22 / 23
山茶花館での再会
しおりを挟む
後宮に入ったときと同じく、空燕と月鈴は馬車に揺られていた。あのときと違うのは、既にふたりとも後宮内での正装は返却し、方服に戻っているということ。だからこそ月鈴は化粧もしていなかった。
「化粧はしていてもよかったと思うがなあ……」
空燕に残念がられて、月鈴は「いや」と首を横に振る。
「方術修行中に化粧なんてしていられないだろ。そもそも化粧直しする暇がないし、化粧崩れは醜い」
「なるほど……お前さんがそう思ったのならそうなんだろうな」
情緒が育ってない育ってないと空燕が思っていた月鈴にも、いっぱしに羞恥心があったようなのだから、それに合わせて、空燕もそこまで追究はしなかった。
やがて、森に囲まれた麗しい館が見えてくる。
最後の最後に、起きたはずの泰然に挨拶をしてから、帰ることとなったのである。
空燕と月鈴を見た兵士たちは、既に知っている顔なため、一度山茶花館の主である秋華に許可を取りに行った上で、すぐに入れてくれた。
館は大工が出入りし、どうにも落ち着かない様子だった。
「これはいったい?」
「大方、四像国から襲撃を受けたんだろうさ」
月鈴が驚きながら大工たちの作業を眺めている中、空燕がぼそりと言った言葉に、ぎょっとして振り返る。
「それは……大変じゃないか」
「大変だったんだろうさ。ここには皇帝陛下が三人も昏睡状態で眠っているんだから、今なら仕留められると思ったんだろうさ。だからこそ、俺も花妃に頼んで実家の援軍を送ってもらったようなもんだからな」
館の扉は入念に修理を施されているし、壁も塗り直されている。あの夜は月鈴も空燕も必死だったが、本来なら安全のはずの別荘にまで襲撃があったのでは、ただ事ではなかったのだろう。
そう思っていたら、「空燕様、月鈴様!」と声をかけられた。
世話になってばかりだった秋華である。彼女はふたりを見ると笑顔で駆け寄ってきた。
「先日の連続皇帝昏睡事件、無事解決おめでとうございます……!」
「ええ……しかし、あなたには残念なことでしたね?」
空燕の言葉にも、秋華は笑顔だった。いや。
彼女はいつもよりも化粧が濃く、肌も白く塗りたくられていた。おそらくは、既に目が腫れるまで泣いたあとなのだろう。彼女自身、覚悟を決めたから、既に笑顔になれるのだ。
(強い方だ……)
そう月鈴は感嘆していたが、それは彼女をより一掃悲しませそうで、口にすることはなかった。
「最後に、兄上たちを弔った上で、泰然兄に挨拶をしたく思いますが……」
「では、どうぞ皆様を弔う際、泰然陛下と一緒に行ってくださいませ。泰然陛下、職務復帰のために、本当に真面目に訓練を続けてらっしゃいますのよ? 本来ならば修繕中のここを離れて、もっと安全な場所に行くべきなのですが、私ひとりを残せないとおっしゃって、ここに残ってくださったんです」
「私がいるところが一番護衛が多いですから、秋華殿をひとりで置いておく訳には参りませんな?」
その声を聞いて、月鈴は目を見開いた。
声は空燕に本当によく似ているが、明らかに色が違う。空燕は飄々として掴み所がない風のような雰囲気の声だが、この声はどこかずっしりと腹に響き、山の頂を思わせるような厳かさがある。
振り返った先には、空燕そっくりな顔つきの、明らかに別人が立っていた。寝間着を着ているだけだというのに、彼から醸し出される気は、空燕のものとは異なっていた。彼が泰然陛下だろう……たしかに服装さえ揃えてしまえば、気配のわからないものには空燕が影武者として立てば済む話だろう。
彼を見て、空燕は深く陳謝する。それを見て慌てて月鈴もそれに倣った。
「兄上……壮健でなによりです」
「壮健ではないかな。まだ病み上がりで体がちっとも戻らないところだよ。そちらの方士が……」
そう言って泰然は月鈴のほうに視線を送る。月鈴は深く陳謝し直す。
「方士月鈴と申します」
「そうか、あなただね、此度私の愛妾として後宮に入ったのは」
「違……それは、空燕に言われ……おっしゃられたので、陛下を謀るつもりは……」
今回の事件の黒幕は四像国ではあれども、やらかしたのは方士である。後宮内に方士が潜伏していたのを言ってしまっていいものか。そう月鈴はなんとか言い訳をしようとしたが、それに対して、泰然は「ははは」と笑った。顔以外はなにもかもが違う兄弟ではあるが、笑い声だけはよく似ていた。
「いや、失礼。弟は昔から後ろ盾がない関係で、どこか卑屈な上に人を信用しないところがあったから。そんな彼が手元に置いてもかまわないという人を見つけられたようで安心したんだよ」
「……方士は、特に結婚などはできませんが」
「いや、内縁の夫婦はいくらでもいるからね。ふたりがそのつもりがないのならば、それは流すとして、ふたりがそのまま寺院に戻らずにこちらに来てくれてよかったよ。少しだけ相談があるんだけど、いいかな?」
その言葉に月鈴は首を捻っていたが、空燕は心底嫌そうに顔をしかめていた。それを月鈴は振り返る。
「空燕? 陛下の前でその顔は……」
「……兄上は人たらしなんだ。その上、やたらと外堀を埋めてくる」
「あなた、小さい頃から私と一緒に寺院にいただろうが。今も幼い頃のまんまとは限らないのでは」
「いや……三つ子の魂百までとは方士は言わなかったか? 後宮にいた頃から、その辺りは変わってないはずだ」
既に空燕は、泰然がなにを切り出すのかわかっている様子だった。
そういえば。山茶花館の主だからこそ、責任者として修繕中でもなるべく山茶花館から離れない秋華はともかく、いち皇帝がどうしてここに残ったんだろうか。たしかに彼がいる以上、護衛は増やされて当然だし、ましてやここは一度四像国から襲撃を受けているのだ。どうしてここに残ったのだろうか。
まるで、一度ここに立ち寄る空燕と月鈴を待っていたかのようなのだ。
「まずは、此度の事件解決のために、後宮に潜伏してくれたこと、誠に感謝する」
「いえ……」
空燕はこれ以上下手なことは言わなかった。
そして泰然は続ける。
「しかしこの三代に渡る連続皇帝昏睡事件の真相は、我らが父上の引き起こした厄災が原因。四像国の亡命国家とは引き続き和平のために使者を送るが、無事に平定するまでに時間がかかるだろう」
それはそうである。元を正せば、四像国にとっての聖なる山を雲仙国が奪ったことで彼らを怒らせてしまったことが原因なのだから。しかしだからと言って、おいそれと山を返すこともできまい。既に四像国の亡命国家が隣国につくられてしまった以上、簡単に山を返すなんて言ってしまえば、賠償問題はどれだけ大きくなるかはわからない。
それに空燕は「難しいですな」と言うと、泰然は頷く。
「本来父上の行いが全面的に悪いことだけはわかっているが……下手に土地の返却だけをしてしまえば、そこに住む自国の民を路頭に迷わせることになる。だからといってこちらが一方的に悪くないと言ってしまえば火に油を注ぐようなものだ。話し合いで落としどころを探すしかないが、強硬派は話し合いにはまず応じないだろうし、今回のような事態も引き起こしかねない……なによりも、我が国では数代前に方士の介入を受けたせいで、政治系統に簡単に方士を招き入れられない。そこを突かれたようなところもある」
その話を聞きながら、月鈴はどうして空燕が心底嫌な顔をしていたのか、だんだんわかってきた気がした。
外から方士を入れることができないのならば、身内の中にいる方士を連れてこればいいじゃないか。そう思っても仕方がないからだ。
泰然の言葉がひと段落したのを見計らって、空燕が口を挟む。
「……俺は兄上の側近たちにも申しましたが、俺には方士としての素質はあまりありません。方術のほうはからっきしなんです。俺がいても、兄上の力になれないかと思いますよ?」
「そこなんだがな。あなたには月鈴がいる。月鈴は雨桐全域に結界を張り巡らせ、後宮内に潜伏していた方士を特定した方士だったな? 彼女にはぜひとも我が国にいてほしい。そして空燕」
泰然はにっこりと笑う。空燕と似ているが、空燕がしないような表情で。
「あなたには山茶花館の守護を任せたい。四像国の件がある以上、軍部の再編は急務ながら、ここは仮にも別荘。後宮内になにかあった場合、ここに人員を割けないのは困るからね。あなたが強いことは知っている。だからこそ、ふたりが山茶花館にいてくれると頼もしい。それに」
彼は笑顔を浮かべている。月鈴は思わず空燕の横顔を盗み見た。空燕は滅多にしない、上からものを頼まれて困る子供のような顔をしていた。
「なにかあったとき、私の影武者がいてくれたほうがいいからね。おまけに私の愛妾がいてくれたら、より一層正体がばれることもあるまい。手伝ってくれないかな?」
どこからどこまでも、あまりに断りにくい案件だった。
第一に、そもそも皇帝陛下の命令として有無を言わせないようにすればいいものを、わざわざ頼むという形で言ってのけた。断るにも勇気がいる。
第二に、影武者という役割を与えた。有事の際に後宮に入ったりよそに出かけたりもする任務が与えられたのは、なかなかに魅力的だった。
第三に……ふたりが内縁の夫婦として認められたところである。この一点がふたりをより一層断りにくくしていた。
空燕は溜息をついてから、月鈴のほうに視線を寄越す。
「どうする? 俺は断る理由があまり見つからないんだが。お前さんはそうじゃない」
「……私は」
ただ、これを呑んでしまえば空燕と一緒にいることはできるが、月鈴の夢である仙女になる道は遠ざかる。それは彼女にとっての核を失うことだから、あまりよろしくはなかったが。
しばらく考えてから、月鈴は口を開いた。
「この話、お受けします。ただ、一度寺院に戻って師父に許可を取らせてくださいませ」
「そうか! それはよかった」
なんだか全ては泰然に担がれてしまったようだが、まあいい。
空燕と月鈴は顔を見合わせた。ふたりでいられるのならば、それでいいということにする。
****
皇帝ふたりの葬儀は、しめやかに行われた。
表向き、ふたりは病気で玉座を離れたことになっているため、あまり表立ってふたりの死を公表することができなかった。そもそも兄弟の父たる皇帝の死からあまりに皇位に就いた時間が短過ぎたため、これらを公表することで、この国の弱っていることを表に出し、四像国をはじめとする父皇帝のせいで恨まれている方々の国を敵に回すのをおそれたのである。
彼らに札を貼り、彼らの体に溜まっていた魄を奪っていく。これにより、彼らは完全に死に絶えた。これを秋華に見せるのは躊躇ったが、秋華は首を振っていたのだ。
「どうぞ、我が陛下の最期を最後まで見届けさせてくださいませ」
こうして皇帝ふたりの棺桶はきちんとした方術で封印され、墓地に入れられたのである。
方士として、これらの指揮を執り行った月鈴は、真っ白な方服を着ていた。
「これで本当によかったのか? あなたの兄上たちだったのだろう?」
月鈴は空燕に振り返る。空燕もまた、皇族としての喪服ではなく、真っ白な方服を着て方士として葬儀の弔いを行うほうに回っていた。空燕は首を振る。
「いや……泰然兄が起きられたのだ……もし他の兄上たちまで起きてみろ。皇位争奪戦で大変なことになっていた……秋華もわかっていたからこそ、兄上の最期を見届けられたのだろうしな」
「……そうだな」
秋華はそのまま残りの人生を出家して、後宮の墓地の管理をしたいと申し出たが、それはさすがに山茶花館に住む侍女たちだけでなく、泰然にまで止められた。
「あなたが兄上を愛してくれたその事実は嬉しい。ただ、兄上も寿命や戦で死んだのならいざ知らず、このような形で亡くなり、あなたを道連れにすることはよしとはしないはずです」
「ですが……私の陛下は……もう……」
「ここに来られるような方は、皆なにかしら病んでおられます。体もそうですが、心も病んでいらっしゃる方もおられるでしょう。そのつらさのわかるあなたにこそ、ここを任せたいのです。引き続き、山茶花館を頼めませんか?」
泰然の説得で、ようやく秋華は頷いた。
「泰然陛下は本当に命令が下手ですのね」
「それは側近たちに任せておりますので」
月鈴は、離れた長いはずの空燕からすら「人たらし」と称された泰然の言葉に舌を巻いていた。
それに空燕はからかい交じりで声をかける。
「なんだ、月鈴も兄上にたらされたくなったのか?」
「馬鹿なことを言うな。私は不思議だと思っただけだ。あれだけ陛下と空燕は似ているのに、ちっとも似ていないのは何故だろうと」
「……言葉がおかしくないか?」
「だが……顔の造形は同じはずなのに、どうしてこうも別人に思えるのかがわからなかったんだ。あなたと陛下は本当に顔は似ているのに、私からしてみると陛下といるのは居心地が悪くなるんだが、あなたの傍にいるのは不思議と身が馴染むんだ」
月鈴のその言葉に、空燕は「はあ~……」と溜息をついた。
それに彼女はまたしてもむっとする。
「私はまた変なことを言ったか?」
「いや……情緒が育ってないお前さんが怖いと、本当にそう思っただけだよ。情緒が育ったらどうなるのかと……」
「悪かったな、情緒がなくて」
「そうじゃない。本当にそうじゃないんだよ」
ふたりの他愛のない会話が続いた。
──そして、季節がひとつ変わった。
「化粧はしていてもよかったと思うがなあ……」
空燕に残念がられて、月鈴は「いや」と首を横に振る。
「方術修行中に化粧なんてしていられないだろ。そもそも化粧直しする暇がないし、化粧崩れは醜い」
「なるほど……お前さんがそう思ったのならそうなんだろうな」
情緒が育ってない育ってないと空燕が思っていた月鈴にも、いっぱしに羞恥心があったようなのだから、それに合わせて、空燕もそこまで追究はしなかった。
やがて、森に囲まれた麗しい館が見えてくる。
最後の最後に、起きたはずの泰然に挨拶をしてから、帰ることとなったのである。
空燕と月鈴を見た兵士たちは、既に知っている顔なため、一度山茶花館の主である秋華に許可を取りに行った上で、すぐに入れてくれた。
館は大工が出入りし、どうにも落ち着かない様子だった。
「これはいったい?」
「大方、四像国から襲撃を受けたんだろうさ」
月鈴が驚きながら大工たちの作業を眺めている中、空燕がぼそりと言った言葉に、ぎょっとして振り返る。
「それは……大変じゃないか」
「大変だったんだろうさ。ここには皇帝陛下が三人も昏睡状態で眠っているんだから、今なら仕留められると思ったんだろうさ。だからこそ、俺も花妃に頼んで実家の援軍を送ってもらったようなもんだからな」
館の扉は入念に修理を施されているし、壁も塗り直されている。あの夜は月鈴も空燕も必死だったが、本来なら安全のはずの別荘にまで襲撃があったのでは、ただ事ではなかったのだろう。
そう思っていたら、「空燕様、月鈴様!」と声をかけられた。
世話になってばかりだった秋華である。彼女はふたりを見ると笑顔で駆け寄ってきた。
「先日の連続皇帝昏睡事件、無事解決おめでとうございます……!」
「ええ……しかし、あなたには残念なことでしたね?」
空燕の言葉にも、秋華は笑顔だった。いや。
彼女はいつもよりも化粧が濃く、肌も白く塗りたくられていた。おそらくは、既に目が腫れるまで泣いたあとなのだろう。彼女自身、覚悟を決めたから、既に笑顔になれるのだ。
(強い方だ……)
そう月鈴は感嘆していたが、それは彼女をより一掃悲しませそうで、口にすることはなかった。
「最後に、兄上たちを弔った上で、泰然兄に挨拶をしたく思いますが……」
「では、どうぞ皆様を弔う際、泰然陛下と一緒に行ってくださいませ。泰然陛下、職務復帰のために、本当に真面目に訓練を続けてらっしゃいますのよ? 本来ならば修繕中のここを離れて、もっと安全な場所に行くべきなのですが、私ひとりを残せないとおっしゃって、ここに残ってくださったんです」
「私がいるところが一番護衛が多いですから、秋華殿をひとりで置いておく訳には参りませんな?」
その声を聞いて、月鈴は目を見開いた。
声は空燕に本当によく似ているが、明らかに色が違う。空燕は飄々として掴み所がない風のような雰囲気の声だが、この声はどこかずっしりと腹に響き、山の頂を思わせるような厳かさがある。
振り返った先には、空燕そっくりな顔つきの、明らかに別人が立っていた。寝間着を着ているだけだというのに、彼から醸し出される気は、空燕のものとは異なっていた。彼が泰然陛下だろう……たしかに服装さえ揃えてしまえば、気配のわからないものには空燕が影武者として立てば済む話だろう。
彼を見て、空燕は深く陳謝する。それを見て慌てて月鈴もそれに倣った。
「兄上……壮健でなによりです」
「壮健ではないかな。まだ病み上がりで体がちっとも戻らないところだよ。そちらの方士が……」
そう言って泰然は月鈴のほうに視線を送る。月鈴は深く陳謝し直す。
「方士月鈴と申します」
「そうか、あなただね、此度私の愛妾として後宮に入ったのは」
「違……それは、空燕に言われ……おっしゃられたので、陛下を謀るつもりは……」
今回の事件の黒幕は四像国ではあれども、やらかしたのは方士である。後宮内に方士が潜伏していたのを言ってしまっていいものか。そう月鈴はなんとか言い訳をしようとしたが、それに対して、泰然は「ははは」と笑った。顔以外はなにもかもが違う兄弟ではあるが、笑い声だけはよく似ていた。
「いや、失礼。弟は昔から後ろ盾がない関係で、どこか卑屈な上に人を信用しないところがあったから。そんな彼が手元に置いてもかまわないという人を見つけられたようで安心したんだよ」
「……方士は、特に結婚などはできませんが」
「いや、内縁の夫婦はいくらでもいるからね。ふたりがそのつもりがないのならば、それは流すとして、ふたりがそのまま寺院に戻らずにこちらに来てくれてよかったよ。少しだけ相談があるんだけど、いいかな?」
その言葉に月鈴は首を捻っていたが、空燕は心底嫌そうに顔をしかめていた。それを月鈴は振り返る。
「空燕? 陛下の前でその顔は……」
「……兄上は人たらしなんだ。その上、やたらと外堀を埋めてくる」
「あなた、小さい頃から私と一緒に寺院にいただろうが。今も幼い頃のまんまとは限らないのでは」
「いや……三つ子の魂百までとは方士は言わなかったか? 後宮にいた頃から、その辺りは変わってないはずだ」
既に空燕は、泰然がなにを切り出すのかわかっている様子だった。
そういえば。山茶花館の主だからこそ、責任者として修繕中でもなるべく山茶花館から離れない秋華はともかく、いち皇帝がどうしてここに残ったんだろうか。たしかに彼がいる以上、護衛は増やされて当然だし、ましてやここは一度四像国から襲撃を受けているのだ。どうしてここに残ったのだろうか。
まるで、一度ここに立ち寄る空燕と月鈴を待っていたかのようなのだ。
「まずは、此度の事件解決のために、後宮に潜伏してくれたこと、誠に感謝する」
「いえ……」
空燕はこれ以上下手なことは言わなかった。
そして泰然は続ける。
「しかしこの三代に渡る連続皇帝昏睡事件の真相は、我らが父上の引き起こした厄災が原因。四像国の亡命国家とは引き続き和平のために使者を送るが、無事に平定するまでに時間がかかるだろう」
それはそうである。元を正せば、四像国にとっての聖なる山を雲仙国が奪ったことで彼らを怒らせてしまったことが原因なのだから。しかしだからと言って、おいそれと山を返すこともできまい。既に四像国の亡命国家が隣国につくられてしまった以上、簡単に山を返すなんて言ってしまえば、賠償問題はどれだけ大きくなるかはわからない。
それに空燕は「難しいですな」と言うと、泰然は頷く。
「本来父上の行いが全面的に悪いことだけはわかっているが……下手に土地の返却だけをしてしまえば、そこに住む自国の民を路頭に迷わせることになる。だからといってこちらが一方的に悪くないと言ってしまえば火に油を注ぐようなものだ。話し合いで落としどころを探すしかないが、強硬派は話し合いにはまず応じないだろうし、今回のような事態も引き起こしかねない……なによりも、我が国では数代前に方士の介入を受けたせいで、政治系統に簡単に方士を招き入れられない。そこを突かれたようなところもある」
その話を聞きながら、月鈴はどうして空燕が心底嫌な顔をしていたのか、だんだんわかってきた気がした。
外から方士を入れることができないのならば、身内の中にいる方士を連れてこればいいじゃないか。そう思っても仕方がないからだ。
泰然の言葉がひと段落したのを見計らって、空燕が口を挟む。
「……俺は兄上の側近たちにも申しましたが、俺には方士としての素質はあまりありません。方術のほうはからっきしなんです。俺がいても、兄上の力になれないかと思いますよ?」
「そこなんだがな。あなたには月鈴がいる。月鈴は雨桐全域に結界を張り巡らせ、後宮内に潜伏していた方士を特定した方士だったな? 彼女にはぜひとも我が国にいてほしい。そして空燕」
泰然はにっこりと笑う。空燕と似ているが、空燕がしないような表情で。
「あなたには山茶花館の守護を任せたい。四像国の件がある以上、軍部の再編は急務ながら、ここは仮にも別荘。後宮内になにかあった場合、ここに人員を割けないのは困るからね。あなたが強いことは知っている。だからこそ、ふたりが山茶花館にいてくれると頼もしい。それに」
彼は笑顔を浮かべている。月鈴は思わず空燕の横顔を盗み見た。空燕は滅多にしない、上からものを頼まれて困る子供のような顔をしていた。
「なにかあったとき、私の影武者がいてくれたほうがいいからね。おまけに私の愛妾がいてくれたら、より一層正体がばれることもあるまい。手伝ってくれないかな?」
どこからどこまでも、あまりに断りにくい案件だった。
第一に、そもそも皇帝陛下の命令として有無を言わせないようにすればいいものを、わざわざ頼むという形で言ってのけた。断るにも勇気がいる。
第二に、影武者という役割を与えた。有事の際に後宮に入ったりよそに出かけたりもする任務が与えられたのは、なかなかに魅力的だった。
第三に……ふたりが内縁の夫婦として認められたところである。この一点がふたりをより一層断りにくくしていた。
空燕は溜息をついてから、月鈴のほうに視線を寄越す。
「どうする? 俺は断る理由があまり見つからないんだが。お前さんはそうじゃない」
「……私は」
ただ、これを呑んでしまえば空燕と一緒にいることはできるが、月鈴の夢である仙女になる道は遠ざかる。それは彼女にとっての核を失うことだから、あまりよろしくはなかったが。
しばらく考えてから、月鈴は口を開いた。
「この話、お受けします。ただ、一度寺院に戻って師父に許可を取らせてくださいませ」
「そうか! それはよかった」
なんだか全ては泰然に担がれてしまったようだが、まあいい。
空燕と月鈴は顔を見合わせた。ふたりでいられるのならば、それでいいということにする。
****
皇帝ふたりの葬儀は、しめやかに行われた。
表向き、ふたりは病気で玉座を離れたことになっているため、あまり表立ってふたりの死を公表することができなかった。そもそも兄弟の父たる皇帝の死からあまりに皇位に就いた時間が短過ぎたため、これらを公表することで、この国の弱っていることを表に出し、四像国をはじめとする父皇帝のせいで恨まれている方々の国を敵に回すのをおそれたのである。
彼らに札を貼り、彼らの体に溜まっていた魄を奪っていく。これにより、彼らは完全に死に絶えた。これを秋華に見せるのは躊躇ったが、秋華は首を振っていたのだ。
「どうぞ、我が陛下の最期を最後まで見届けさせてくださいませ」
こうして皇帝ふたりの棺桶はきちんとした方術で封印され、墓地に入れられたのである。
方士として、これらの指揮を執り行った月鈴は、真っ白な方服を着ていた。
「これで本当によかったのか? あなたの兄上たちだったのだろう?」
月鈴は空燕に振り返る。空燕もまた、皇族としての喪服ではなく、真っ白な方服を着て方士として葬儀の弔いを行うほうに回っていた。空燕は首を振る。
「いや……泰然兄が起きられたのだ……もし他の兄上たちまで起きてみろ。皇位争奪戦で大変なことになっていた……秋華もわかっていたからこそ、兄上の最期を見届けられたのだろうしな」
「……そうだな」
秋華はそのまま残りの人生を出家して、後宮の墓地の管理をしたいと申し出たが、それはさすがに山茶花館に住む侍女たちだけでなく、泰然にまで止められた。
「あなたが兄上を愛してくれたその事実は嬉しい。ただ、兄上も寿命や戦で死んだのならいざ知らず、このような形で亡くなり、あなたを道連れにすることはよしとはしないはずです」
「ですが……私の陛下は……もう……」
「ここに来られるような方は、皆なにかしら病んでおられます。体もそうですが、心も病んでいらっしゃる方もおられるでしょう。そのつらさのわかるあなたにこそ、ここを任せたいのです。引き続き、山茶花館を頼めませんか?」
泰然の説得で、ようやく秋華は頷いた。
「泰然陛下は本当に命令が下手ですのね」
「それは側近たちに任せておりますので」
月鈴は、離れた長いはずの空燕からすら「人たらし」と称された泰然の言葉に舌を巻いていた。
それに空燕はからかい交じりで声をかける。
「なんだ、月鈴も兄上にたらされたくなったのか?」
「馬鹿なことを言うな。私は不思議だと思っただけだ。あれだけ陛下と空燕は似ているのに、ちっとも似ていないのは何故だろうと」
「……言葉がおかしくないか?」
「だが……顔の造形は同じはずなのに、どうしてこうも別人に思えるのかがわからなかったんだ。あなたと陛下は本当に顔は似ているのに、私からしてみると陛下といるのは居心地が悪くなるんだが、あなたの傍にいるのは不思議と身が馴染むんだ」
月鈴のその言葉に、空燕は「はあ~……」と溜息をついた。
それに彼女はまたしてもむっとする。
「私はまた変なことを言ったか?」
「いや……情緒が育ってないお前さんが怖いと、本当にそう思っただけだよ。情緒が育ったらどうなるのかと……」
「悪かったな、情緒がなくて」
「そうじゃない。本当にそうじゃないんだよ」
ふたりの他愛のない会話が続いた。
──そして、季節がひとつ変わった。
1
あなたにおすすめの小説
迦国あやかし後宮譚
シアノ
キャラ文芸
旧題 「茉莉花の蕾は後宮で花開く 〜妃に選ばれた理由なんて私が一番知りたい〜 」
第13回恋愛大賞編集部賞受賞作
タイトルを変更し、「迦国あやかし後宮譚」として5巻まで刊行。大団円で完結となりました。
コミカライズもアルファノルンコミックスより全3巻発売中です!
妾腹の生まれのため義母から疎まれ、厳しい生活を強いられている莉珠。なんとかこの状況から抜け出したいと考えた彼女は、後宮の宮女になろうと決意をし、家を出る。だが宮女試験の場で、謎の美丈夫から「見つけた」と詰め寄られたかと思ったら、そのまま宮女を飛び越して、皇帝の妃に選ばれてしまった! わけもわからぬままに煌びやかな後宮で暮らすことになった莉珠。しかも後宮には妖たちが驚くほどたくさんいて……!?
後宮の偽花妃 国を追われた巫女見習いは宦官になる
gari@七柚カリン
キャラ文芸
旧題:国を追われた巫女見習いは、隣国の後宮で二重に花開く
☆4月上旬に書籍発売です。たくさんの応援をありがとうございました!☆ 植物を慈しむ巫女見習いの凛月には、二つの秘密がある。それは、『植物の心がわかること』『見目が変化すること』。
そんな凛月は、次期巫女を侮辱した罪を着せられ国外追放されてしまう。
心機一転、紹介状を手に向かったのは隣国の都。そこで偶然知り合ったのは、高官の峰風だった。
峰風の取次ぎで紹介先の人物との対面を果たすが、提案されたのは後宮内での二つの仕事。ある時は引きこもり後宮妃(欣怡)として巫女の務めを果たし、またある時は、少年宦官(子墨)として庭園管理の仕事をする、忙しくも楽しい二重生活が始まった。
仕事中に秘密の能力を活かし活躍したことで、子墨は女嫌いの峰風の助手に抜擢される。女であること・巫女であることを隠しつつ助手の仕事に邁進するが、これがきっかけとなり、宮廷内の様々な騒動に巻き込まれていく。
炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~
悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。
強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。
お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。
表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。
第6回キャラ文芸大賞応募作品です。
香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く
液体猫(299)
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/
香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。
ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……
その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。
香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。
彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。
テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。
後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。
シリアス成分が少し多めとなっています。
下っ端妃は逃げ出したい
都茉莉
キャラ文芸
新皇帝の即位、それは妃狩りの始まりーー
庶民がそれを逃れるすべなど、さっさと結婚してしまう以外なく、出遅れた少女は後宮で下っ端妃として過ごすことになる。
そんな鈍臭い妃の一人たる私は、偶然後宮から逃げ出す手がかりを発見する。その手がかりは府庫にあるらしいと知って、調べること数日。脱走用と思われる地図を発見した。
しかし、気が緩んだのか、年下の少女に見つかってしまう。そして、少女を見張るために共に過ごすことになったのだが、この少女、何か隠し事があるようで……
未亡人クローディアが夫を亡くした理由
臣桜
キャラ文芸
老齢の辺境伯、バフェット伯が亡くなった。
しかしその若き未亡人クローディアは、夫が亡くなったばかりだというのに、喪服とは色ばかりの艶やかな姿をして、毎晩舞踏会でダンスに興じる。
うら若き未亡人はなぜ老齢の辺境伯に嫁いだのか。なぜ彼女は夫が亡くなったばかりだというのに、楽しげに振る舞っているのか。
クローディアには、夫が亡くなった理由を知らなければならない理由があった――。
※ 表紙はニジジャーニーで生成しました
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
あやかし警察おとり捜査課
紫音みけ🐾書籍発売中
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。
しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。
反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる