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メロンパン職人の潮くんと、コーヒー担当の野中①
しおりを挟む「潮くん、今日の限定メニューは何かな?」
「カスタードメロンパン。」
彼は小さな木のテーブルの上で、今日も元気にメロンパンの生地をこねている。
メロンパンを愛してやまない彼は、自分が毎朝食べるメロンパンを作るため、弁護士をやめてメロンパン職人になったという異色の経歴を持っていた。
手ごねのメロンパン。個数限定。
売り切れになったら、その日の営業が終わる小さなお店。
定番のメロンパンと、日替わりで色々な種類のメロンパンを販売している。
僕は彼のことを「潮くん」と呼んでいる。
僕だけがそう呼ぶことを許されている呼び名で、彼を呼ぶたびに心に明かりが灯ったみたいに温かい気持ちになる。
潮くんの見た目はどう見ても20代前半にしか見えない。極度の童顔。
クリっとした大きな目。160センチの小柄な体軀。
色素の薄い茶色の髪が、太陽の光にキラキラと透けてさらに明るい色に見える。
弁護士を生業としていた頃からは考えられないような幼い喋り方と、服装。
彼は日常会話のほとんどを単語で済ませる。
長く話すのは疲れるからという、単純明快な理由からだった。
弁護士時代に今世でのほとんどの言葉を使い切ってしまったらしい。
白地に可愛いクマのキャラクターが描かれたTシャツ、青と白のボーダーに大きなポケットがついたエプロン。
子どものように無邪気な表情で、粉まみれになりながら一生懸命パン生地を捏ねる。
僕はというと、夏の間は彼の店でアイスコーヒーの担当をやらせてもらっている。
冬はホットココアとカフェラテの担当。
検察官を辞めて、彼が暮らすこの街にやってきたのは、「潮くん」という人間に惚れ込んでいるからだ。
お店、と言っても僕たち二人のカフェは、車の形をした小さな建物だ。
テイクアウトの専門店。
受付になっている窓から注文を受けて、品物を手渡す。
建物の周りに「ご自由にお座りください。」のプレートが置いてある、テーブルセットやベンチがあり、お客さんたちはそこで美味しそうにメロンパンを頬張る。
メロンパンの甘い香り。コーヒーの香ばしい良いにおい。
潮くんは、大好きなメロンパンを毎日食べられるし、メロンパンを美味しそうに食べているお客さんを毎日見ることができる。
弁護士時代の彼よりも、幸せそうに微笑むことが多くて、それを見た僕も幸せな気持ちになった。
僕と彼は、元弁護士と、元検察官。
異色の経歴を持つ2人で営んでいるこのカフェは、今日も平和だ。
今日は土曜日。
早い時間に用意したパンが全て売り切れになった。
キラキラと太陽の光が反射する透き通ったエメラルドグリーンの海を見ながら、海沿いの道を2人並んで歩く。
僕と彼は海の近くの小さなアパートで、一緒に暮らしていた。
小さいけれど、2人の大切なお城。
お互い都会で一人暮らししていた時より小さいけれど、無駄なものが何もない心地よい空間。
「野中、これ。」
潮くんが手渡してくれたのは、売り切れになったはずのカスタードメロンパン。
彼は僕を「野中」と呼ぶ。
これだけは、弁護士時代と変わらない唯一の習慣。
「僕の分、とっておいてくれたんですか?」
「ん。」
必要以上を喋らないけれど、都会で働いていた頃よりも、彼の心がよくわかる。
僕と彼は、晩ご飯のデザートにカスタードメロンパンを半分こして一緒に食べた。
早く仕事が終わった日は、夕食後にジャズを聴きながらまったり過ごす。
音楽は二人の共通の趣味だ。
ほとんど喋らずに小さなソファーの上で過ごす、大切な時間。
潮くんは僕の肩にもたれかかってメロンパンの本を眺めながら、明日のメニューを考え中。
僕はそんな彼を横目で見ながら、音楽に耳を傾ける。
パタン、と本を閉じると、彼が僕の手に手を重ねた。
目を閉じて、僕の指に指を絡める。
潮くんからの合図。
僕にしかわからない潮くんの可愛い仕草を見つけるたびに、愛おしさが募っていく。
応援ありがとうございます!
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