上 下
64 / 75

ダークマター覚醒

しおりを挟む
「セフィアルを離せぇえええッ!」
俺は最悪の選択をしてしまった。
怒りで頭に血が昇り、何の策もないまま魔法貴族のジーモンに飛びかかってしまったのだ。

「ええいッ、歯向かうつもりかッ、この平民ふぜいがッ!」
ジーモンが部下の持っていた槍を取り上げると、柄の部分で思い切り俺を突いてくる。
普段ならどうということない一撃だ。

だが、今の俺にはプロテクション・スフィアの守りはない。
致命の一打を喰らった俺の視界が、真っ赤に染まる。
たった4しかないHPが、あっという間に減っていって消えていく。

吹っ飛ばされた俺の体が、地面へと叩きつけられるまでがやけに遅い。
時間が走馬灯のように、ゆっくりと過ぎていくのを感じる。

セフィアルとレクイルが、泣きながら何かを叫んでいるのが見える。
スノウも全身から雷を発し始めている。

ああ、俺は死ぬのか?
こんなところで魔法も使えずに?

思えばネビュラ・メイガスになったことが、失敗だったのか?
やはりエクレールの言う事を、よく聞けばよかった。
俺の独りよがりのこだわりのせいで、皆に迷惑をかけてしまった。

視界が消え去り意識がぼんやりとする中で、気が付けば俺は何もない冷たく真っ暗な空間を漂っていた。

「このまま消えてしまうつもりですか。」
いつの間に現れたのか、長髪を足元まで伸ばした女性が俺を見下ろしている。
暗い空間よりもさらに黒い彼女の髪は、何もない空間で唯一うっすらと輝いている。
顔はぼやけていてよく見えない。

「俺は死んだのか?」
「まだです。ですがこのままいけば、遠からずそうなるでしょう。」
「そうか・・・」
「諦めるのですか?貴方が死ねば、後に残された者達はどうなりますか。」

そうだ。このまま俺が死んだら、セフィアルはどうなる?
あの豚野郎にのセフィアルが、汚されてしまう。

いやセフィアルだけじゃない、あのデブはレクイルにだって手を出すに決まっている。
結晶獣のスノウだって見逃すはずはない。捕まって家畜の様に扱われてしまう。

の仲間がそんな目に会うなんて、そんなことは絶対に許さない。

「ならば見せて見なさい。貴方の怒りを、執着を」

そう俺は、いままでどこかでこの世界を舐めていた。
偶然に手に入れたこの力を、さしたる目的もなく振るって満足してきた。

この世界は、本来俺のいた世界とは違う。だけどこの世界の人々も必死に生きている。
人も獣人もエルフも、オーガでさえそうだろう。
俺はお気楽に、観光客気分でその営みに加わって来ただけだった。

だけど新しい世界でスノウをパートナーにして、セフィアルとレクイルに出会い。
本当に大切な仲間を得ることができた。

失いたくない、これだけは絶対に!
俺の怒りが、生への執着が、大きく膨れ上がり、限界まで達した。

「そうです。それがあなたの力の源泉。よく見てごらんなさい。あなたの周囲を」

いままで何もない真っ暗な空間だと思っていたのに、俺の真下には巨大な星が存在していた。
ここは宇宙?

星の表面には美しい青色の海と真っ白な雲、それに大きな大陸が見える。
地球ではない。きっとこの世界のある惑星だろう。

そして何もないはずの暗い空間から、とてつもない魔力を感じる。
これはマナ?

「そうです。それが魔術の深淵、ダークマターです。」

ダークマター・・・
確かに感じる。この暗く冷たい空間に漂う力を。

魔法を使うときには、魔力(マナ)を消費して術を発動する。
それは、いいかえれば魔力(マナ)を燃やして、そのエネルギーで魔法を行使しているということ。

今ならわかる。俺はこれまで魔力を十分には活用していなかった。
大部分のマナを無駄にして、本当の意味での魔法を使ってはいなかったのだ。

「ダークマターを知ることが、ネビュラより続く深淵への入り口。貴方は扉を開けたのです。」
薄れゆく意識の中で、黒髪の女性の声が俺の脳裏に響いてくる。

どのくらいの時間が経ったのだろうか?
ジーモンにやられて、俺のHPは確かに1も残っていなかった。
1にも満たないHP、それが失られる刹那、わずかに残った最後の0.000001が消費される瞬間に、俺はネビュラ・メイガスに覚醒した。

「まだ、抵抗するつもりかッ!」
静かに起き上がる俺を見て、ジーモンが叫びながら槍の穂を突き刺してくる。

「・・・ネビュラ・スパイラル・・・」

俺が呟くと、俺を中心に光と闇の混ざったマナの渦が発生する。
渦は一瞬で、図書館のホール全体を巻き込んで荒れ狂う。
巨大な渦の流れに巻き込まれたジーモンとその部下達は、壁や天井に叩きつけられる。
渦が引いた後には、俺達以外に立っている者はいなかった。

「タ、タケルさん・・・」
ポツンと残されたセフィアルが呆然となっている。

「グ、グウゥ、き、貴様・・・こ、このままで済むと思うなよ。
ま、魔法貴族である・・・お、俺様に危害を加えたこと国が許さんぞ。」
吹き飛ばされたジーモンは、床にひれ伏しながらも全力で俺を睨みつけてくる。
衝撃で息も絶え絶えのくせに、腐ったプライドだけは健在らしい。

「それがどうした」
「な、なにぃ?」
「貴族だろうがなんだろうが俺の知ったことかッ!覚えておけ。俺の仲間に手を出そうというのなら容赦はしない。」
「ふ、ふざけるな。そ、そんなことが、この魔法王国で許されるとでも・・・」
「国が許さないというなら、国家とでも闘うまでだ。」
「バ、バカなッ?!・・・」
力尽きたジーモンは意識を失った。それを見届けた俺は仲間達に声をかける。

「セフィアル、レクイル、スノウ・・・帰ろうか」

「ハイッ!」「タケルお兄ちゃんッ!」「ワウッ!ワウッ!」

「あーん、待ってよ。私も忘れないでよ。」
動き出した俺達を見て、ユーディットも慌てて後をついてくる。

倒れ伏すジーモン達には一瞥もくれずに、俺たちは図書館を後にした。
しおりを挟む

処理中です...