7 / 20
初めてできた「同じ友達」
3
しおりを挟む
普段だったら美術講師室に先生がいるけれど、今日は食事を摂りに行っているのか留守だった。だから私と榎本くんは、食事を食べながら世間話をすることができた。
私の弁当は、今日も日の丸弁当だった。それを見て、榎本くんは尋ねた。
「東上さんは自分で弁当用意してるの?」
「うん……菓子パンだと、夕方まで持たないし。洗濯物が溜まってないときだったら、そこまで手抜きでもないんだけれど、洗濯物が多い日なんかはどうしても時間がなくって、ご飯を詰めて、梅干し入れるだけになっちゃうの」
「そっか。偉いね。家族は?」
「お父さんはお姉ちゃんの入院費稼ぎのため、ずぅーっと忙しそう。家に帰ってきてもご飯食べながらときどき舟漕いでる。お母さんもフルタイムで働いてるから、ずーっと大変」
「偉いね」
そうあっさりと言ってくれるのに、私は心底ほっとする。
私がこの手の話をすると、事情を知っている叔母さんたちすら顔をしかめるのだ。「それはさすがにおかしい」と。
間違ってるのかもしれない。変なのかもしれない。でも、他にどうしろと?
口だけ言わずにお金をちょうだいよ。お父さんもお母さんもボロボロにならないだけのお金をちょうだいよ。それができないんだったら、もう黙っててよ。あまりにも気の毒がっているので、そんなことを口にしたことは一度もないけれど。
私を淡々と褒めている榎本くんは、ラップにおにぎりを包んでいた。私みたいにご飯を詰めて梅干し載せただけよりも、ちょっとだけ偉い気がする。
「おにぎり握ったの? 偉いね」
「別に……ただラップに包んで、ぶんぶん振り回せばおにぎりになるから。朝は慌ただしいから、あんまり弁当づくりに時間かけてらんないし」
「おばあさんから、目を離せない感じ?」
「寝ているときとかはそうでもないけど。食事中は絶対に目を離せないから。誤飲で簡単に肺炎になるから」
「あー……榎本くん、すごいね」
私はそれを言うと、榎本くんは「どうして」と言いたげな顔をした。私は続ける。
「私、お姉ちゃんの世話は全部病院の人たちがしてくれるから、ずっと見てるとかしたことないもん。榎本くんは、ご家族いないときは、学校休んででも介護してるんでしょう? それはやっぱりすごいよ」
「……どうなんだろなあ。うちは、俺以外は誰もばあちゃんの面倒を見れなかったから。施設も予算考えなければあるんだけれど、ばあちゃんに合う条件、なかなか見当たらなかったから」
「条件?」
「有事の際にすぐお医者さんに診てもらえて、安全で、そこそこばあちゃんを自由にしてくれるところ」
それはどの人も求めそうな施設の条件だったけれど、誰でも求めるからこそ、なかなか空きがないのだろう。だから榎本くん家は家族で交替しながら介護を行っている訳で。
私は「大変だね」と言った。
榎本くんもまたこちらに尋ねる。
「東上さんは?」
「えっ?」
「お姉さんが入院しているみたいだけど」
「あー……」
私よりも大変そうな人がいるのに、言ってもいいものなのか。私が言葉を濁して、梅干しを崩しながら弁当を食べている中、榎本くんは淡々と言う。
「なんというか、人ってキラキラしたいものだと思う」
「キラキラ?」
「キラキラ。写真撮りたがる人なんて、すごく自分に自信があるんだなと思う。俺は、自分に特に自信はないし、写真を撮るのは好きじゃない。だからそれはすごいことなんだと思う。それに、東上さんは充分すごいよ。家族が大変だからって、それを外に愚痴らないんだから」
「……愚痴っても、勝手に同情されるからさあ。言いにくいんだ。私より大変な人ってもっといるのに、それを言ってもいいのかなって」
「大変って、そんなに比べられるもの?」
「へっ?」
榎本くんは、淡々としている。
「うちのばあちゃんの介護は大変だけれど、ばあちゃんは別に体が動きにくいだけでボケちゃいないから、比較的楽なほうなんだと思う。でもトイレまで連れて行かないとトイレできねえし、食事だって誰かが運ばないと食べられない。でも中には暴力を振るわれたり、暴言を吐かれたりする人だっているから、まだマシ」
「でも……トイレの世話も食事も、やっぱり大変で……」
「だから、俺は東上さんの大変をあんまり知らないけど。それって比べるものじゃなくない? たとえば広告でよく、アフリカ難民に支援をっていうのあるけど、アフリカ難民といきなり比べられたって、誰だって困ると思う。俺だって困る」
「……なんというか、大変のスケールが違い過ぎて」
「うん。だから相手のほうが大変そうだからって、我慢しなくていいと思う」
そう言い切ったあと、榎本くんはおにぎりをむしゃむしゃと食べた。
私はポカンとしてしまった。榎本くんは、学校に来るたびに眠そうにしていた。それはきっと、介護疲れだろう。たしかにまだおばあさんと意思疎通ができるんだから、よく聞く介護に関するトラブルと比べればかなり軽度なほうなんだけれど。それでも学校を休まないといけないくらいに介護を続けてるんだったら、やっぱり大変なはずだ。
でも彼は、寡黙なだけでいろんなことを考えている人だった。それを知ったら、なんだか安心した。
私はご飯をひと口食べてから言ってみた。
「お姉ちゃん、成人できないんだって」
「……そんなに長いこと、闘病生活を?」
「うん。お母さんなんかは奇跡を信じて、有名なお医者さんや治療法、病院にしょっちゅう行ったけど、どうにもならなかった。免疫不全で、予防接種をしても、全然免疫ができない体質なんだってさ」
「だったら、大変だったんじゃない?」
「うん。流行病が蔓延しているときなんか、どこもかしこも手洗いうがいアルコール消毒だけれど、私は小さい頃から徹底していた。それのせいで、結構外出制限もかかってた」
「……お姉さんが病気なんだよね? 東上さんじゃなく?」
「うん。私が。どれだけうがいして手洗いしてアルコール消毒して、空気清浄機をがんがんに回してみても、それでもお姉ちゃんはどこからもらってきてしまうから、友達の家に行くのも、繁華街に行くのも禁止されてた。解禁されるようになったのは、私が家事全般を任されるようになってから」
「そっかあ……」
榎本くんは淡々と言うのに、私はだんだん不安になってくる。自分では普通のことのつもりだったけれど、引かせてしまったかもしれない。私はおずおずと尋ねる。
「ごめん……引いた?」
「引いてないけど、東上さん家も大変だなと思って。風邪とかインフルエンザだって、予防接種しててもかかるときはかかるし、かからないときはかからないから」
「……私、そういう生活送ってたら、友達に聞かれたから答えたら、『虐待』とか『姉妹格差』とか言われちゃって。そのせいで、他の人の家族の話させにくい空気になっちゃってさ。だから逃げちゃったの」
「それは、逃げてよかったと思うけど」
「そうなの?」
「うん」
榎本くんはやっぱり淡々と言う。そして、ときどき自分のにおいを嗅ぐ。
「……臭いって、よく言われてたから」
「え?」
「介護してたら、どうしてもその……においがつくから」
榎本くんは言いにくそうにする。それに私は慌てる。
「私、病院通い慣れてるし、介護自体はしたことないけど、においには慣れてるから。ただ、大変なんだなと思うだけだから」
「気を遣ってる?」
「むしろ、私は榎本くんに助かってる! こういう話、すると大概嫌がられるから……同情とか、されちゃうから」
「……たしかに、同情されたり、無意味やたらと優しくされると、気持ち悪いもんね」
「うん」
普段、クラスメイトとしゃべるとき、どことなくよそよそしく感じる。
自業自得だとわかってはいるけれど、家の事情は言いにくい。その上家事に追われていたら、尚のこと人間関係が億劫だった。
そこで可哀想がられても、こちらだって困ってしまう。だって、どれだけ可哀想がられても、なんの足しにもならないんだもの。ただ私の居心地が悪くなるだけで、もしかして私を追い出したいだけなのではと、疑心暗鬼に駆られる。
その点、榎本くんとしゃべっているのは楽だった。私と彼はそれぞれの事情を全部理解できる訳ではないけれど、ただ触りの部分だけは理解できたから、大変なんだなと理解ができたから、いい加減な憐憫も同情もいらないから「大変だよね」の世間話だけを突き通すことができた。
昼休みが終わるギリギリまで美術室で適当にしゃべり、放課後にノートを貸すことにした。
「さすがに明日は学校来れないと思うから、図書室でコピーしていい?」
「いいよ。それかスマホで写真撮る?」
「んー……本当はそれが一番だけど」
榎本くんはむずむずしていた。
「ええっと……?」
「……俺、スマホだとすぐ割れるから持ってない。ガラケー。ガラケー出すのは、ちょっと……」
「あー……」
そういえばどこかで言っていた。スマホだと走り回る際に割れたりするから嫌がられ、走り回る現場では未だにガラケーが現役なんだと。介護で力仕事もするだろう榎本くんからしてみれば、たしかに割れやすいスマホなんて持ってられないんだろう。
「放課後、図書室行こうか」
「東上さんは平気? 家事やってるって言ってたけど」
「今日は買い物自体はないから平気。お姉ちゃんの病院にお見舞いに行く必要もないし」
「そう……なら」
こうして私たちは、教室へと戻っていった。
放課後に約束をするのって、いつ振りだろう。公園だけで事足りた小学生時代だったらいざ知らず、中学時代からは放課後に遊びに行くときに挙げられる場所は専ら繁華街やコンビニ、ショッピングモールで、お母さんが金切り声を上げて怒る場所ばかりが提案されたため、断るしかなかった。
その点図書室だったら、学校の中だから、少し居残りくらいで事足りる。おまけに学校の吸収合併のせいで比較的新しくて立派な図書室になったにもかかわらず、人があまり入らなくて寂しそうだから、うるさくない程度に寄るのだったら迷惑にならないだろう。
放課後、私たちが歩いて図書室に向かっても、誰もなにも言わなかった。そのことがなんだか私には嬉しかった。
当たり前なことをして、当たり前な反応をされて、当たり前なやり取りができる。
それって、実は当たり前じゃないことを、私たちだけはよく理解している。コピー機の音を聞きながら、私たちは少しだけ中間テストの話をした。
そろそろゴールデンウィークが差し迫り、日が照りそうな空色だった。
私の弁当は、今日も日の丸弁当だった。それを見て、榎本くんは尋ねた。
「東上さんは自分で弁当用意してるの?」
「うん……菓子パンだと、夕方まで持たないし。洗濯物が溜まってないときだったら、そこまで手抜きでもないんだけれど、洗濯物が多い日なんかはどうしても時間がなくって、ご飯を詰めて、梅干し入れるだけになっちゃうの」
「そっか。偉いね。家族は?」
「お父さんはお姉ちゃんの入院費稼ぎのため、ずぅーっと忙しそう。家に帰ってきてもご飯食べながらときどき舟漕いでる。お母さんもフルタイムで働いてるから、ずーっと大変」
「偉いね」
そうあっさりと言ってくれるのに、私は心底ほっとする。
私がこの手の話をすると、事情を知っている叔母さんたちすら顔をしかめるのだ。「それはさすがにおかしい」と。
間違ってるのかもしれない。変なのかもしれない。でも、他にどうしろと?
口だけ言わずにお金をちょうだいよ。お父さんもお母さんもボロボロにならないだけのお金をちょうだいよ。それができないんだったら、もう黙っててよ。あまりにも気の毒がっているので、そんなことを口にしたことは一度もないけれど。
私を淡々と褒めている榎本くんは、ラップにおにぎりを包んでいた。私みたいにご飯を詰めて梅干し載せただけよりも、ちょっとだけ偉い気がする。
「おにぎり握ったの? 偉いね」
「別に……ただラップに包んで、ぶんぶん振り回せばおにぎりになるから。朝は慌ただしいから、あんまり弁当づくりに時間かけてらんないし」
「おばあさんから、目を離せない感じ?」
「寝ているときとかはそうでもないけど。食事中は絶対に目を離せないから。誤飲で簡単に肺炎になるから」
「あー……榎本くん、すごいね」
私はそれを言うと、榎本くんは「どうして」と言いたげな顔をした。私は続ける。
「私、お姉ちゃんの世話は全部病院の人たちがしてくれるから、ずっと見てるとかしたことないもん。榎本くんは、ご家族いないときは、学校休んででも介護してるんでしょう? それはやっぱりすごいよ」
「……どうなんだろなあ。うちは、俺以外は誰もばあちゃんの面倒を見れなかったから。施設も予算考えなければあるんだけれど、ばあちゃんに合う条件、なかなか見当たらなかったから」
「条件?」
「有事の際にすぐお医者さんに診てもらえて、安全で、そこそこばあちゃんを自由にしてくれるところ」
それはどの人も求めそうな施設の条件だったけれど、誰でも求めるからこそ、なかなか空きがないのだろう。だから榎本くん家は家族で交替しながら介護を行っている訳で。
私は「大変だね」と言った。
榎本くんもまたこちらに尋ねる。
「東上さんは?」
「えっ?」
「お姉さんが入院しているみたいだけど」
「あー……」
私よりも大変そうな人がいるのに、言ってもいいものなのか。私が言葉を濁して、梅干しを崩しながら弁当を食べている中、榎本くんは淡々と言う。
「なんというか、人ってキラキラしたいものだと思う」
「キラキラ?」
「キラキラ。写真撮りたがる人なんて、すごく自分に自信があるんだなと思う。俺は、自分に特に自信はないし、写真を撮るのは好きじゃない。だからそれはすごいことなんだと思う。それに、東上さんは充分すごいよ。家族が大変だからって、それを外に愚痴らないんだから」
「……愚痴っても、勝手に同情されるからさあ。言いにくいんだ。私より大変な人ってもっといるのに、それを言ってもいいのかなって」
「大変って、そんなに比べられるもの?」
「へっ?」
榎本くんは、淡々としている。
「うちのばあちゃんの介護は大変だけれど、ばあちゃんは別に体が動きにくいだけでボケちゃいないから、比較的楽なほうなんだと思う。でもトイレまで連れて行かないとトイレできねえし、食事だって誰かが運ばないと食べられない。でも中には暴力を振るわれたり、暴言を吐かれたりする人だっているから、まだマシ」
「でも……トイレの世話も食事も、やっぱり大変で……」
「だから、俺は東上さんの大変をあんまり知らないけど。それって比べるものじゃなくない? たとえば広告でよく、アフリカ難民に支援をっていうのあるけど、アフリカ難民といきなり比べられたって、誰だって困ると思う。俺だって困る」
「……なんというか、大変のスケールが違い過ぎて」
「うん。だから相手のほうが大変そうだからって、我慢しなくていいと思う」
そう言い切ったあと、榎本くんはおにぎりをむしゃむしゃと食べた。
私はポカンとしてしまった。榎本くんは、学校に来るたびに眠そうにしていた。それはきっと、介護疲れだろう。たしかにまだおばあさんと意思疎通ができるんだから、よく聞く介護に関するトラブルと比べればかなり軽度なほうなんだけれど。それでも学校を休まないといけないくらいに介護を続けてるんだったら、やっぱり大変なはずだ。
でも彼は、寡黙なだけでいろんなことを考えている人だった。それを知ったら、なんだか安心した。
私はご飯をひと口食べてから言ってみた。
「お姉ちゃん、成人できないんだって」
「……そんなに長いこと、闘病生活を?」
「うん。お母さんなんかは奇跡を信じて、有名なお医者さんや治療法、病院にしょっちゅう行ったけど、どうにもならなかった。免疫不全で、予防接種をしても、全然免疫ができない体質なんだってさ」
「だったら、大変だったんじゃない?」
「うん。流行病が蔓延しているときなんか、どこもかしこも手洗いうがいアルコール消毒だけれど、私は小さい頃から徹底していた。それのせいで、結構外出制限もかかってた」
「……お姉さんが病気なんだよね? 東上さんじゃなく?」
「うん。私が。どれだけうがいして手洗いしてアルコール消毒して、空気清浄機をがんがんに回してみても、それでもお姉ちゃんはどこからもらってきてしまうから、友達の家に行くのも、繁華街に行くのも禁止されてた。解禁されるようになったのは、私が家事全般を任されるようになってから」
「そっかあ……」
榎本くんは淡々と言うのに、私はだんだん不安になってくる。自分では普通のことのつもりだったけれど、引かせてしまったかもしれない。私はおずおずと尋ねる。
「ごめん……引いた?」
「引いてないけど、東上さん家も大変だなと思って。風邪とかインフルエンザだって、予防接種しててもかかるときはかかるし、かからないときはかからないから」
「……私、そういう生活送ってたら、友達に聞かれたから答えたら、『虐待』とか『姉妹格差』とか言われちゃって。そのせいで、他の人の家族の話させにくい空気になっちゃってさ。だから逃げちゃったの」
「それは、逃げてよかったと思うけど」
「そうなの?」
「うん」
榎本くんはやっぱり淡々と言う。そして、ときどき自分のにおいを嗅ぐ。
「……臭いって、よく言われてたから」
「え?」
「介護してたら、どうしてもその……においがつくから」
榎本くんは言いにくそうにする。それに私は慌てる。
「私、病院通い慣れてるし、介護自体はしたことないけど、においには慣れてるから。ただ、大変なんだなと思うだけだから」
「気を遣ってる?」
「むしろ、私は榎本くんに助かってる! こういう話、すると大概嫌がられるから……同情とか、されちゃうから」
「……たしかに、同情されたり、無意味やたらと優しくされると、気持ち悪いもんね」
「うん」
普段、クラスメイトとしゃべるとき、どことなくよそよそしく感じる。
自業自得だとわかってはいるけれど、家の事情は言いにくい。その上家事に追われていたら、尚のこと人間関係が億劫だった。
そこで可哀想がられても、こちらだって困ってしまう。だって、どれだけ可哀想がられても、なんの足しにもならないんだもの。ただ私の居心地が悪くなるだけで、もしかして私を追い出したいだけなのではと、疑心暗鬼に駆られる。
その点、榎本くんとしゃべっているのは楽だった。私と彼はそれぞれの事情を全部理解できる訳ではないけれど、ただ触りの部分だけは理解できたから、大変なんだなと理解ができたから、いい加減な憐憫も同情もいらないから「大変だよね」の世間話だけを突き通すことができた。
昼休みが終わるギリギリまで美術室で適当にしゃべり、放課後にノートを貸すことにした。
「さすがに明日は学校来れないと思うから、図書室でコピーしていい?」
「いいよ。それかスマホで写真撮る?」
「んー……本当はそれが一番だけど」
榎本くんはむずむずしていた。
「ええっと……?」
「……俺、スマホだとすぐ割れるから持ってない。ガラケー。ガラケー出すのは、ちょっと……」
「あー……」
そういえばどこかで言っていた。スマホだと走り回る際に割れたりするから嫌がられ、走り回る現場では未だにガラケーが現役なんだと。介護で力仕事もするだろう榎本くんからしてみれば、たしかに割れやすいスマホなんて持ってられないんだろう。
「放課後、図書室行こうか」
「東上さんは平気? 家事やってるって言ってたけど」
「今日は買い物自体はないから平気。お姉ちゃんの病院にお見舞いに行く必要もないし」
「そう……なら」
こうして私たちは、教室へと戻っていった。
放課後に約束をするのって、いつ振りだろう。公園だけで事足りた小学生時代だったらいざ知らず、中学時代からは放課後に遊びに行くときに挙げられる場所は専ら繁華街やコンビニ、ショッピングモールで、お母さんが金切り声を上げて怒る場所ばかりが提案されたため、断るしかなかった。
その点図書室だったら、学校の中だから、少し居残りくらいで事足りる。おまけに学校の吸収合併のせいで比較的新しくて立派な図書室になったにもかかわらず、人があまり入らなくて寂しそうだから、うるさくない程度に寄るのだったら迷惑にならないだろう。
放課後、私たちが歩いて図書室に向かっても、誰もなにも言わなかった。そのことがなんだか私には嬉しかった。
当たり前なことをして、当たり前な反応をされて、当たり前なやり取りができる。
それって、実は当たり前じゃないことを、私たちだけはよく理解している。コピー機の音を聞きながら、私たちは少しだけ中間テストの話をした。
そろそろゴールデンウィークが差し迫り、日が照りそうな空色だった。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる