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第2章 ミシュバットの妖精王 編

第 87 話 トラッカー(追跡者)

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 30分と待たず、文化法暦省の職員2名がそれぞれ1頭ずつの予備馬を連れて「借家」にやってきた。エルグレドと篤樹は自分たちの昼食と荷物を袋に詰めて家を出る。外までの見送りはスレヤー1人だけだった。

「……では、スレイ。留守をお願いします。……すみません。難しい立場のまま置き去りにして……」

 エルグレドがすまなさそうにスレヤーに声をかける。

「まあ……大将にも色々と考えがあるんでしょ? 責任者ってのは大変ですよねぇ……。俺ぁ今回はムドベとサキシュの責任しか負ってねぇからまだ気楽ですけど」

 スレヤーの返事を受け、エルグレドは小声で伝える。

「軍部内にも『別の指揮系統』がありそうです。特にサキシュさんは『あちら側』の気配があります。ムドベさんは『こちら側』だと思いますが、何かの情報を得れば当然サキシュさんに情報共有するでしょう。とにかく、私達の情報は彼らに与えないようによろしくお願いします」

 スレヤーは当然と言う様に頷いた。エルグレドは微笑みながら続ける。

「先ほどはレイラさんも、あの2人がいなければ……私からもっと聞き出したかったんでしょうけどね……」

 そう言うと2階を見上げた。窓枠から覗いていたエシャーがフッと顔を引っ込める。エルグレドは苦く笑んだ。

「エシャーさんも気になってるでしょうね……。スレイ、今夜だけでもサキシュさんとムドベさんをどこか信頼出来る方のところへ預けられませんか?」

「分かりました。確実に『こちら側』の指揮系統に在る軍部の同僚がここに駐留していますから、何とかやってみましょう。そん代わり、大将の名前使わせてもらいますよ」

 スレヤーはニヤリと笑ってエルグレドに拳を突き出した。一瞬「ん?」という表情をしたエルグレドも、趣旨を理解すると拳を突き出しスレヤーの拳に合わせる。

「分かってるねぇ、大将! だから信頼出来るんでさぁ。こっちは任しといて下さい。……必ず2人とも、無事に戻って来て下さいよ」

 スレヤーは真剣な表情で別動となる2人の安全を願う。持ち前の嗅覚で、何か「ヤバイ匂い」を感じているのだろう。エルグレドは頷くと、職員達が引いてきた予備馬の1頭へ歩き出した。篤樹もスレヤーと拳を合わせてその後を追う。

 歩きながらエルグレドが篤樹に尋ねる。

「……アツキ君は乗馬の経験ありますか?」

「え? 馬ですか?……観光で1回だけ……」

 篤樹は、家族で九州旅行をした際に、熊本の山の上に在る観光地で乗った10分程度の乗馬体験を申告した。

「そうですか……。ま、今回は2人で乗りますから、私の前に座っていただきますね。それと『痛い時』には遠慮なく言って下さい。対処方法をその都度教えて上げますから」

 そう言うとサッと馬の背に乗る。

 えっと……痛いって? 何が?

 篤樹はエルグレドの注意の意味がよく分からないまま、とにかく指示されたように馬に乗ろうとする。しかし、どこにどう足を掛けて乗れば良いのかも分からない。
 結局、何度目かの挑戦が失敗した後、見かねたスレヤーが篤樹を持ちかかえて乗馬を手伝ってくれた。15歳にもなって「抱っこ」をされる恥ずかしさを倍増させたのは、2階の窓から見送るエシャーとレイラのニヤニヤ顔だった。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆ 


「さあ、着きましたよ!」

 背後からのエルグレドの声に篤樹は心底ホッとする。やっと馬から降りられる!
 エルグレドが言っていた「痛い時」は、ミシュバの町を出る前から始まった。とにかく、硬い鞍に股を開いて乗るという事が初体験だった。旅行の時は、観光客用に加工された座りやすい鞍だったし、歩速だって人がゆっくり歩く程度だったのでそれほど振動を感じなかったように記憶していた。しかし今回の『乗馬』はまるで拷問に遭っているようなものだった。

 尾てい骨が折れるかのような衝撃、お尻の皮が剥けるような痛みや、股関節が脱臼するのではないかという痛みを何度も体験し、その度に悲鳴を上げ、エルグレドに助けを求めた。
 エルグレドは馬の足を止めるでもなく「無理に股を開かないで」とか「あぶみに体重をかけてお尻を浮かして」などの指示をその都度教えてはくれたが、言われてすぐに理解と実行が初心者に出来るわけもない。

 遺跡に着いて馬を降りる時、篤樹は半泣き顔で真剣にエルグレドに訴えた。

「帰りは軍部か法暦省の馬車に乗せてもらえるようにお願いします!」

「そうですね。頼んでおきましょう。……でも、ここにいる間は乗馬の必要がいつ生じるかも知れませんから、あきらめないで基本だけでも練習されて下さい」

 こちらも冗談ではなく新たな課題を出されてしまった。

 そりゃ乗れるんならそれに越した事は無いでしょうけど……。もっとゆっくり練習させてくれればねぇ……

 エルグレドは救助隊本部まで手綱を引いて馬を連れ、近くにいた法暦省の職員に預けた。

「さすがに今日は多いですねぇ……」

 ミシュバット遺跡の「入口」となっている市街地大通りには、軍部の馬車だけで20台以上と法暦省関係の馬車が5台、それに馬が20頭以上いた。すでに軍部と法暦省の担当者間で救助と捜索・調査の段取りが打ち合わされているようで、いくつかのグループに分かれての動きが始まっている。人員は200名ほどいそうだ。

「すごい……」

 篤樹は、まるで映画で観る野戦陣地のような光景に思わず声を漏らした。エルグレドは篤樹の声に反応して口を開く。

「確かに、普通の襲撃犯なら……この様子を見れば手を出して来る事は無いでしょうね」

「え? 普通のって……。今回の事件は普通じゃない犯人ってことですか?」

 篤樹はエルグレドに訊ねる。エルグレドは通りから市街地全体を見渡すように視線を動かした。

「『妖精』は普通じゃありませんよ。……それ以上に、私の予想が合っていれば、この人数の法術士がいても『彼』なら平気で手を出して来るでしょうし……」

 「彼」って?……エルグレドさんは犯人に何か心当たりが? 遥が「止めたい」って言ってたヤツと同じ相手?

 まるで、賑わう商店街の雑踏の中に立っているかのような騒音の中、エルグレドの言葉の意味を篤樹はよく飲み込めないまま頷いた。
 そのまま2人は救助隊現地本部として仮設されているテントに向かい、特別探索隊2名としての登録を済ませる。

「補佐官殿。やはり警護兵を付けていただきませんと……。襲撃犯についてはまだ全く不明な状況ですし……」

 受付担当者は警護兵の随行をしきりに申し出る。

「私は法術指導資格を持つ上級法術士でもありますから大丈夫です。規則でも護衛の随行は任意となっていますし、同伴者は彼1名だけですので私が責任を持てますから。今日はあくまでも特命探索隊としての現地状況確認作業ですので、皆さんの業務に迷惑をかけたくありません。どうぞお気遣い無く」

 エルグレドは丁寧に、しかし、強く警護兵の辞退を申し出る。何が起こるか分からないからこそ、兵の同行は危険でもあるし邪魔になるとの判断だ。篤樹は外套の下に着ている服のポケットにそっと手を入れた。 成者しげるものつるぎは相変わらず「カッターナイフ形態」のままだが、かえって持ち運びには便利だなぁと指先に感じる。

「さ、アツキ君。行きましょう」

 現地本部受付担当者の困り果てた顔を見ると心が痛むが、篤樹はエルグレドの促しを受け、担当者に一礼をしてエルグレドの後に続いて歩き出した。

「……なんか申し訳なかったですねぇ」

 篤樹はエルグレドに声をかけた。エルグレドは笑みを浮かべながら答える。

「彼も仕事なので仕方ありませんが、私達の情報が『あちら側』に流れる可能性は極力排除しておきたいですからね。……本部テントの奥から隠れて見ていた人物に気づかれましたか?」

「え?……いや、全然」

「昨夜お話しした『文化部のミゾベさん』が、ずっと見ていたんですよ。護衛兵の随行は彼からの指示なのでしょう。私達が何をしているのか探っているようですね」

 篤樹は振り向いて本部テントを確認した。先ほどの受付の担当者の横に立っている男性が篤樹の視線に気付きハッ! とした様子でコソコソと奥へ移動して行く。

 あのオジさんがミゾベさんか……

「さて……ミラ従王妃自身が何かを企んでおられるのか、それとも何者かの企みにミラ様も利用されているのか……。2000年も前に滅んだミシュバット遺跡を巡ってどんな企みが動いているのか……。色々と調べ物が増えてしまいましたね」

 エルグレドが楽しそうに篤樹に語りかけた。

「……そうですね。……でも、僕的にはそんな大きな疑惑よりも、先ずは何で遥が僕にもここへ来るように声をかけてきたのか……。それと……エルグレドさんの秘密のほうが気になります」

 エルグレドは口の端を緩ませる。

「私の予想通りの『敵』が来たなら、必然的に私の秘密も全て知る事になりますよ。その時をお待ち下さい。……とりあえず現状を確認しに行きましょう」

 2人はミシュバット遺跡の市街地中央道に展開している、軍部と救助隊の群れの中に入って行った。

「ギルバート少尉!」

 軍部兵が集まっている中心に少尉を見つけたエルグレドが声をかけて近づく。篤樹はエルグレドとはぐれないように気をつけながらついていく。

「あ、エルグレド補佐官殿。昨日はどうも……おい! お前達は指示された区画へ急げ! 生存者を探すんだ!……すみません。被害人数が多くてまだまだ捜索作業が混乱しておりまして……」

「何名発見出来ましたか?」

 エルグレドはギルバートの背後に停められている馬車の荷台に目を向けながら尋ねた。新しい遺体収容袋がいくつか乗せられているのが見える。

「捜索開始後すぐに2名……こちらは右側街区路地で別々に発見されました。あとつい先ほど左側街区の小規模建物内で1名。昨夜の行方不明者14名の内3名が遺体で発見されています。……いずれも他と同じく法術攻撃による絶対死と見られます」

「捜索範囲は?」

「はい。何せこの遺跡ですから…… 追跡者トラッカー10名と感知法術に長けた者達で足跡追尾をしながら捜索を行ってはいますが……場所によっては建物が崩壊する危険性もあるため近づけない場所も多くて難航しそうです。……状況的に調査隊は何者かからの襲撃を受け散り散りに逃げ出し、逃げた先々で被害に遭ったものと思われます。あと……」

 ギルバートは大通りの端に並んで停められている3台の馬車を指差した。

「昨日不明となっていた調査隊の馬車と軍部の馬車2台なんですが……今朝、先遣隊が着いた時に、3台とも遺跡入口に何者かによってつながれていたそうです。どう思われますか?」

 エルグレドは示された馬車を見る。

「……馬に罪は無い……という事なんでしょうか?……荷台や積載物の確認はキチンと行われましたか?」

「ええ。不審物は一切見つかっておりません」

「そうですか……」

 ギルバート少尉の返答を受け、エルグレドはつながれている馬車に向かってゆっくりと歩み寄って行った。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「レイラさん……本当に大丈夫ですかねぇ?」

 スレヤーは馬車の手綱を握り前方を向いたまま、荷台の中に居るレイラに声をかけた。

「構わないってスレイ! 悪いのはエル達なんだから!」

 御者台の横でエシャーが大きく声を張り上げる。レイラは荷台の中で横になって眠っているムドベとサキシュを掛け布で覆い隠すと、荷台前部へ移動して来た。

「エシャーの言う通りよスレイ。旅の仲間を騙して置き去りにしようなんて……。私が許すはずもないでしょ? エルもそんな事くらいお見通しのはずよ。今頃、私達が追いかけて来るのを首を長くして待っているはずだから安心なさい」

 あーあ……大将がぶち切れなきゃ良いけどなぁ……

 スレヤーは手綱を握ったまま首を振った。

 レイラさんとエシャーを市街地まで送るだけのつもりが、まさか2人が大将達の追跡を計画していたなんて……。ま、ムドベとサキシュはレイラさんの魔法でグッスリ眠りについてしまっているから、とりあえず『情報洩れ』の心配は無ぇだろうけど……

「……ねえ? あの煙……」

 エシャーが何かに気付き前方を指差す。レイラとスレヤーもエシャーが示す方角を見る。

「……ありゃあ……信号煙筒……マズイ!非常事態告知煙だ!」

 3人は馬車の進行方向にあるミシュバット遺跡の空に立ち上がる何本もの黄色い煙を呆然と眺めた。
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