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第二章 四神契約の旅編

召喚阻止・二

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 酒呑童子の力は、今までになく強い。
 今までどうにか撃退できたのは、酒呑童子がこちらを舐めていたか、他の用事があったかのどちらかにしか思えない。
 頼光の番った矢を掴んで受け止めると、その矢を田村丸に大きく投げる。本当だったら細過ぎてよれて軌道が乗らないはずの矢も、酒呑童子の手にかかれば弓で射貫かれた矢のように鋭くなる。
 田村丸はかろうじて避けたものの、その間に大剣を振り回される。
 二柱の神の力を得た鈴鹿でも、力の強い田村丸でも、今まで何度も何度も剣を交わしてきた維茂でさえも、彼の傍若無人な力の前で、本来の力を出せずにいる。
 こちらはこちらで、赤い円陣の解呪を行っているものの、その歩みは遅々として進まない。
 酒呑童子と来たら、術式を三重も刻んでいたので、ひとつずつ解呪するしかできないのだ。

「これは僕ひとりだけでは、時間がかかり過ぎてしまいます。お手数ですが、紅葉様も手伝ってくださいませんか?」
「それはかまいませんけど……私では時間が……」
「ですけど、少しはわかるでしょう?」

 それに私は頷いた。
 先程天命が見えるようになった影響なんだろうか。術式は難解だけれど、落ち着いて詠めばひとつひとつだったらなんとかわかるのだ。
 そして保昌はこちらを手持ち無沙汰で眺めていた茨木童子にも顔を向けた。

「……こちらの解呪、手伝っていただけないでしょうか? 神通力の使えるあなたでしたら、ひとつだけでも解呪は可能かと思います」
「……まあ、仕方ないわねえ。私もこれをひとりでどうにかしろと言われたら困っちゃうけど、星詠みふたりいるんだったら、ひとつくらいだったらなんとかできるでしょう。でも、あと少ししか時間はないわよ」

 焦らず解呪できればいいのだけれど、本当に時間がないのだ。
 このまま術式は発動したら、霊山が召喚されてしまう。霊山が召喚されたら理まで書き換えられてしまうし……未だにその話は途方もなさ過ぎて私も上手く飲み込めないけれど、こんなことになったら大変なことになってしまうだろうってことだけはわかる。
 保昌は短剣で地面を抉り、そこに自分の力を流し込みながら言う。

「僕は外円を片付けます。茨木童子様は内円を、紅葉様は真ん中をお願いします」
「わかったわ」
「わかりました」

 私もどうにか真ん中の円に手を伸ばして、そこに術式を流し込みはじめた。
 そして星見台で何度も何度も教えてもらった星座を、頭に浮かべながら力を込めた。

「牛の渡りしその弧を描く……天を流れる川に沿う……」

 流れてくる術式のイメージに星を並べ、その星の後を追って詠唱をする。それは気が遠くなるほどの作業だったし、頭がだんだんと痛くなってくる。
 刻まれた術式のエネルギーは想像だにしないくらいに重くて痛く、それを解呪しようとするにはそれ相応の力を流し込まないと相殺できない。
 今ひとつ解呪しているのに手一杯で、他のふたりはいったいどうやって解呪しているのかすらわからない。
 向こうの戦闘光景もわからないし、下手をしたら術式に押し流されそうな意識と戦いながら、私は必死に詠唱する。
 でも。向こうで必死に戦っている鈴鹿の凜とした戦いが聞こえる。

「……あなたは、どうして理を反覆させようとしているの!?」

 剣と剣を交えながら、酒呑童子と鈴鹿が相対している。
 ふたりの気迫、汗、流れ込んでくる気配。鈴鹿が酒呑童子に押し巻けそうになるたびに、彼女の援護として矢が飛んできて、そのたびに仕切り直しとしてふたりの距離は空く。
 その声に、酒呑童子は淡々と答える。

「気に食わぬからだ、巫女よ」
「気に食わない? 人間から皿科を奪われたこと? でもそれは……!」
「力でねじ伏せ、力のある者が勝つ。実力主義のなんと心地のよいことか。それを弱い者に合わせる? 力のない者を助ける? 魑魅魍魎をばら撒いたとて、生き残るのは力のある者のみよ。力のない者から順番に果てる。その世界のなにがそんなに不満か?」
「……人が皆、最初から最後まで、ずっと同じ訳がないからだ……!!」

 一瞬の隙を突いて、鈴鹿は大きく酒呑童子の剣を弾いた。あれだけ力強く人を屈服させまいとしていた彼が、わずか。本当にわずかだけれどよろめいた。

「くぅ……!!」
「人がずっと弱い訳はない! 大人になれば力はつくし、知識だって深まる! いつまでも弱い人間はいない! そしてずっと強くあり続けることなんてできる訳ない! 病気になったり怪我をしたり、落ち込んだり悩んだりしたら、人は弱くなることだってある! でもそれは、責められるべきことじゃない! 本当に普通のことだ!!」

 鈴鹿が吠える。
 魑魅魍魎に襲われて逃げ惑っている人たち。その人たちの好意のおかげで、私たちはなんとか旅を続けてこられた。
 弱い人間が、いつまでも弱い訳ではない。いつか強くなるんだ。でも。
 力のある人がいつまで経っても力がある訳でもない。人はいつか年を取って、今までできたことができなくなるのだから。

「だからいろんな人がいるんだ! 力のない人は皆淘汰されるべきだって、あなたのその考え方は、私には合わない……! 私は巫女としての生き方しか知らないし、わからない! 私が使命を果たしたらどうなってしまうのかなんてわからないけど……でも……!」

 その言葉に、私も胸が詰まる。
 四神の巫女は、四神の巫女としての生き方以外は教えられてこなかった。だからこそ、私は鈴鹿に幸せになって欲しい。
 好きなことを見つけて欲しい。好きな人を見つけて欲しい。……使命が果たされたあとも、元気で暮らしていて欲しい。
 私はそう思いながら、必死で自分の作業をする。詠唱もあと少しで終わる。これだったら……!

「……綺麗事ばかり、ペラペラペラと……! 我らは、どうして貴様らのために、苦渋を舐めさせられねばならぬ……!!」

 酒呑童子が怒りに震えた。途端に、彼の皮膚がどんどんと赤くなるのがわかる。赤胴色に染まった肌は、間違いなく鬼そのものだ。
 酒呑童子も吠える。

「力の強い者はいずれ放逐される! そのまま我らが舐めた苦渋を、どうして貴様らに返してはならんのだ、巫女ぉぉぉぉぉぉ!!」

 途端に地鳴りが響く。
 そのせいで、私は舌をがぶりと噛む。痛い。
 既に術式をひとつ解呪した茨木童子は「あらまあ」と酒呑童子のほうを眺めた。

「巫女ったら、酒呑童子に一番言ってはいけないことを言ったわねえ」
「……どういう、ことですか?」

 同じく術式の解呪を終えた保昌が問いかける。私は会話に参加できない。まだ詠唱が終わってないから。

「酒呑童子、あれは神通力を起こしたわ。なまずを起こしてしまったのよ」
「……なまずって……!」

 なまず? 私は川で泳いでいるビチビチとした魚を思い出して、なんでそこまで深刻な声を上げるのかわからずにいると、茨木童子が冷静に言う。

「なまずは皿科を支えているからね。ひとたび暴れたら、皿科が割れるわ」

 おい、さらりと爆弾発言……!?
 私は必死に詠唱を終わらせようと口を動かした。
 ……そういえば、なんかの本で読んだわ。地面にはなまずがいて、地震が起こるのは地面の中のなまずが暴れているからだと。
 よりによって『黄昏の刻』では本当に地面の中になまずがいて、起こしたら暴れるんだとしたら……!
 皿科が割れる前に、大江山が崩れるってば!
 あぁん、もう。どうしてこうなった……!
 私は必死に、手持ちの作業を終わらせようと、焦る気持ちを堪えて、詠唱を唱えていた。
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