上 下
12 / 19
搭乗の際にはお足元にお気を付けください─誰かの未来を守るため─

しおりを挟む
 必死で自転車のペダルを漕ぎ続け、気付けば住宅街を抜けて、人気のない路線沿いの道に辿り着いた。
 路線沿いに自転車を走らせると、相変わらず近未来的な外観の駅が見えてきて、俺はそこで思いっきり音を立てながらブレーキを押し続けて、自転車を思いっきり倒しそうな勢いでストップした。
 ギギギギギギギッとすごい音を立てたせいなのか、晴さんは驚いた顔で駅長室から顔を出した。

「こんにちはフクくん。今日はいかがしましたか?」
「お、遅れて、すみませんでした!」
「いえいえ。無事で事故もなくなによりです。すごい汗ですねえ……なにか飲み物出しましょうか?」

 普段ここにやってくるお客さんにコーヒーを淹れているのをふと思い出し、俺はぶんぶんと首を振った。

「い、え……自分で! 売店で買いますし!」
「別にそこまでうちも細かくありませんけどねえ……じゃあ僕が麦茶のペットボトルを買いますから、分けましょうか」

 そう言ってのんびりと晴さんは売店に出かけていって、大きいペットボトルの麦茶を一本買ってくると、俺を連れて駅長室へと向かった。それをふたりで紙コップで分けて飲みはじめた。
 思っている以上に汗をかいていたらしく、俺のぶんの麦茶はあっという間に空っぽになった。

「それで、どうしたんですか? 普段細かいフクくんが遅刻は珍しい」
「俺、そこまで細かくもないですけど……友達がちょっとトラブったんですよ」
「それは……聞いて大丈夫な話ですか?」
「いやあ、そこは特に隠す話でもないですし、もう無事に終わった話ですから」

 そう言って、先程まで格闘していた一部始終を晴さんに話した。晴さんは麦茶を飲みながら、「ええ、ええ」と頷きながら聞いてくれ、野田が無事に助かったあたりでは「はあ…………」と感嘆の息を吐き出した。

「ご友人が無事でなによりでした」
「本当によかったです。今の季節がギリギリ夏じゃなかったからよかったですけど、もうちょっと早かったり遅かったりしたらアウトでした」

 冬にトイレに閉じ込められていたら、寒くてたまらないだろうし。夏にトイレに閉じ込められたら暑くてやってられない。二日閉じ込められていたのに元気なのは、本当に運がよかったとしかいいようがなかった。

「本当にそう思いますよ。俺もひとり暮らしですから。トイレの周りは片付けておこうと思いましたよ。シャレになりませんもん」
「ははは、心配して声をかけてくれる人がいるだけで、幸いというものですよ。世の中そういう人間ばかりじゃありませんから」
「たしかにそうですね……でも晴さんだったら、誰でも助けてくれると思いますよ? だっていい人じゃないですか」

 俺自身、周りからはやけに「いい奴」扱いされるけれど、それは「都合のいい奴」とか「便利な奴」とかの意味がひそんでいるような気がして油断がならない。そういうの抜きにして心配してくるみなほや、なにも聞かずにつるんでくれる野田みたいな奴が貴重なんだ。
 俺の指摘に、一瞬だけ晴さんはキョトンと目を瞬かせたあと「そうですねえ……」とひどく薄くわらった。
 あれ……? なんか気に障るようなことでも言ったかな? たしかにこの訳ありな人間以外入るどころか見つけることすらできないパラレルラインで働ける時点で、充分訳ありだもんなあ。
 変なこと言ったかなあ……そう俺がこっそりと反省している中。
 ギギギギギギギギギギッとけたたましいブレーキ音が響いた。俺の遅刻で自転車を走らせていたときとは比にならないような、けたたましい音。

「今日はそんな日なんですかねえ」

 晴さんはそうのんびりと言ってから、駅長室を出て、お客さんを出迎えに行った。俺も慌てて売店へと入る。
 俺が売店でエプロンを着けて様子を伺っていると、このあたりでよく見かける学ラン姿の高校生が、すごい勢いで晴さんに向かって走ってきた。

「すみません!! ここって、未来を替えられるんですよね!?」

 そう一気に捲し立てていた。
 俺が高校時代のとき、そこまで素直に聞くことができたかなあと、思わず遠い顔になった。
 晴さんはそんな高校生に、「まあ少し落ち着きなさい」と言った。

「なにか飲みますか?」
「飲んでる場合では……!!」
「落ち着いてください。その場の勢いで決めたら、後悔する場合もあります。それは絶対に不幸なことになります」
「人の命がかかっているのに、それでも言うことなのかよう……」

 とうとう高校生は、グズグズになって泣きはじめてしまった。
 見かねた俺は、黙って自腹でコーラを買うと、それを振って差し出した。

「炭酸飲める?」
「……飲めます」
「それやるから、ひとまず落ち着け」

 高校生は黙って栓を捻ると、それが噴水のように一気に噴き出し、それを顔から被って「ンギャー!!」と叫び声を上げた。どうも正気に返ったようだ。
 晴さんは「フクくん、そういうのはよくないです」と小さく注意をしてから、「顔はそちらで洗ってください」とトイレを指差した。高校生は素直に従って顔を洗いに向かい、びしょびしょになって戻ってきた。

「すみませんでした」
「はい、それではコーラですね。それを飲みながらでいいですから、話を伺いましょうか」
「……はい」

 高校生は、半分ほどなくなったコーラのペットボトルをぶら下げて、力なく駅長室へと入っていった。大丈夫かな……。
 さすがにコーラは申し訳なかったと思い、ポテトチップをひと袋追加で買うと、それを持って駅長室へと向かった。
 ちょうど高校生は、晴さんからもらったらしいタオルで顔を拭きながら、話をしているところだった。

「単刀直入に言います。友達を生き返らせて欲しいんです」
「……パラレルラインは、人の生死を変えることはできませんよ? その人が死んでいない平行世界に飛ぶだけで」
「……あいつを、生き返らせることは、できないんですか?」
「ここにいるあなたの友達を生き返らせることは、残念ながらできかねます」

 その言葉に、ズクンと胸を打たれた。
 もしもを叶えることのできる電車。それがこのパラレルラインだった。
 ……この世界で起こったことが変わる訳ではない。もしそれらをなかったことにしたい場合は、選択肢を迫られた本人が消失することとイコールなのだから。
 晴さんの言葉は、あまりにも当たり前の指摘しかしていなかった。
 高校生は、またも顔をぐしゃぐしゃにしながら、晴さんに抗議するように訴える。

「……そんなの……意味ないじゃないですか……俺、おれのせいで、あいつは……あいつは……」
「落ち着いてください」
「落ち着ける訳ないじゃないですかっ……! すんません。でも……」
「……本来ならば、話を全て聞いた上でパラレルラインの説明をするべきなんですが、一旦双方落ち着いたほうがいいですね。僕はちょっと席を外しますから、君も落ち着いたら声をかけてくださいね。フクくん」

 俺は声をかけられて、背中をピンッと伸ばす。

「ちょっと彼の話を聞いてあげてください。僕は奥にいますから、落ち着いたと判断したら、声をかけてくださいね」
「わかりました」

 奥……か。
 駅長室の奥がどうなっているのか、俺もよく知らない。
 駅長室のつるんとした部屋の奥。普通の駅だったら駅で働く従業員用通路があるはずなんだけれど、パラレルラインの場合はどうなっているのかいまいちわからない。俺もここで働いている人なんて、晴さんしか知らないんだから。
 さて。またもぐしゃぐしゃんの顔になった高校生のほうを見てやらないと。
 俺はポテトチップの袋を持っていって、ひょいと差し出した。

「割り箸いる?」

 最近はスマホを触る関係で、直接手掴みで食べない奴もいるから、念のため尋ねると、高校生は首を横に振った。

「別にいい。ありがとう……」
「うん。一応コンソメ持ってきたけど、うす塩のほうがよかった?」
「コンソメ好き」
「そう」

 ふたりで袋を開けて、それをシャクシャクと食べる。

「……友達が、いるんです」
「言ってたなあ」

 俺が相槌を打ちながら話を聞く態度になると、高校生はほっとしたように、吐き出した。

「いい奴なんです。一緒にいると面白いし、ふたりでスマホゲームの協力プレイしたり、ゲーム機で協力プレイしたり」
「いいな、そういうの」
「……暇なとき、よくショッピングモールのゲーセンで遊ぶ、そんな奴だったんですけど、しょうもないことで喧嘩したんです……」

 言葉尻が、だんだんと窄まっていく。大丈夫かな、これは。俺は「これ、聞いて大丈夫な奴?」と尋ねると、高校生はポテトチップを掌いっぱいに取ると、一気にそれを口の中に放り込んで咀嚼した。
 パリンッパリンッパリンッパリンボリボリボリゴリゴリゴリ。
 すごい音が響き渡ったあと、それを一気にコーラで流し込んだ。炭酸が鼻から抜けていく感覚で目を白黒させたあと、ようやく高校生は吐き出した。

「ふたりで言い争いになったとき、思わずそいつの背中をドンッて押したんです。普段だったら、すぐにやり返されるくらいの力しかなかったんですけど……その日は電車のホームが濡れてて、そのまま滑ったんです。電車が、来てました……」

 ……そんなの、たまったもんじゃないだろ。
 きっとこの高校生は、普段から友達となんでも言い合える、気の置けない関係だったんだろう。だから喧嘩してやり合ったとしても、その日の内に仲直りできる、そんな関係だったんだろうに。
 それは、運のあるなしで左右される。
 その日は運がなかったんだ……運が悪かったのひと言で終わらせていいことなんて、なにひとつないのに。

「すぐに電車は停まって、大騒ぎになりました。あいつはすぐに救急車に運ばれて、一命は取り留めましたけど……起きないんです」
「……そっか」
「……大変なことになって、大人もたくさん出てきて、いっぱい責められて……あいつが起きたら解決するとは思わないけど……でも……」

 友達同士の諍いも、大きく人を巻き込んだら、大事になる。
 それを一緒に心配してくれる人だとまだいい。野田を心配してくれたお隣さんや管理会社のように。でも。
 たいがい子供の起こしたことは「迷惑かけるな」と上から目線に言われてしまう。
 大人は社会の歯車として生きなければならないんだから、歯車が噛み合わない原因を徹底的に攻撃する。
 この子はきっと、それで疲れ果てて、どうにかしようどうにかしようと思った結果、ここに辿り着いたんだ。

「俺……どうしたらよかったんですか……」

 また泣き出したこの子に、どう声をかけるべきかと考えあぐねた。
しおりを挟む

処理中です...