マジシャン

ショー・ケン

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マジシャン

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器の広いマジシャンは生涯、器の広い助手に支えられた。

 その男は天才だった。いつだって斬新な手品を披露し、その世界感と僅かなストーリー性が客を魅了する。男は評価に満足していたし天性の才があり、順風満帆な人生だった。男に悩みなどなかったが長く続け中年になり、その歳を過ぎると男は徐々に弱っていった。

 弱っていったのは体や頭ではなかった。慢性的な人の視線に当たり続け、期待にこたえ続ける疲労だ。そのたび男は狂った。そしてこんな事を口にするのだ。
「私にとってアイデアは排泄と同じだ!!または性欲!自然に湧き出て、自然に心地よさと不快感をもたらし、ストレスと友に吐き出す、なぜこんなものを人が喜ぶのかわからない」
 彼には長年付きそってきた女性の助手がいるのだが、彼女がそのたび慰める。
「あなたは天才だから、それに人柄もいい、そのことに疑いはない、ただあなたは“恵まれている、恵まれすぎている”」
「ああ、ありがとう、だが、私は本当にわからない、なぜ人はこんな簡単なトリック一つさえみぬけず、驚いてしまうのだ、なぜ世の中の人は“騙されない事が当たり前”だと思っているのだ」
「それは、ひとつには凡人は凡人だからです、もうひとつは"騙されるために来ている"からです」
「騙されるために?」
「ええ、人は日常のストレスや苦痛を和らげるために、騙されようとするものです、でも詐欺師にだまされては人生がおわるし、ギャンブルは身の危険がある、投資もまた知識と時間を要する、娯楽だけがもっともリスクがなく、もっとも信用のおける"思い込み"を"日常"を壊してくれる装置なのです」
「なるほど」

「お前も立派になったものだ」
「あなた様のおかげです」
 助手と男にはある因縁があった。かつて、男の売れ始めていたころ、その栄光と実力に嫉妬して、多くの人間に命を狙われたが彼を襲ったのその一人がその助手だった。助手はいう。ナイフをもって、泣きながら彼にそれを刺そうとして、周囲の人間に押さえつけながら叫んだのだ。自分の不遇な人生と不幸なせいであったさんざんな物語を語った。それは会場がシーンとするほど不遇なものだった。そして最後に叫んだ。
「不公平だ!!!」
 その瞬間、男は胸を掴み、心を痛めるしぐさをし、涙を流した。それまで男が悪魔のような人間で、裕福なだけのものだと思っていた助手もそれを見て感銘をうけた。そして男はいったのだ。
「ならば、私の下で働くがよい」
 それ以来、二人の関係は始まった。
「あなたと私の関係こそ、本当のトリック、人々は誰も我々をうらやむが、私たちの関係はもっと深く、時に恐ろしく、時に歪んだ愛に満ちている、夫婦ではないけれど、まるで夫婦のようです」

 助手はそれからもどこかで男を恨んでいたが、男は自分の助手として拾い上げてくれたしチャンスをくれた、その懐の深さに免じて怒りながら許していた。男もまた、尽きない緊張をくれる彼女を他意はなく愛していた。
 実は助手が男を恨んでいたのは、もう一つ理由があった。男の両親がかつて貴族であり、貧乏な家族であった助手の家族を奴隷の用にこき使い、ついには助手以外の家族全員を過労で殺してしまったからだった。だが彼はその頃の事をすっかり忘れていた。助手の両親が死んだその頃はすでに家出をしており、多少の援助を受けていただけだったからだ。親が奴隷をこき使っていたことなど知らなかったしそれ以前の事も、彼は家をあまりたよらなかったし無頓着だったようだ。

 ぼんやりとして過去を知らず、しかし自分の能力に驕りながらも、それを恥じている男と、彼に嫉妬し、彼の無知を知りながらもそれに復讐心を持ち我慢し続けている助手、絶妙な謎のバランスが、彼の苦痛に満ちた天才の人生を支えたのだった。

 彼は死ぬまでこの口癖を助手にだけいった。
「時間が限られている中で、程よい緊張と程よい安らぎをくれたのは、君だけだった、まるでそれは母のぬくもりのようだった」
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