失踪バケーション

石田空

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併走:誰かのせいにしていた気持ちと向き合い

4話

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 結局は占い師にどうにか連絡先交換を強いてから、私たちは占いハウスから出たけれど。もうすっかり夜になってしまい、繁華街もどことなく怪しい雰囲気が漂いはじめてきていた。
 岸雄さん家からも私の家……今は陽葵さんの居住区だけれど……からも遠いし、これからどうしようとしていた中。
 私はぱっとホテルを指差した。たしか地元のお菓子メーカーが経営
しているホテルで、ご飯もデザートもおいしい上に、女性客をターゲットにした親切値段だったはずだ……さすがにこれ以上岸雄さんにお金を支払わせるのも申し訳ないから、ネットカフェとかも考えたものの、いくらカップル席を取れたとしてもあまり寝心地はよくない上に、食事代を考えたらここのほうがまだいくらかマシな気がしたのだ。

「岸雄さん、あそこに泊まりませんか!?」
「え……あのホテルですか……」
「……今から帰ったら遅くなってしまいますし。その、お仕事とか大丈夫なら、ですけど……」
「いや、自分は本当に大丈夫なんですけど。溜まっていた有給をいい加減なんとかしろと言われていたところだったんで」

 あそこの美容院、割と親切だったんだなと思いながら、私たちはホテルへと進んでいった。
 カウンターで親切に対応されて通されたのは、夜の繁華街を一望できる、なかなかの景色が楽しめる部屋だった。ツインルームで狭過ぎず広過ぎず程よい広さで、部屋にあるルームサービスのメニューもなかなかおいしそうだ。

「すごい、ルームサービスでデザート食べ放題なんて、私初めて見ました」
「はあ……あれ。ここのお菓子……」
「この辺りのお菓子メーカーが経営しているホテルですから、食べ放題で出るデザートはそこの販売しているお菓子なんですよ。ケーキとかはホテルのパティシエがつくってくれているんですけど、お菓子メーカーから出向している本物の人ですから、おいしいですよ」
「……詳しいんですね、遙佳さん」

 感心されてしまい、私は照れてパタパタと手を振った。

「そんなんじゃないですよ、私。学校の先生になれないんだったら、お菓子屋で働きたいって思っていたから、教員試験の勉強しながらも、地元のお菓子屋やメーカーのこと調べてただけですから」
「本が、あれだけ好きなのに、ですか?」

 そう岸雄さんに尋ねられると、自分の中で燻っていたものが、ふつふつと音を立てているのに気付く。

「なんだか、占い師に言われたことが、全部が全部的外れでもないし、私が見て見ぬ振りしていたことを言われてしまったなと思いまして……頭では『こんなのコールドリーディングだ』ってわかってはいるんですけどね」
「こーるどりーでぃんぐ?」
「手品の一種ですよ。たとえば『あなたには悩みがありますね』って聞いたら、日本人のほとんどの人には今日の晩ご飯どうしようから、遺産相続どうしようまで、大なり小なり悩みなんてあるじゃないですか」
「それは……詐欺じゃないですか?」
「人の運勢を占うって意味じゃ詐欺になってしまいますよね。あの占い師の場合も、完璧な占いはできないんでしょうけどね……でも、あの人の言っていることの少しは、間違ってなかったなと思ってました」

 私、元々人生に迷っていなかったら、いろんなことに疑問を持ちながらも惰性で現国講師を続けていたんだから。そして今も、元に戻る方法ばかり考えて、肝心の人生を変える方法を考えてなんかいない。
 その上では、私の体でなにしてくれるんだというのはさておいて、思いっきり自分の人生をやり直してやると行動している陽葵さんは眩し過ぎる。私がいつの間にか見失っていた生き急ぐ感じの生き様、できないって思っていたから。
 これは体が入れ替わったから、年齢があるからとか言い訳で、やるかやらないかなんだなと、ついつい思い知らされてしまう。

「……陽葵さんが、私は少しだけ羨ましいなと思ってしまったんです。最初は私の体を使ってなに好き勝手しているんだと、少し怒りましたけどね」
「仕事辞めたり、勝手にスマホを解約したり……ですか?」
「はい。私にはそんな思い切ったこと、できないって思ってましたから……岸雄さんは、陽葵さんと喧嘩したと……」
「……はい。俺たち、結婚はいつするんだって、そんな話をしていたんです」

 それに私は目を瞬かせた。
 そして、少しだけ気が沈んでしまった。そりゃそうだ。一緒に住んでいたんだし、そもそもこんな優良物件を置いていった陽葵さんがどうなんだって思ってしまうもの。
 私は本当の年齢差を考えたらとてもじゃないけど言いづらいけど、でも陽葵さんは……。
 でもあれ、婚約していたんだったら、なんでまた。
 岸雄さんは続ける。

「あいつ、跳ねっ返りでわがままで、偏食で、気まぐれで。でも自分が嫌だって思ったことはこちらが説得してもてこでも動かない頑固さがあって……それがいいところだと思うんです。あいつを幸せにしたいと思ってますけど、まだ早いって断ったんです」
「それは……」
「まだ俺は美容師として働きはじめたばかりで、ようやく髪を切れるようになったばかりです。給料だってまだ安いんで……陽葵を幸せにすることは、まだできないって言ったら、怒ってしまったんです」
「ええっと、岸雄さん。思ったこと言っていいですか?」
「どうぞ」
「そんなの、怒って当然じゃないですか?」

 私の言葉に、岸雄さんは困ったように目を瞬かせた。
 これは陽葵さんじゃなくっても、怒るんじゃないかな。

「多分陽葵さんは、岸雄さんに『結婚する気がある』かどうかを聞いたのであって、今すぐとかは聞いてなかったんじゃないですか? それをそのまんま言えばよかっただけで」
「あ……」
「私だって、あなたみたいな優良物件見逃す手はないと思いますもん。優しいし、頭の回転は速いし、堅実で真面目……その人が結婚をまだ早いって言われたら、だったらいつなんだって不安になると思います」

 そう思ったことを伝えたら、岸雄さんは途端に顔を真っ赤にさせて、頬杖で口元を隠してしまった。
 ……私、大したことは言ったつもりはないのだけれど。

「……遙佳さん、困ります」
「ごめんなさい……私、完全に陽葵さんの体に入っている第三者ですのに」
「なんか、抱きたくなるんで困ります」
「えっ」

 この誠実な青年から、まさかの直接的な言葉が出るとは思ってもおらず、私は口をパクパクさせる。
 どこから。まあ陽葵さんは可愛いしなあ……。ひとりで考え込もうとしたら、岸雄さんは照れ臭そうに、髪をガシガシと引っ掻いた。

「……あいつは、わがままで、跳ねっ返りで、俺のことを優先してくれなかった。遙佳さんに褒められ過ぎていると、陽葵が理想の女性になったみたいで……そんなの遙佳さんに対しても、陽葵に対しても、失礼じゃないですか……」

 ……そう聞いて、私は俯いた。
 今は若くて可愛い陽葵さんの体にいるけれど、本来の私は平々凡々の普通の現国講師で、岸雄さんのその誠実な態度を受け止めきれる自信がない。
 私はしばらく膝を眺めてから、顔を上げる。

「ルームサービスなにを注文しましょうか? 元の体に戻ったら、絶対に全部お返ししますから」

 そう言うと、岸雄さんは天井を仰いでしまった。

「……そういうんじゃ、ないです」

 それに私は、なんの返答もできなかった。
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