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古代都市編
第29話 新天地、惑星セレスティア
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ユミは交代要員にオペレーター業務を引き継ぐと、私服に着替え、居住エリアの病院へ向かうため市街地へ出た。
今日はただの見舞いではない。事故の報を聞いたときから、胸の奥に引っかかっていたものを確かめる必要があった。
ユミは、負傷して入院したチーフオフィサーと10日間顔を合わせていないことを思い出していた。チーフがいない間の業務は熾烈を極めた。航行計画の立案と実行、操船、周辺監視と観測、船の状況管理、報告、記録、各セクションとの折衝など、数え上げたらきりがない仕事を限られたメンバーでこなさなければならなかった。
通常航行中でグラヴィティ・ブレイクの合間とはいえ、チーフ不在は厳しかった。今日こそ会って、一言文句と愚痴を言ってやろうと、非番を利用して病院へ向かったのだ。
ラウルス・プリーマ号の居住エリアは、直径2,000メートルの円形人工大地の上に築かれている。この人工大地は船体中央に設置された重力コアによって支えられていた。重力コアは居住地の真下1,000メートルに固定されており、放射状に0.6Gの人工重力を発生させている。
これを均等に受け止めるために、居住区の地形は中央が約177.5メートル盛り上がった球面となっており、地表は一辺100メートルの正三角形を組み合わせたジオデシックドーム状に整形されていた。住宅や公共施設は、この三角形の区画ごとに整然と建てられている。
病院は居住区の中央近くにあった。ユミはロビーでエレベーターに乗り、入院階のボタンを押す。すると、女性の音声アナウンスが流れた。
「このエレベーターは1G区間に参ります。ご注意ください。重力が強くなります」
エレベーターが降下し始めると、重力の変化で体にぐっと重さがかかる。0.6Gから1Gへ、この差は思った以上に体に響いた。足に向かって血が下がるのを感じる。やがてエレベーターが止まり、ドアの先にはナースステーションが見えた。
ユミはそこで面会の旨を伝え、指定されたB-103号室に入る。
「おー! ユミちゃん、来てくれたんだなぁ」
ベッドの上の痩せ型の中年男性が声をかけてくる。足はギプスでしっかりと固定されていた。
「タカハシさんが悪さしてないか、監視に来ました」
「いやー、退屈していたんだよ、ありがたい!」
「おかげさまで。こっちは忙しくててんてこ舞いしてましたから」
そう言って、ユミはニコリともせずにゼリーの入った袋を手渡した。タカハシは彼女の直属の上司で、船で言えば航海士、チーフオフィサーだ。
「栄養ゼリーかぁ……できればアルコールのほうがありがたいんだけど」
「怪我を治すのもお仕事のうちです。飲酒は禁物ですよ」
「あはは、痛いところ突くなあ」
「まったく、聞いたことありませんよ、オペレーター席の段差でつまずいて足の骨を折る人なんて」
「おかげで俺もすっかり1G生活者だよ」
「居住エリアの0.6Gだと、カルシウム吸収率が落ちますから。治療のための1Gです。とっとと治してください、仕事が山のように残ってますから」
「怖いなあ。俺、セレスティアに着くまでこのままでいようかな」
「何のためにこの船に乗ったんだって言われちゃいますよ」
タカハシはにやっと笑った。
「俺がいなくても、仕事を回せてるじゃないか?」
「必死ですから!」
「少なくとも今現在まで、この船は沈まずに進めてる。お前ら、よくやってるよ」
タカハシは一見、ちゃらんぽらんで頼りなさそうに見えるが、ラウルス・プリーマ号が数えきれないほどの危機を乗り越え、なんとか無事に航海できたのは、彼の功績があってこそというのは乗組員なら誰もが知っている。
「次のグラヴィティ・ブレイクまでどのくらいかかる?」
「やっと仕事の話が出ましたね。30日後です」
「それまでには退院できるな」
「ぜひそうしてください。というより、そうしないと現場は回りませんよ」
「最後のグラヴィティ・ブレイク、しっかり決めないとな」
「チーフもしっかりしてください」
ユミはタカハシの病室を出ると、再びエレベーターで地上階に戻った。病院を出て天井パネルに映し出される青空を見て、ふと気がついた。
「もしかしたら、チーフはわざと怪我した?」
タカハシが退院したのは、それから10日後のことだ。ブリッジに入ってまず船長に敬礼をする。
「ケンジ・タカハシ、現時刻より現職復帰します」
「あなたがいなくて、皆苦労していたようです。励んでください」
「はっ!」
タカハシは船長への報告の後、オペレーター席に向かう。
「よ! 元気でやってるか」
「現場復帰の第一声がそれですか?」
ユミが呆れたように言った。
タカハシは横から操作して、コンソールパネルで各種モニター画面を開いた。
「お、ちゃんとオールグリーンになってるね。さすがじゃん」
「当たり前です」
「グラヴィティ・ブレイクまで順調に進行できそうだ」
「油断は禁物です」
「うん? わかってるねえ。いいねえ」
タカハシは満足そうにユミの席を離れて、空席だったチーフオフィサー席に着く。
「グラヴィティ・ブレイクまであと470時間とちょっとか。チェックリストを確認。再チェックを行う!」
「はい」
タカハシが戻ると、なんとなくブリッジの空気が引き締まる感じがする。ユミは『本人のちゃらんぽらんな性格と仕事の空気は比例しないんだな』と不思議な思いに駆られていた。
今日はただの見舞いではない。事故の報を聞いたときから、胸の奥に引っかかっていたものを確かめる必要があった。
ユミは、負傷して入院したチーフオフィサーと10日間顔を合わせていないことを思い出していた。チーフがいない間の業務は熾烈を極めた。航行計画の立案と実行、操船、周辺監視と観測、船の状況管理、報告、記録、各セクションとの折衝など、数え上げたらきりがない仕事を限られたメンバーでこなさなければならなかった。
通常航行中でグラヴィティ・ブレイクの合間とはいえ、チーフ不在は厳しかった。今日こそ会って、一言文句と愚痴を言ってやろうと、非番を利用して病院へ向かったのだ。
ラウルス・プリーマ号の居住エリアは、直径2,000メートルの円形人工大地の上に築かれている。この人工大地は船体中央に設置された重力コアによって支えられていた。重力コアは居住地の真下1,000メートルに固定されており、放射状に0.6Gの人工重力を発生させている。
これを均等に受け止めるために、居住区の地形は中央が約177.5メートル盛り上がった球面となっており、地表は一辺100メートルの正三角形を組み合わせたジオデシックドーム状に整形されていた。住宅や公共施設は、この三角形の区画ごとに整然と建てられている。
病院は居住区の中央近くにあった。ユミはロビーでエレベーターに乗り、入院階のボタンを押す。すると、女性の音声アナウンスが流れた。
「このエレベーターは1G区間に参ります。ご注意ください。重力が強くなります」
エレベーターが降下し始めると、重力の変化で体にぐっと重さがかかる。0.6Gから1Gへ、この差は思った以上に体に響いた。足に向かって血が下がるのを感じる。やがてエレベーターが止まり、ドアの先にはナースステーションが見えた。
ユミはそこで面会の旨を伝え、指定されたB-103号室に入る。
「おー! ユミちゃん、来てくれたんだなぁ」
ベッドの上の痩せ型の中年男性が声をかけてくる。足はギプスでしっかりと固定されていた。
「タカハシさんが悪さしてないか、監視に来ました」
「いやー、退屈していたんだよ、ありがたい!」
「おかげさまで。こっちは忙しくててんてこ舞いしてましたから」
そう言って、ユミはニコリともせずにゼリーの入った袋を手渡した。タカハシは彼女の直属の上司で、船で言えば航海士、チーフオフィサーだ。
「栄養ゼリーかぁ……できればアルコールのほうがありがたいんだけど」
「怪我を治すのもお仕事のうちです。飲酒は禁物ですよ」
「あはは、痛いところ突くなあ」
「まったく、聞いたことありませんよ、オペレーター席の段差でつまずいて足の骨を折る人なんて」
「おかげで俺もすっかり1G生活者だよ」
「居住エリアの0.6Gだと、カルシウム吸収率が落ちますから。治療のための1Gです。とっとと治してください、仕事が山のように残ってますから」
「怖いなあ。俺、セレスティアに着くまでこのままでいようかな」
「何のためにこの船に乗ったんだって言われちゃいますよ」
タカハシはにやっと笑った。
「俺がいなくても、仕事を回せてるじゃないか?」
「必死ですから!」
「少なくとも今現在まで、この船は沈まずに進めてる。お前ら、よくやってるよ」
タカハシは一見、ちゃらんぽらんで頼りなさそうに見えるが、ラウルス・プリーマ号が数えきれないほどの危機を乗り越え、なんとか無事に航海できたのは、彼の功績があってこそというのは乗組員なら誰もが知っている。
「次のグラヴィティ・ブレイクまでどのくらいかかる?」
「やっと仕事の話が出ましたね。30日後です」
「それまでには退院できるな」
「ぜひそうしてください。というより、そうしないと現場は回りませんよ」
「最後のグラヴィティ・ブレイク、しっかり決めないとな」
「チーフもしっかりしてください」
ユミはタカハシの病室を出ると、再びエレベーターで地上階に戻った。病院を出て天井パネルに映し出される青空を見て、ふと気がついた。
「もしかしたら、チーフはわざと怪我した?」
タカハシが退院したのは、それから10日後のことだ。ブリッジに入ってまず船長に敬礼をする。
「ケンジ・タカハシ、現時刻より現職復帰します」
「あなたがいなくて、皆苦労していたようです。励んでください」
「はっ!」
タカハシは船長への報告の後、オペレーター席に向かう。
「よ! 元気でやってるか」
「現場復帰の第一声がそれですか?」
ユミが呆れたように言った。
タカハシは横から操作して、コンソールパネルで各種モニター画面を開いた。
「お、ちゃんとオールグリーンになってるね。さすがじゃん」
「当たり前です」
「グラヴィティ・ブレイクまで順調に進行できそうだ」
「油断は禁物です」
「うん? わかってるねえ。いいねえ」
タカハシは満足そうにユミの席を離れて、空席だったチーフオフィサー席に着く。
「グラヴィティ・ブレイクまであと470時間とちょっとか。チェックリストを確認。再チェックを行う!」
「はい」
タカハシが戻ると、なんとなくブリッジの空気が引き締まる感じがする。ユミは『本人のちゃらんぽらんな性格と仕事の空気は比例しないんだな』と不思議な思いに駆られていた。
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