中古一国記

安川某

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一章

第1話 中古の王国

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 なんて小汚い宮殿だろう。だが貧しいだけとは少し違う。王の間の入り口だというのに敷物は土に汚れたまま、天井を見上げれば蜘蛛の糸、窓を見れば雨汚れ。

 男は呆れ返るようにしてそれらを見た。

 目の前に立ちこちらに敬意を見せている衛兵も、その出立ちを見れば普段の仕事ぶりがわかる。
 つまりこの国の王家は軽んじられている。それも短くない間。まったく自分の目論見通りに。

 国家の長が臣下から甘く見らていれば、政治が濁る。
 敬意を持てない者に仕えて骨身を砕き働こうと思う者はいない。そして腐り始めて堕落する。やがて他者に食われて消える。

 当然の結果。だから買えた。

 従者が王の間の中に向かって大声で名をあげる。

「摂政様が参られました」

 摂政と呼ばれた男は思い起こす。自分がこの国を買った時のことを。
 
 売り主はこの国、ナプスブルク王国の王家御一行皆様。

 売却の条件は金十億五千と、王室の永久保護。つまり良いところの牧場十個が買える程度の手付金を渡せばこの国を使ってどう稼ごうが自由。
 
ただし上納金は払い続け、自分たちの安全は保証すること。逆にいえばそんな金を自力で稼ぐこともできないほどの財政と産業。だがそれで十分だ。

「中に臣下たちがお待ちしております」

 ナプスブルク王家の臣下たち。

 この国をはした金で買われてしまうのを止められなかった無能たちとも言える。こうなる前に国を脱出した者もいるだろう。中にいる者たちは他に行き場の無い無能か、あるいは無力な忠義の士か、それとも。

 摂政は自分を待つ者たちについて、そう思いを馳せる。

 やがて衛兵によって王の間が開かれ、中に通される。
 玉座への道に頭を垂れ立つ臣下たちおよそ十余名。その表情は見えない。

 玉座の前に立ち、それを眺める。
 
 すべてが金細工でとはいかないが、凝った意匠に歴史を感じる中々の品だ。それに手入れが行き届いている。国の惨状に対し、元国王がどのような人物であったかが、これだけでわかる気がする。

 摂政はそう考えながら深々とその玉座に腰をかけた。目元に大きな隈をたたえた、黒髪の男。誰が見ても良いとは言えない人相の持ち主。その体格は歴戦の将軍らを下座に控えさせるには異質なほど平凡。そして玉座に座るにはいささか若い。

  王国の臣下たちが顔を上げ、皆その摂政を見つめる。

「王様」

 臣下の一人が言った。だが摂政と呼ばれた男はすぐさま否定する。

「王ではない。王室は残ることになっているから。私は摂政ということになった。どちらかというと経営者に近い。王に代わってこの国の臣下及び国民に対し王権を行使する権利を、王家から購入した」

  今の言葉を聞いて顔に怒りを滲ませた者が何名か。青ざめる者が数名。顔色の変わらない者が二名。

  摂政はそれらを一人ひとり見渡しながら言った。

「さて早速だが、君らの大半を解雇しなければならない。知っての通りこの国はずたぼろだ。君たちのような高給取りを全員維持できるだけの金はない。だから自分は臣下として残るに相応しいと思う者は、ぜひ私にアピールしてほしい。どうだ」

 場がしんと静まり返る。
 唖然としている。もしくはこの現実を受け止めきれていない。

「摂政様」

 一人の男が前に出て言った。小柄で初老のつるっぱげ。笑みを浮かべているが目が笑っていない。

「大臣のマルクスでございます。ナプスブルクの政務を取り仕切っております。この度は王権の継承、いいえ、経営権を得られましたこと恐悦至極でございます」

「マルクス。この国の産業、および軍事力、外交関係を教えてくれ」

  マルクスはそう言われると嬉しそうに、ええ、ええ、と頷いて答えた。

「産業は主に豚と炭の輸出です。かつては繊維業も盛んでした。隣国のフィアットとアミアンと取引をすることで外貨を得ております。しかしアミアンが先年セラステレナ教国に宗教併合をされたことで、豚が売れなくなりました。あそこは豚を食することを禁じておりますから。これにより豚の輸出価格が下がり、さらに国内の炭鉱が枯れたことで失業者が増え、目下税収が悪化しております」

「軍事」

「我が国が保有する軍事力は半農の兵がおよそ八百、正規の歩兵が五百、貴族子弟を中心とした騎兵百、近年諸国で配備の兆しがあるマスケット銃兵は保有しておりません」

「その軍事力は近隣と比較してどうか」

「正直なところ比較になりません。フィアットは三千の戦力を保有していますし、その上傭兵を雇い入れています。併合されたアミアン、つまりセラステレナ教国の保有兵力は万をゆうに超え、かつ好戦的です。南には仇敵ともいえるロッドミンスター王国がありますが、幸いこちらは内戦中です」

「今日までどうやって生き抜いた?」

「そこが外交の賜物でして。フィアットで製造される衣服を関税を極めて低い関税で輸入することで友好を保っております。セラステレナに対しては我が国内での布教を認めると共に、王家に連なる姫君を四人ほど送り出しております」

  マルクスはそう自慢気に語った。外交を取り仕切った私めの手柄でありますぞ、と言いたげに。

 この男、マルクス駄目だ。
 この国の繊維業が壊滅的なのはこいつが原因。安いフィアット製を普及させすぎたがために国内の繊維業者を死なせた。
 さらに隣国が宗教侵略されてもなお布教を認めるという鈍感、いや確信犯か。さらには主家の女を手土産に外国の歓心を買う。売った姫君は四人。ということはやむを得ずの政略結婚ではなく、求められるがままの逐次投入。この男は信用できない。

  しかし摂政は愉快だというように笑って、マルクスに言った。

「素晴らしい。マルクス、君は有能だ。ぜひ俺のもとでも筆頭政務官を務めてくれないか」

「おお、摂政様。ありがたき幸せ。このマルクス、筆頭政務官として国のため忠義を尽くします」

  マルクスはにっこりと笑って、ええ、ええと満足そうにうなずくと、摂政の横に当然というふうに立った。居並ぶ臣下たちから舌打ちが聞こえる。やはり好かれてはいない。この男がどういうやつかは、摂政にもよくわかる。だが、今は利用価値がある。それに最も信用できないからこそ、側に置くべきだ。

  摂政は続いて居並ぶ臣下たちに命じた。

「では、その軍事についてだが」

 そう落ち着いた口調で、さらりと言ってのけた。

「軍は解散する。この国は戦どころではないし、隣国から攻められればその時点で終わりだから兵はいるだけ無駄な金食い虫だ。正規兵百五十人ばかりは治安維持の衛兵として再雇用し、他は解雇する

「お待ち下さい」

  低く大きな声。歩み出たのは白いひげを蓄えた甲冑の大男だった。

「ランドルフという将軍です。軍を統括している者にございます」

  マルクスが耳打ちするように言った。

「ランドルフ、何かあるか」

  ランドルフと呼ばれた老将軍は、摂政の前に出ると、膝を付き、深々と頭を下げた。その所作を見るだけで彼がどのような人生をたどってきたのかがわかるほど、見事な作法だった。だが戦場でもないのに甲冑を着込んでいるあたり、文字通りの堅物。そして亡国の将軍である。
 
 彼は言った。

「兵たちを解雇することだけは、何卒お許しください」

「なぜだ、将軍」

「兵たちは戦しか知らぬ者たちばかり。そして明日より畑を耕せと言われてもできぬ不器用者。貴族の一門たちは帰る場所があったとしても、ただの兵たちにはそれがありません。どうか彼らをお守り下さいますようお願い申し上げます」

「馬鹿か。兵は戦をするためのもの。その戦がないのだ。それに国を守るが兵であり、兵を守るための国ではない。その程度もわからないのか、将軍」

  言われたランドルフは顔を上げた。その目には睨みつけるような凄みと、確固たる意思が見える。

「国が兵を守らぬなら、兵は命をかけませぬ。それにお言葉ながら、我が兵たちはこのナプスブルク王国に欠かせない者たちでございます」

「ほう」

「兵たちの仕事は戦だけではありません。賊徒への警戒、要人や隊商の護衛、それに」

  ランドルフは摂政をまっすぐ見据えて言った。

「貴方様がよからぬ者に命を奪われることがなきよう、守る者たちにございます」

  貴方様が良からぬ者に狙われぬように。それはまるで、ランドルフ自身が牙を剥くかのように聞こえた。

「私が、命を狙われると?」

「狙われぬと考えるほうが難しいでしょう。ご自身でおわかりのはずだ。我が兵たちの中から隊をまとめられる者を推挙いたします。ですからその者たちを中心に兵をまとめ、自身を守らせなさい。彼らは手足となって働くでしょう。例え主が何者であろうとも」

「ランドルフ、まるであなたは配下にならないかに聞こえたが?」

「私は王家に仕える身。それにこの老体でございます」

  ランドルフ将軍はそう言い、しばらく無言のあと、こう言った。

「……いいえ、私はこのナプスブルクで将軍の地位を預かる身。戦で負けたでもなくこうなるは無念の極み。この上は自害して王家に詫びる所存。お前のような馬骨になど従うものか」

  ランドルフの物言いに、側にはべるマルクス大臣が、ふんと鼻をならして笑う。

  それを無視して摂政はランドルフに対して言った。

「良いだろう。半農の兵のみ畑に帰し、正規兵五百と貴族子弟百名は引き続き雇用する。ただしランドルフ、あなたがそれらを率いることが条件だ」

「なんと」

「あなたが手綱を握れという意味だ。わかるな。さもなくば、部下たちは路頭に迷うだろう」

「……御意」

  ランドルフは深々と頭を下げ、列に戻った。

 摂政には、元より兵士全てを解散させるつもりなどない。
 
 行き場がなくなった武力が、権力の座について日の浅い自分に対して向かってくることは予想できたからだ。大方自分が玉座につくことを面白くないと思う者によって率いられつけ狙ってくるだろう。だからわかっていたことだったが、あえて言ってみることでランドルフのような人材の有無を確かめたかった。

 うまくいったと摂政は内心でほくそ笑む。軍事力の手綱を握らせるに、ああいう古老はうってつけだ。

  その時だった。

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