千物語

松田 かおる

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記憶を消す男

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オレは、他人の記憶を「消す」事ができる力を持っている。
正確には、他人の持っている記憶をオレに「移す」力を持っている。
その力を使って、「思い出したくない記憶」「忘れたい記憶」といった「自分に都合のよくない記憶」をオレに移して、結果として本人の記憶から完全に「消してしまう」ことができるのだ。

意外と世の中にはそういった需要が多いようで、オレのこの力は立派な商売として成り立っている。
ほとんど毎日、そういった「仕事」の依頼があるほどだ。
それだけ世の中には、「嫌なこと」や「忘れたいこと」が多いということなのだろう。
たまに「あの人との楽しかった記憶が思いだされると悲しくなるので、楽しかった記憶を消してくれ」という依頼もあるが、これは本当にまれな依頼だ。



「そういうことをしていて、自分の記憶と混同してしまうようなことはないのか?」と、聞かれることがある。
だがそこはうまくできているもので、実はオレには自分の記憶がないのだ。
厳密には、「一晩寝るとオレ自身の記憶も含めたすべての記憶が消える」と言った方がいいのだろう。
どんなに多くの他人の記憶をオレに移したところで、次の日には自身の記憶も移した記憶もなくなってしまうので、何の心配も問題もない。
もちろん、「仕事」の予定や本当に忘れてしまうと困ることは、しっかりとメモに残してはいる。
ただ次の日にそのメモを見ても、その時の記憶がないのでどうにも実感がわいてこない。
違和感に囲まれて暮らしているようで、少し居心地がよくない気分ではある。



ある朝。
目じりにたまった涙の感触でオレは目を覚ました。
「仕事」で嫌な記憶を扱った次の日にはよくあることなのだが、予定表のメモを見返しても昨日は「仕事」が入っていなかった。

では、どうして涙を流したのだろう…

もしかしたらオレの記憶がないのは、「自分の記憶を自分に移して消してしまい、他人の記憶を移すことで『新たなオレの記憶』として刻み込もうとしている」のではないか…
涙を流すのは「消したオレの記憶」が寝ている間に少しだけ甦っては消えて行っているから…なのではないだろうかと。

ふと、そんなことを考えた。

もちろんこれはオレの勝手な思い込みなので、そんなことはないかもしれない。

どっちにしても次の日には消えてしまう記憶、今ここで考えてみても意味がない。
そう自分に言い聞かせると、今日の予定のメモに少し違和感を覚えながらも集中することにした。
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