ある仕事場

ショー・ケン

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ある仕事場

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「幽霊がでる」
と噂される雑居ビルのある会社のオフィス。真面目な新入社員の男性がいた。口癖が“すいません”で、最近では何があっても会話の端々にその言葉をはさむ。

 幽霊が出るのは深夜だという、それでもきにぜず、彼は深夜までこっそり働いていた。早く仕事がみとめられたいという一心だった。それに、きっと電気代やらをケチりたい言い分なのだろう、あるいは子供だましの残業を防ぐための手立て。最近では、ブラック労働の改善からありと労働時間の短縮やら、あらゆる残業や時間外労働などが悪とされるが自分が望む限りかまわないだろうと思っていた。

 そういえば、このオフィスに出る幽霊の噂も“仕事”に関する事だという噂があった。何やら、パワハラで鬱になり精神を病んだサラリーマンの亡霊がでるとか。しかし、自分とは関係ないと彼は高を括る。それもそうだ。なぜならこの仕事場は給料も待遇もよく、かつ労働時間もかなり短い。今時めずらしい超優良企業である。だからこそ彼のような熱量をもった昔気質の若者は、逆に成果をあげるための努力がしづらいところもあった。

 隠れ残業を続けていた彼の身に、ある時から、異変はおこった。深夜、仕事をしていると消しているはずのオフィスの入り口の電気がついて、すぐにきえる。ちかよってみてみると人っ子一人いない。おかしいな、と思い仕事を続けるのだが、そんな事が続くので彼もさすがにちょっと異変を感じてきた。

 彼の仕事は認められていき、彼は徐々に成績を伸ばしていくが、反面顔はやつれていった。
(これはちょっとまずいかも?)
 と思い始めたころ。上司によびだされた。
「なあ、お前何か隠していないか?」
 沈黙をする。
「いえ、特には……」
「お前の仕事量が尋常じゃない、家に帰ってやるのもいいだろうが、無茶をしていないかときいているんだ」
「いえ……」
 上司はため息をつき、ゆっくりと話始めた。
「最近、妙な話を聞くんだ、用事やら、忘れ物をした社員が深夜仕事場にいくと電気がついていて、オフィスの中から、話し声のような声をきく、耳をそばだてると誰かが仕切りにおこり、もう片方が“すみません、すみません”と謝り続けていると」
「はあ……それは私じゃありませんね」
 それは本音だった。自分はそんなふうに声をあげて仕事をしない。そう思ったときだった。
「ほら、いまも、お前気づいてないだろうが、すみません、すみませんって、言葉の節々にいうようになってる、一回お祓いうけてみろよ、悪い事をいわないからさ、何か返事してみな、必ず最後にいうから」
「そんなことは……すみっ」
 そういってきづいた。無意識に、すみません、と返答をしようとしていることに。

 それからもずいぶん粘ったのだが上司は、ある話をしてくれ、彼はお祓いを受けることを決意したそうだ。その話というのが、そのビルでかつて自殺した人間がいたこと、それは、噂されるような鬱になった社員のほうではなく、むしろ昔気質の人間で、パワハラをしていた上司のほうだという。

 ずいぶん昔の話だが、世間でパワハラが問題になってきた当初の頃だ。彼はそんなつもりがなかったが、あまりに熱血すぎて、部下に無茶な命令をしてしまう。
「もっと熱を入れろ、もっと気合をいれろ、俺はそうやって成長した」
 精神論のオンパレードだ。潮目が変わったのは、彼の部下が鬱になり、休職してからだ。かなりの好青年で成績もよかったが、彼の下についてからどんどん悪くなっていった。彼と対象的に人気もたかかったので、次第に、その上司は職場で敬遠されるようになっていった。やがて、彼は部下ではなく自分が熱心に働くようになったのだが、同僚も誰も、彼を止めるすべを知らなかった。

 次第に、彼はやつれて目のクマがひどくなっていく。同僚が彼に調子を尋ねるとこういった。
「俺は、若い人間の気持ちもわからない、昔のやり方しかしらないんだ、今までこれでうまくいったのに、それが突然通じなくなってしまった、俺だけが突然、時代に取り残されたんだ、俺は新しい時代の接し方を知らない、仕事に熱心でいれば、そのほかに多少問題があれど、受け入れられた時代のことしか」
 彼自身、それ以前は上司にパワハラのような仕事の押し付けをされ続けていたからこそ、その方法しかしらなかった。それで幾人もの部下を育てる事に成功したが、今回だけは違ったのだ、だから、彼は一層仕事に打ち込むようになり、成績ものこしていったのだが、次第に周囲から人がへっていったそうだ。彼自身その雰囲気を改善する方法もしらなかった、昔気質で無口で、頑固だったため、ただ自分の仕事への態度や他人に迷惑をかけない方法で、挽回をする事しか考えられなかったのだ。

 やがて彼と数人の社員を残して何人も会社をぬけ、事業がたちゆかなくなり会社は倒産した。彼はすべては自分のせいだと考え、この職場で自殺したのだという。それ以来この場所には深夜、彼の亡霊がでるという、彼の若いころの姿、叱責する彼の上司の幻影とともに。彼は若いころの仕事場の記憶を繰り返し、反復し続けているのだという。そのやり方が通じた時代の、地獄とも楽園ともとれる映像とともに。

「だからなあ、ここにでるのは、加害者の彼でもあり、被害者の彼でもあるんだ、この場自体がその悲劇を記憶しているというか、何度お祓いをしても、よくならないから、夜は残るなっていってるんだ、その幽霊が出るのは夜だけだからな」
そこで疑問に思い、新入社員の彼は質問した。
「よく、そんなにご存じですね」
「ああ、彼は昔の同僚だからな」

 新入社員の彼は、時代に取り残された男の悲劇を思いながら、お祓いを受けることにしたそうだ。
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