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第十二話 零式陸攻の強化
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ニューギニア沖海戦の時点で零式陸攻とそのエンジンは制式採用からすでに2年が経過していた。当然ながらその間に性能向上の改良が行われている。
火星エンジンは水メタノール噴射を備えた火星三一型が1941年(昭和十六年)に制式化されている。このエンジンを搭載した零式陸攻一二型が現在生産されている型式である。
◇A10c (火星三一型)
形式:複列14気筒星型
ボアxストローク
:160mmx170mm
排気量:47.83L
全長:1,820mm
全幅:1,370mm
乾燥重量:910kg
過給機:遠心式スーパーチャージャー1段2速
特記事項:水メタノール噴射、高ブースト
離昇馬力:2,200HP / 2,600RPM +450mmhg
一速全開:2,000HP / 2,500RPM +300mmhg 高度2,100m
二速全開:1,830HP / 2,500RPM +300mmhg 高度5,500m
見ての通りA10cは既に十分な高出力を発揮している。だがこれですら三菱発動機の深尾にとっては、単なる通過点に過ぎなかった。
彼の目標は、かつてP&W社で写真を見せられたR-2800ダブルワスプエンジン、それを超えるエンジンを作ることだった。
■土星エンジンの開発
時は少し遡る。
1938年(昭和十三年)にダイナミックダンパーを装備したA10bが火星二一型として採用され、とりあえず実用性と信頼性が確保された事で、深尾は新たなエンジンの開発を指示した。
社内開発コードA18aと名付けられたそのエンジンは、火星を18気筒化するものとして計画された。これで深尾はR-2800を超える事を目指していた。
その際に深尾は、設計主務を命じた荘村技師に以下のように注意している。
「いいか、まず無理な設計はするな。100時間連続でぶん回せるエンジンを目指せ。それと後列の冷却には注意しろ。どうやらP&W社もそこで苦労しているらしい。分かったな」
こうしてA18aの試作機は翌1939年(昭和十四年)6月に完成した。
荘村は深尾の指示を忠実に守った。ピストンや燃焼室、回転数や過給は実績のある火星二一型と変わらない。銀すべり軸受も改良が続いておりクランクシャフト、軸受周りの問題も起きなかった。
冷却についても注意が払われている。A18aは火星同様にカムを前後独立させている。さらに18気筒化でクランクケース径が大きくなった分だけ熱的な負荷の大きなシリンダー上部の空間的な余裕が生まれていた。
それでも荘村は念を入れてシリンダーの放熱フィンを当時の鋳造技術の限界まで薄くした。また排気管の形状にも注意し後列への空気の流れを妨げない配慮をした。
このため懸念した冷却上の問題は発生しなかった。A18aは1939年(昭和十四年)秋に陸海軍の両方に採用された。そのあまりの巨大さに陸海軍の担当者は再び白目を剥いたという。
◇A18a(土星一一型/ハ104)
形式:複列18気筒星型
ボアxストローク
:160mmx170mm
排気量:61.49L
全長:1,820mm
全幅:1,410mm
乾燥重量:1100kg
過給機:遠心式スーパーチャージャー1段2速
特記事項:ダイナミックダンパー、バランサーシャフト、銀すべり軸受
離昇馬力:2,580HP / 2,600RPM +310mmhg
一速全開:2,350HP / 2,500RPM +200mmhg 高度1,400m
二速全開:2,220HP / 2,500RPM +200mmhg 高度4,900m
このエンジンは制式化されたものの当時は火星エンジンで十分であったため陸海軍機には使用されなかった。
だが水メタノール噴射を装備したA18bは、ちょうど防御や兵装重量が増す必要があった零式陸攻の改良型や陸軍の四式重爆撃機にも採用されることとなる。
◇A18b(土星二一型/ハ214)
形式:複列18気筒星型
ボアxストローク
:160mmx170mm
排気量:61.49L
全長:1,820mm
全幅:1,410mm
乾燥重量:1100kg
過給機:遠心式スーパーチャージャー1段2速
特記事項:水メタノール噴射、高ブースト
離昇馬力:2,910HP / 2,600RPM +450mmhg
一速全開:2,590HP / 2,500RPM +300mmhg 高度2,100m
二速全開:2,450HP / 2,500RPM +300mmhg 高度5,500m
土星は1トンを超える巨体となったが、それに見合った日本で最大の出力を発揮するエンジンとなった。また出力の割に信頼性も高かったため、終戦の日まで日本軍の大型機を支えるエンジンとして使用されていくこととなる。
■零式陸攻の強化
当時は十二試陸上攻撃機の試作機がようやく完成し審査が開始されていた頃である。すでにこの時、海軍は審査の合格を見越して三菱に対し土星エンジンの換装検討を内示していた。
そして1941年(昭和十六年)1月、海軍はこれとは別に十六試陸上攻撃機の要求仕様を三菱に対して提示した。
これは十二試陸上攻撃機の1.4倍の速度、2.4倍の航続距離を双発で達成せよという過酷なものであった。これに対し零式陸攻を設計した本庄は四発機を主張したが認められなかった。
このように海軍と三菱の間で十六試陸上攻撃機の議論が空転している間に情勢が大きく変わった。1942年(昭和十七年)6月、ミッドウェー海戦で日本海軍は空母4隻を一挙に失う大敗を喫したのである。
この結果、制空権が確保されていない海域で艦艇が行動する事の危険性が認識された。
だが、敵戦闘機がいても単独で活動できる戦力を日本は既に持っていた。零式陸攻である。海軍は零式陸攻をより積極的に活用するとともに、三菱に対して土星エンジンへの換装を主軸とした零式陸攻の強化を正式に指示した。
この指示の中で海軍はこれまでと異なり、初めて兵装搭載量の増加を要求した。それは零式陸攻の倍、800キロ爆弾または800キロ魚雷2本、あるいは1.5トン魚雷1本を搭載せよというものだった。
つまりは十六試陸上攻撃機の時に要求した速度、航続距離を諦める代わりに攻撃力を増そうというのである。
「1.5トン魚雷?それはどういうものですか?」
空技廠での技術会議の場で、再び設計主務者と務めることとなった本庄が質問した。
「九四式航空魚雷一型だ。8年前に制式化はされているが……」
空技廠の技官が答えるが歯切れが悪い。実はこの魚雷、1934年(昭和九年)に一度は制式化されたものだが現在は配備されてはいないものだった。
元々は大艇や大攻への搭載を目論んで開発されたが、ものが酸素魚雷であるため運用面で実戦部隊と折り合いがつかず配備されなかったという事情がある。
海軍は零式陸攻の能力が高い事から、改めてこの魚雷の配備を再検討していた。さらに戦訓から二式大艇のような動力銃座の装備と防御力の更なる向上も要求している。
「確認しますが、速力と航続距離は変更なしとあります。これに間違いはありませんね」
再び設計主務者を務めることになった本庄が質問した。
「くどい!以前も言ったはずだ!用兵については軍が決めると。三菱は余計な事を考えるな!」
和田操航空技廠長が声を荒げる。本庄は以前と同じように謝罪すると素直に引き下がった。
名古屋に戻った本庄は設計チームの面々を招集した。そして彼らに設計方針を宣言した。
「今回も海軍の言質はとってある。土星換装で増加する出力すべてを搭載量と防御強化に割り振る。その方針で設計にあたってくれ」
集まった技師らを見回して本庄は宣言した。
発動機の変更に伴い燃料消費率が大幅に増加する。この点を本庄は胴体内燃料タンクの増積はするが、足りない分は翼下に落下増槽を備える事でクリアする事とした。つまり胴体の変更はあまり行わないという方針である。
防御の強化については、敵が操縦席を狙う事が多くなっていることから、前方に指向できる動力銃座の追加と操縦席周辺の装甲強化・防弾ガラスの追加を行った。
この動力銃座は二式大艇と同系統の一式動力銃架二二型で、機銃は零式13ミリ機銃の連装となっている。
これらの変更により大幅に増加した重量を支えるため、翼長が左右50センチずつ延長され全幅が28メートルを超える事となった。
試作機は同年11月に完成し、審査を経て翌年1943年(昭和十八年)4月に零式陸攻二三型として採用された。
◇零式陸上攻撃機二三型(G4M2)
全長:21.5m
全幅:28.5m
自重:14.8t
全備重量:25.2t
発動機:土星二一型 離床2910HP
最高速度:437km/h(高度5500m)
爆装:800kg爆弾2発
雷装:1.5t魚雷1発または800kg魚雷2発
武装:零式13ミリ機銃6挺
(前方・側方・後方各1挺、上部動力銃座連装2挺)
この二三型が基本的に終戦の日まで生産される零式陸攻の最後の型式となった。
【後書き】
ただでさえデカい本作の火星エンジンを18気筒化したら、トンデモない大きさのエンジンになってしまいました。B-29のR-3350、シーフューリーのセントーラスより大きなエンジンです。R-4360よりは小さいですが。
そんなエンジンを双発にすれば2基あわせて離床5800馬力!こんだけあれば何でもできますね(暴言)。もう逆立ちしても機内に十分な燃料を搭載できないので戦闘機みたいに増槽を使う事になります。
米海軍の活動は低調になりましたが、珊瑚海海戦とミッドウェー海戦は日本軍主導のため史実通り発生しています。
作者のモチベーションアップになりますので、よろしければ感想をお願いいたします。
火星エンジンは水メタノール噴射を備えた火星三一型が1941年(昭和十六年)に制式化されている。このエンジンを搭載した零式陸攻一二型が現在生産されている型式である。
◇A10c (火星三一型)
形式:複列14気筒星型
ボアxストローク
:160mmx170mm
排気量:47.83L
全長:1,820mm
全幅:1,370mm
乾燥重量:910kg
過給機:遠心式スーパーチャージャー1段2速
特記事項:水メタノール噴射、高ブースト
離昇馬力:2,200HP / 2,600RPM +450mmhg
一速全開:2,000HP / 2,500RPM +300mmhg 高度2,100m
二速全開:1,830HP / 2,500RPM +300mmhg 高度5,500m
見ての通りA10cは既に十分な高出力を発揮している。だがこれですら三菱発動機の深尾にとっては、単なる通過点に過ぎなかった。
彼の目標は、かつてP&W社で写真を見せられたR-2800ダブルワスプエンジン、それを超えるエンジンを作ることだった。
■土星エンジンの開発
時は少し遡る。
1938年(昭和十三年)にダイナミックダンパーを装備したA10bが火星二一型として採用され、とりあえず実用性と信頼性が確保された事で、深尾は新たなエンジンの開発を指示した。
社内開発コードA18aと名付けられたそのエンジンは、火星を18気筒化するものとして計画された。これで深尾はR-2800を超える事を目指していた。
その際に深尾は、設計主務を命じた荘村技師に以下のように注意している。
「いいか、まず無理な設計はするな。100時間連続でぶん回せるエンジンを目指せ。それと後列の冷却には注意しろ。どうやらP&W社もそこで苦労しているらしい。分かったな」
こうしてA18aの試作機は翌1939年(昭和十四年)6月に完成した。
荘村は深尾の指示を忠実に守った。ピストンや燃焼室、回転数や過給は実績のある火星二一型と変わらない。銀すべり軸受も改良が続いておりクランクシャフト、軸受周りの問題も起きなかった。
冷却についても注意が払われている。A18aは火星同様にカムを前後独立させている。さらに18気筒化でクランクケース径が大きくなった分だけ熱的な負荷の大きなシリンダー上部の空間的な余裕が生まれていた。
それでも荘村は念を入れてシリンダーの放熱フィンを当時の鋳造技術の限界まで薄くした。また排気管の形状にも注意し後列への空気の流れを妨げない配慮をした。
このため懸念した冷却上の問題は発生しなかった。A18aは1939年(昭和十四年)秋に陸海軍の両方に採用された。そのあまりの巨大さに陸海軍の担当者は再び白目を剥いたという。
◇A18a(土星一一型/ハ104)
形式:複列18気筒星型
ボアxストローク
:160mmx170mm
排気量:61.49L
全長:1,820mm
全幅:1,410mm
乾燥重量:1100kg
過給機:遠心式スーパーチャージャー1段2速
特記事項:ダイナミックダンパー、バランサーシャフト、銀すべり軸受
離昇馬力:2,580HP / 2,600RPM +310mmhg
一速全開:2,350HP / 2,500RPM +200mmhg 高度1,400m
二速全開:2,220HP / 2,500RPM +200mmhg 高度4,900m
このエンジンは制式化されたものの当時は火星エンジンで十分であったため陸海軍機には使用されなかった。
だが水メタノール噴射を装備したA18bは、ちょうど防御や兵装重量が増す必要があった零式陸攻の改良型や陸軍の四式重爆撃機にも採用されることとなる。
◇A18b(土星二一型/ハ214)
形式:複列18気筒星型
ボアxストローク
:160mmx170mm
排気量:61.49L
全長:1,820mm
全幅:1,410mm
乾燥重量:1100kg
過給機:遠心式スーパーチャージャー1段2速
特記事項:水メタノール噴射、高ブースト
離昇馬力:2,910HP / 2,600RPM +450mmhg
一速全開:2,590HP / 2,500RPM +300mmhg 高度2,100m
二速全開:2,450HP / 2,500RPM +300mmhg 高度5,500m
土星は1トンを超える巨体となったが、それに見合った日本で最大の出力を発揮するエンジンとなった。また出力の割に信頼性も高かったため、終戦の日まで日本軍の大型機を支えるエンジンとして使用されていくこととなる。
■零式陸攻の強化
当時は十二試陸上攻撃機の試作機がようやく完成し審査が開始されていた頃である。すでにこの時、海軍は審査の合格を見越して三菱に対し土星エンジンの換装検討を内示していた。
そして1941年(昭和十六年)1月、海軍はこれとは別に十六試陸上攻撃機の要求仕様を三菱に対して提示した。
これは十二試陸上攻撃機の1.4倍の速度、2.4倍の航続距離を双発で達成せよという過酷なものであった。これに対し零式陸攻を設計した本庄は四発機を主張したが認められなかった。
このように海軍と三菱の間で十六試陸上攻撃機の議論が空転している間に情勢が大きく変わった。1942年(昭和十七年)6月、ミッドウェー海戦で日本海軍は空母4隻を一挙に失う大敗を喫したのである。
この結果、制空権が確保されていない海域で艦艇が行動する事の危険性が認識された。
だが、敵戦闘機がいても単独で活動できる戦力を日本は既に持っていた。零式陸攻である。海軍は零式陸攻をより積極的に活用するとともに、三菱に対して土星エンジンへの換装を主軸とした零式陸攻の強化を正式に指示した。
この指示の中で海軍はこれまでと異なり、初めて兵装搭載量の増加を要求した。それは零式陸攻の倍、800キロ爆弾または800キロ魚雷2本、あるいは1.5トン魚雷1本を搭載せよというものだった。
つまりは十六試陸上攻撃機の時に要求した速度、航続距離を諦める代わりに攻撃力を増そうというのである。
「1.5トン魚雷?それはどういうものですか?」
空技廠での技術会議の場で、再び設計主務者と務めることとなった本庄が質問した。
「九四式航空魚雷一型だ。8年前に制式化はされているが……」
空技廠の技官が答えるが歯切れが悪い。実はこの魚雷、1934年(昭和九年)に一度は制式化されたものだが現在は配備されてはいないものだった。
元々は大艇や大攻への搭載を目論んで開発されたが、ものが酸素魚雷であるため運用面で実戦部隊と折り合いがつかず配備されなかったという事情がある。
海軍は零式陸攻の能力が高い事から、改めてこの魚雷の配備を再検討していた。さらに戦訓から二式大艇のような動力銃座の装備と防御力の更なる向上も要求している。
「確認しますが、速力と航続距離は変更なしとあります。これに間違いはありませんね」
再び設計主務者を務めることになった本庄が質問した。
「くどい!以前も言ったはずだ!用兵については軍が決めると。三菱は余計な事を考えるな!」
和田操航空技廠長が声を荒げる。本庄は以前と同じように謝罪すると素直に引き下がった。
名古屋に戻った本庄は設計チームの面々を招集した。そして彼らに設計方針を宣言した。
「今回も海軍の言質はとってある。土星換装で増加する出力すべてを搭載量と防御強化に割り振る。その方針で設計にあたってくれ」
集まった技師らを見回して本庄は宣言した。
発動機の変更に伴い燃料消費率が大幅に増加する。この点を本庄は胴体内燃料タンクの増積はするが、足りない分は翼下に落下増槽を備える事でクリアする事とした。つまり胴体の変更はあまり行わないという方針である。
防御の強化については、敵が操縦席を狙う事が多くなっていることから、前方に指向できる動力銃座の追加と操縦席周辺の装甲強化・防弾ガラスの追加を行った。
この動力銃座は二式大艇と同系統の一式動力銃架二二型で、機銃は零式13ミリ機銃の連装となっている。
これらの変更により大幅に増加した重量を支えるため、翼長が左右50センチずつ延長され全幅が28メートルを超える事となった。
試作機は同年11月に完成し、審査を経て翌年1943年(昭和十八年)4月に零式陸攻二三型として採用された。
◇零式陸上攻撃機二三型(G4M2)
全長:21.5m
全幅:28.5m
自重:14.8t
全備重量:25.2t
発動機:土星二一型 離床2910HP
最高速度:437km/h(高度5500m)
爆装:800kg爆弾2発
雷装:1.5t魚雷1発または800kg魚雷2発
武装:零式13ミリ機銃6挺
(前方・側方・後方各1挺、上部動力銃座連装2挺)
この二三型が基本的に終戦の日まで生産される零式陸攻の最後の型式となった。
【後書き】
ただでさえデカい本作の火星エンジンを18気筒化したら、トンデモない大きさのエンジンになってしまいました。B-29のR-3350、シーフューリーのセントーラスより大きなエンジンです。R-4360よりは小さいですが。
そんなエンジンを双発にすれば2基あわせて離床5800馬力!こんだけあれば何でもできますね(暴言)。もう逆立ちしても機内に十分な燃料を搭載できないので戦闘機みたいに増槽を使う事になります。
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