の間へ赴くと、待ち構えていた勇者は開口一番にこう言いました。

「どうした、魔王アーク。今日は随分と調子が悪そうだな」

 彼はすぐに私の変化に気が付いたのです。
 そうして、私が黙して答えずにいると――。

「相手の具合の悪さに付け込むような真似はしたくない。今日は休んで、早く元気になれ。全快の時に改めて再戦を願おう」

 なんと、そう言って、剣を腰の鞘に収めたのです。
 私は我が目と耳を疑いました。

「何故です。私は貴方の敵なのでしょう」
「そうだが、だからといって卑怯なことはしたくない。……それに、どうも俺には、お前がそこまで凶悪な存在には思えないのだ。魔王アークよ。お前は言ったな。飛び回る羽虫をわざわざひねり潰すようなことはしないと。お前は虫を殺さない。そんな奴が、人類滅亡を指示しているとは思えないのだ。あの計画の命令を下しているのは、本当にお前なのか?」
「……何を言っているのです? 私は騙されませんよ。貴方方人間達こそが、私達魔族を脅かしているのでしょう」
「何?」
「私達は、ただ平和に静かに暮らしていたいだけなのです。だから……」

 そこで、突如視界が大きく揺らぎました。どうやら、この状態で喋り過ぎたようです。

「魔王っ……おい、魔王アーク!」

 勇者の呼び声が、どこか遠くに聞こえました。
 心配そうな声。――ああ、貴方は。
 敵である私のことまで気に掛けてくれるのですね。本当に、変わり者です。

 私の意識は、そのまま深い闇に飲み込まれていきました。
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