大罪人の娘・前編

いずもカリーシ

文字の大きさ
27 / 65
第参章 武田軍侵攻、策略の章

第二十五節 織田信長の愛娘、毒殺事件

しおりを挟む
非凡ひぼんな武田勝頼が、徳川家康の首を取るとはどうしても思えない」

この明智光秀の主張は……
織田信長の予想をはるかに超える内容であった。

矢継やつばやに質問を投げかけ始める。
「家康の首を取らないとすれば……
らえるということか?
捕らえてどうする?」

「捕らえる理由は、人質とする以外にありません」
「人質!?
何のため?」

「人質とする理由も一つだけです。
人質の命と引き換えに、おのれの要求を通すこと」

「己の要求!?
その内容は、何ぞ?」

「それは……」
「何じゃ?
はよ申せ」

「信長様との『和平』です」
「何っ!?
わしとの和平?」

そして。
光秀の次の話は、信長を激しく動揺させた。

「同じこころざしを持つ友との和平よりも、おのれの『復讐ふくしゅう』を優先させるおつもりですか?
お忘れではありますまい。
勝頼は……
妻に迎えた信長様の愛娘を一途に愛し、信長様と同じ志を持つに至った人物ですぞ?」
と。

 ◇

少しの沈黙の後、信長が口を開く。

「光秀よ。
そちの意見は、常に正しい。
正しい、が……
この激情を抑えることはできそうにない」

「……」
「あの『出来事』を忘れたのか?
!」

今から4年前。
一人の女の死が、一人の男の『復讐』の炎を激しく燃え上がらせる結果を招いていた。

その女性……
織田信長の愛娘とは、一体どんな人物なのだろうか?

 ◇

唐突に信長は、愛娘と出会った日のことを語り始めた。

「あの日。
我が妹が嫁いだ先、岩村城いわむらじょう[現在の岐阜県恵那市]の城主である遠山直廉とおやまなおかどの屋敷へ行ったとき……
わしは、まだ幼かった『めい』と初めて会った」

「……」
「美しく鋭い目に、わしは強烈な印象を受けた。
千里眼せんりがん
あの目は、千里の先まで見通せる異能[超能力のこと]を感じてしまうような目であった」

「……」
「わしは瞬時にこう思った。
優れた才能を持っていることに加え、世の中の本質を見極めたい気持ちが非常に強い娘なのだろうと。
そして。
わしを見た娘は、こう申した」

「何と申したのです?」
「『わたくしには……
うつけ者のようには全く見えません。
なぜ、うつけ者[馬鹿者という意味]の芝居しばい[演技のこと]をされているのです?』
とな」

「何と……
まさか!
?」

信長の目から涙があふれた。
「ああ、そうじゃ!
わしの人を見る目に、狂いはなかった!
そうであろう?」

「それがしも、一度お見掛けした際……
鋭い目に強烈な印象を受けたのを覚えております」

「人というものはな……
おのれの目で見たモノで判断してしまう傾向がある。
全てを知ったわけでもないのに、一部を見ただけで全てを知ったかのように思い込み、その思い込みを元に間違った判断を下し、結果として大きな失敗を犯す。
人の世が抱える問題の原因はほぼ全て、この『無知むち』にあるのじゃ」

おっしゃる通りです。
だからこそ信長様は……
うつけ者[馬鹿者]の芝居しばい[演技]をして、周囲を『あざむいて』おられたのでしょう?」

「わしはずっと……
一族や家臣たちを注意深く観察していた。
どんな生き方をし、どんなこころざしを持ち、どんな人柄で、どんな強みと弱みを持ち、何に執着しゅうちゃくしているかなど、事細ことこまかにな」

「織田家の嫡男ちゃくなんとして生まれ、いずれ当主となる以上……
一族や家臣の人となりを『全て』知っておく必要があります」

「うむ」
「ただし。
決して相手に悟られてはなりません。
『警戒』されてしまいますからな」

「わしは、徹底的にうつけ者[馬鹿者]の芝居しばい[演技]をし続けた。
家臣たちと異様な恰好かっこうで街を練り歩いて奇声きせいを発した。
父の葬儀では、位牌いはいに向かってこうを投げ付けることまでやった。
これを見た周囲の者どもは……
まんまとあざむかれたのじゃ。
おのれの方が上だと思い込み、そして、警戒を緩めた。
隅々まで調べ上げられていることなど夢にも思わずにのう」

「あの御方は……
まだ幼いにも関わらず、それらを『全て』理解できたと?」

「ああ、そうじゃ!
わしは……
あの娘におのれと同じ匂いを感じた。
『わしの考えを理解できる者は数少ない、が……
この娘なら!
わしの考えをすべて理解してくれるに違いない!』
と。
衝動的に、手元に置いて大切に育てるべき子供だと思った」

「……」
「娘に、付いて来て欲しいと伝えたら……
満面の笑顔でこたえてくれた。
勿論もちろんです』
とな。
両親も故郷も捨てて、わしに付いて来てくれた。
わしはいつしか……


「あの御方は人柄においても非凡ひぼんであったとか。
凡人ぼんじんほどおのれの立場にとらわれるものですが……
非凡な人物ほど『相手の立場』になって考えることができ、結果として大きな成功を収めます」

「ああ、そうじゃ!」

 ◇

信長の話は続く。

「やがて。
美濃国みののくに[現在の岐阜県]を制圧し、岐阜を本拠としたわしは……
武田信玄という男に注目するようになった。
わしと同じく、凡人ぼんじんとは異なる価値観を持っていたからじゃ。
目先の銭[お金]を得ること、目の前の楽しみを追求することに全く執着しようとせず……
国のあるじとして、国に住む民を守る責任を果たすことを第一に考え、悪という悪を根絶ねだやしにし、国の平和と安全の達成をおのれの使命としていた。
そのためならば……
銭を捨て、楽しみを捨て、悪名を負うこともいとわないほどに」

「『純粋』に国を、民をうれいているかどうかが……


「うむ。
わしと信玄は、『同種』であったのだろう」

「だからこそ信長様は……
信玄と盟友になるため、あの御方に武田家へ嫁ぐことを頼まれたと聞きましたが」

「いや。
そうではない。
武田家へ嫁ぐことは、我が愛娘の方から申し出たのじゃ」

「あの御方から!?」
「『
とな」

「何と!
戦国乱世に終止符を打つためには……
信長様と同種の人物である信玄と、精強を誇る武田軍を味方に付ける必要を強く認識されていたからでしょうか?」

「ああ。
『わたくしもまた、使命を果たすべきときなのです』
こう申してわしの反対を押し切ったのじゃ」

「……」
「武田家へ嫁いで行った、あの日のことは……
今でも鮮明に覚えている。
大粒の涙を浮かべた、いとおしくてたまらない我が愛娘の顔が……

「……」
「その後。
我が愛娘は、夫の勝頼と固い絆を結んで息子を授かった。
加えて。
あの武田四天王からも一目置かれるようになった。
『全力であの御方を守って差し上げよう』
と」

「武田四天王……
清廉潔白せいれんけっぱく[心が清くて私欲がない人のことを指す]で実力にも秀でた高坂昌信こうさかまさのぶ山県昌景やまがたまさかげ内藤昌豊ないとうまさとよ馬場信春ばばのぶはるの4人の武将ですな?」

「ところが!
今から4年前……
我が愛娘は、武田家ゆかりの寺で『毒殺』された。
!」

「……」
「凛という愛娘を持つ、そちならば……
わしの気持ちを理解できるはずじゃ。
愛娘の苦しみは、おのれの苦しみ。
愛娘の痛みは、己の痛み。
愛娘の絶望は、己の絶望!
そうであろう光秀!」

おっしゃる通りです」
「愛娘を想うほどに……
復讐の炎は、この世の全てを灰にしたいと願うほどに激しく燃え上がっている。
もう『誰』にも消すことなどできん!」

「……」

 ◇

信長の話はさらに続く。

「光秀よ。
忘れたわけではあるまい?
4年前の、あの日。
武田家から病死と聞かされていた我が愛娘が……
実際は用意周到な罠にまって毒殺されていた『事実』を知って、わしが激しく涙した日のことを!」

「忘れてはおりません」
「あの日……
わしは誓ったのじゃ。
『我が愛娘の毒殺をくわだてた奴らを、草の根分けてでも見付け出し……
一族もろとも根絶ねだやしにしてやる!
そして。
人を傷付けておきながら、何の代償も払わずにのうのうと生きている、どうしようもない奴ら。
女子おなごや子供、立場の低い人などの弱者を守るどころか、道具のように扱って差別する、どうしようもない奴ら。
そんなクズどもを絶対に容赦しない姿勢を貫くために……
武田家も根絶ねだやしにして、世の人々への見せしめとしようぞ』
と」

「そのお考えは、今でも変わらないのですか?」
「変わるものか!
何年経とうが変わりはせん!」

「……」

 ◇

「光秀よ。
このことも忘れたわけではあるまい?
4年前の、あの日。
そちは……


「……」


【次節予告 第二十六節 京の都と、武田家を滅ぼす策略】
織田信長が最も信頼している側近が……
復讐の対象を、信長の愛娘の毒殺を企てた武器商人『だけ』とするよう助言します。
ところが信長は一切耳を貸さず、直ちに光秀を呼べと命じるのです。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

電子の帝国

Flight_kj
歴史・時代
少しだけ電子技術が早く技術が進歩した帝国はどのように戦うか 明治期の工業化が少し早く進展したおかげで、日本の電子技術や精密機械工業は順調に進歩した。世界規模の戦争に巻き込まれた日本は、そんな技術をもとにしてどんな戦いを繰り広げるのか? わずかに早くレーダーやコンピューターなどの電子機器が登場することにより、戦場の様相は大きく変わってゆく。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...