アオハルのタクト

碧野葉菜

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夢想曲(トロイメライ)

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「顔出しは、なしにしよ」

 思案の末、出た結果を口にする。俺は今まで、動画で顔を映したことがない。女子やあるまいし、身の危険を案じて、とかやない。例えば俺の見た目が綺麗やったら、せめて柳瀬くらいの端正な顔立ちであれば、公表したかもしれん。なんて、一瞬でも考えた自分が嫌になる。
 春歌はその点をクリアしている。だけど、映したくないと思った。会ったこともない不特定多数の人間に、ピアノを弾く春歌を見せたくないと感じたんや。誰にも邪魔されん二人だけの空間に、時間ごと閉じ込めたいと願ったのかもしれん。それやのに、この女ときたら。
 
「いいの? 私のお顔が可愛いからって、負けた言い訳できなくなるけど?」

 性悪な薄笑いを浮かべながら、こんなことを言ってくる始末。
 そうか、顔出しで春歌の再生数が伸びたら、ピアノやなく見た目のおかげって言い訳が利くやろうと?

「……上等や」

 俺の返事を聞いた春歌は、再びピアノに近づく。すぐ横で立ち止まると、そっと鍵盤の端に指先をのせた。そしてこちらを振り向いて、俺を誘うように口に開く。

「じゃあ……弾いてみせてよ、せんせ?」

 促され、ピアノに向かい、革張りの椅子に腰を据えると、譜面台に置いた楽譜に目を通す。
 ――大丈夫、なんの問題もない。
 どちらかといえば得意な方の曲に、不覚ながら一安心してしまう。
 思えば春歌の前で演奏するんも、十年ぶりや。春歌をコンクールに呼んだことはないし、今まで学校が違ったから、音楽会のピアノを任されても春歌が観ることはなかった。
 披露する機会を自ら作らんかったら、こんなに長い間避けることができる。図らずとも巡ってきたその機会に、駆け足する心音を落ち着かせようと、ふうと息を吐いた。
 鍵盤に置いた指、俺のタイミングで音楽が始まる。ええ具合に肩の力が抜けて、リラックスできている。春歌に観られる緊張よりも、高揚の方が勝っている。
 五歳やったあの頃より、ずいぶん成長したやろう?
 積み重ねてきた努力が自信を生み、成果となる。春歌に言われるがまま、演奏を繰り返す。ピアノを弾き慣れてへんかったら、手が攣ってもおかしくない。そんな複雑な曲。だけど俺はなんともない。平気や。いつか大勢の観客の前でリサイタルする。それに備えて、十曲は余裕を持って弾けるようにしている。

「どうや、もう一回――」

 三回目の演奏が終わり、後ろを振り向いた時、思わず言葉を切った。
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