あなたの推し作家は私

石田空

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忘れられればトラウマにはならないし

4話

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 私の告白は、浜尾さんと比べると大したことない。
 そう思いながら淡々と語りつつペットボトルを傾けていたら、気付けば中身は空っぽになっていた。全部聞いていた浜尾さんは、小さく溜息をついた。

「……かしこ先生、すごいですね」

 思ってもみなかった浜尾さんの感嘆の念に、私は思わず目を見開いた。

「なにがでしょうか」

 思わず聞き返すと、浜尾さんもまたペットボトルを傾けて、ベコンと音を立てた。こちらも飲み終わって空っぽだった。

「ここまでされたら、そりゃ人間嫌いになってもしょうがないですよ。なのにかしこ先生、人間と関わるの諦めてないじゃないですか。それはすごいですよ」

 私は、その言葉にただただたじろいでいた。

「……あのう、私、浜尾さんが思っているような超人でもないですし、偉くもないですよ? ましてや人とできるだけ関わらないようにしているせいで、まともに今でも連絡取り合っているの、家族くらいですし……職場にもプライベートとか一切持ち込んでないですし」
「自分なんて会社行っても基本的に自分のブースから出ない限りは、特になんにもありませんし。仕事のやり取りなんて、社内のアプリでしてますし、飲み会するような会社でもないんで、この数ヶ月上司以外とまともに顔合わせてないですし」

 そりゃSEの場合はそういうこともあるんだろうけど。でも私、浜尾さんがすごいと思うようなこと、本当にしてないのに。
 自分のこと棚に上げて、どうしてここまで褒めてくれるのか、本当にわからない。
 私は困り果てて、空っぽになったペットボトルを掴みながら言う。

「でも、本当に浜尾さんが言うほども、大したことなんて」
「だって自分、かしこ先生が好きですから。初めてなんですよ。こんなにパーソナルスペースギリギリのところに人を招き入れられたのは」

 私はますますもって口を開ける。
 浜尾さんはしみじみと続けた。

「自分、潔癖性ではないですけど、人の手が怖いですし、触れないですし、できる限り人に触られない環境じゃなかったら生活できなかったですから。そんな中で、隣に住んでいた人が自分の恩人だったかしこ先生だったのは、幸運以外の何物でもなかったんだと思います」
「はあ……」
「そんなかしこ先生が困ってるんだったら、どうにかしたいってファンなら思うじゃないですか」
「思っても……そんな行動力、ないですよ……?」
「なんででしょうかね。最初は多分、かしこ先生の次回作を安心安全に書いて欲しかっただけなんだと思います」

 ああ、それだったら突飛過ぎる言動も納得が行くのか。
 ようやく自分が納得しかかったときに「でも」と浜尾さんは続ける。

「普通じゃなくていいって言葉、自分にはズドンと響いたんです。自分、かしこ先生になんにもできないですけど。ただかしこ先生が許してくれる範囲にはいたいなあと思ったんです」
「あのう……それって、どういう意味なんでしょうか? 恋、なんでしょうか。ただの友愛、なんでしょうか……?」

 私はポロリと言った。
 浜尾さんは私に対して、相変わらず隣にいても、距離を空けている。絶対に肩が擦れ合わない距離にいるし、息が当たらないところ。
 私が怖くて仕方ない距離には絶対にいなくて、私の人よりも広いパーソナルスペースのギリギリ外にいる。
 あまりにも遠巻きにされるとかえって居心地が悪いけれど、近寄り過ぎない傍にいる。
 その関係が、私にはよくわからなかった。
 浜尾さんは少しだけ困ったように顎に手を当てた。

「うーん……なんでしょうか? 多分恋愛ではないんだと思います。強いて言うなら、隣にいて欲しい人です」
「あのう、私。何度も言いましたけど、多分期待されても触れませんし、それ以上のこともなんにもできませんよ?」
「自分も人に触られたら怖いですから、おそろいですね」
「多分……本当に一緒にいるだけになると思いますけど」
「それって、困ることありますか? むしろベタベタされるほうが、自分はすごく困りますが。かしこ先生は、もっとベタベタしたいんでしょうか?」
「されたら、とっくの昔に荷物まとめて実家に帰っています」
「よかった。かしこ先生が帰らなくて」

 なんだ。私は妙に気持ちが軽くなったことに気が付いた。
 本当にたまたま隣同士だった人は、私とおんなじだった。人と触れ合うことが怖くて、気持ち悪くて、一生懸命パーソナルスペースに人を招かないで済む方法を探している、変な縁で同居人になった人。
 私がスランプに陥ってなにも書けなくなって困り果てていても、それを待ってくれる人。
 世間一般的なことは、多分私たちはなにひとつできない。ただ本当に一緒にいること以外なにもできない。
 それでいいって話を聞いた瞬間に、気持ちが楽になった。

「あのう……私は多分、浜尾さんにこれからも触ることができません」
「自分もかしこ先生に触れませんよ」
「多分、私が小説に書いているような行為は一切できないと思います」
「いや、あれは読めば満足しますから、それでいいです。別に二次元のことを三次元で行いたいと思ってませんから」
「それでも、隣にいても大丈夫ですか?」

 浜尾さんは一瞬真顔になった。そのあと、破顔した。

「喜んで」

 この人、本人はずっと否定し続けているけれど、やっぱり聖人かなにかじゃないかと思った。

****

【大変申し訳ございませんが、私の実力不足のため、こちらのレーベルではお力になれないと判断しました。
 そのため、どうかこの話は白紙に戻してくださればと思います。
 本当に申し訳ございませんでした。】

 結局あのライト文芸レーベルの依頼は、断ることにした。
 最初からずっと断り続けていた話だったし、これでいいんだろうと思う。そのあとに【うちで出したら名前が売れると思います!】みたいな失礼なメールが届いたけれど、結局は無視することにした。
 たった一通のメールを出したことで、肩の力が抜け、他の原稿を読んだり改稿したりする余裕が生まれ、どうにか伸ばしてもらっていた締切も、本来の締切通りに提出できそうだった。
 何度も何度も謝罪メールを出した上で、予定通りの締切で原稿を提出したら、編集さんたちからありがたくも反応をいただいた。
 よかった。私はそう思いながらパソコンを閉じた。
 副業のほうが今のところ問題がないけれど、本業のほうが今の私にとっては問題だった。
 歯医者に出かけ、今日の私の予定を確認する。幸いにも今回は歯磨き指南以外は治療カテゴリーのため、私がメインでしないといけない仕事がないのにほっとしていた矢先「柏原さん」と院長先生に呼ばれた。
 院長先生は気遣わしげに私を見ていた。

「最近大丈夫? パートさんたちにいじめられているみたいだけど」
「いじめられているというか……からかわれ続けていますね。知人と食事していたところを見られたみたいで」
「今と昔だったら、大分感性違うんだけどねえ、僕の友達も三十歳下の奥さんとできちゃった結婚したから、奥さんの話を聞くたびに今と昔の感性の差は大きいと痛感しているところだよ」

 たしかにふた回り以上年の差が離れていたら、ほとんど異類婚姻譚みたいなものだ。言語だって年々使うものが変わっているんだから。
 院長先生は「だからねえ」と続けた。

「あんまりつらいって思ったら、きちんとリタイア宣言しなさい。僕がなんとかするから」
「私、そこまで心配かけてたでしょうか?」

 歯科衛生士は基本的に引く手あまただけれど、給料自体はそこまで高くはない。てっきり私をクビにして新しい若い子を雇うのかと思っていたのに。
 院長先生が「そりゃねえ」と言った。

「うちの娘、だいぶいじめられてたから」
「ああ……」

 前の飲み会のことを思い出して、納得した。院長先生もただバカスカ飲んでいた訳ではなく、いろいろとパートさんたちの暴言に思うところがあったらしい。
 娘さんに対する言動だって、出るところに出てしまったらパワハラモラハラだと訴えられてもしょうがない話だったし。
 私はどう対応したものかと考えながら、口を開いた。

「ありがとうございます。ただ、私の副業のほうが今は上手く行っていますから」
「最悪、シフトを減らしたらもうちょっとだけパートさんと関わるの減るとは思うけど」
「そうですね。最悪の場合はそれも検討します」

 私のトラウマを引きずり出された影響だろう。最近はマスクとゴム袋だけではいよいよ私の手は付けられなくなってきて、そろそろ歯科衛生士という職業すら手放さないといけないような気がしている。
 よっぽど深く進行している虫歯だったらいざ知らず、治療ですらない歯垢除去に来た患者さんの口内を、これ以上傷付けるような真似は、私だって嫌だった。最近は患者さんの歯垢除去をしようとするたびに、どうしても手元が狂う。喉奥から吐き気がしてきて、それを堪えようとしたら、どうしても手が震えてしまうのだ。これが手動の器具だったらいいけれど
、ドリルを使って歯を磨いている中で手元が狂ってしまったら、怪我だけでは済まなくなる。
 歯磨き指南だけの仕事なんて、そうそうある訳でもあるまい。
 そのせいで、私はなるべく歯垢除去の仕事をしなくて済む歯科衛生士の仕事を探しはじめた。最近は治療自体は大病院に紹介状を出し、検査だけしている歯科医もあるけれど、そこで歯科衛生士は雇わないしなあと悩む。
 何度も言う通り、一年先のことすらわからないのに、そう簡単に正社員の仕事を手放すことはできない。でも、人と接触が最低限で、人と関わるときはマスクとゴム手袋を嵌めている、カウンター越しでしか関わらなくていい正社員というと、なかなか限られてきていた。

 私が悶々と、新しい職場を求めて就活をしている中、唐突な浜尾さんの言葉に、私は目を剥いたのだった。
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