嘘破りの徳二

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嘘破りの徳二

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人々の活気でこの町は成り立っていた。江戸の地。この地で私はたくさんの商売敵を相手にしなければならなかった。私は、ある小間物問屋の主人である。
その日、私は店の奥にある居間で今日の商売の戦略を練っていた。私は店こそ持っているのだが、決して裕福な暮らしができるわけではなく、毎日、生活をするのに精一杯であった。生きてくためには、他の店との差別化を図り、店を目立たせる必要があったのだ。私は、この店の主人となってからというもの、疲労が蓄積していた。
そんなある日、湯屋の帰りのことである。
私は商売の都合上、明日から大阪に旅立つとことになっていた。それにも関わらず帰りが遅くなってしまった。湯屋が閉まるぎりぎりの時間に湯屋を出て、私は家路を急いでいた。もうすぐ、自分の店にたどり着くというところで、私はほのかな灯りが神社の祠にともっているのを見かけた。
この神社は歴史が古く、地元住民たちによって作られたといわれている神社である。鳥居の奥には小さな祠がある。この神社の管理は地元住民が順番で行っていた。私の店も、この神社の近くにあるということで管理の当番が回ってくることがある。
私は、こんな時間に灯りがともっていることを不思議に思い、鳥居の奥を覗き込んだ。
-誰かいるのか。
しかし、鳥居の奥を覗き込んだものの、そこにあったはずの灯りは見当たらなかった。ただ灯りといえば私が手にしていた提灯の灯りだけで、先ほど確かに見えたはずの灯りは見当たらない。私は不思議に思ったのだが、疲労が蓄積していたための見間違いであろうと自分を納得させて家路を急いだ。

小間物問屋の主人が祠の灯りを見た翌日、神社の祠近くで首を吊った遺体が発見された。役人や岡っ引の調査のもと、遺体は神社の近くで繁盛している料亭の下女のものであることがわかった。下女の名は鈴。働き者でとくに目立つとこのない普通の娘だったようだ。鈴は遺体が発見される前夜にはすでに姿を消していたらしく、鈴が死亡したのは発見日の前日だと考えられた。
―役人たちは、鈴の死を自死と断定するか迷っていた。
鈴の首には着物の帯が巻かれており、首には帯の跡が残っていた。当然のことながら、縊死であると考えられる。
しかし、鈴の首には、絞めた跡が首の上部と付け根の二か所にあり、それが不可解であった。誰かが鈴の首を絞めた可能性も考えられる。しかし、下手人はあがらず、結局のところ、鈴は神社内の木で首を吊り、身体の重さで首を吊っていた帯が動き、もう一度、首を絞めることになったのだろうと断定された。


相談にのります。
長治郎長屋の端にはそんな張り紙が貼ってあった。この張り紙を張ったのは長治郎長屋に住まう徳二という男である。徳二という男は素性の分からぬ風変わりな男であるが、近隣住民からの評価は悪くなかった。なんでも、長屋のおかみ連中が物を失くした時には、真っ先に見つけ出してくれるそうである。また、長屋の男連中や差配からもよき相談相手として信頼されていた。徳二はこれといって商売などをしているわけでなかった。否、人の話を聞き相談に乗るのが徳二の商売なのである。

ある夏の暑い日、鈴の遺体が発見されてから約一カ月後のことである。徳二の住まいを一人の男が訪れた。男は心細げに徳二の住まいの前に立っていた。この男こそ、小間物問屋の主人、幸右衛門である。幸右衛門は徳二の噂を聞きつけたものの、見知らぬ男に相談をするかどうかを躊躇していた。
そんな中、徳二が買い物を済ませて住まいに戻ってきた。
「あの、どちら様でしょうか。」
幸右衛門は背中越しに声をかけられて、ひどく驚いた。
「こちらで、物事の相談をすることができると聞きまして……」
幸右衛門がおずおずといった様子で答える。
幸右衛門は疲労のせいか、目に隈をためていた。
徳二は、その言葉を聞いて微笑んだ。徳二にとって、見知らぬ相談客が訪れることは珍しくないのだ。
「話を伺いましょう。一体どうされたのですか」
徳二は部屋に上がると、幸右衛門に汚い座敷を勧め、尋ねた。
「汚い場所でどうもすいません。物は少ないのですが、掃除は苦手でして」
「いえ……」
幸右衛門はおどおどとした様子で俯き、思い切ったように話し始めた。
「私は、幸右衛門と申します者で、小間物問屋をしております。唐突なのですが、桜屋のお鈴ちゃんが遺体で見つかったのはご存じですか」
徳二もその話については、長屋のかみさん連中から聞いていた。彼の情報元は大抵が長屋の住人の噂話だった。
「その話なら知っています。なんでも自死と断定されたそうで……」
徳二が話を続ける前に、幸右衛門は慌てた様子で話し始めた。
「そうなのでございます。しかし、私にはお鈴ちゃんが自ら命を絶つようには思えないのです。お鈴ちゃんが発見されたときに周りにいた者にも聞いて回りました。考えられる限りの礼を尽くして、お役人様にも伺ったのでございます。話によると、お鈴ちゃんの首には絞め跡が二箇所あったようです。首の上部と付け根の部分の二箇所です。首を吊って、そんな風になるものなのでしょうか。―なんだか、不可解に思いませんか。それに、少し気がかりな点がございまして……」
まあまあ、そんなに慌てて……
徳二は一度にまくし立てるような幸右衛門の様子に少し驚いた。
幸右衛門は生真面目な性質(たち)からか、徳二に対しても丁寧な態度を崩さなかった。ただ、幸右衛門があまりにも緊張しているのが徳二には気がかりだった。徳二にとって丁寧な態度で話されることは不慣れなことであり、むずがゆいような妙な心持ちがした。
「気がかりな点ですか。どういったものでしょう」
徳二が尋ねると、幸右衛門は少し顔を曇らせて不安げに応えた。
「はい。私はお鈴ちゃんが亡くなる前日に、神社の祠に灯りがともっているのを見たのです。私が灯りを目にしたのは、もう遅い時間でして、その頃には通常、神社は真っ暗なはずなのです。変ではありませんか。それに、私が祠に近づくと灯りは消えてしまったのです」
「なんと。あったはずの灯りが消えてしまったのですか」
徳二は妙に思いつつ静かに聞き返した。
「私は疲れていたので、気のせいだと自分に言い聞かせたのですが……。お鈴ちゃんの遺体がその次の日に発見されたことを知りますと、何やら気がかりでして」
「確かに。それは少し気がかりですね。もしかすると、あなたの言う通り、お鈴さんは自ら命を絶ったのではないのかもしれません。お鈴さんの死は何者かによってもたらされたのかもしれませんし、灯りは下手人のものというのもなくはないですね」
徳二は少し、思案して尋ねた。
「それは、そうとあなたはお鈴さんのことを知っていらっしゃったのですね」
徳二には、それほどの大店ではないにしても店の主人である幸右衛門と料亭の下女の間に接点があまり感じられなかった。
「はい。商売上で桜屋をよく会合の場として使うのです。お鈴ちゃんとは何度も顔をあわせています。私には、子どもがいないせいか、お鈴ちゃんを自分の子どものように思っていたのです」
幸右衛門は少し息苦しそうに続けた。
「私は、お鈴ちゃんが亡くなったときにはちょうど、大阪の方に商売の用事で出かけたところでして、帰ってから事の次第を知ったのでございます。私が江戸に戻った時には、すでに自死と断定されていたようで、自身番も掛け合ってくれませんでした。嗚呼、私は大阪に長居しすぎたようです。どうか、お鈴ちゃんの死の真相を暴いてください。このままでは、お鈴ちゃんが浮かばれません」
幸右衛門はそう言って、懐に手をやった。ごそごそと音がして、徳二は少し構えた。徳二は幸右衛門が大金を出してくると考え、まずいと思った。彼はいつでも大きな仕事は引き受ける気がしないのだ。
案の定、幸右衛門は金子を取り出し徳二に差し出した。
「これは、私の気持ちです。いろいろと金子が必要になるでしょう。なかなか、まとまった金子も用意できず、謝礼もこの中に含まれていて申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします」
幸右衛門はまるで、お鈴が誰かに殺されたのだと決めつけているようであった。
「そんな。こんなに多くは受け取れませんよ。私は少しの金子で満足です」
「いいえ。これは私の気持ちなのですよ。どうかお願いします」
幸右衛門はそういって困惑する徳二に金子を押し付けると帰っていた。
幸右衛門が帰ると、徳二はしばらく思案に耽った。

翌日、徳二は神社の近くの猿置長屋を訪れた。風変わりな名の長屋であるが、歴史は長く、古顔も多い。徳二は、以前に猿置長屋に住む辰五郎という老人の根付を探し出したことがあった。高価なものではないのだが、孫娘からもらったということで、辰五郎は大切にしていたのだった。古顔の辰五郎が落ち込んでいたので、長屋の一同も総動員で捜索をしたのだが、根付はなかなか見つからない。そんな時、たまたま近くを通りかかった徳二が協力し、根付は結局、辰五郎の飼い猫が持ち出していたことがわかった。そういうわけで、猿置長屋には徳二の知る顔が多かった。

「お邪魔します」
徳二はそう言って辰二郎の住まいに入った。
辰二郎は彫刻師である。辰二郎は小さな木箱に彫刻をして装飾を施していた。徳二といい勝負の汚い住まいだが、辰二郎の住まいには物が多かった。座る場所は空いておらず、徳二は立ったまま話すことにした。
「おや、元気にしていたかい。徳さん。久しぶりじゃないか」
小柄な老人がこちらを振り向く。
「仕事中すいません。少しお尋ねしたいことがあるのですが、お時間よろしいですか」
徳二の声に老人は人懐っこい笑みを浮かべた。
「大丈夫、大丈夫。で。尋ねたいことっていうのは何だい」
「―そこの神社で、娘さんが亡くなった話について伺いたいのです。このことはご存知ですか」
徳二がそう言うと、辰二郎は顔を少し曇らせた。
「その話か……。まったくなんというか不憫な話だよな。若い娘が自死を選ぶなんて。なんでも、わしの知っているだと、昔からあの神社の木で首を吊って死ぬ人間は多いそうだがな。ええと、話がそれちまった。―お鈴ちゃんって言うんだろう。その娘。なにやら、想う人に振られた悲しみで自分の命を絶ったとかいうのをかみさん連中から聞いたよ」
「想う人に振られたのですか」
そんな話は知らなかった。
「ああ、かみさん連中の話だから、あまり全部を真に受けないでくれよ。なに、そのお鈴ちゃんは同じ桜屋の番頭さんを慕っていたらしくて、番頭さんの方もお鈴ちゃんのことは好いていたらしいがね。でも、二人は立場が違いすぎる。番頭さんは桜屋の主人からも信頼されていて、跡取り候補でもあるらしいからね。番頭さんは、考えに考えた末、お鈴ちゃんを振ったらしいよ」
辰二郎は頷きながらそう話した。
「なるほど。そういうわけだったのですね。つまり、お鈴さんは番頭さんに振られた悲しみで、自ら命を絶ったと。―その番頭さんのお名前はご存知ですか」
「ええと、権三だったか権一だったか……」
どちらだろう。場合によっては他の者にも聞き込みをしなければならない。
しかし、多くの人に聞き込みをするほど、情報は大きくなるし、自分がお鈴の死について探っていることが知れ渡ってしまう。
知らずのうちに下手人に、悟られてしまうことだけは避けたかった。
「ええと、権一だ。たぶん」
辰二郎は二、三度頷いた。
これは―。間違いではないだろう。
徳二は、ごく普通の男なのだが、一つ不思議な力を持っていた。
それは、物の怪と話すことができたり、透視ができるような力では決してない。
徳二は嘘が判るのだ。
嘘だけではない。嘘とは呼べないのかもしれないが、間違いによる嘘。
つまり、相手が勘違いをしているかどうかが、直感で判るのだった
徳二は微笑んだ。
「権一さんですね。覚えておきます。―ところで、辰二郎さん。トラは元気ですか」
トラというのは、辰二郎の住まいに住み着いている黒と茶の毛をもった猫である。徳二のいきなりの質問に辰二郎は軽く笑った。徳二は筋道のたった話し方をしない。いきなり話題が変わることも多いので、辰二郎はいつも笑ってしまうのだった。
「トラ?元気だが。どうしたんだい一体。お鈴ちゃんの話となにか関係があるのかい」
「いえ。しばらくの間、トラを貸してくれませんか」
徳二は辰二郎に微笑んだ。
「そりゃ、まあ構わねえけどさ。まったく徳さんは変わってるよ。なにか新しい相談を引き受けたんだろう」
「ええ。そうなんです。その調べごとのためにトラが必要なんですよ」
辰二郎がトラを呼ぶとトラはこちらに走ってきた。トラは何か考えているようでもあり、全く何も考えてないようにも見える。徳二はそんなトラを気に入っていた。
「さあ、しっかり手伝ってこい」
辰二郎はそう言うと、徳二にトラを預けた。

鈴が亡くなった神社というのは、猿置長屋の目と鼻の先にあった。神社の中には小さな祠と木が数本あるだけで、特に変わった様子もない。徳二は木々をじっくりと観察して、祠の左手の木に擦ったような跡を見つけた。
お鈴さんの帯が食い込んだ跡か。お鈴さんはおそらくこの木で首を吊ったのだろう。いや、自分で吊ったのではないかもしれないが。
徳二は腕に抱きかかえていたトラを地面におろすと、トラに餌の乾物を与えた。
「トラ、なにか落ちているものがあればとってきてくれないか」
徳二がトラにそう言うと、トラは駆け出した。何か証拠となる物が落ちているかもしれない。お役人様による調べが終わった後なので期待はできないが、奥の方は探していないかもしれない。
しばらく待っているとトラが戻ってきた。残念ながらトラは何も持ち帰ってはこなかった。トラの体は泥だらけでたくさんの雑草が巻き付いている。
「ありゃりゃ。トラ、奥の方まで探してくれたんだな」
徳二はトラに巻き付いた雑草を取ろうとトラを抱えなおした。そのときに徳二はふと違和感に気が付いた。
まてよ。トラの体にこんなにも雑草がまとわりついているのは少しおかしくないか。この神社は住民に管理されているはず。当然、掃除もこまめに行われているはずだ。鳥居の中には雑草もほとんどない。
―祠の裏には雑草があるのか。
そう思い、徳二は祠の裏にまわった。
祠の裏に回ると、祠のちょうど下の方に多量の雑草が見られた。ここは掃除がされていないのか。
徳二は少し気にかかり、しゃがみこんで雑草を払いのけた。
雑草を払いのけると、小さな地蔵が五、六体並んでいた。
なぜこんな場所に。
まるで、忘れ去られたかのように地蔵は並んでいた。


次の日、徳二はもう一度、猿置長屋を訪れた。神社で鈴の遺体が発見された日、神社の管理当番だった人物に会おうと考えていたのだ。辰二郎に聞くと、当番はすぐに分かった。辰二郎と同じ猿置長屋に住む竜という女だった。竜は少し派手ななりをしているが、気の良い女ですぐにその日のことを聞かせてくれた。
「私はね、お鈴さんの遺体が見つかった日、ちょうど神社の管理当番でしたよ。なにしろ、お鈴さんの遺体を発見したのは私なんだ。もう驚いて、驚いて、可哀そうなものを見てしまったよ」
竜は眉間に軽く皺を寄せて不機嫌そうに口をすぼめた。
「あなたが発見者だったのですか」
「ああ、そうだよ。でもなんだって言うのさ。私はただお鈴さんの遺体を見ただけで、何も知らないよ」
竜は細い眉を吊り上げた。
「辛いことを思い出させてしまって申し訳ありません。少し気になることがあって、失礼かとも思ったのですが、お尋ねしたくて」
徳二は少し慌てつつも、竜を不快にさせないように心掛けて続けた。
「お竜さん。あなたが神社に行ったのはいつごろですか」
「いつだって。朝だよ。確か木戸が開いていたから、明け六つくらいじゃないかね。朝に祠の掃除をすることになっているんだ。その日は、少し早めにね、神社に行ったんだよ」
竜は嘘をついていない。竜はただの第一発見者にすぎないだろう。
竜が神社にたどり着く前。その出来事が重要だ。
「そうですか。ありがとうございます」
徳二は頭を下げた。
「あと、もう一つだけ。あなたがお鈴さんの遺体を発見された前日の晩、何か、人の声や物音は聞こえませんでしたか」
「いいや。何も聞こえなかったけどね」
竜は首を傾げた。
「そうでしたか。参考になりました」
徳二は再び頭を下げた。
「それだけでいいのかい」
竜はあっけにとられている。
徳二の考え方はごく簡単なものだった。徳二には相手の嘘が判るのだから、必要以上の質問を竜にする必要はない。竜は嘘をついていなかった。
「ええ、十分です。手間を取らせてしまい、申し訳ありません」
「いや。これくらい、なんでもないさ」
呆然としている竜を残し、徳二は立ち去った。

さて、次に徳二が向かったのは桜屋である。桜屋は最近、益々繁盛している料亭であった。
勿論、金のない徳二には縁がない。
しかしながら、徳二は桜屋の番頭である権一に用があった。
辰二郎の話より、鈴の死は権一が関わっていると考えるのが筋だろう。
徳二は桜屋の暖簾をくぐった。店は本当に繁盛しているようだ。小僧が忙しそうに廊下を行き来している。
「いらっしゃいませ。お一人ですか」
愛想のよい女中が徳二に声をかけた。
「忙しい中、すみません。私、今日は桜屋さんに用事があるわけではなく、番頭の権一さんに用があるのです」
「番頭ですか」
女中は少し訝しむような表情になった。得体の知れないこの男を警戒しているようだ。
「すみません。自己紹介が遅れました。私、権一さんの遠い親戚の者で、喜一と申すものでございます。親戚同士での内密な話があり、伺った次第です」
徳二は嘘をついた。自分の名を必要以上に知られたくなかった。
嘘破りの自分が他人に嘘を見破られるようでは、話にならない。
幸運にも、親戚という言葉は女中には上手く効いたようであった。彼女は訝しむ表情を一変させて微笑んだ。
「あら、そうなのですか。では、お呼びいたしますので、少しお待ちください」
彼女はそう言って、奥へと急ぎ足で去っていった。
しばらくすると、先程の女中に連れ立って、細身の男が出てきた。
この男が権一だろう。ひょろりと背が高い。多くの人が集まる江戸でも、これほど背の高い男はあまりいないだろう。
まだ若いはずなのだが、目元には深い皺がある。
若くに番頭になったのだ。気苦労も多い事だろう。目元の皺がそれを物語っている。
「こんにちは。あれ、あなたは……」
権一は、見覚えがないというような表情を浮かべた。
当然である。徳二が権一に会うのは初めてなのだ。
「嫌だな。お忘れですか。私ですよ。喜一です。権一さんには、幼いころお世話になりました」
徳二は嘘をつく。
そして、相手を混乱させる言葉を織り交ぜた。
「親戚同士の内密な話し合いがありましてね。何でも、権一が桜屋さんに婿入りされるとか、そういう噂を耳にしたんですよ。遠縁では、ありますがね。私たちも、それを放っておくわけにはいかない。ぜひとも、お祝いしたいと、親戚を代表して私が駆けつけたのですよ。確か、その娘さんの名前はお鈴さん……。では、なかったですかね。間違っていたらすみません。何しろ、風の噂で聞いたものですから」
徳二は、お鈴の名を出した途端に権一が顔をしかめたのを見逃さなかった。
権一は少しためらった様子で答えた。
「ええ、ありがたいことに私が婿入りをするのは決まっています。しかし、桜屋のお嬢さんの名前は鈴ではありません。お嬢さんの名は董と言います」
「あれまあ、そうですか。間違いをお許しください。それはそうと、なぜお鈴さんだと間違ってしまったのでしょうね」
徳二は笑った。
「それは、そうと―」
徳二が続けようとすると、権一がそれを遮った。
「これ以上のお話は、奥で伺いますから」
権一は少し青ざめ、慌てている。
こちらの会話を不思議そうな顔つきで聞いていた女中を後に、権一は徳二を奥の間に通した。

「こちらに、どうぞ」
権一はそう言って、座布団を勧めた。
そして、手を叩くと、小僧を呼んで茶を持ってこさせた。
「いえいえ。お構いなく」
徳二は笑うのだが、権一は笑わない。
何か一つのことを真剣に考えていて、話を聞いていなかった。
権一は座敷の襖を完全に締め切った。

「喜一さん。さっきのお話を伺ってもよろしいですか。失礼ながら、私はあなたのことを何一つ覚えていないのです」
権一は徳二の顔を真剣な面持ちで伺った。
徳二は姿勢を正すと、頭を下げた。
「すみません。権一さん。私は、あなたの親戚ではありませんし、喜一というものではないのです」
徳二がそう言うと、権一は目を瞬かせた。
「では、あなたは―」
「権一さんとは、初対面になります。私は長治郎長屋に住む徳二と申します。突然の訪問に加えて、嘘をついてしまい申し訳ありません。ただ、あなたに内密でお話を伺いたいことがありまして」
徳二は権一がさっと身を固くするのがわかった。相手の警戒心がこちらに伝わってくる。
警戒しているということは、何か他人に知られたくないようなこと。そんな特別な何かを持っている証拠にもなる。
「話とは何でしょうか」
おずおずと権一が尋ねる。
「お鈴さんのことです」
徳二はためらわなかった。
「どうしてですか」
口調はしっかりしているのだが、権一の表情には不安が読み取れる。
「少し、調べてほしいと頼まれましてね。しかし、安心なさってください。私は強請(ゆすり)などではありませんし、役人でもありません。ただ、頼まれたので真相を知りたいだけです。」
「―そうなのですか」
頷く権一の目は深い沼のような、絶望の色を映し出していた。徳二は構わずに続ける。
「お鈴さんは、この店で働いていた。そのお鈴さんが遺体で見つかったのはご存知ですね。」
「はい。その通りです。お鈴はこの店で働いていました。働き者のよい娘でした。それがあんなことになるなんて」
権一がほんの少し顔を歪ませる。
少し間をおいて、徳二が続けた。
「込み入った質問で失礼ですが、あなたはお鈴さんに好意を抱いていたのではないですか。そして、お鈴さんもあなたに好意を抱いていたのではないでしょうか」
権一は一瞬のうちに目を大きく見開き、慌てた様子で目を軽く伏せた。
「ええ、そうです。―私たちはお互いを好いていた。それで、私が店を分けてもらえるようになれば、婚姻を結ぼうとまで考えていました」
徳二は小さく頷く。
権一は嘘をついていない。
「しかし、あなたは桜屋さんに婿入りするのではないのですか」
「ええ、そうなのです……。私は、お鈴と婚姻の約束をしていること伝えに主人のもとを訪れました。そして、―開口一番に桜屋の跡継ぎになれと言われたのです」
権一は下を向く。
「あのとき、私はいったいどのように答えるのが正解だったのでしょうか。―私は結局、お鈴を裏切り、桜屋の跡を継ぐことを選びました」
「なるほど。それは辛い選択でしょう」
「はい。でも、私が本当に辛かったのはお鈴に、店を継ぐことになったと伝えたときなのです。店を継ぐということは、薫様と婚姻を結ぶということ。当然ながら、お鈴とは別れなければなりません。」
権一は心苦しいといった様子で歯を食いしばった。
「お鈴さんは、どんな様子でしたか」
権一の目元が微かに震える。
「笑っていましたよ。それはよかったですねと言って……」
権一はため息をそっと吐いた後に続けた。
「いっそ、私のことをなじってくれたらよかったのに。あの娘はそれもせずに、ただ笑って。」
徳二は少しためらってしまった。
「そうでしたか。あなたから見てお鈴さんに落ち込んでいる様子は見られなかったということですか。」
「ええ、内心は落ち込んでいたのかもしれませんが……。」
権一は一段と暗い顔つきになる。
「すみません。権一さん。これから、かなり失礼なことをお聞きします。ただし、先程も言いましたように安心なさってください。私はあなたを責めるつもりはありません。」
権一は上目遣いに徳二の様子を伺った。
そして、しばらくの沈黙の後、権一は
「―本当ですか」
と消え入るような声でつぶやいた。
「ええ。本当です」
徳二はしっかりと頷く。
徳二は正義感を多少は持ち合わせていたが、物事の善や悪を判断するのは苦手だった。
果たして、人間には善悪をきちりと判断できるものなのであろうか。徳二はそんな風に考えている。
徳二は軽く息を吸うと、権一に尋ねた。
「お役人様の調べで、お鈴さんは自ら首を括って亡くなったということになっていますが、それは間違いないと思いますか」
「いいえ。お鈴は自ら死を選んだのではありません」
権一は、勢いよく言葉を発して、そして黙り込んだ。権一の罪の意識が権一を必要以上に早口にさせているのだと徳二は感じた。
権一はしばらくすると耐えかねたように息を吐いて、続けた。
「―はっきりと申し上げましょう。自身番に訴えても構いません。私は罪を犯したのです。私は罪を償わなければいけないはずなのに、桜屋の跡を継ぐという自らの欲望を捨てきれず、言い出すことが出来ませんでした」
権一は声をいっそう震わせて、押し出すようにしながら続けた。
「―お鈴を殺したのは私で間違いありません」
権一は確かにそう言った。
しかし、徳二にはその言葉が、嘘とも真ともとれなかった。徳二にとってこんなことは滅多にない。
「お鈴さんを殺した……。―それは、お鈴さんを自死に追いやったという意味ですか」
「いいえ。そうではありません。私はお鈴の首を絞めました」
これは、嘘ではない。本当だ。
徳二の直感がそう言っていた。
では、さきほど抱いた違和感は何だろうか。
権一はお鈴を本当に殺したのだろうか。
お鈴を殺したのは私で間違いありません。
この言葉に、微かに嘘を感じる。
権一は続けた。
「でも、一つだけ分からないことがあるのです。お鈴の首を絞めたのは確かに私です。
―しかし、お鈴の遺体は神社の木で首を吊った状態で発見されました。私は、お鈴を殺してから、遺体をどうすることもできず、蔵の奥へ隠していたのです。あそこなら通気もよいので、遺体が傷みにくいと思いまして」
「では、あなたはお鈴さんの首を絞め、蔵に隠したままで、その後のことは知らないということですか」
「ええ。なので、朝になってお鈴の遺体が神社で見つかったときには驚きました。死体が勝手に移動したのではないかと思って震えあがりました」
「ふむ。なるほど」
徳二は少し息をつき、尋ねた。
「答えづらいと思いますが、あなたはどうしてお鈴さんを殺したのですか。お鈴さんは、あなたが桜屋の跡を継ぐことを喜んでいるようでしたが。なにか、お鈴さんを殺さなければならない理由があったのでしょうか。あなたのお話を聞く限り、お鈴さんを殺すような理由はないように感じるのですが」
権一は下を向いた。
「―可哀そうだからです」
権一はぼそりと呟いた。
「可哀そう?」
徳二は思わず聞き返す。
「ええ。可哀そうだからです。私とお鈴がいい仲であることは、桜屋の奉公人の中ではかなり知られていました。―お嬢様は、いえ。薫様はとても嫉妬深い性質なのです。私が薫様と婚姻を結んだ後、すぐではなくてもいつかは薫様にもそれは知られてしまうことでしょう。薫様はじっとしておられるようなお方ではありませんし、奉公人たちに私のことを問いただすと思うのです。―もしも、私とお鈴のことが知られてしまったら、私はともかくお鈴はひどい仕打ちを受けるに違いありません」
そう言うと、権一は黙り込んでしまった。
「―つまり、あなたはお鈴さんがひどい仕打ちを受ける前に殺してしまおうと考えたのですね」
「はい。間違いありません」
それは、かなり強引で自分勝手な理由ではないのか。鈴には別の仕事を探し、新しい場所で生きていくこともできたはずだった。
徳二はそのように思ったのだが、権一が嘘をついていないことだけはわかった。
この男は本心でそう言っているのだ。
徳二は、この男の気持ちはわからない。そう思ったのだが、自分が権一の立場であれば、同じように思うのだろうかとも考えた。
徳二はいつでも考えを一つに絞らない。
「あなたは、お鈴さんをどこで殺したのですか」
「店の裏です」
「店の裏。よく発見されませんでしたね」
「ええ。あらかじめ女中や下女には用事を言いつけておいたり、湯に行かせたり、周りに人がいることのないようにしました。主人と薫様は奥の間にいらっしゃいますので、見つかることはないと思いました」
徳二と権一はこの世でたった一つの秘密を話し合っていることから、淡々としつつも変に身近な調子で会話が続いた。
「―お鈴さんをどのように殺したのですか」
「店の裏に呼び出して、むりやり押さえつけ、用意していた着物の帯で締めました」
用意周到なものである。
本当にお鈴を殺そうとしていたのだ。
「お鈴さんは叫び声などは出されませんでしたか」
「―お鈴は叫んでいましたよ。嫌だ。嫌だ。と。私はお鈴に謝りました。ごめんよ。今、死んでおいた方が楽だから。そう言って首を絞めました」
徳二はすでに権一を勝手な男だと思っていた。
しかし、それを口にだしてはならない。もう取り返しがつかないのだ。責めたところで、徳二の気持ちが晴れるわけではない。徳二は権一を責めることはしなかった。
「その後、お鈴さんの遺体を蔵に運んだのですね。しかし、誰かが蔵を開けたらどうするのです?すぐに、あなたが下手人だとわかってしまうかもしれません」
「大丈夫です。奉公人の中で蔵の鍵を持っているのは私だけなのです。主人も持っていますが、主人が蔵に入るのを見たことはありません。主人は蔵には近寄らないはずです。」
「蔵に近寄らない?」
「ええ。主人は暗いのが苦手でして、昔は蔵に入るときには必ず灯をともしていたそうです。奉公人も沢山いることですし、面倒なので入らないのだと思います」
権一の顔には、先程と比べると血の気が戻っていた。
鈴を殺したことを徳二に言い、少し荷が軽くなったのだろか。
いや、捕らえられることを覚悟して開き直っているのかもしれない。
「そういえば、最後に聞いておきたいことが。桜屋さんの先代のご主人のお名前をお聞きしてもよろしいですか」
「はあ、構いませんが。先代の名は吉兵衛でございます」
「その先代さんの前のご主人は」
「私は今の主人の代でしかお勤めしていないので、先々代となると、うろ覚えなのですが、確か、吉右衛門だと思います。今の主人と同じ名だった気が……。先々代の前の主人の名は吉兵衛……そうでした。確か名は交互に繰り返されていた気がします。」
「なるほど。そうでしたか。いろいろ、話をお聞かせくださってありがとうございます。今回はこの辺で。」
権一は呆然とした。
「もうよいのですか」
「ええ」
「私はどうしたらよいでしょうか」
権一がすがるように言った。
私は何もしませんよ。徳二はそう言って、桜屋を足早に立ち去った。

徳二は自分の住処に戻ってくると、飯も食わずに思案に耽った。
権一が鈴を殺したと言ったときに感じた違和感。
あれは何だったのだろう。
もしや、権一は完全に鈴を殺しきれていなかったのではないか。
徳二の脳裏にそんな疑惑が浮かんだ。
それならば、権一が鈴を殺したことは強ち嘘ではないし、殺していないというのも嘘とは言い切れない。
権一は確かに鈴を一度殺したのだ。その後、鈴が息を吹き返したとしたら。
―鈴は蔵の中で息を吹き返したのだろうか。
そうだとすれば、なぜ遺体で見つかった。しかも、見つかったのは蔵の中ではない。神社で見つかったのだ。
徳二は、竜の言葉を思い出していた。
竜は、夜に人の声はしなかったと言っていた。もしも、誰かが鈴を神社で殺害したとするならば、竜が何も聞いていないのは少し不自然だ。竜の住む部屋が一番、神社に近い。例えば、鈴の叫び声だとかそういったものを耳にしてもおかしくないはずだ。
徳二は首をひねる。
誰かが、鈴が一人でいるところを後ろから襲い、首を絞めたとするならば、鈴は声をあげることができなかっただろう。―しかし、鈴が夜中に神社にいるということがあまり考えられない。権一に殺され、鈴は蔵に隠されたのだ。
徳二は自分の頭を二、三度さすった。
もう少しだ。もう少しでいい線までたどり着く。
はっと思いついた。
―鈴は、もう一度殺され、木に吊るされたと考えるのが妥当ではないだろうか。神社ではなく、別の場所で。正面から鈴を殺しにいっても、鈴の叫び声が誰にも聞こえない場所。―それは、蔵だ。権一が鈴を隠した蔵。そこならば、きっと叫び声は誰にも聞こえないはずだ。権一は言っていた。蔵の鍵を持っているのは自分と主人だけだと。ならば、主人を疑うのが一番妥当だろう。
明日にもう一度、桜屋を訪れよう。
徳二はそう考え、そのまま眠りについた。

翌朝、徳二は再び桜屋を訪れた。
昨日、徳二に声をかけた女中が徳二に気が付いた。
「あれ、あなたは―。喜一さんでしたっけ。番頭を呼びましょうか」
「ええ、お願いします」
徳二がそう言うと、女中は奥へ駆けていった。
女中が、権一を連れてもどって来た。
権一の顔には疲労が見える。
昨日は一晩中、考えたのかもしれない。
「こんにちは。昨日はどうもありがとうございました。少しお願いがあるのですがよろしいでしょうか」
徳二は少し笑いかけた。
権一が必要以上に緊張しているのが解る。周りの者に不審に思われてしまうかもしれない。
「お願い―?何でしょうか」
権一が不安げに尋ねた。
「ご主人に面会させていただきたいのです。権一さんが祝言を挙げるのです。親戚一同の代表としては、一度挨拶をしておきたいのです。ご主人には、親戚の者が来ていると言って、取り次いでくれませんか」
権一は困惑しているようだった。
「はい。ええと、主人ですか―?私ではなくて」
「はい。ご主人に話があるのです」
徳二は目で権一を諭した。
わかりました。少しお待ちください。権一はそう言うと、静かに奥に消えていった。
しばらくすると、権一が戻ってきた。眸の中に不安げな色をちらつかせている。
「主人は奥の間にいると思います。ついてきていただけますか」
権一は徳二を奥の間へと誘導した。
長い廊下を歩いている間、徳二は静かに権一にささやいた。
「権一さん。あなたは、お鈴さんを殺していないかもしれませんよ」
「そっ、それはどういうことですか」
「お鈴さんの遺体には不可解な点があるのです。昨日、あなたは後ろからお鈴さんの首に着物の帯を巻き付けて、そのまま、思い切り引っ張ったとおっしゃっていました。あなたは背が高い。あなたほど背の高い人はなかなかいないものです。当然、あなたはお鈴さんより背が高いはずだ。そんなあなたが、お鈴さんの首を絞めたなら、上向きに引っ張るようにして首を絞めた方が簡単ではないですか。もし、私の推測が正しいなら、お鈴さんの首の上部分に跡が残るはずです」
「ええ、私は帯を上向きに引っ張りました」
権一が小さな声で言った。
「やはり、そうでしたか。しかし、お鈴さんの遺体には、首の上部と付け根の二か所に絞めた跡があったようです。木で首を吊る場合、結んだ帯に全体重がかかり、身体は下へと落ちていきます。それならば、帯の跡は首の上部に残ると考えるのが自然ですよね。ならば、お鈴さんの首の付け根部分にある絞め跡は何でしょうか。お鈴さんをもう一度、殺害した下手人がいたと考えてもおかしくないと思います」
「えっ、では、お鈴を殺した下手人が他にいるのですか」
権一は目を瞬かせた。
「ええ、私はそう考えています。お鈴さんが神社に首を吊った状態で見つかったことも、おかしいとは思いませんか。お鈴さんの死に関係のある者があなた以外にもいるはずです。実のところ、私は桜屋さんのご主人を疑っているのです」
「主人ですか。それはまたどうして。主人にお鈴を殺す理由などないはずです。」
「いいえ、そうとも限りませんよ。さあ、ご主人に面会させてください」
気が付くと、奥の間まで来ていた。
襖は閉まっている。
権一が襖をそっと開けた。
襖の奥には、どっしりとした体格のいい老人が座っていた。
「ようこそ、おいでくださいました。なんでも、権一の親戚の方だそうですね。そちらにどうぞ」
老人が口を開く。静かな座敷に老人の声だけがこもる。
徳二は老人と向かい合う形となった。
「初めまして。私、徳二と申すものでございます」
「おや、喜一さんでは、ないのですか」
老人が、後ろに控えた権一にちらりと目をやる。
「ええ、私は喜一というものではありませんし、権一さんの親戚の者ではありません。嘘をついてしまい、申し訳ありません。どうしても、あなたにお話があったので、権一さんに取り次いでもらったのです」
徳二は静かに話した。老人は、少し訝しげにこちらを見つめると口を開いた。
「わかりました。まずは、紹介を。私は桜屋の吉右衛門と申します。あなたのことは、良く存じませんが、話とは一体何でしょうか。出来れば、手短に願いますな」
老人は、徳二の嘘に動じなかった
「初対面にも、関わらず取り合って下さりありがとうございます」
徳二は少し息をついた。
「失礼をお許しください。あなたは、お鈴さんが遺体で見つかったことに何か、心当たりがあるのではないですか。私はある方に頼まれて、お鈴さんの死を調べているのです」
吉右衛門は表情を変化させなかった。目は徳二の方をしっかり捉え、取り澄ましている。
相手がこちらに隙を見せてくれない。権一のときのように上手くはいかない。
吉右衛門は口を閉ざしている。
徳二は居心地の悪い間を取り繕うように続けた。
「私は役人でもなんでもありません。私は真実を知りたいと思った方の依頼で動いているだけであります。だから、お話を伺う以外に他意はございません」
しばらくの沈黙の後、吉右衛門がゆっくりと口を開いた。
「あなたは、私がお鈴を殺したと疑っておられるのですか」
吉右衛門の後ろに控えていた権一がぶるりと身体を震わせた。
「はい。しかし、あなたが下手人だという確信は私にはありません。ただ、私は桜屋さんの蔵の鍵を持っているのは権一さんとあなただけだと知っているだけです。あなたは息を吹き返していたお鈴さんを殺害したのではありませんか。いいえ。質問を変えましょう。―蔵からお鈴さんを運びだし、木から吊るしたのはあなたですか」
徳二はそう言うと、吉右衛門は深くうなった。
「いかにも。お鈴を運び出したのは私です。そして、お鈴を殺したのも私だ」
「そっ、そんな……。どうしてでございますか。どうして、旦那さまがお鈴を殺す必要があったのですか。」
権一は、目を見開き、自分の主人に強く問いかけた。
「店の為じゃよ―」
「店の為?どうして、お鈴を殺すことが店の為になるのですか」
権一は、自分もお鈴を殺害しようとしたことは忘れているようだった。
「―鬼門が原因ですね」
徳二は吉右衛門の目を捉えて言った。
「鬼門―?」
権一は目をしばたかせる。まったくと言って意味が解らない。そんな表情を浮かべていた。
「はい。鬼門です。このあたりは江戸のにぎわう町の中でも、北東の方角。つまり鬼門となる方角に位置しています。きっと、あの神社は鬼門を避けるためにつくられたものですね。以前から、この神社の近くにある猿置長屋の名が気にかかっていたのです。十二支では鬼門の方角は丑寅のいる方角を示します。この丑寅と反対方向に位置するのは未申、つまり、鬼門の方角と反対方向に位置する猿を長屋の名前にすることで、鬼門を避ける意図があったのですね。」
「そっ、そうなのですか。私は知りませんでしたが。しかし、その鬼門がお鈴にどう関係があるのです」
権一がせわしなく尋ねる。
「お鈴さんの遺体を木に提げる。―これは一種の儀式ですね。吉右衛門さん」
吉右衛門は徳二の方を伺うと、無表情ながらも深く頷いた。
「一昨日、私は神社の祠の後ろにお地蔵様が並んでいるのを目にしました。砂埃をかぶっていたので、少し払いのけると、お地蔵様の石に文字が刻まれていることに気が付きました。そこには、桜屋さんの歴代の主人の方のお名前がありました。吉兵衛さんに吉右衛門さん。いずれも桜屋さんの歴代の主人のお名前ですね。おそらく、桜屋さんの歴代の主人は皆、神社の木で首をくくって亡くなっていらっしゃるのだと思います。祠の後ろにあるお地蔵様は桜屋さんが皆に秘密で供養されるためのものだったのですね。桜屋さんの歴代の主人は首をくくって亡くなっていらっしゃる。―桜屋さんの歴代の主人の死を、ただの自死と考えるのには不自然ではありませんか。」
徳二がそう言うと、権一がごくりと生唾を飲んで頷いた。徳二は吉右衛門が未だに無表情であることだけを確かめ、続けた。
「―あの神社では、鬼門除けのために特別な儀式がされてきたのではないでしょうか。例えば、何かを犠牲にして、何かを得るような。そんな儀式の場として、桜屋さんは神社を利用していたのではないかと思います。ここからは推測になりますが、桜屋さんは、あの神社で自分の命を捧げることで鬼門を封じる。さらに、商売の繁栄を祈る行為を行っていたのではないでしょうか」
徳二がそう言い終わると座敷に沈黙が訪れた。外からは振り売りの大きな声が聞こえる。
徳二は、この極めて非現実的な推測に、自分でも確信が持てていない。
しばらく、双方の間に沈黙が流れ、ようやく吉右衛門は口を開いた。
「―いかにも。そうでございます。この土地は商売には不利な土地。鬼門は封じなければいけませんからな」
徳二は深く頷く。
「あなたは、そろそろ桜屋の身代を権一さんに譲ろうと考えていた。そこで、あなたも神社に自らの命を捧げよう。つまり、神社の木で首を吊って命を絶とうと考えていたのですね。あなたたちは、ずっと桜屋の繁栄には犠牲が必要だと信じていた。あなたは死を覚悟していたのでしょう。しかし、そこにうってつけの人物が現れた。お鈴さんです。あなたは権一さんが、お鈴さんを殺し、蔵に隠しているところを見かけたのですね。そして、そのままお鈴さんの遺体を利用しようと考えた」
ふと、権一の方を見ると、権一は今にも泡を吹いて倒れそうなほど青ざめていた。
「しかし、分からないことがあるのです……。先程、あなたがお鈴さんを殺したと言ったときに私は違和感を覚えました。お鈴さんを木に吊るしたのはあなたで間違いないはずです。しかし、息を吹き返したお鈴さんをもう一度、殺したのは……。あなたではない気がするのです」
徳二がそう言うと、今までどこか冷めていた吉右衛門の表情が一変した。顔色は一気にどす黒く変化し、頬に汗が伝っている。
「―何を言っておられるのですか。お鈴を殺したのは私です。私です」
吉右衛門は呪文のように繰り返した。
これは嘘だ。徳二には完全に判ってしまった。
「お鈴さんを殺したのは、おそらく薫さんですね」
「いいえ。そんなことは、そんなことはありません」
吉右衛門は気が狂ったかのように繰り返した。
しかし、残念ながらこれは嘘だ。
薫が下手人であることが徳二には分かった。
相手が混乱し、嘘をつけばつくほどに徳二にはその嘘が判ってしまうのだ。
見ると、権一は下を向いていた。気を失っているのかもしれない。
これから自分と婚姻を結ぶ予定の女が、自分の愛していた女を殺した。絶望する権一の気持ちも解らなくはない。ただ、この男は、もうとっくに絶望していたのだ。
「―お鈴さんの首を絞めたのが薫さんだとすれば、お鈴さんの首に絞め跡が二つあったことが納得できます。二つあるうちの絞め跡の一つ、首の上部にあった絞め跡は権一さんがお鈴さんをの首を絞めたときにできたもの。あるいは、木に遺体を吊るしたときにできたものです。もう一つの方の絞め跡は、首の付け根部分にあったそうです。桜屋さんのような大店のお嬢さんである薫さんが、人の首を容易に絞められるだけの力を持っているとは思えません。しかし、自分の全体重をかけて、お鈴さんの首にかけた帯を下向きに引っ張ったとすればどうでしょうか。それならば、首を絞めることも難しくはないでしょうし、首の付け根辺りに絞め跡が残っていても不思議ではありません」
吉右衛門はずっと下を向いていた。
どれくらいの時間が経過したであろうか。徳二にはそれが、数分にも数時間にも感じられた。
「私は恐かったのです」
吉右衛門がぼそりと呟いた。そして、小さく嗚咽を漏らし、続けた。
「私は、自分の娘が、薫がお鈴の首を絞めているところを見ました。私は、最初に権一がお鈴の首を絞めているところを見かけたのです。そのまま、権一がお鈴を蔵にしまうところまで見ていました。私は、そのとき、はっと自分でも寒気がするぐらいの恐ろしい考えに至りました。お鈴の遺体を神社にささげよう。そうすれば、自分自身は死ぬ必要がない。そう思いました。私のなんとも浅ましい考えです。権一が蔵から出ていったのを見ると、私は自分の部屋に戻り、蔵の鍵を探しました。しかし、私はめったに蔵には近寄らないのです。ですので、蔵の鍵をどこにしまったのかも、なかなか思い出せずに焦りました。鍵は捜しても、捜しても見つかりません。気持ちだけが先回りし、もう一度、蔵の前まで行ってみると、蔵の扉がひらいていました」
吉右衛門は少し息を吐くと、続けた。
「蔵の中をおそるおそる伺いますと、薄暗い闇の中で、2つの影が暴れておりました。お鈴と薫です。私は娘の凶行を止めることもできず、ただ、おそれおののき呆然としておりました。蔵の鍵は薫が持って行ったようです」
吉右衛門は濁った眼差しをこちらに向けてきた。
「しばらくすると、薫が蔵からでてきました。あの子は特に悪びれるようでもなく、変にすっきりとした表情をしていたのです。私は身体が真の底から冷える心地でした。あの子は昔から嫉妬深い子でしたが、まさか、あんな非道だとは。―しかし、私も勝手です。そのまま、お鈴の遺体を利用しようとする気持ちは変わりませんでした。それどころか、私がお鈴の遺体を吊るすことで、何故だか、薫の罪が軽くなるようにも錯覚していたのです。嗚呼、恐ろしいことでございます」
徳二は何も言わなかった。否、何も言うことができなかった。吉右衛門は言い終えると、下を向き、再び口を閉ざしてしまった。権一の方は意識があるかどうかも定かではない。
そのまま、座敷を辞すると、徳二は自分の住まいに戻った。

徳二が桜屋の主人、吉右衛門から話を聞いた後から、もう三ヶ月が過ぎようとしていた。
徳二は茶屋の腰掛けに座り、往来を行きかう人々をぼんやりと眺めていた。徳二は、吉右衛門から話を聞いた二日後に、幸右衛門の元を訪れた。徳二は幸右衛門に、調べて分かったことを、ほとんどそのままに話して見せた。幸右衛門は涙を流し、何度もお礼を言った。
本当にありがとうございました。これで、お鈴ちゃんが浮かばれます。
まったく……。嫌なものだ。
徳二は幸右衛門の言葉を思い出してため息をついた。なぜ、初めに気が付かなかったのだろう。いや、自分の話を聞いて幸右衛門は心変わりをしてしまったのかもしれない。
徳二は幸右衛門の言葉に嘘を感じてしまった。
徳二が吉右衛門から話を聞いたその後、二か月もたたないうちに、あの繁盛していた桜屋は嘘のように潰れてしまった。なんでも、急に商売が傾いて一家で夜逃げをしたのだとかいう噂を徳二は聞いた。
―あの儀式は失敗に終わったのか。お鈴さんの遺体では儀式が成り立たなかったのであろうか。
いいや、馬鹿な。
徳二は不意に浮かんだ考えを払拭すべく、頭を振った。
幸右衛門の言葉には嘘があった。幸右衛門は本当に、鈴のためを思って鈴の死の真相を知りたかったのであろうか。
―きっと違うのだろう。幸右衛門は鈴の死を桜屋を強請(ゆす)るために使ったのではないだろうか。幸右衛門が桜屋に何を要求したかはわからない。多額の金子だろうか。
いや、―自分の店の繁盛だろうか。
そんな馬鹿げた考えが再び徳二の頭をよぎった。
桜屋は、神社で特殊な儀式をすることによって、店の繁盛を祈願していたらしい。幸右衛門はそれを知っていて、その力を手に入れようとしていたのではないだろうか。もしや、幸右衛門は鈴が殺されているところを最初から見ていたのかもしれない。

ならば、お鈴さんがあんまり可哀そうじゃないか。
―嘘が判るっていうのも、案外嬉しくないものだな。
徳二はそこまで考えて、ため息をついた。
次々に目の前を人々が行きかう。
人が一人死んでも町の様子は変わらない。徳二は下を向いた。
「おい、徳さんじゃねえのかい。久しぶりだな。そんな浮かない顔して、いったいどうしたんだい」
ふいに、威勢のよい声が聞こえた。
前を向くと、そこにはトラを抱えた辰二郎が立ってる。
トラが大きくあくびをする。つられて、辰二郎も大きなあくびをした。
辰二郎とトラの嘘のない様子に徳二は思わず苦笑を浮かべた。
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