白紙映画

ショー・ケン

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白紙映画

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 ある映画館に彼女と二人、若い男がやってきた。男は冴えないがファッションセンスは上々だ。女の方は……すべてが優れていた。美しい顔立ちしぐさ、言葉遣い。男は常に、彼女のペースと彼女のランクにあわせて背伸びをした。夏祭り、日々のデート、記念日、いずれ自分たちは釣り合わなくなり、きっと別かれてしまうだろう。
 その映画を見ているとき、すでにその傾向はあった。彼女は全く映画に集中できず、下をむいたり周りをみてそわそわしたり、男が気づかないとおもってか、男の方をじっとみたりしている。
 男は、映画のシーンで涙をながした。それまで蓄えていた涙を、別にそんなシーンではなかったが、彼女は気づきはしなかった。初め、彼女に廊下で告白したときから、あるまじき返答が、yesで帰ってきたその時から、すべてが違和感があった。自分は学校でさえないグループの一員。彼女はお嬢様だ、そんな人と自分が釣り合うわけもなかった。けれど、今日、それでこれも終わる。無理をしてバイトをしたことや、友人の助けを借りたことを思い出す。でも大丈夫、だって“彼女のため”に演じてきたのだから。“いずれいい思い出になる日々”を。それは精一杯のプレゼント、こんな自分と付き合ってくれた彼女へと。自分が退屈だってかまわない。彼女さえ喜んでくれるなら。

 彼女は、予想通り映画が終わると“話があるの”と海へいこうと言い出した。電車を乗り継ぎ、最も近い海岸へ。二人ではしゃいで、波打ち際へ、すべてを悟った男がは前上がりすわっていると、夕暮れがくると彼女は、突然ふりむいて、わらった。その瞳には涙が流れていた。
「ねえ、私と、別れたいんでしょう?」
「え?」
 男は、とまどった。
「どうして?」
「あなたは、いつも無理をしていたから……私とあなたじゃつりあわない、私はいつも孤独で、あなたには仲間がいた」
 彼女は……学校で噂されるほどの超美人で、モデルもやっていた。孤独に対してコンプレックスがあるとおもっていなかった。彼女に近づき手を取り、口づけをした。彼女は、すべてをさとったように、抱きしめ返してくれた。

 ふと、ある男は一人の映画館で目を覚ました。やけに年を取り、もはや30代半ば、隣には誰もいなかった。ただ、周囲に人の気配はなく、小さな子供が走り回っているような足音がするが、べつにどうだっていい。今は恋人もおらず、寂しかった。しかし未来も過去もどうでもいい。何か心が矢探れていた。そのため“良い映画”を欲したのだ。現実を塗り替えるほど没頭できる“刺激的な映画”、ついさっきまで自分は舟をこいでいたことを思い出した、だが映画館にくるまでの記憶はおぼろげで、夢のなかで、何か懐かしい記憶に触れた気がしたが、それさえも思い出せない。映画館のスクリーンには、白い画面が移っている。
「チッ、故障か?これ」
 しかしそこに文字が移った。
“白紙映画”
 何もない映像がその後何十分も流れる。男の目は映画に肥えていた。それもそのはず、まがりなりにも、売れない映画ばかりとってはいるが、男の仕事は映画監督なのだ。時折意味ありげなシーンが瞬間的に流れるが、意図がくみとれない。わけのわからないモブのシーンが流れるばかり、そして望みもしないのに、わけのわからない人々の幸福をみせられ、いつの間にか映画はクライマックスに入ったらしく、ただそのエンドロールに出演者の名前が流れる、見おぼえるのある女性の名前と自分の名前だけが延々とながれた。
「なんだ?どういう事だ?」
 そして、監督のインタビューの音声が入った。
「この映画は……“白紙”です、一件支離滅裂に見えるシーンのくみあわせで、興味のない他者の幸福ばかりをつなげたもの、人は、もはや他者の幸福に興味がありません、自分の幸福にさえ興味がないのかもしれない、ゲェム、ネット、小説、映画、ありとあらゆる娯楽があふれ、もはやそれは現実の楽しさを超えている、つまり、誰もが“現実”の楽しさよりも、そちらを優先している、この映画の大部分は“白紙”白い映像のシーンです、この映画はつまり、娯楽のあふれ、現実を大事にできなくなった社会へなれてしまったことへのアンチテーゼ、モブたちは私たちです、私たちは自分たちの幸福さえもはや、他人事でつまらないものとしてみている……私の狙いは“白紙”のシーンに、人々が“退屈”を手に入れること、娯楽とは、快楽とは、現実より比重のおもいものであってはならないのだ!!誰もがこの映画をみて、自分の過去を思い出すはず、昔を思い出してください……だれもが、みたされないからこそ現実をむいていた」
 男は無償に腹がたった。寝起きで思い出せないが、自分はひどくみじめな人生を送っているという自覚があった。だれもが“娯楽”で日常をごまかせるわけではない。“快楽”で日常を上書きしているわけではないのだ。そんな余裕もないほど、男は悲惨な人生を送っていた。
「ふざけんなよ、監督!!金返せよオラ!!」
 そういって男はのみかけのペットボトルを、スクリーンになげつけた。
 
 するとスクリーンが割れ、その瞬間にすべての記憶がフラッシュバックした。割れたスクリーンの破片それぞれに彼女の顔の一部が映し出され、全体がこちらを振り向く波打ち際の彼女の映像になった。
「……そんな」
 そして思い出された……先ほどまでの夢の全貌。冒頭の彼女と自分の記憶が、そして最後に波打ち際で笑った彼女の記憶が。あのあとにも彼女と幾度も海岸にいったが、色濃い者は“二つ”だけだ。一つ目は冒頭の映像。もうひとつは……彼女は、数年前に重いがんで死んだ。そして病にかかる前に、身重で腹を膨らませた彼女をエスコートした記憶がそのひとつだった。

 男はすべてを思い出した。
「そうだ、俺は、はじめこの映画を熱中してみていた、しかし白紙のシーンが多く、退屈する間に船をこぎ、やがて夢のなか、監督のいう“アンチテーゼ”この映画の白紙に映像をみていたんだ、彼女との出会いと、終わる事のなかった青春を、確かに彼女は存在したし、俺たちは……結婚し……彼女は俺の映画をずっと好きだっていってくれた、だから映画をとった、なのに……彼女はもうういない」
 ふと顔を両手で覆い、騒々しさに掌をずらし眼だけをのぞかせると、今度は男がスクリーンの前に立ち、そして、人々―観客たちがブーイングを送っていた。
「お前の映画はなんなんだ!!」
「これは空虚じゃないか!」
「釈明してみろ!」
「自己満映像だ、売れるわけがない!」
 男は、小さな声でいった。
「君たちは、いいじゃないか」
 観客の一人がひときわ大きな声で、疑問をなげかけた。
「あ?」
「君たちは……いいじゃないか、普通の幸せがあって、僕は……あの学生時代の海岸で彼女の本音をきいて、それでもそれからも、ずっと背伸びをしてきた、彼女のために、架空の自分を演じてさえ来た、ずっとつらかった、けれどあの日……あの日の彼女の言葉をしんじたんだ、波打ち際、彼女はいった“無理しないで、私が苦しくなるから”だからそれからはずっと、無理をしない、無理をしない演技をしてきた、結局僕は、僕をさらけ出すことができなかったんだ、僕の苦痛、うつろさ、彼女への異常な執着を」
「だからなんだよ!!」
「俺は無理なんだ、もう映画はとれない、俺の人生なんて終わりなんだ!!!“白紙”だってかまわないじゃないか、シナリオ!?映像!?もうなんだっていい!そんなのは二の次だ、映画なんて、“日常”の引き立て役!!
 映画の目的はなんだ、そのほとんどはデートや休日の家族のだんらんだ!かつて人々は映画にあらゆるものを望んだ、鬱屈した現実を覆すものや、自分の理想を形にするもの、この世の絶望を消化するもの、“すべてが満たされないからこそ映画に何かを望んだ、そして、映画をみたあとには全員が退屈な現実に戻った”そして現実を、想像で補ったんだ、あの映画より素晴らしいものはある、あの映画より素晴らしい自分を演じよう、ある人はそれを創作に、ある人はそれを現実に描写した、その想像こそ、最高の映画だ!だが今は違う、日常も、映画も娯楽でありふれている“面白すぎる”んだ、だから日常の退屈さ、その中にある神聖さを忘れてしまった!だがどうでもいい、俺はもうその“退屈さ”さえ“大切”と思えない、君たちと同じだ、何もない、鬱屈と下気持ちの中で、大切な人間さえ……いない、だから俺は娯楽をつづけ、“白紙”の映画にすら耐えられない!」

 するとわきから、顔の見えない男がやってきていった。
「君には大切な人がいるだろう?」
 ふと右手に感触を感じる、小さな少女の感触、青春の残りが、目元、口元に彼女の気配を感じた。そして子供の声が聞こえた。
「お父さん」
 いつのまにか、彼女によく似た少女が、自分のすぐわきにたっていて、自分のてをにぎっていたのだ。男は続ける。
「君には生きる理由がある、欠けたものが半分、潤ったものが半分、それは君が望んだ結果ではなかったかもしれないけれど“白紙の映画”など撮る必要はないじゃないか、だって、誰だって君のように“すべてが満たされないからこそ映画に何かを望んだ、そして、映画をみたあとには全員が退屈な現実に戻った”んだろう、白紙は、それぞれの痛みだ、絶望する事はない、君はいまただ一瞬だけ、過去に逃亡しているだけだ、君も、もう新しい映画をとるべきだ」

 男は、もう一つの海岸の記憶をふと思い出した。それはスクリーンに映し出された。身重の彼女が、ワンピースをきてまるで未来をさとったように男に放った言葉だった。
「これで、あなたは私を忘れる事ができなくなった、これでいいの、あなたは、私を失うことを恐れていたけれど、私が怖れていたのは、あなたが私から離れ遠くにいってしまこと、それは別れという意味じゃないわ、別れよりも恐ろしいのは、あなたが、あなたらしくいられない事、あなたは私の前では、あなたらしくいられる事もあったわ、もちろん、背伸びもしていたけれど」
 ふと、何かを悟り、男は映画館をでる決心をした。スクリーンの脇から出てきた男が自分そっくりの天然パーマだという事や、観客がすべて自分自身だったという事をわすれ脇に置き、小さな子供の手を取って、劇場をでた。

 外に出ると、でたらめに描写された、鉛筆でかかれたような街があった。男は念じた。
「この夢から、冷めなければ、俺は大事な事を思い出した、暮らしをたてなおさなければ」
 男の部屋はぼろぼろで、がらくたが散乱していた。どうにか両親の手伝いもあり子供を育てていたが、彼の心はすさんでいた。鬱になり薬を服用した。妻ががんになったとき自分のカウンセリングをもっとちゃんとしておくべきだった。それでも彼は、子供の前では、気丈にふるまっていた。
プツッ…… 
 電脳端末と接続したときの、メタバースの導入の時の、電気信号の接続音が脳内に響いた。
「しめた」
 もうすぐ男は目が覚める、そしたら、泣きながら娘を抱きしめよう。深夜だってかまわない。彼女の望みをかなえよう。そうじゃない。彼女の望みと自分の望みはすでに一体化していた。“映画”と“娘”だ。夢のなかで奇跡的にモチベーションは復活した。それが現実に影響を及ぼすかわからないが、男はいてもたってもいられなかった。
「あ、あ……」
 なんとか、体を動かしたくて発した声。次第に声は、実際に自分の肉体から発生されていることに気づいた。そう、その声をめざして意識を集中する。そして男は自分の肉体を取り戻した。
「うっ……」 
 首に痛みを感じる。男は確かに寝るときにメタバースに入るためのネックマウントディスプレイ端末を首につけようとしたのだと思い出した。つけてねたのか?そう、それは最新鋭のソフトウェア、AIが自動で、人の記憶に合わせた映画を、睡眠中の脳内で上映するというもの。
(なるほど、たしかにいい夢を見た気がする)
 そして目を開け、掛布団をはいで、上半身を起き上がらせる。痛みのある首筋に触った。
「……ない」
 首筋に機械の感触はしなかった。その代わりに何か、妙な感触があるきがした。男はリビングでねていた、娘も同じく、対面のソファーベッドで寝ている。男は、夢を思い出そうとした。あるいは、逃げようとしたのだ。
「いたっつ……」
 首筋にてをあてたその時、男は、熱さと痛みを感じた。そして思い出された……何者かのぬくもり、ふと感じた感触は夢の残り香……彼女が冒頭の夢の最後に波打ち際で彼を抱きしめたときの、手のぬくもりだった。男は意味もなくつぶやいた。
「ぬくもりを、絶やさないように」
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