憂鬱喫茶

ショー・ケン

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憂鬱喫茶

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 Aさんは大学時代、お金がなかったので叔父が経営するコンカフェで働くようになった。コンセプトカフェとはあるテーマを掲げて接客が行われる特色のある店などの事だ。叔父は様々なバイトを掛け持ちするAさんに“あいてる時間にちょっときて、自由に帰っていいから”と優しく声をかけてくれたのだ。

付近には、女子高生に扮したものや、ゾンビに扮したものなど、様々なそれらしいカフェが営業される一方で、Aさんの叔父のお店は“憂鬱な従業員とお客”が売りだった。何をおもってそんな事を……とAさんは思ったがこれが結構人気で、本気で沈んだ人がきたり、思い悩む事が多い人が愚痴をはきに来るなどの用途で結構人気になった。

 Aさん自身なぜ叔父がそんな喫茶店を始めたのか疑問だった。口数少なく、品はあるが、どこか頑固さを感じる人で、流行には疎い所がある。まあ、その数年前までバーを経営していたのだが、経営がうまくいかなかったか、トラブっただかで、今の店に作り直したらしい。

 接客が苦手なAさんは、いつも厨房で手伝いをしていた。もともとよく働くし仕事もできたAさんは、その仕事場で結構友人ができていた。

 ある日の夕方ごろの事、店内の奥で、厨房に聞こえるほどの大声が響いた。友人のB子さんが、おぼんをかかえて困った様子で店内にひっこんできて少しぐちった。
「“ゲンさん”また騒いでるみたいよ」
「ああ、あの人か……」
「まあ、常連さんだしちゃんとお金は払うけど、他のお客さんに迷惑よねえ」
 Aさんはため息をついた。
 ゲンさんというのは、店がまだバーだった頃からの常連で、初老の男性。いつもは静かに隅っこの席にすわっているが、時折従業員にいちゃもんをつける。
「むすっとすんな!しゃきっとしろ!」
 といったりするのだ。憂鬱をテーマにしている店。そういう接客、雰囲気をもとめている客相手に営業していて従業員にも、そうした没入感を損なわないように営業している以上、誰もしたがうはずがないし、せっかく接客していても時折邪魔だから引っ込めといったり、今の様に騒いだりするので従業員皆彼の事は嫌っていた。


 その時も、大声で“昔にもどせ!”とか“俺がいちゃいけねえか!!”と騒ぎたてるので、従業員が困り果てていると、Aさんの叔父である店長がやってきた。ペコペコ頭をさげながら、ゲンさんの愚痴を聞いているようんだ。
「店主《マスター》よ、どうしてだ、ここは親父たちの集まるバーだったのによお!!!」
「ゲンさん……お願いです、できるだけ、表情を見せないでください、お客さんにも“沈んでいる人間のてい”で来てもらう場所ですので、雰囲気を損なわないように……」
「何をそんなに本気に、“あれから”何か隠してるんじゃないのか?」
「い、いえ……とんでも」
 皆も店主があまりに客の言動を気にしているので釘付けになった。
「そういえば、店の入り口にいくつか注意事項があったな……騒がないでください、怒らないでください……あとは、“絶対に笑うな”という禁止事項が一番下にあったなあ、でかでかと大きな字で!!試してみようか!!」
「お、お客さん、いやゲンさん!!昔なじみという事で忠告しておく……それだけは絶対だめだ、やめてくれ!!あんたはあの時いなかったから知らないだろうが、説明する、説明するよ、だがいいふらさないでくれよ!!」
「やぁだね!!!俺はこの店を邪魔したいんだ!!あははははは!!」
 店長はその声に響いて、尻もちをついた。まるでお化けをみたとでもいうように震えている。いくらなんでも大げさじゃないか、雰囲気を損なったり困る事はあっても、ゲンさんの言動に驚きすぎじゃないか?とAさんは思った。
「ゲ、ゲンさん!!あんた……気を付けるんだよ!!」
「何をいってんだ」

それからしばらくして店長は奥にひっこんだ。ゲンさんはぐちぐちいいながら、しばらくして気がすんだのかかえっていった。その後しばらくして救急車の音が聞こえたが店内が忙しく、Aさんはそんな事はすっかりわすれていた。

 その日の閉店後の事だ。叔父の知り合いが尋ねてきて、叔父と話していた。どうやら近くのラーメン屋の店主らしいが、こういった。
「ゲンさん、骨折したってさ、ほかにも大けがおって……しばらく入院だってさ」
「本当ですか!!」
「ああ、まあ、家の店でもわざわざ嫌がらせの注文をしたり、いちゃもんをつけたり困った人だったが……そうなると気の毒だなあ……」

 Aさんが支度を終えかえろうとすると、叔父さんがちょっと、と手をこまねいて、店長用の部屋に招いた。扉をしめると、こそこそといった。
「これからいう話は、誰にも言わないでくれよ……こうなった以上、何らかの対策をとるしかない……悪い噂を立ててでも……それもやむをえない」
 そして叔父は、ぽつぽつと語りはじめた。

 Aさんの叔父、店長が以前経営していた店は、“ある事件”に巻き込まれ閉店を余儀なくされたという。ゲンさんのように、まったく気にしないものもいるし、できるだけ詳細は信頼できる人間にしか話してこなかったというが、あるとき、バーの常連が楽しく飲んでいると、髪があれはてて目が虚ろ、クマがひどい憂鬱な表情の赤い服の女性が入ってきた。お客や店長は、気にせず歓迎したが、女性は、一番奥の席で物静かに酒をのんでいた。初めはその悲しげな雰囲気に皆はたじろいでいたが、徐々に常連がいつもの調子を取り戻し、飲んだり歌ったり冗談をいって楽しみはじめた。その時だった。

《グサッ》
 常連の一人が、背中にチクリとした痛みを感じた。
「は?」
 振り返ると、先ほどの憂鬱そうな女性客が、自分の背中を包丁で刺していた。焦って背中を確認すると、幸い座席の背もたれがあったおかげで、それにつきささり、包丁は切っ先が少し刺さった程度だった。
「お前!!!何すんだ!!」
 と、別の客がつかみかかり、女性は倒れた。そこで客は、驚いてのけぞった。
「こ、こいつ!!!」
 女性は、自分の胸に包丁をつきたてていた、それをぬくと、今度は首筋にそれを近づけて……自害した。

 当時のバーはすさまじい騒ぎになり、警察もきた。事実の解明は難しかったが、女性の知人によると、どうやら男性関係でひどくもめ、知人に対して
「昔のように明るく笑えない」
 と話していたという。それにしても、刺された客も絆創膏を張れば治る程度の傷、被害がほぼなかったとはいえ、他人を巻き込むなんて、と常連客も叔父も困惑していた。

 だが、問題はその後数週間後から立て続けに起こった。常連客の中で、足をおったり、大けがをしたり、病気がみつかったり、親族が死んだりという事が相次いだのだ。それまでそんな事がなかったため《バーに何かあるのでは》という噂までたった。

 叔父は客にお祓いを進められたがそうしたものを信じていなかったため放っておいた。しかし、やとっている従業員が件の赤い服の女を見たといったり、そもそも噂のせいで客足が遠のいて経営がきつくなっていた。その頃バーは開業したばかりで借金もあったので、このままでは終われない。と叔父はお祓いを決意した。

 信頼できる信頼に一番信頼できる霊能者を頼む、といったところ、初老の女性がやってきて、店をみるなり
「ああ、赤い服の女がいるね……人を妬んでいる……だが、どうやら本来悪い人じゃないし、運気もある、そうだねえ……ここで過度に喜んだり騒いだりしなければ……むしろ経営は安定する……幸せな人を恨んでいるからねえ、そうじゃない人には悪さはしないし」
「本当ですか!」
 脱サラをして、自営業の厳しさをひしひしと感じていたし、商売もそれほど順調ではなかったという事もあり、叔父はその話にとびついたそうだ。

 それからも店は続いて、Aさんが大学を辞める頃には周辺でよく知られる《幽霊のいわくのある店》となっていた。それもこれも叔父が噂をたてたせいだ。
「あそこで笑うと祟られる」
 それでも店は人気だったし、わざわざここにきて、タブーこそ起こさないものの、怖がりに来る客もいる。しかし叔父はゲンさんの件でひどく落ち込んでいたし、数は多くないものの、ふざけた客が軽いけがを負う事もあった。

 Aさんが社会人になってしばらくたったころ、父親ずてに、叔父が店をたたんだと聞いた。まあ、それはしょうがないか、優しい人だし、頑固な気質な人だ。これからどうするんだろうか?と考えていると、親父はいった。
「ああ、別の土地でメイド喫茶やるみたいだよ、資金もあるし、もう準備が始まってる」
 Aさんは、叔父のたくましさに、その時ばかりは噴き出して笑ったそうだ。


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