オリーブの季節

chance

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一時の夢

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 家の近くの駐車場で降ろしてもらった。

 車を降りる前、シートベルトを外そうとする私の手が先輩につかまった。その強さに反した優しい口調で。



「明後日、会おうか」


「なんでですか?」



 手首はつかまったままだ。



「明後日、休みでしょう? 朝から出掛けよう、高井たちも」


「えっ、高井さんたち? 朝からって」



 それって大迫さんや本田さんや……愁さんも、ってこと。



「高井たちが聖ちゃんのこと、ちゃんと友だちだと思ってるってことを確認しよう。きっと喜んで来るよ」



 先輩の言葉にまた動けなくなりそうだった。この人は、大事なものが見える人なんだろうなって。何気なく言った言葉の奥の隠れた真実に、気づけちゃうんだ。



 動かなくなった私を見つめる先輩は優しい。



「そんな顔してるとまたキスするよ」


「……」



 優しく、何てこと言うんだ。



 シートベルトを素早く外し、いたずらっ子の様な先輩をしっかり睨んだ。



「でも高井さんたちと先輩、あんまり仲良くないんじゃ」



 遠慮がちに言ってみたら先輩は短い溜め息を吐いた。



「大丈夫だよ、アイツらとは腐れ縁だから。それに俺も、そろそろ本気でアイツを口説かなきゃならないしな」



 最後の方は聞き取れないくらい小さな声だったけれど、先輩の肩が軽く上下したから力を抜いたのが分かったんだ。






 ――――昨日の出来事を話しながら、由加ちゃんと学校帰りのドーナツショップで大きめのドーナツにかぶり付くこの時間が幸せ。



「いーな。成宮先輩とキスできるなんて」


「ちょっ、あんまり大きな声出さないでよ! 恥ずかしいでしょ」


「いいじゃん、聞かれたって。成宮先輩カッコイイんだから」



 由加ちゃんは次のドーナツに手を伸ばしながら、もう片方の手でミルクティーを口に運んでいる。



「カッコイイかどうかは、ここにいる人達には分からないでしょ。それにそういう問題じゃないし」



 だいたい明日、どんな顔して会えばいいんだよ。



「でもさぁ、成宮先輩の言っている『アイツを口説かないと』って、何だろね」



 それは私も思った。そこは聞こえた。『アイツ』って、この状況じゃあ、みんなの反応から言って多分、愁さんよね。



「愁さんよね」

 

 由加ちゃんも同じことを思ったようだ。



「でも愁さんを口説くって、成宮先輩そっちもイケちゃうのかな。ちょっとヤバイよ聖、ライバル出現じゃん」


「やめてよ、あんな綺麗な顔と色気のある人に勝てる訳ないでしょ。ってか、ライバルって。まるで私が先輩のこと好きみたいじゃない」



 どっちにしても話がおかしくなるじゃない?


「聖、成宮先輩のこと好きになってないの?」


「なってない」



 と思う。



「なんで? キスしちゃったのに」


「あ、あれは事故だもん」



 由加ちゃんの食いつきに焦ってしまう。



「だって成宮先輩からでしょ? それは事故とは言わないね、事故とは不可抗力の時のみの事を言います」



 何故に自信たっぷりなの。



「私にとっては、事故だもん……」



 昨日の先輩の顔がチラつく。ちくしょう、イケメンなのがムカつくわ。



「あのさ聖、ドキドキとかしなかったの?」


「ドキドキ? それは」



 した、と思う。いやいや、怒っているんだからね私は。だってファーストキスだし。



「あと、素の自分を出せるとか?」



 素の自分?



「聖は誰の前でも壁があるからね。私は分かっているけど、他では本当の自分は見せれないでしょ。成宮先輩の前で壁は取れた? 居心地、良かったみたいな」


 由加ちゃんの言葉に、さっきまで焦って弁解していたはずなのに何も言葉がでてこない。……壁? 居心地?


 昨日の私って。ただ先輩のペースにのまれていて、沈黙が続いてもそれは嫌な感じじゃなくて……。


 先輩と一緒にいて嫌じゃない、安心もできる。それって好きってことなの?


 いつの間にかドーナツを食べ終わった由加ちゃんは、考え込んで全く手を付けていない私のトレイに手を伸ばす。ドーナツたちをせっせと自分のお皿へと移していく作業はいつものことだ。


 いーけど太るよ、由加ちゃん。と思ったら由加ちゃんがこちらを見てギクリとした。心の声が聞こえたな。



「由加ちゃんはいーの?」

「へっ、ふぁにぐぁ?」



 なにが、って言ってるんだね。



「だから、先輩のこと。いいなって思ってたんじゃないの? イケメンだって嬉しそうに話してたじゃん。それとも、やっぱり矢島と児嶋?」



 大きなドーナツを頬張りミルクティーで喉を鳴らしながら飲み込んでいく姿は、ヤジコジに見られたくないだろうな。いつも通りの由加ちゃんがナプキンで手を拭きながら答え始めた。



「成宮先輩は最初から聖がお気に入りみたいだったからいいの。矢島くんと児嶋くんはたまに遊ぶくらいならいいかな。今ね紹介で会った大学生の人が気になってるのカッコいいんだよ! あっでも明日は大迫さん狙いでいこうな。大迫さんもカッコイイよねぇあ、あとねっ―――――」



 ……誰この人。


 すっかり今時の女子高生に染まってしまった由加ちゃんに、顔がひきつりながらも笑顔でうなずいた。それでも、楽しそうに話し続ける由加ちゃんを見ると嬉しかった。学校が別々になることが決まった時、お互い不安とイイ女への希望を語り合った日が懐かしい。


 良かったね由加ちゃん、ちゃんと自分の世界が作れたんだね。



「それでね、あ、ドーナツおかわりするね。語ろうね、聖」
 


 私は冷めたコーヒーをひとくち飲んで、由加ちゃんの終わらない話を聞く覚悟を決めた。





 ――翌日。朝5時に待ち合わせ。


 嘘でしょ、ありえない……。あの公園に5時に待ち合わせの連絡が来たのは昨日の夜8時。



「過密スケジュールすぎでは」



 待ち合わせまで10時間ないじゃんか。高井さんたちは公園に集合。由加ちゃんも家が近いのでそのまま行くことに。私だけ離れているということで先輩が迎えに来てくれることになった。



「なんか気まずいかもしれない」



 先輩が着いたら連絡が来て、この間の駐車場まで出てくることになっているのだけど。待たせるのも悪いと思った私は、先輩が約束の時間より早く来た時のことを考えて更に早く来てしまった。


 4時20分。さすがにまだ薄暗い。



「なんか私、あやしい人みたい」



 足下の砂利を靴で転がして辺りを見回せば、静寂とた建ち並ぶ家たちが視界に映る。



「幸せそうな家がいっぱい」



 小さく呟いた。

 
 先輩を待たせるのは悪いと思った。けど家にいる時間を少しでも減らしたかったのが本当。約束があるなら尚更、自分に言い訳ができる。私にとっては絶好の逃げ道だ。


 他所の家が並ぶ静かな住宅街は、まだ肌寒い早朝でも私には暖かく見えて仕方がない。



「コーヒーでも買いに行こっ」



 駐車場から50メートルほどの所にある自動販売機へと足を向けた。ぽつり、ぽつりと歩いて行く。途中、後ろからスクーターが勢いよく走ってきたので慌てて道の端に寄った。

 私に気付いたのかスピードを落とした後、またスピードを上げ自動販売機のある道の角を曲がって行った。



「……っぶな」



 スクーターでもあんなにスピードが出るんだから、高井さんたちのバイクはもっと凄いんだろうな。なんて考えながら自動販売機の前までやって来た。


 ここは昔、酒屋だったところ。コンビニの数が増え、お店は閉めてしまったけれど販売機は人気のままだ。今では20数台ある自動販売機がクランクのように並んでいる。奥まった所には簡易的な机と椅子もあって、昼間は学生の憩いの場。私も由香ちゃんも常連だ。


 私は自動販売機に並んでいる飲み物の種類を一つ一つ見ながら、どのコーヒーにしようかと少しづつ横にずれていった。

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