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第三章 皿科転覆編

西の封印・一

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 東は草木に覆われ、北は雪が降っていた。
 それで西はどうなっているんだろうと思ったら、大江山を越え、祠へと近付くたびに潮の匂いが纏わり付くようになった。

「巫女、そんなに珍しいものではないよ……海は逃げやしない」
「うん……そうなんだけれど……すごいね」

 鬼無里にずっと引きこもっていた鈴鹿は、当然ながら海なんて知る訳がない。
 いや、本来の紅葉だって知らないはずだし、都の貴族として各地を動き回っていた頼光や日がな旅暮らしの利仁はともかく、他の皆も知らないはずだ。
 前世振りに見た海は、水鳥がついーっと優雅に飛んでいて、これだけ見るとこの世界が危機に瀕しているなんて嘘なんじゃないかと思えるほどに、牧歌的な光景だった。
 波間をときどき魚が跳ね、魚の鱗のきらきらとした背を、鈴鹿は飽きもせずに眺めている。田村丸も「ほう……」と感心したように海を見ていた。

「でかい水溜まりでかい水溜まりとは聞いていたが、まさかあそこまで果てない水溜まりとは思わなんだ」
「そりゃそうだよ。皿科の半分以上は海でできているんだからね。海の上にたゆたう皿が、皿科なのだから」
「そりゃそうなんだが」

 一応この辺りは、私の知っている前世でさんざん習った地理とは違うらしい。
 この世界が皿科と呼ばれているのは、大陸は土でできた皿と見立てられているかららしい。だからこの世界は真っ平らだし、頑張って目を凝らせば世界各地が眺められるんだと。まあスケールが大き過ぎて、いくら目がいいとされている紅葉をもってしても、世界の全てを眺められたことなんてないんだけれど。
 そのせいか、この辺りにいる魑魅魍魎も、海洋生物に取り憑いているから厄介極まりない。魚だったらさっさと鈴鹿が青龍の力を借りて電光石火のスピードと雷で焼いてしまえばおしまいだけれど、亀や蟹など、甲羅が邪魔して刃が通らない敵が増えてきたのだ。
 間接部や甲羅の隙間を縫って攻撃しなければならず、力だけでなく、精密的な動きまで求められるようになり、苦戦ばかりしている。

「これで終わりだ……!!」

 今も甲羅の隙間に大剣を滑り込ませて、田村丸が亀の魑魅魍魎を倒した。
 最後に辺りにお清めの塩を私と保昌が撒いていくけれど、この辺りが海なせいで、潮臭い上に乾けば勝手に塩になる。お清めの意味とは……? と考え込んでしまうけれど、星詠みはお清めできてると言っているのでできていると信じるしかない。できてるよね? ねえ?
 黒虎は試練は手伝ってくれないらしい。
 思えば、四神は知り合い同士だろうし、キャラ被りを避けるためにも出ないって方針なのかもな。酒呑童子も茨木童子も戦闘には参加してくれないし、追加攻略対象はメイン攻略対象たちと攻略手順が違うのかもなと、勝手に納得する。
 砂の上を歩くと足がもたつくし、どうしてもスピードは遅くなってしまうけれど、それでもさくさくと歩いて行くと、だんだんと目的地が見えてくる。

「西の祠ですね……一応作戦を確認しますがよろしいですか?」
「私が黒虎の力を借りて、足元を凍らせている間に皆で一斉攻撃、だね?」
「はい」

 鈴鹿と保昌で作戦の打ち合わせを済ませる。
 白虎の眷属ってなにが出てくるのかがいまいちわからないけれど、これだけ海が続いている場所に存在しているんだから、まさか蛇ではないだろうということで、皆で亀だと思いながら作戦を立てたのだ。
 私と保昌は基本的に皆の補助に回るけれど……これで大丈夫かな。
 ふいに私のほうに「紅葉様」と声をかけられた。維茂、私になんの用だろう。

「どうかなさいましたか、維茂?」
「……一応、まだあと一柱を残していますが、それと契約を済ませれば、旅も終盤です。この戦いが終わったら、一度俺に時間をいただけないでしょうか?」
「え……?」

 私は考え込んだ。
 ……そりゃそうだ。これはどう考えても真相ルートで、真相ルートは戦闘が二連続。朱雀との契約が終わった途端に……悪路王が襲撃してくる。
 そのときは悠長に惚れた腫れたしている暇がないんだから、南の祠に辿り着く前に、恋愛面は決着をつけないと駄目なんだ。
 ……私、本当に守護者として旅に同行するのに精一杯で、維茂とこれといってフラグ立ててないじゃん!! どうすんだ、これどうすんだ。
 私は、紅葉と維茂がくっつくのが見たかったのであって、私が維茂と恋愛するとは思ってなかったから、どうするのが一番正しいのかさっぱりわからない! 鈴鹿のほうも田村丸の呪いの進捗がどうなっているのか不明だから、なんの手も付けてないし!
 私はダラダラと冷や汗を掻いてから、なんとかひと言絞り出した。

「……私でよろしかったら、どうぞ」
「ありがとうございます……鈴鹿が四神の力を使う際、危ないですからどうか俺たちの背後から出ないでください」
「大丈夫ですよ。鈴鹿は四神に愛されていますし、力の制御はできているでしょうから」
「……わかっておりますよ」

 よくわからないけど、とりあえず維茂が満足してくれたみたいでよかった。
 さて、いよいよ西の祠に足を踏み入れる。
 鈴鹿は鬼ごろしの剣を引き抜いて、声高らかに宣言した。

「私は四神の巫女、鈴鹿。西の白虎に契約を申し込みに来た──……!!」

 でも。返事がない。
 あれ、今まで青龍も白虎も返事をくれたよね。どういうことと、見物する気満々の白虎のほうに皆で視線を送ると、「ふむ」と黒虎は腕を組んだ。

「あれは我らの中で最も速度の遅い四神だからな、おそらく聞こえているだろうが、眷属の呼び出しに手間取っていると見受ける」
「……なんて身勝手な」
「なに、一番自由気ままな奴がいるから、白虎はまだ可愛いほうだ」

 黒虎が地味に仲間をdisってる。
 思わず拍子抜けしていたところで、白虎の声がスローモーションとはいえどようやく返ってきた。

「あいわかった。我が巫女……さすがに四神とは手合わせせぬよ? まあ、ゆるりと見物でもしているといい。その力、たしかめようぞ」

 ほんっとうにマイペースだなあ!?
 こんな緩い宣誓の言葉初めて聞いたわ!!
 私の脳内のツッコミはさておいて、砂がもこもこと蠢いた。
 白虎は土の四神。ねえ虎だよね? 本当に虎だよね? そう思っていたところで。ボコッとなにかが出てきた。

「グルルルルルルルル…………」

 一見すると、老人にも見えるけれど、その目つきも喉の鳴らし方も、獰猛な獣そのものだ。たしかに虎の皮をかぶっているけれど、このあたりのどこが白虎の眷属なんだ。
 それを見て、保昌が「ああ……」と顔をしかめた。

「老虎精です。人のように二足歩行していますが、あれは中身は完全に虎ですから気を付けてください」

 うん。どうやって気を付ければいいのか、さっぱりわからない。なによりも年寄りの姿を取っているから本当にやりにくい。
 思わず頭を抱えそうになっている中、田村丸はちらりと鈴鹿を見た。鈴鹿はぎゅっと鬼ごろしの剣を構えている。

「作戦、ちっとも役に立たなかったが、今にはじまったことじゃないか。鈴鹿、行くぞ」
「わかっているよ。でも、玄武とやり合うよりはいいかな!」

 ふたりが一斉に地面を蹴った。
 私はどうしようと考えた末、サポートに回ろうと空を見上げた。
 今は快晴。昼の星すら見えないほどに。ただ、悪いものも見えないから、どうにか白虎との試練もこなせそうだとほっとした。
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