陽の当たる場所

松田 かおる

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窓から差し込む柔らかい陽射しを顔に受けて、僕は目を覚ました。
ベッドの上に身を起こして、まだ半分寝ぼけた目で窓の外を見ると、今日も空は青く、のどかだった。
窓を開けたら、春の陽気を思わせる風が、遠くでさえずっているヒバリの声を一緒に運び込んできた。
「今日もいい天気だなぁ…」
そんなのどかな光景を目にすると、思わずこんな言葉が口をついて出てしまう。
毎日毎日こんな感じで、まるで日課のようになってしまっている。
いつもと同じようにそんな光景を眺めていると、部屋のドアをノックする音がした。
「開いてるよ」
音のしたほうを振り向いて僕が答えると、ドアが開いて、
「オ目覚メデスカ、ゴ主人サマ」
そう言いながら執事ロボットのアルフレッドが、ワゴンを押しながら部屋に入ってきた。
ドラム缶に手足をくっつけたような、まさにロボットと言う表現がぴったりな形をしたアルフレッドがごろごろとワゴンを押しているその格好は、まるで作り物のオモチャの国から抜け出してきたようで、ちょっと滑稽にもみえる。
「やぁアルフ、おはよう」
僕が挨拶を送ると、アルフレッドは目をチカチカさせて、
「オハヨウゴザイマス、ゴ主人サマ。朝食ノオ時間デス」
アルフレッドはそう言うと、部屋のテーブルに朝食を並べ始めた。
朝食を並べながら、
「今日ノ朝食ハ、生ミタテノ卵ヲ使ッタべーこん・えっぐト、有機栽培ノ野菜ヲ使ッタぐりーん・さらだ、ソレトシボリタテノ牛乳デイレタかふぇおれデス」
と、今日のメニューを説明してくれた。
準備が終わったので、僕がテーブルにつくと、
「デハ、ゴユックリオ召シ上ガリ下サイ、ゴ主人サマ」
と、アルフレッドは言った。
 
「…なぁ、アルフ」
僕が斜め後ろに立っているアルフレッドに向かって言うと、アルフレッドは首の部分だけこちらを向いて、
「ハイ、ナンデショウ、ゴ主人サマ」
と答えた。
「何度も言うようで悪いんだけど、その『ご主人さま』っての、やめてくれないかな…」
ベーコンエッグをつっつきながら僕がそう言うと、アルフレッドは一瞬間を置いて、
「ナゼデスカ?」
不思議そうに聞き返してきた。
機械の言う言葉だから言葉にそれ程感情がこもっているわけではないのだけれど、アルフレッドくらいに年季の入っているロボットだと、感情的な言葉に聞こえてしまうのが不思議だ。
そんな事をふと考えながら、
「だって、僕は『ご主人さま』ってガラじゃないしさ、それに何だか堅苦しいじゃないか」
僕がそう言うと、アルフレッドは今度は間髪入れずに、
「デモ、ワタシノゴ主人サマデアル事ニ変ワリハアリマセン。 ソレニワタシハ、先々代ノ時カラズットオ仕エシテイマスノデ、ワタシガオ仕エスル方ハ、ミンナワタシノ『ゴ主人サマ』デス」
と答えた。
さすがに先々代から仕えているだけあって、頑固なものだ。
僕はアルフレッドのその言葉に対する返事を、ベーコンエッグのかけらと一緒に飲み込んだ。
 
それから15分後。
「ごちそうさま」
僕は朝食を片付け終わった。
アルフレッドはそれを見ると、
「ハイ、ドウゾ。 ゴ主人サマ」
そう言って、食後のコーヒーと一緒に、一粒の錠剤を差し出した。
僕はコーヒーと錠剤を受け取って、コーヒーと一緒に飲み込んだ。
「なぁ、アルフ」
「ハイ、ナンデショウ、ゴ主人サマ」
「前からずっと気になっていたんだけど…いつも食後に飲むこの薬、これは一体なんなんだい?」
僕が聞くと、アルフレッドは、
「ゴ主人サマハ小サイ頃カラオ体ガ弱イノデ、必ズコノ薬ヲ飲ンデイタダカナイト、ゴ主人サマノオ体ハタチドコロニ弱ッテシマイマス。 コレハ先代ノゴ主人サマカラノオ言イ付ケデモアリマス」
先代のご主人…つまり、僕の父。
その父も、僕が小さい時に死んでしまって、声くらいしか覚えていない。
事故で死んだ、とアルフレッドは言ってたっけ。
その今はもういない父の言い付けを守り続けていると言うのも、さすがにロボットらしいというか融通が効かないというか…
「でも、別に薬なんか飲まなくても、充分大丈夫だと思うんだけどなぁ」
僕がそう言うとアルフレッドは、
「ダメデス。 ゴ主人サマガソウ思ッテイテモ、決シテソウダトハ限リマセン。 ワタシノ言ウコトヲ聞イテクダサイ」
と、まるで子供を叱りつける母親のような口調で、僕に言った。
 
食事の後は軽い散策。
これもいつもと同じ日課だ。
散策とは言っても、屋敷の周りをアルフレッドと一緒に、しかも「体が弱いので」と言う理由で、車椅子に乗って。
しかもご丁寧に、膝掛けのおまけ付きだ。
まるで入院患者のお散歩の時間。
さすがにこれじゃ、散策の意味が全くないんじゃないか…と思って、アルフレッドに何度も言ってみた。
けれども返ってくる返事は、
「ゴ無理ヲシテハ、ゴ主人サマノ体ニ障リマス」
の一点張りだった。
ずっとそんな調子なので、最近は、『まぁ、日向ぼっこをするつもりでさえいれば、たいして気にならないか』と考えるようになっていた。
アルフレッドの短い足がちょこまかと動いて、僕の乗っている車椅子を押している。
僕はアルフレッドの押す車椅子に乗せられたまま、ただ辺りをきょろきょろと見回すだけだ。
いつも同じコースを回るので、周りの風景も見飽きてしまうのではないかと思ったけれど、同じ場所でも四季の移り変わりで、日々刻々とその姿を変えていく様子は、いつになっても飽きのくるものではなかった。
その中でも、とりわけ僕の興味を強くひく場所が、一つあった。
一つの大きな森。
ここからは、まるで世界の果てにでもあるかのように遠く離れているのに、それでも大きいと一目でわかる大きさ。
その想像を絶する大きさは、僕の興味をひくには充分すぎるものだった。
「…なぁ、アルフ」
僕が首をよじって言うと、
「ハイ、ナンデショウ、ゴ主人サマ」
アルフレッドは車椅子を押しながら応えた。
「あの向こうにある大きな森なんだけど、あそこには一体何があるんだろうな」
けれどもアルフレッドは僕の質問に答えず、黙って車椅子を押し続けた。
聞こえていないはずはないのに、何も答えないアルフレッドを不思議に思って、
「なぁ、アルフ」
と、もう一度聞き返してみた。
するとアルフレッドはほんの少し間を開けて、
「…アノ森ハ、当家ニ伝ワル『禁断ノ地』デス」
と、一言だけ言った。
「禁断の地?」
「ハイ、ソウデス。 先代、先々代ト、ズットソノヨウニ聞カサレテオリマス。 代々コノ家ニ受ケ継ガレテキタ言イ伝エナノデス。 『決シテアノ森ニハ近ヅイテハイケナイ』ト」
「どうして近づいちゃいけないんだろうね?」
僕が聞くと、アルフレッドは、
「ソレハ、ワカリマセン」
と、簡単に答えた。
「わからない?」
「ハイ、ワタシガコノ家ニオ仕エスル前カラ、ズットソウダッタノデ」
「そうかぁ…」
僕はそう言って、しばらく黙っていたけれど、
「アルフ、あの森に行ってみたいとは思わないか?」
興味半分で僕が聞くと、
「ダメデス」
アルフレッドはあっさりと言葉を返してきた。
「どうして。 行ってみたいと思わないのか? 『禁断の地』なんて、絶対に何かありそうじゃないか」
僕がそう言い返しても、アルフレッドは「ダメデス」「当家ニ伝ワル言イ伝エデス」の繰り返し。
まったくらちがあかない。
それでも僕は、
「アルフだってあそこに何があるかはわからないんだろう? だったら何があるか知りたいとは思わないか?」
と食い下がってみた。
すると、
「当家ノ言イ伝エヲ守ルノモ、ワタシノ仕事デス」
と言う返事が返ってきて、全く相手にならなかった。
さすがに僕もこれにはあきれて、
「好奇心がないなぁ」
と言うと、
「ろぼっとデスカラ」
と言う返事が返ってきた。
 
それっきりこの話題は出なくなったけれども、僕はあの森へ行くのを諦めたわけじゃなかった。
それどころか、僕の心の中で、以前にも増してあの森の占める割合が大きくなっていった。
そう、まるであの森そのもののように。
けれども僕一人の力では、あんな遠くにある森にまで一人で行ける自信がなかった。
途中で力尽きて倒れてしまうかもしれなかったからだ。
せめて僕に、あの森まで自分で歩いて行ける体力があったら…
このときばかりは自分の弱い体を恨めしく思った。
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