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楽して逃避行してもいい頃合いか
2話
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引っ越してきた町は、電車で一時間ほど。前に住んでいたアパートと比べれば完全に住宅街で、住宅街の端にショッピングモールやコンビニが密接しているという町だった。ホームセンターも電器屋もあるから、買い物やちょっとしたトラブルにも困らないだろう。
引っ越しのとき、業者に家具の場所を案内し、段ボールを運んでもらった。
「ベッドがふたつありますけれど、どの部屋に置きましょうか?」
「ああ、このベッドはあちらに。もうひとつのベッドはこの部屋にお願いします」
「同室でなくって?」
「はい」
寝室を分けることで一瞬変な顔をされたものの、それ以上はなにも言われることはなく、滞りなく業者は帰っていった。
私のパソコンは浜尾さんがセッティングしてくれ、自分自身のパソコンもセッティングし直す。これで互いに仕事をはじめても問題なさそうだ。
ふたりで話し合って引っ越した先は、ちょうど海が見えるマンションだった。本の重量対策で床に多少の耐久リフォームをしたものの、アパートよりは居心地がいいと思う。なによりも前よりも壁が分厚いから、プライベートも万全だ。
なによりも、景色がいい。遠くに海が見え、山も見え、のんびりと水鳥が飛んでいるのが見える。マンションのそこそこ上の階のせいだろうか。
カーテンをかけ、段ボールを開けて棚に詰め込んでいく。その日は半分だけ段ボールを空っぽにすることができた。残りは明日以降だ。
いつもいろんな建物の影になった空を眺めることはできても、これだけ拓けて夕焼けを眺めたことはなく、段ボールを畳んで紐で括りながらも、その光景をポカンと眺めていた。
「いい景色ですねえ」
「あと数年はこの辺りも他に建物ができないみたいですし、しばらくはこの景色も見られますね」
「そうですね」
隣の家と上の家と下の家、それぞれ業者さんが挨拶に行ってくれたおかげで、こちらは特にすることもなく、まだ冷蔵庫になにも入ってないからと、出前を頼むことにした。
頼んだものはピザで、ふたりで烏龍茶のペットボトルと一緒に食べながら「そういえば」と私は切り出した。
「どうかしましたか?」
「はい、私ライト文芸の仕事することになったんですよ」
「……前の会社は断ったとおっしゃってましたけど」
浜尾さんに気遣われると、私は「いやあ」と笑った。
「それがですね、最初に私に声をかけてくれた編集さん、出版社退職されて、別の出版社に再就職してたんですよ」
「はあ……」
編集さんが出版社を離れて別の出版社にいるということは、この業界にいると割とある。おかげで縁が続いたんだから、編集様々だ。
なによりもありがたかったのが、いいレーベルと縁を結べたという点だ。
「そこのレーベル、普通にブロマンス取り扱っているところですので、前に書いた企画書そのまんま送ったら、通りました」
私が泣いたり吐いたりしながら断ったレーベルの企画書は、消さずに放置していたけれど、声をかけられたのでそのまま渡したら、通ってしまったんだ。
籍を入れた途端に妙に運が好転したように思うのは、なんでなんだろう。
私を心配そうに見ていた浜尾さんの表情も、だんだんと華やいでくる。
「それじゃあ、かしこ先生のライト文芸小説、読めるんですか?」
「はい」
私は珍しく浮かれて、ピースサインをした。浜尾さんはまたもあわあわとしている。
「なんかお祝いしたほうがよかったですよね……すみません。知らなくて出前、普通のピザ屋で……もうちょっと寿司とか頼めばよかったですね」
「いえ。私も送るだけ送って、企画が通るかどうか知りませんでしたから。なんか本当に、ありがとうございます」
「えっ?」
「なんか、いろいろと諦めきっていたのに、開き直れるようになれましたから」
私はそう言ってから、ピザを頬張った。
引っ越しでくたびれた体に、チーズとトマトソースの味が染みた。
****
普通ってなんだろうと、ときどき思う。
人を好きになれないと言うと「子供みたい」だと指摘される。
触られたくないと言うと、「病気なんじゃないか」と疑われる。
友達がいなくて、恋人がいなくて、それをたつきに「大丈夫か」と心配されたのは一度や二度じゃない。
私にあったのは、自己表現できる小説の場。それだけだった。
人の言う幸せの定義が私に当てはまらなくて、そうなりたくないと思ったとき、それは自分は普通じゃないと自分に言っているようなもので、世間一般の普通にはなれないんだろうと諦めていた。
ただ。
傘を立てよう、シェルターに入ろう。ふたりで閉じこもろう。そう誘ってくれた人がいた。
それは先延ばしの選択で、もしかしたらどこかでご破算になるのかもしれない。
もしかしたらある日突然触れたくなるのかもしれない。
もしかしたら子供が欲しいと思う日だって、来るのかもしれない。
私が私の普通を手に入れられた。それは逃げなのか、人を騙すためのフィルターなのか、今の私にはわからないけれど。
私は今の幸せを大切にしようと思う。
それに時間制限が付いてるのかどうかは、未来の私が考えることだ。
引っ越しのとき、業者に家具の場所を案内し、段ボールを運んでもらった。
「ベッドがふたつありますけれど、どの部屋に置きましょうか?」
「ああ、このベッドはあちらに。もうひとつのベッドはこの部屋にお願いします」
「同室でなくって?」
「はい」
寝室を分けることで一瞬変な顔をされたものの、それ以上はなにも言われることはなく、滞りなく業者は帰っていった。
私のパソコンは浜尾さんがセッティングしてくれ、自分自身のパソコンもセッティングし直す。これで互いに仕事をはじめても問題なさそうだ。
ふたりで話し合って引っ越した先は、ちょうど海が見えるマンションだった。本の重量対策で床に多少の耐久リフォームをしたものの、アパートよりは居心地がいいと思う。なによりも前よりも壁が分厚いから、プライベートも万全だ。
なによりも、景色がいい。遠くに海が見え、山も見え、のんびりと水鳥が飛んでいるのが見える。マンションのそこそこ上の階のせいだろうか。
カーテンをかけ、段ボールを開けて棚に詰め込んでいく。その日は半分だけ段ボールを空っぽにすることができた。残りは明日以降だ。
いつもいろんな建物の影になった空を眺めることはできても、これだけ拓けて夕焼けを眺めたことはなく、段ボールを畳んで紐で括りながらも、その光景をポカンと眺めていた。
「いい景色ですねえ」
「あと数年はこの辺りも他に建物ができないみたいですし、しばらくはこの景色も見られますね」
「そうですね」
隣の家と上の家と下の家、それぞれ業者さんが挨拶に行ってくれたおかげで、こちらは特にすることもなく、まだ冷蔵庫になにも入ってないからと、出前を頼むことにした。
頼んだものはピザで、ふたりで烏龍茶のペットボトルと一緒に食べながら「そういえば」と私は切り出した。
「どうかしましたか?」
「はい、私ライト文芸の仕事することになったんですよ」
「……前の会社は断ったとおっしゃってましたけど」
浜尾さんに気遣われると、私は「いやあ」と笑った。
「それがですね、最初に私に声をかけてくれた編集さん、出版社退職されて、別の出版社に再就職してたんですよ」
「はあ……」
編集さんが出版社を離れて別の出版社にいるということは、この業界にいると割とある。おかげで縁が続いたんだから、編集様々だ。
なによりもありがたかったのが、いいレーベルと縁を結べたという点だ。
「そこのレーベル、普通にブロマンス取り扱っているところですので、前に書いた企画書そのまんま送ったら、通りました」
私が泣いたり吐いたりしながら断ったレーベルの企画書は、消さずに放置していたけれど、声をかけられたのでそのまま渡したら、通ってしまったんだ。
籍を入れた途端に妙に運が好転したように思うのは、なんでなんだろう。
私を心配そうに見ていた浜尾さんの表情も、だんだんと華やいでくる。
「それじゃあ、かしこ先生のライト文芸小説、読めるんですか?」
「はい」
私は珍しく浮かれて、ピースサインをした。浜尾さんはまたもあわあわとしている。
「なんかお祝いしたほうがよかったですよね……すみません。知らなくて出前、普通のピザ屋で……もうちょっと寿司とか頼めばよかったですね」
「いえ。私も送るだけ送って、企画が通るかどうか知りませんでしたから。なんか本当に、ありがとうございます」
「えっ?」
「なんか、いろいろと諦めきっていたのに、開き直れるようになれましたから」
私はそう言ってから、ピザを頬張った。
引っ越しでくたびれた体に、チーズとトマトソースの味が染みた。
****
普通ってなんだろうと、ときどき思う。
人を好きになれないと言うと「子供みたい」だと指摘される。
触られたくないと言うと、「病気なんじゃないか」と疑われる。
友達がいなくて、恋人がいなくて、それをたつきに「大丈夫か」と心配されたのは一度や二度じゃない。
私にあったのは、自己表現できる小説の場。それだけだった。
人の言う幸せの定義が私に当てはまらなくて、そうなりたくないと思ったとき、それは自分は普通じゃないと自分に言っているようなもので、世間一般の普通にはなれないんだろうと諦めていた。
ただ。
傘を立てよう、シェルターに入ろう。ふたりで閉じこもろう。そう誘ってくれた人がいた。
それは先延ばしの選択で、もしかしたらどこかでご破算になるのかもしれない。
もしかしたらある日突然触れたくなるのかもしれない。
もしかしたら子供が欲しいと思う日だって、来るのかもしれない。
私が私の普通を手に入れられた。それは逃げなのか、人を騙すためのフィルターなのか、今の私にはわからないけれど。
私は今の幸せを大切にしようと思う。
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